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King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

アビーの母親と赤虫と

2017年08月25日 11時44分35秒 | 日々のこと
昨日のERにアビーの母親役のサリー・フィールド
がでていました。

なぜ、こんな映画で二度アカデミー賞をとる大女優が
こんな汚れ役のような破滅的な性格を演じるというのは
映画『アバウト・シュミット』のキャシー・ベイツの
ヌードシーンくらいびっくりしました。

このシリーズでなんどもこの母親役で破滅的演技を披露して
うんざりとした気分にさせてくれます。

今まであったしんみり系のシーンよりドタバタや悲劇に
シフトしてそれもより過激になったり大掛かりに海外
ロケもあり、非政府組織に命の危険の中でなぜ医療を
提供するのかという根本的な命題のようなものまで
広げていきます。

そんな生末を考えたとき昨日書いた赤虫の経済性を
考えて田んぼの中にいるユスリカをわざわざ海外で
養殖し、それがわずか数百円で売られていて趣味と
する人には重宝されているというこの経済循環は
どのようにして成立しているのか不思議でなりません。

昔は秩父にも釣具屋というのは徒歩圏に何軒もあり
ました。

今では一件残るのみです。

上州屋のように大きなチェーン店はありませんし、
私もかつてはいろいろな釣りを楽しんできたり、
熱帯魚の飼育を趣味にしていたこともありました。

現在メダカがブームらしいのですが、釣りにしろ
熱帯魚にしろ命をおもちゃにしているようでやめて
しまいました。

それでもなぐさみに金魚は飼っていて、金魚すくいの
金魚を飼っているものがずっといまだに生きていると
いう感じです。

メダカや熱帯魚はわずか1,2年の寿命であり、水槽の
レイアウトはいつも変わりということになり珍しい
ものについ流れていきます。

高いお金を払って手に入れても長くは楽しめず
何より常に死んでいくさかなに心が重くなること
の方が強くなりやめてしまったという感じです。

釣りなども釣った魚を食べるでもなく、ルアーや
フライの釣りならなおさらターゲットも養殖して
作られた人工的フィールドでの釣りとなり、何を
楽しみとしているのかという疑問が出てきてやはり
命をおもちゃにしていることに疑問が出てくるのです。

子供のころなら近所の田んぼの用水路にフナを釣ると
いう行為もむべなるかなという感じですが、大人でも
ワカサギやら手長エビなどを目的にこの赤虫を使い
釣りを続ける人がいます。ほとんどが食用というより
釣るという行為そのもののためにやっているわけですが、
そういう人がいるために成り立つ経済圏があり、ペット
でもそうですし、ユスリカも同様育てています。

私たちの命にはかかわらないように見えますが、やがて
人間の食生活も田んぼで養殖した藻類だったりプランクトン
の類にとってかわられるかもしれません。

さらにミドリムシのように体にミドリムシのDNAを入れ
光合成ができる人間が現れるかもしれません。

自然環境やエネルギー問題が行き着くとそのような世界が
あらわれるかもと思えてくるのでした。


ERのすごみ

2017年08月22日 10時39分47秒 | 日々のこと
海外テレビシリーズの『ER』を今Dlifeで
やっていますが、これは大好きなシリーズで
今のシーズン7などはカーターが刺された後
薬中になり、それから立ち直りという一番
みどころと名シーンの連続の6-7という一番
脂ののったところをやっています。

当時NHKでやっていた時には、毎回楽しみで
見終わったときにすぐにネットで掲示板の
実況をチェックして気になった点を語り合ったり
挿入で使われた曲について誰の曲かという問いが
あったり、ただ見るだけでなく全国のファンとの
交流もありで二度楽しめていたものです。

それがまた放送され、あらためて見てみると
あれ今のあのドラマのあの人だというのが多々あり、
先日もxファイルのFBI副長官役ウォルター・スキナーの
ミッチ・ピレッジが出ており、さらには
プリズンブレイクのマイケル役のウェントワースが
出ていたのです。

高校生のフットボール選手役で頭部を打ったという
ことでヘルメットと防具のままストレッチャーで
運ばれてきてほとんどセリフなしでしたが、一目で
彼と分かる顔立ちでこんなとこに出てたんだと
びっくりです。

プリズンブレイクではマット・デカロなども早々に
出ていて、ああここに出ていたんだと何度も楽しめる
ドラマなのです。

そういった意味では前半の主役の一人マーク・グリーン
先生はトップガンのグースでその時には髪がふさふさと
していたのが一番の驚きでした。

そういうハリウッドスターがドラマに出たということと
もちろんジョージ・クルーニーの出世作ということも
印象に強くあるもののジュリアナ・マルグリーズが
人気テレビシリーズを連発したり、有名ハリウッドスター
がゲスト出演したり、ロケットロマノのポール・マクレーン
など挙げればきりがないのです。

シカゴブルズのピッペンも二度出ています。

それに原作のマイケルクライトンは好きな作家で、
このシリーズ放送中に亡くなり追悼シーンがあるなど
強く印象に残っているドラマなのです。

その後グレーズアナトミーとかシカゴメッドとか
DRハウスとかコードブラックなどなど医療ドラマが
作られます。

その元祖としてテレビドラマでは起こり得ないような場面の
連続でまして日本のドラマではまず作れない内容であり、
一貫して私も愛用していたゲートウェイのパソコンが
使われていたり、とにかく味わい深く、テレビでそう
いう発言や公然と定説として発表するような病気の定理
や治療法を言ってしまうところもあるもののいつもやられた
と感じてしまうのでした。



ウエスティングハウスとナパーム

2017年06月01日 14時57分44秒 | 日々のこと
ここのところ毎週ミューズパークのサイクリング
ロードを走っています。

今の時期、鳴きしきる野鳥の声と色々な花や草の
香りと走る上での環境はこの上ないものがあります。

走ることと一言で言ってもその距離と走り方で普通は
アクセスできない領域に至って色々なことを考えたり
体感したりして色々の変化を齎したりします。

さて平凡に生活している我々ですが、そんな生活を
支える科学技術の恩恵を受けているのは間違いなく、
ただ化石燃料に頼って生きているだけという現状も
この前の大震災を受けそれがいいのかとか我々と
そういった技術革新が今後どんな変化をもたらすか
どうしても考えないわけにはいきません。

