King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

解ります。その気持ち

2011年06月02日 10時13分05秒 | 珈琲


昨日の夕方夕刊を読み、本日の走りについてあれこれ思いを寄せる時間帯
です。

ところが、最近はこの時間帯も来客があったり、注文があったりと気が
抜けない時間になりました。

つまりは、皆さんも明日の支度に動く時間帯で、あれ明日の珈琲がない
という事になり、買い物のついでに訪れたり、注文をいただくという
事になるのです。

そして、私はこの明日の朝飲む珈琲がないという気持ちにものすごい
共感を抱くのです。

旅行などに行くとそれはとても強く思い知らされます。

日本中どこにでも喫茶店などはあり、朝珈琲が飲めないことなどない
と思われますが、ホテルのコーヒーは激マズであり、旅館などでは
そもそもコーヒーがないということもあります。

それに田舎の喫茶店は、昼頃から営業なので、朝の珈琲をという
店はないのです。

我が秩父でも全く同じ事がいえます。

先日も私の家のすぐ上にある羊山の旅館に泊まられたお客様が
珈琲はまだ飲んでないということで私の家で朝珈琲をされました。

全く良く解ります。

朝は良質の珈琲と共に迎えたい。

しかし、中々その要望は応えられることがない。

最近よくある海外の町並みをカメラがまるで散歩している人の目線で
町を紹介して行く番組で、ヨーロッパの中世の町並みがそのまま残る
ような町で、広場を眺める老人にカメラが問うと行きつけのカフェが開くのを
待っているという答えがありました。

行きつけの場がある。

こんな素敵な事はないのです。

日本の場合、その行きつけの場が病院だったり、介護施設だったりします。

町のオブジェのような老人たちがいる広場にカフェ。

歩道にはジョギングする人と町には風景と一体になった人がいる。

それが生活であり、暮らしです。

朝の珈琲も暮らしの一場面です。

そんな当たり前の事が出来ないもどかしさ、つらさが解るので、
私は明日飲む珈琲がないという言葉には敏感に反応してしまうのです。

例えば、明日飲むコーヒーがなくて来ましたというお客さんが注文を
受けて焼くスタイルのため受け取りが明日になってしまうという場合、
とりあえず明日飲む朝の分はこの試飲様の豆をお持ちくださいと試飲の
豆をもたせます。

昨日の夕刊タイムにかかった電話も唐突に明日飲む珈琲がないので
今あるものを至急もってきてくれ。

それは大変と車で届けました。往復一時間の時間がかかりました。

またもや自分の仕事は時給で考えると数百円で動いていると
感じる空恐ろしい気分を感じました。

しかし、明日の朝の珈琲がないという危機を救った爽快感も地球の
危機を救ったジャックバウアー並に感じていました。
コメント
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