最近見たテレビ番組ですっかり知りきったことが実は
そういうことだったのかということがありました。

それはナパーム兵器を開発した科学者の話でした。

ナパーム兵器に関してはガソリンが関係した強力な
爆弾だというくらいの知識でしたが、それは映画
地獄の黙示録でも出てきた勝利の香りという表現で
何物も焼き尽くす地獄の炎のようにガソリンを効率
よく燃やすものだと思っていました。

しかし、それは我々日本にも使われたもので、よく聞く
焼夷弾のことでそもそもフィーザーというハーバードの
科学者が開発した有機化学によるガソリンをゲル化した
ものだといいます。

それにより戦争が終結した夢の兵器だというイメージが
ベトナム戦争では全身やけどした裸の少女が逃げ出す写真
により、非人道兵器ということで国際的に使用禁止する条約に
発展したという歴史が紹介されました。

にもかかわらず、イラク戦争では航空燃料がナパーム弾として
使用され問題になりました。

前回のこの番組ではステラの電気事業が紹介されましたが、
その時に今話題になっているウェスティングハウスの名が出て
きて東芝は何をしてしまったのかと改めて思いました。

ステラの電気事業に資金提供して交流発電システムを世に
広めたのがウエスティングハウスであり、それを買収した
東芝は本来なら有力なカードを握るプレーヤーにのし上がった
はずでした。

それがどこをどう間違ったのか、それとも歴史の歯車のせいなのか
なんとも複雑な思いをする一連の出来事です。

歴史の出来事とはそんなことなのかもしれません。

知ればこんなことと繋がっていたということがたくさんあります。

そしてそれは正確に知って忘れてはいけないことも多々あるのです。

今すごい発明だと世が沸き立つような大発明と研究も後になり、
あの時の発明がきっかけでこんな大惨事になってしまったということが
実際これからも起こることでしょう。

ここで選択ということがクローズアップされるわけですが、
そもそも我々人類の選択というのは自由意志というもので
行われているように感じますが、学説上それは幻想にすぎず
宇宙の誕生以来それはもう決まったことなのだそうです。

まあそれはそれとして知っていても間違った選択だけは
してはならないという気はします。

お風呂に思う

2017年05月12日 14時21分00秒 | 日々のこと
西武秩父駅の温泉施設を体験して
その感想を話したらなぜか人とお風呂と
温泉に対しての違いがあることが解り、
改めてそこら辺をまとめておこうと思います。

というのは私のお風呂に対する思い入れは
近所の銭湯に由来します。

銭湯とは社会のひとつの窓であり、人との交流や
社会生活上の重要な舞台でもあります。

私が通ったのは裁判所の近くと柳島通りのクラブ湯と
野坂にあった銭湯です。

今でもクラブ湯だけが現存します。

なぜ銭湯に思い入れがあるかといえばそれは
家族や家庭という基本のコミュニティから
町内というご近所のコミュニティとさらに
地域の接点としての銭湯という社交場が存在し、
そこで出会う人というのが普段町で出会う人とは
違う人たちであり、銭湯に出かけることで人と
出会いまたついでにお店に寄ったりとして違う
体験をしてという社会の窓としての役割があった
のです。

そして、ふとした疑問として私たちのように歩いて
銭湯に行ける地域の人以外は果たしてお風呂はどうして
いたのかとずっと疑問に思っていました。

各家に皆風呂があったのでしょうか。

私の家も私が小学生になったころには家に風呂ができ
ました。

風呂を作ると今度は風呂を沸かすという手間がかかり、
それは主に私の任務だったのです。

夏場はすぐに沸いたからいいのですが、冬場はなかなか
沸かず苦労した思い出があります。

やがてそれらの苦労も石油釜の導入でなくなり、風呂に
対する思い入れやありがたみも随分軽いものに変わったと
思います。

今の人は生まれた時からすでに風呂はスイッチ一つで
沸くものであり、各家にあるものが普通と思っている
でしょうし、風呂にはいれるありがたみもそんな感じる
こともないでしょう。

そんなことが少子化とか活力のない社会とかにつながって
いるように感じます。

食事もコンビニで買うものという人が増え、何のために
働いて生活してという基本の行動が随分と揺らいできて
いるので人々の生活の幸せの元とか豊かさとか価値が
薄らいで人と接して暮らすよろこびとか自然を感じて
自然とともに生きる喜びなど本来感じてしかるべきもの
がネットの情報やスマホでつながることだけがすべてと
思っている若者に未来を託せるのかと思うのです。

普通に食料を自分で獲得して料理して風呂を沸かしてはいる
という基本の生き方をまず数年経験させるということが
教育として一番必要なのではないかと思われます。

そんなことを考えたことのひとつに祭りの湯の話を人とした時
、やはり自分のうちの風呂が一番いいですねという人と
私が祭りの湯に行ったときにあった同級生が次の日にも
入りに行っていたことからひとそれぞれの風呂の価値に
差があり、それは何から来ていて今問題となっている
格差とも重要な関係があるのではと思えたからです。

生活に根差した喜びとそれを共有できる喜びの拡大を
目指すことが今地域に起きている日本の問題も解決の
元とすることができるのではと考えました。

日本の限界

2017年04月12日 15時09分54秒 | 日々のこと
先日みたワイアットアープですが、今まで昔から
何度も見てきた西部劇ですが、史実と違うイメージが
植え付けられてきたことに驚くとともに実際の出来事と
その影響とか自身の精神面に与えた影響なども実は作られた
デマとイメージで象られていることに愕然としたイメージ
を抱くのでした。

昔この映画を見た時に愛するものをなくして馬泥棒にまで
身を落とす主人公とその後、バイソンを狩って生計をたて
立ち直るきっかけをつかむところが印象にあり、その映画で
みた水牛の群れは今なく、ダンスウィズウルブスのラストでも
そのことが触れられていたことを思い出します。

よく資料的映像でも水牛を狩ってその傍に山のように積まれた
骨の山の写真が残っていますが、これはスー族の文化を壊す
決定的な史実で食料を失い農耕など文化や生活の方法を変える
よう迫られることとなったことなど合わせて考えると歴史が
動いた背景とか象徴的なシーンがあるもののそれを支えたのは
多くの名もない人たちの行動なのを改めて思うのです。

というのはワイアットアープ正義の保安官で凄腕ガンマンと
いう今までのイメージですが、西部を開拓したのは牛飼い
の人たちより実は貧しい生活を強いられた農民だったことや
水牛より牛を飼う理由とか生活者の生活があったことが抜け落ち
ただ恰好よいストーリーとイメージだけが残っている現況を
みるとよく知る歴史的シーンも似たり寄ったりなことになって
いるのではないかと思います。

今期一兆円を超える赤字を計上することになった東芝はつい先日
不正会計処理が問題で管理銘柄になったばかりでさらに今回の
子会社の巨額損失と売上高一兆円を超える企業がこうも転落する
原因はなんだったのか原発事故が原因なのかそれとも初めから
仕組まれていたことなのかと随分考えさせられましたが、そもそも
原発企業という大きな買い物の時点で無理が生じていたことが
うかがえます。

当時エコと原発が結びついて考えられ、今後需要が伸びると
考えられたことからして間違った方向であり、それについて
そのひずみをただすかのように福島の事故が起き今なお多くの人
が苦悩しているというのが現況な気がします。

そして一番の稼ぎ頭である半導体事業を分社化して身売りする
ということで競売にかけ入札金額が三兆円という額が付いたと
いうことですが、その倍の値で国が購入して軌道に乗ったところで
株を売ったらいいのではと今朝思いました。

このままでは外国企業に買われてしまうのは必定。日本の技術が
流出するというし、結局原発メイカーを買った時点でこの技術流出
までがセットで仕組まれていたと考えられるし、それを阻止するには
国家的な戦略があってしかるべきなのでは。

ディアゴスティーニ

2017年01月23日 12時56分20秒 | 日々のこと
よくテレビのCM にでてくる毎週本屋さんに出る雑誌で
付属の部品を組み立てていくと細部まで再現されたモデルが
出来上がるという物が今とても気になっています。

今よく見かけるのはF4とインプレッサです。

最初の創刊号が特別価格で安く設定されていて入口が
低くなっているのがまたそそるところです。

ネットで調べてみると全部完成するまでに二年かかり、
総額は20万くらいで出来上がるものも相当でかいもので
完成させられる人はどうやらまれで全部買ってもらう為の
商法というより夢を見させてより多くの挫折者を生むと
いうもののようです。

なんとなく趣味の王道のようなかかわっている間は自分の世界に
浸っていられるという夢を抱かせます。

昔は豪華帆船とかやっとマイホームを持った人がマントルピースに
飾るものを自分の手でこつこつ来るという何か趣味を探している
人のための極狭い世界のものだったのがより大衆の夢を食い物にして
できるものならついてきてみろという感じのものになっている感じを
受けます。

さて、これは先ほど誕生したトランプ政権と似た感じを受けます。

究極のポピュリズムともいわれ、かつては花形から分厚い中間層など
といわれた人たちが今では移民に仕事を奪われとり残された人たちの
不満をくみ上げて当選したということですが、そもそも主流派の人から
や時代から取り残された人の不満ならつまりは少数派なはずでそれが
なぜ多くの票と支持を集め大統領となれたのでしょう。

できたばかりの政権の支持が48%台というのもなぜそれなのに大統領に
なれたのかという疑問が残ります。

そして、彼がツィターでつぶやいただけで工場移転をとりやめたり
次期戦闘機の値段が下がったりといった現実の動きがありました。

まだ正式に政治の場に着いたわけでない状態で経済界ではそれだけの
実影響があり、今まで世界で長い時間をかけて交渉してきたTPPなども
自分が呼びかけておいてやはりやめたというわけですから、国際的な
信用を失う局面です。

それなのに米が抜け英のEU離脱など分断化が際立つときにいや世界は
彼らが離脱しようともひとつであり自由社会と基本的人権を堅持して
より良い世界を目指すと結束する場面なのに実際は米の顔色をう
かがうような理想は所詮理想で現実の生活を確保することにやはり必死
で次の世界を探っている状況の様です。

トランプ氏は演説の時にこれから8年アメリカのために働くとすでに
安定した長期政権が約束されているかのように振る舞っていますが、
果たしてそうなるでしょうか。

はたまたイギリスが世界の覇権国から滑り落ちたのがポンドの凋落
からであり、経済の弱体だったわけでドルの威信が彼の言う雇用と
移民や不公平な貿易の是正で経済を立て直すことができればまた
違う未来もあるのかということです。

ですが、米が最先端を行く情報技術やAI医療などのハイテク産業の
結果、鉄鋼や自動車などの製造業の人たちは仕事を失い、転職
できなかった人が失業者となり、不満を託つ結果になり、それら
の御陰で当選したトランプ氏に事態の打開が果たせるでしょうか。

今後AIにより仕事を奪われる人はさらに増え、自動車の自動運転から
会計事務や工場生産などは確実に失業者を生みます。

それらを再生させてさらに豊かな社会を築くには失業したりわりを
食った人をいかに再生して社会として生かし活力ある社会にするかで
あり、保護主義化したり排斥したりすればより社会の不満は募り
不安定化します。

そんなことを考えながらリーダースダイジェストみたいにダイレクト
メールのような初回が安くて読者を獲得していく古い商法の世界に
なんとなく諦めきれず定期購読を考えている午後でした。

ニューアカオ

2016年11月24日 23時55分57秒 | 日々のこと
なぜ熱海なのか。

それは海に沈む夕日に端を発して、今年は夏もどこにも行かず
そろそろ温泉に入りたいという欲求は、海と温泉と浜焼きをするという
欲求になりました。

当然、夕日と海なら千葉だろうとホテルを検索し、富津岬のホテルを
予約しました。

ところが、気が付くとホテルの詳細を見ても肝心の文字がないのです。

これではだめだとせっかくの方針を見直して温泉と海ということで
そもそも千葉を諦めることも含め検討していく中でテレビでみた
新日本風土記の熱海が浮かんでくるのでした。

テーマは昭和レトロが残る不思議な空間となった熱海であり、
私の知る熱海のイメージと違うというのが気にかかり、宿を
検索してみます。

すると番組でも紹介されていたニューアカオホテルを宿泊可能な
日からプランを選ぶとディナーショー付きディナーコースとたっぷり
滞在のプランがなんだか魅力的に映りました。

番組でもこのショーのことが紹介されていて独特のショーで
日本人観光客から外国人の人たちまで楽しませる内容だという
紹介をしていました。

すると私も以前泊まった熱海のことを色々と思い出してその時の
料金より少し安いくらいであの当時からリゾートホテルとして
有名な海沿いのホテルに泊まれるのかというのがなんだかとっても
魅力的に感じました。

最初は手元に届いた旅行会社のパンフレットからお得なパックの
13000円位でしたが、プラン検索していくうちにアワビと国産牛が付く
ディナー付きにしてしまい、なんとも巧妙な罠にはまった感じも
しましたが、かつてのアカオのイメージがあるのであのホテルに
とまれてせっかくだからという意識が働きなぜか高いプランを選択
してしまうのでした。

いざ旅行当日になり、予想もしていない事態に遭遇してしまうとは
夢にも思いませんでした。

まだ、11月だというのに何日か前から関東地方は雪になり、都心でも
積雪の予想なのです。

なんと観測史上初となる都内の積雪だというのです。

まあそんな程度で毎冬スキー行く身には驚くに値しないことではありますが、
まだタイヤも交換していないし、その時間と気持ちの余裕もなく前日
静岡は雪でなく雨ということなので、山に入らないで帰ればなんとか
なるだろうと出かけました。

そしてたどったルートは以前にも通った海べりの道路です。

ここでどうしてもこのルートをたどる理由となる地真鶴について
触れねばなりません。

これはテレビなどでは滅多に触れられませんが、沼津の千本松原と
並んで私のお気に入りの地です。

熱海や小田原が歴史的舞台として何度も取り上げられ紹介される
のに対して、素晴らしい自然環境と景観なのにあまり顧みられず
テレビ画面での紹介も湯河原熱海ばかりで、ここを目的地とする人は
まれです。

しかし、この半島にひとたび足を入れその景観と森の中に漂う空気に
触れるともうこれは忘れられない思い出となること間違いなしです。

まずは岬の先端三石が見えるところからこれから訪れる熱海を眺めたり
大島などを眺めたりして、岬の一軒家の喫茶店でまったりするのがよい
のです。

できるなら半日くらいこの岬の森をうろつきたいところです。

あいにく天気は良くなくて、目の前の熱海の景色を見るとはやく
ホテルに入り、温泉入ったり館内をあれこれ探索したい欲求に
駆られます。

というのも景勝地錦ヶ浦に建つホテルなのです。

真鶴から熱海も海沿いの有料道路でアクセスして特別感を満喫し、
入った熱海はとにかく目を見張る変貌を遂げていました。

私の知る熱海はバブル崩壊後つぶれる旅館が相次いで廃墟のように
なっているというもので、その後例にもれずそういったホテルを買収して
リニューアルが進んでいました。

山の斜面には新たな見慣れないマンションやホテルもあり、かつて
泊まったホテルやよく知るホテルがなくなっていたりしてとにかく
間違い探しをしているようで街並みから目が離せません。

それにしても町が立派になり、どこが昭和レトロなんだという感じです。

観光パンフを手に入れても立ちより湯が1000円以下のところがなく
2000円なんていうところもざらです。

かといって伊香保のように何々風呂という凝った風呂でもないのです。

そもそもあれだけあった温泉旅館がどこにでもある伊藤園ホテルとか
星野リゾートになってしまう世の中というのはどういうものなのか。

経営努力とか経営センスの問題なのかただ資本力という体力問題
だったのかなんだか不思議な問題なのです。

というのもリニューアルされたホテルが経営コストをとことんカットして
安いチェーンホテルばかりになったかというとそうでもなく、外国資本の
ヒルトンや高級志向のホテルもあるのです。

だからネット上にはかつて泊まった自分のホテルと思い出をつづる人が
大勢いてかつての思い出の亡霊がたくさん昇華されずに漂っています。

そんなものに突き動かされるかのようにホテルにチェックインすると
町の探索に出かけようとするのですが、まずその前になんともこの
ニューアカオは落ち着きのないところなのです。

ホテルの入口が解りづらく、有料道路を抜けると真正面に見えていた
大きな建物なのにその建物に直接いけそうな道はなぜか急に山上りになり、
トンネルを抜けて熱海城へ行く道になってしまうのです。

ホテルにはそのトンネルの手前を行くセンターラインのない道に
入らなくてはならずトンネルをくぐってしまったらすぐ左に曲がり
ホテル入口らしきところに着くのですが、これが何とホテルの
最上階が到着ロビーなのです。

ホテルはこの崖に張り付いて海の中から立つような建物なのです。

隣の岸壁などはあなぼことひびが入りいつ崩れてもおかしくない
風情です。

この建物もいつ海に沈むかもしれないという不安を感じないわけには
行かず、建物に着くとすぐ車のカギを取り上げられ、車に用がある時には
車で駐車場まで案内すると引換券を渡されます。

なんかもう建物から出れないかのような感じで、チェックインすると
構造がよくわからない感じですぐに部屋まで行くのも誰も案内も付かず
エレベーターに乗りああここが最上階だったんだと気が付くのです。

つまり全館地下室の様でもあります。

まあこういうスタイルはスキーの旅館でもよくあり、そんなに驚くことでもない
のですが、このリゾートホテルに多くのトランクをカートで運ぶ外国人旅行者が
半分くらいいて今まで見た外国人旅行者とまた違う長距離旅行の途中という感じの
人たちがなぜこのホテルなのかという疑問を持つのでした。

さて新日本風土記で見た熱海を確かめに駅まで行ってみることにして、
ホテルの送迎バスで出かけます。

旅番組などでよく出る駅前商店街は意外とたいした店もなく、新日本風土記で
紹介された熱海の土産は三年間漬けたたくあんですが、考えてみたらたくあんなんて
さして好きでもなく、そりゃあぜひ食べたいと番組を見た時には思ったものの
別にいいかとすぐに思ってしまいます。

かつて熱海に来た時には小さな土産物屋さんの店頭で干物をつくっていたり
してとにかく海の幸が身近でしたが、海鮮ドンとか刺身定食などどこも高い
だけでうまいという感じの店はなく、かえってそこら辺の居酒屋の方が新鮮
な刺身なんじゃないかという感じがします。

宿の料理もいつもの定宿のものと比べるとなんとも貧相で味ボリュームとも
落ちる感じでした。

せっかくだからとアワビと和牛付にしたアワビもネットの口コミでは
大きくて柔らかいということでオーダーしたのになんとも貧相でこれ
トコブシじゃねえのかというような大きさです。

和牛も親指と人差し指で輪を作ったくらいの大きさでおなかも一杯になりません。

楽しみにしていたショーも新日本風土記で取り上げていた感じと違い、メキシコ人
三人によるショーで何曲か生歌を歌った感じで終わり、昔見た熱海のショーとも
違うし、とても消化不良です。

肝心な温泉も温泉の浴感もなく、香りもしない無色透明なものです。
露天風呂に至っては塩素消毒臭く、海風がもろに当たり温まる感じより
いつ波にさらわれるかという何とも落ち着かない感じのものでした。

いつも泊まるスキーの宿の1.7倍でしたが、料理の質味ともに低く、満足感も
かなり低かったのです。でも、異体験というか非日常性という点に関しては
非常に高く、翌日の朝風と雨が時には雪になり海に消えるさまはとても
壮観です。ただ、雨のため錦ヶ浦を探索するツアーは中止となりせっかくの
立地も特典も不意になります。

まあ日本中こういう地形は結構あり今回初めての経験でもないし、窓から
みえる鷹が舞う光景もうちの窓から鷹も見える環境を考えるとただとても
不安の要素の海だけが特異な点でそれがそもそも不安な原因であるという
ことでいつも感じる温泉と癒しが何とも満足感を得難い旅となっていました。

それにこの悪天候の中、さらに奥深い山の中に帰らなくてはならないのです。

途中でチェーンを買うかとかロードサービスを頼まないといけないかと
色々と悩みますが、秩父の道路事情を聞くと道に雪はないというので
安心して厚木有料に乗り帰ります。

ただ、世の中はあれだけ箱根は雪といって居て滑り止めがなければ
通れないと言っているのに備えのない車が原因で40台が関係する
事故になり、5時間にわたり通行止めになり渋滞しました。

私は反対方向で事故には無関係でしたが、一台の不心得の車のせいで
用心していた車も同じ結果になってしまいます。

テレビではその他箱根で動けなくなって救助を呼んだ中国人のニュースとか
わざわざテレビに出たかったかのように雪に迷惑する人たちが映されていました。

なぜ私たちのように危険を避けて観光も諦め雪のない道路を行くと
いう選択をとれないのか不思議ですが、まあそれが世の中なのでしょう。

青梅インター

2016年11月23日 23時18分20秒 | 日々のこと
ここ数年海に沈む夕日を見ながら温泉に入るという
思いを抱きスキーシーズン以外は海辺の温泉に行きたいと
常々思うようになっていました。

これはかつては当たり前のようにあった旅行の機会で
会社の団体旅行や地域のバス旅行などで目的地はみんな海の近く
であり、そんな折にはいつもその海に沈む夕日を見て温泉に入って
いたと思っていました。

そんな当時は温泉や夕日よりは夜の宴会や団体ならではのごたごたが
メインで贅沢なときとか恵まれた自然の移ろいにまで心至らなかった
のです。

ところどころで美しい夕日に出会うようになり、また海に沈む
夕日と温泉願望が沸々と沸き立ってきたわけですが、この当たり前の
光景が実は太平洋側関東地域に住む者にとって夕日は山側に沈む
ものであり、海に沈む夕日は見えないという地理的な条件となって
いるというのが一般的な見解であり、夕日の名所も海に沈む夕日を
売りにしているところはまれです。

それならなぜ私に散々今まで海に沈む夕日のイメージがあり、
久々に見たいという欲求になっているのでしょう。

海水浴でよく通った千葉では何度も見た記憶があります。

ただ温泉地となると海辺の温泉でかつ夕日が海にというセットでは
やはり確かに見たという記憶はなく、これは勝手に作られた幻想
なのかという気もしてきました。

海辺の温泉というのは秩父という山間部に暮らす人間にとって
とても魅力があり、お出かけするとなるとやはり海辺の温泉という
のが求められます。

そんなわけで何かの旅行ということになると目的地は海辺の温泉と
なります。

かつてはバスでの団体旅行が主流で主要観光地の幹線道路には
大型バスが止まる大きなドライブインがあり、宿では宴会場と
舞台でのショーというのが定番でした。

ところが世の中バブルの崩壊と個人主義やネットやら変遷が
襲い温泉地もその影響を受けました。

その象徴ともいえるのが熱海だったのではないでしょうか。

かつては新婚旅行に熱海という時代もあり、その後会社の宴会が
ある場所だったり、温泉付きマンションとしての別荘地だったり
しましたが、バブル崩壊と会社での宴会付き団体旅行の縮小など
変遷をうけ、豊かな温泉地も廃墟化しているという報道を聞く頃
からすっかり熱海に行くこともなく過ごしていました。

そレから時が過ぎ最近みたNHKの新日本風土記の熱海は昭和レトロの
残る温泉地として紹介していました。

バブル崩壊と会社での温泉旅行がなくなってつぶれた旅館も
再開発され私の持つイメージとは違う町になったようです。

そんなこんなでそれをまた自分の目で確かめてみたい気もして
海辺の温泉で夕日を眺める欲求と合わさり、たとえ海に沈まなくても
温泉に浸かって夕日を眺めたい欲求とともに昭和レトロの残る
温泉地に行ってみたいと思いました。

まずそれは映像で見る地と自分の記憶の変化を確かめるための
旅行でもありました。

さて、ここで熱海に至るルートを考えるときに重要になるルート
として高速道路の相次ぐ開通でかつては6時間くらいかかっていたのが、
いまや3時間くらいで行ける地となりました。

また、雁坂トンネルの開通で河口湖から箱根熱海というルートも
とりやすくなりました。

とは言え秩父という盆地から行く以上当然海ぺりの道路をドライブ
しなくては意味がありません。

となると効率的に高速道路を使うとなると俄然注目されるのが
圏央道の青梅インターです。

ナビで検索すると入り口として入間インターで入り、東名小田原あたり
で降りるルートが示されます。

観光バスなら花園ずっと高速で行くというのが一般的です。

ですが、海を満喫するなら青梅インターから厚木で降りて
湘南バイパスに乗るコースがお勧めで、以降真鶴道路
熱海ビーチラインと海沿いの有料道路を行くのです。

そうなるとインターのアクセスを考えると花園まで45分、飯能
日高インターで60分、青梅まで75分となるとアクセスのしやすさ渋滞
の有無で行くと断然青梅インターの利用価値が高まります。

現在、青梅インターから中央道、東名、小田原厚木道路までくっついて
折実に利用しやすくなっているのですが、そのまま小田原箱根に
行ってしまってはせっかくの海沿いドライブの機会を失います、

紅葉の季節であり、箱根や富士山といった観光地もありますが、
私にはさらに最重要地としての目的地、真鶴があります。



『華麗なるギャッツビー』また

2016年11月17日 13時07分39秒 | 日々のこと
ちょっとした空白時間にとりだめした映画の中から
『華麗なるギャッツビー』をみました。

ロバートレッドフォードの主演のものです。

フランシスフォードコッポラの演出と当時の主力を
尽くしたロバートレッドフォード絶頂であり、時代も
景気の良かったころの夢も希望もあふれたアメリカが
さらに夢も希望のあった当時を描いた映画です。

なのに、今見るとなんとも貧弱に豪華さのかけらも
力強さも主役の力強さもあまり感じません。

ディカプリオの謎の男で、今一番力があり、人気も
人も集める男といったカリスマ性とその謎が少しづつ
明かされるその演技力と富豪トムと対峙して地が覗く瞬間
とか名場面が対比してみれてどちらがどういいかというのが
よくわかりました。

総じてディカプリオの方がよいと思いますが、それが
ミアファローの魅力とか賞味期限とかカルティエの宝石とか
現代映像の前ではたいしたものではないというのが残念な
ような寂しいような感じです。

この映画の魅力がおとぎ話のような成功と恋のはなしであり、
アメリカ社会の富と力と格差の話でもあり、真実を見抜く目の
話の様でもあります。

それが距離感というニューヨークとロングアイランドの中間には
眼鏡の看板があり、真実を見通すというロゴか象徴的に語られ
登場人物がただの看板よと語るあたりに物語の真実がにじみます。

全体的にディカプリオの方がよいものの、ギャッビー死後の場面
ではレッドフォードの方がよいと思いました。

ディカプリオの方は全体的に過去を暴き立てたり、ギャツビーの
暗黒面を強く描きすぎていてそのための早すぎる死を迎えたと
いう決着なのに対して、死後の父親が出てくるレッドフォード版
では成功して恋もあこがれもつかんだという孤独な死でありながら
それを見ていてくれた友がいたという描き方になっていて見るものを
安心させ多くの見る人の側に立った書き方になっていると思います。

今なお広がる格差とひずみに思い致す時間となりました。

改めて見る真田丸

2016年11月10日 11時41分03秒 | 日々のこと
録画ハードディスクを整理して空きを作るべく
見ては消す作業をしました。

今シリーズものだと古いERとNHK大河ドラマの
真田丸があり、これを並行して見ては消しました。

ERに関しては、とにかく昔楽しみにしてみた時の
印象が強く、今見直しても当時の感慨とかその時に
色々思い悩んだことなども一緒に思い出されたり、
とにかく懐かしいものです。

ただ懐かしいだけでなく、続けてみるとまた違った
物語の伏線とか登場人物の心情とか成長といった見方も
できてこれが何を狙ってこれだけヒットしたかも理解
できました。

中でもカーターの扱いが最初坊や扱いから緊急時には
中心的に指示を与えて危機を乗り切るリーダー性を見せ
たり、最初のうちは富豪の御曹司色が薄く、あまりその
特性をドラマでは扱わないの意外でした。

またゲスト出演するスターにイアンマクレガーがいたり
映画で有名な俳優がカメオ出演的に出てきたりしてあれ
と思うところもありました。

ピッペンが出てきたり、プリズンブレイクでブレイクした
セオドア・バッグウェルのロバート・ネッパーなど当時は
気にならなかった人物があれここに出てたのかと発見する
楽しみがありました。

また、ロケットロマノが当時にくったらしい悪役だったのが
今回あまりそんな感じに感じられず、ケリー・ウィーヴァーの
ローラ・イネスがやたら皆に嫌われる嫌な役で、できるけど
周りからは嫌われる人という世間では実際あり得る日常を
抉り出している感じがします。

このドラマがヒットしたのは現実的な困難の中少しでも悩み
成長していく共感できる物語であり、スーパーヒーローや
特別な能力も異星人もスパイも出てきませんが、日々ちょっと
救われることを描いたことにあるのではないかと改めて
感じました。

真田丸は今まで描かれてきた信長や秀吉といった時代の中心
人物からの歴史を真田という一武将から見た歴史がこうも
皆すべて真田にかかわり動いていたのかという錯覚を齎し
ますが、これは演出の問題で滑稽な家康、秀吉の役の人など
どうもコントでやる歴史ドラマのような感じは否めずそれは
ないだろうと思われる歴史ストーリーもあり、今までにない
信繁の採用など歴史的に忠実に再現したかのような印象を
与えるものの実はかなり演出的に創作した部分もありこれを
信じてしまう人が続出したら歪曲したことにならないかと
ふと心配になりました。 これについてはまた触れることがあるかも。


華麗なるギャツビーと模倣犯

2016年09月22日 23時42分48秒 | 日々のこと
昨日テレビで見た『模倣犯』。
なぜいまさらというほど昔見た感じと話題になった
宮部みゆきの原作です。

宮部みゆきが直木賞をとって話題になり、色々と映像化
されましたが、すでにその当時ミステリーの大御所として
成功していたのになぜという印象とより加速的に賞により
有名になり、あらゆるメディアに登場するようになり今まで
通勤の友だった人がいきなりメジャーになったような売れる
とはこういうことみたいな現象を印象強く持っていた人でした。

それをなんでまたテレビで再ドラマ化したのか興味があり、
見ましたが、そして感じたことがあります。

それは何日か前にテレビで見た映画『華麗なるギャッツビー』です。

華麗なるギャッツビーといえぱロハートレッドフォードの主演で
映画化され、その当時はあまり好きなイメージでなく原作ともなじみが
なく、インパクトも感動もこんなものかという感じでした。

今回ディカプリオでなんでまた作らなくてはならないのかという疑問と
ともに見たのですが、映画の作り方というか映像化がもはやそうなのか
という感じのものを強く感じ、どんな絵でももはやつくれてしまうという
ダイナミズムとリアリズムからより求められる演技というものがあるのだと
いうことを思い知らされました。

ディカプリオの演技もつい地が出てしまうというあたりの彼がやるからという
すごみと傍観者としての役者対比とロングアイランドとニューヨーク中心街を
車で移動するときの映像と文学的距離感と抒情感が実によくできていて今の
映像だから可能になったのかという思いを強くしました。

ロングアイランドの湾を挟んで城のような豪邸を持ち週末に大きなパーティを
開く謎の男ギャツビー。

その隣にたまたま家を買ったばかりに傍観者としてことの顛末を
ひと夏経験する作家からの目線と位置関係を映画ならではの視線と展開で
見せられなおかつ時系列というものの見方を重ね合わせるとこうなるという
見事な対比であり展開だったのです。

役者の格とかギャップとかいろいろと面白く舞台とか小説とかいろいろと
考えることのある映画であり、またなぜ映画としては富豪に入れ替わると
いうような物語が好きなのか所詮どこかの馬の骨がみんな富豪とか上流階級
の正体という虚像の世界という権力と財力と恋の話とみんな詰まっているのが
このギャツビーの世界です。

この手法と模倣犯の時系列が行ったり来たり、誰かの視線での展開と
映像とその行ったり来たりぶりがこのギャツビーと似ていると感じたのです。

日本ドラマの場合、二時間ドラマなどテレビに出る俳優はみんなもう
見飽きた顔ばかりでみんな顔と役が同じ人ばかりで、違う面だとか味が
出にくいのが現状です。

そんなところで今回のもう見た原作をなぜまた現代に出す必要があるのか
それがあるのであえて見てみましたが、これがなかなか楽しめました。

現代に置き換えたのでネットやらスマホやらデジカメやらの使い方も
よく、落ちの使い方も違和感なく劇場型犯罪者がその枠の中で敗れていく
見ている方のカタルシスも果たしてくれる解決など工夫されています。

日本のドラマならではの台詞と役者の演技なども決まったようなかつての
絵回してなく、パソコンやらテレビのザッピング的な絵使いになり、時系列
も行ったり来たりを繰り返してスピード感と緊迫感をだし、それでも一本
筋を通したかのような家族の絆とか信じていてくれる人がいる大事さなどを
だして、ドラマを引き締めています。

もともとひょうきんな味のある橋爪功の演技などもじじいとしての位置と
一本筋の通ったところが良く出ていました。

杉本哲太と中谷美紀の夫婦はミスマッチな夫婦として違和感がありましたが、
主婦ライターと学歴のない鉄工所の次男坊という設定であり、わざとそうなって
いたのかという感じでした。

演技としては、やはり哲太より格段の主役中谷という感じですね。

判に押したようななじみの顔の俳優陣でしたが、中には初々しい人もいて
それがより新鮮でよい演技でした。

これも計算なのでしょう。

人生とは面倒なもの

2016年09月15日 13時40分56秒 | 日々のこと
現実の世界というのは、個人の判断として
いかようにも生き方が選択可能でそれによりそれぞれ違った
人生になると皆さんはお考えだと思います。

ところが、最近の研究では自由意志とは幻想で、物理的に
人生の結果は最初から決まっているのだとか。

所ジョージのテレビ番組で最近はハーレーでなくてBMWに
はまっているという紹介を見ました。

実は当店の近所にも似た人がいていつもバイクをいじっている
のです。

ただ、いじっている姿は毎日のように見るのですが、走っている
のはほとんど見ないのです。

はてなにがたのしいのかとあやしむばかりです。

それが所ジョージがハーレーから乗り換えメカ的にこのバイクに
たどり着くために今までがあったというほど褒められるものが
あるのかと思い色々調べてみました。

まず値段です。

中古で60万からと意外とハードルは低くそうです。

それでオーナーのサイトやら個人のブログやらを見てみると
カタログのスペックである低速から高速まで自在に扱えると
いう内容も修理やメンテナンスに支えられてのもので、まず
エンジンがかかるかどうかすら祈るように何度か試みて掛かる
というもので、そのセル自体修理が必要になるものらしいです。

掛かればかかったでオイルが回りなじむまでチョークで調整して
待たなくてはならず、それはお隣から苦情が来るレベルのことで
止まってアイドリングをつづけるとオーバーヒートするという
面倒さです。

それにバイクはむき出しの体で事故に合えばその後の人生にかかわる
物になります。

オーナーは皆事故を経験していて、自身が気を付けて無謀な運転を
避けていても事故は向こうからやってきて避けられないもののようです。

とても所ジョージの様には楽しめないもののように見えて仕方ありません。

今の車はCVTでギアチェンジのショックもなくスムーズで加速もバイク
並みに加速し、エンジンブラスモーターのレスポンスを発揮します。

そして、エアコンでいつも快適でチョークなんて代物はありません。

いつでもボタン一発でエンジンがかかり、すぐに走り出せます。

エンジンオイルはカタログによれば1万キロに一回の割合でよく、
手もかかりません。

時間とガソリンがあればどこへでも簡単に出かけられます。

それを好んでなぜより自由とかっこよさのためにバイクに
乗らなくてはならないかという疑問につながります。

バイクにかかる時間が増えてちっとも自由ではないし、故障ばかりで
お金もなくなってしまいます。

つまりはお金と時間が有り余る人が自分の暇を消費してくれる
バイクはかわいくてしょうがないということなのでしょう。

物理量を増やしてエントロピーの増大と自らの選択権をなくすことで
自身の趣味世界に埋没している状態を演出して満足しているという
所なのでしょうが、そもそも残りの人生とかやり直しとかいう問題を
考えると無駄なことにかかわっている暇はないということが一番な気がして
きます。

したがって中古バイクをいじるという案は却下。

今は新シーズン前に新しいウェアを買うかということとヘルメットを
導入するかということに移っていくのでした。

オリオン座も見えるように

2016年09月14日 17時02分27秒 | 日々のこと
すっかり朝晩は涼しくなりました。

何しろ夜にはあのオリオン座が見えるのです。

私にとっては冬の使者であり、今まで武甲山の上に
さそり座が見えていたのが、よいよ夜走るには辛い
季節になります。

その辛さを思い出させるオリオン座をみるとまた
あの季節が来るのかと思います。

そしてまた、温泉とスキーの季節にもなるのかと
色々と今シーズンはああしてやろうとか次に新調する
ウェアとか道具についてあれこれ考えます。

そして、その前にやらなければならないもろもろに
また考えが至るという循環です。

秋にはまた、バスケットのイベントがいくつかあります。

体育の日には豊島の人たちと交流試合の予定もあります。

となると体調面でもあれやこれをしてよりグレードアップ
して臨みたいと思うのです。

とりあえずはこれからいつもの走り込みに出かけます。

ボーリング必勝法に思う

2016年08月17日 11時49分24秒 | 日々のこと
如何にもまともなようなことを言われると
ひねくれた性格なのかそんなことあるかと思ってしまいます。

先日聞いた話で、ボーリングの必勝法を例えに物事を考え、
物事をよく観察して最善な道をえらぶという話でした。
それ自体は正当な話なのでしょう。

にしても、そもそもたとえに出されたボーリングの必勝法に
正統性と正攻法である証明がないため話にどうも乗れないと
思いました。

そのボーリングの必勝法とは連続してストライクを取ること
ですが、そのためには所謂ポケットを狙うことであり、それには
ストレートボールよりフックボールを投げることであり、フックボール
なら数センチ狙いがずれてもポケットをとらえる確率が上がるので
ボーリングの練習にフックボールを投げる練習をするのが勝利の
近道になるというのです。

一見至極まともな話に聞こえるのですが、これでそれならフックボール
を練習しようという気になれないのです。

まずは上級者ぶってフックボールを投げるやつが嫌いだという
こととボーリング場に通い詰めるやつがダサいやつという刷り込みが
あり、納得できないのです。

私は今まで通りボーリングは極希に気晴らしに連れ出される
ところで行けば素人ぽくトップピンにまっすぐ球をぶつけて勝負する
だけでいいと思えるのです。

何も勝つ方法を知ったからそれを習得するために足を運びたいと
思わないし、そうするだけの価値も見いだせないのです。

とすると何も正しい道を見つけてもそれを行くかどうかが自分に
選ぶ自由を持っているということを自覚できる健全性が自分にあると
思いたいし、みんながそうしているからそうしなさい的なものに
嫌悪感とかすかな危険を感じることも大事なんではないかと
言いたいのです。

民主主義とか社会とかでは特に。

ブランドの限界

2016年08月10日 11時34分42秒 | 日々のこと
連日届くオリンピックの激闘の様子を見つつ
連日さらに寝不足が重なっている状況です。

まさかというような結果に驚かされたり、期待した
のにあれっと思うような結果にとどまったりと様々な
ドラマがあり、これはついついテレビに目が行って
しまいます。

この季節、朝から洗車するにも強い日差しに目を
保護するアイウェアが必要になります。

私の場合、このジャンルには譲れない絶対の信頼を寄せる
ブランドがあります。

そもそもの始まりは釣りやランニングやスキー、ドライブといった
お出かけ時にまぶしさよけに必要だなと感じていたものが、ランニング
には必須のものとなりその始まりは長い苦しみの時間をいかに快適に
するかという検討にまぶしさの中の視界の確保と逆光でもくっきりと
見えるという実用性に鑑み良いサングラスをと探し出したのがZERO rh+です。

走っているときにはいろいろな考えが浮かんだりと重要な思考タイムであり、
それを邪魔しない着け心地は必須であり、UV機能とともによく見えることも
必須なのです。つまり、釣りの時に実感したギラギラ感をとる機能で、これは
体験すると夜のドライブなどでも非常に有用と感じ必須の機能と感じます。

この機能名をずっと思い出そうとしていたのですが、結局はじめ思いついた
ポラロイド機能であっていたのですが、サングラスでこの軽量であり、UVカット
、ポラロイドさらに長い時間外に出かけていると天候の変化でレンズの色も
変わればよいと欲求する機能は多岐にわたりましたが、まさかそれにぴったりの
ものがあるというのがこのZELO rh+
です。


防弾カラスと同素材という対衝撃性やまるでつけていないような自然な
掛け心地と軽さがあり、普段は人に威嚇や違和感を持たれないような
クリアレンズでありながら強烈な日差しの時には可視光線をカットし、
ギラギラなど抑える偏向性能で様々に変わる自然環境にフィットする
という優れものです。

このポラロイド機能と調光機能は常に必要と夜のドライブからスキーの
時にのゴーグルにもボラロイド機能のAXEものを買ったのですが、これは
このZERO rh+ほどの実力はありません。

調光レンズのせいで特に晴れの日にコブが二重に見えるのです。

rh+は夜でもぎらぎらの真夏の日差しでも物がくっきりと見えるのに
これはがっかりです。

そもそも偏光と調光とはレンズ機能が違うようです。

私が求めているのは偏光性能ですが、実用ということでは
いくつも用意してその時に一番適したものを使うというのが
望ましく、そんな中rh+は一本でいつでもどこでもどんなシーンでも
使えるという重宝さと着けていないかのような軽さとフィット感が
あったのです。

ただ残念なのは汗に濡れるせいかレンズが数年もすると劣化して
くるのです。

少しレンズに曇りが出てきたからそろそろ買い替えようかと検索すると
前回もこの検索作業をしたことを思い出したのです。

レンズを付け替えて使うUVカットのスポーツグラスだとなんと十分の
一の値段で買えるのです。

つまりは所詮使い捨てのスポーツグラスならその日の天候に合わせて
レンズを付け替えて使うこのタイプで十分なのではと思えてきてそれでも
こういう安物を買うと究極の気持ちよさ良いものを使っているという満足感
と安心感が廉価という経済性の前では霞んでしまう現実を目の当たりにして
買い替えをためらったのです。

その時は安物を買う失望感と残念な着け心地がもう買う前から解って
しまい、それなら今のをそのままもう少し使おうと思ったことまで
思い出されて改めて今日ブランドの限界と経済性の狭間に揺れる心を感じた
のでした。

そしてその物欲と消費することの楽しさなどにも思いが及び夏の暑い日に
究極の贅沢とはなどと余計な思いなども挟み込み自己満足もどの程度が
丁度いいのか考えるのでした。