本屋さんで見た。7月10日発売だった。
え?今更???というのか、なんというのか。
思わず、手に取ってみてしまった。
絵柄は、さすがに変わっていた。
1年以上前だったと思うけど、自分は、同様の感じで「ベルばら」の新刊の2つの巻を本屋で見つけて衝動買いしてしまい、
(昔のと違ってライトノベル感覚で、すぐ読める感じ。路線が根本的に違うようで。同じ作者の『オルフェ』なんて、読みだしたら止まらないし、凄く時間を使う、時間を忘れてはまる、力作の路線。忙しい現代人には、ライトノベル風も、一つの価値はあるとは思う反面、、やはり王道を行く少女マンガは、時を忘れて、はまる物、と痛感した。)
読んで、少し経ったら(家が狭くなるので)古本屋に持って行った。
一方、「オルフェ」の方は、一回買ってたのを引越しその他で無くしたり捨てたりしたのを、また買ったくせに、まだ家にある。(捨てたら、またそのうち買うような気がするので、・・・)
バレエ雑誌なんかもそうだけど、たまるとそのうち捨てることになるので、面倒で買わなくなったりって、この頃ある。
「ベルばら」の最近の2巻は、別におもしろくないわけじゃないんだけど。一番最初の、マリー・クリスティーヌって女の子の話だけが、少女マンガっぽくて、後は懐古譚っぽかったかな。作者のストーリーテラーぶりは、さすがに手馴れ感あるんだけど、・・・。
買って、すぐ捨てた自分の行動に学習して、今回は「ポー」は買ってない。(そのうち買ってたりして・・?)
ベルばらといい、ポーといい、出版社的には、こういう流れになっているんですかね?
でも。(新たな若い読者の開拓、なんて需要があったら、あれだけど。かつての作品をリアルタイムで見た者の勝手でしかない、意見だけど。)
永遠の時を生きる少年、ポーの一族の、エドガーの不思議な話は、過去ので、完成度が非常に高く、
心の中に棲む『ポーの一族』の世界に、これ以上の付け加えとか、個人的には、いらないような気がするのだけど。(すまん)
(どちらかといえば、ちょっと前に、『ポーの一族』をTVドラマ化したものは、良かったと思う。香取慎吾が主演で、作った人たちが作品世界をよく理解し、咀嚼することに成功していたと感じた。赤薔薇とか、神秘的な吸血鬼の女の子とか、良かった。ほぼ全員キャスト良かった気がする。ポーは立派な原作があるので、ああいう風に、ドラマ化とか、別の見せ方で行くのも、向いているのかも。)
萩尾望都ファンの方々、作者様、こんなコメントですみませぬ。
「買わずに、読まずに、言うな!」という炎の反論あったら、それは正論。
時に、『ポー』の時期に『トーマの心臓』(このタイトル!萩尾望都の天才の片鱗が今更伺える。)って作品もあって、
ちなみに、間違ってるかもしれなけど、俳優の生田斗真のお名前って、この「トーマ」から取ったんじゃないかと、ず~っと思っていた。
その位、やっぱり萩尾望都作品って、インパクト強かったんだと思う。
『オルフェ』と違って、『ポーの一族』の方は、自分も凄く若い時に読んで、、そこで完結した読書体験になっていて、大人になってからも再再読できるような感じでもなくて、10代とかの自己形成にも関わった位、思春期の糧になる必須栄養素のある作品群だった。
それが、あの頃の萩尾作品だった、ような気がする。
萩尾さんが、お若い時に、漫画雑誌のインタビューの中で、”他の人のように嫁に行けというご両親に、自分は一生かけて漫画を描いていくのであって、お嫁さんになったりとかする代わりに、一生の仕事としてこれをやるんだ、というような説明をして(本人のコメントを正確に再現できてないけど、そんなような内容だった)、なかなかご両親に理解して貰えなかった”、との主旨のコメントをしていたことがあった。
確かに、今の時代に振り返ると、「一生かけてやる」ほどの、なまなかでないお仕事だったと、よく分る作品群ではあった。物を創造するというのは、絶大な集中力、エネルギーの居ることだから。
散漫失敬。次はバレエで。
え?今更???というのか、なんというのか。
思わず、手に取ってみてしまった。
絵柄は、さすがに変わっていた。
1年以上前だったと思うけど、自分は、同様の感じで「ベルばら」の新刊の2つの巻を本屋で見つけて衝動買いしてしまい、
(昔のと違ってライトノベル感覚で、すぐ読める感じ。路線が根本的に違うようで。同じ作者の『オルフェ』なんて、読みだしたら止まらないし、凄く時間を使う、時間を忘れてはまる、力作の路線。忙しい現代人には、ライトノベル風も、一つの価値はあるとは思う反面、、やはり王道を行く少女マンガは、時を忘れて、はまる物、と痛感した。)
読んで、少し経ったら(家が狭くなるので)古本屋に持って行った。
一方、「オルフェ」の方は、一回買ってたのを引越しその他で無くしたり捨てたりしたのを、また買ったくせに、まだ家にある。(捨てたら、またそのうち買うような気がするので、・・・)
バレエ雑誌なんかもそうだけど、たまるとそのうち捨てることになるので、面倒で買わなくなったりって、この頃ある。
「ベルばら」の最近の2巻は、別におもしろくないわけじゃないんだけど。一番最初の、マリー・クリスティーヌって女の子の話だけが、少女マンガっぽくて、後は懐古譚っぽかったかな。作者のストーリーテラーぶりは、さすがに手馴れ感あるんだけど、・・・。
買って、すぐ捨てた自分の行動に学習して、今回は「ポー」は買ってない。(そのうち買ってたりして・・?)
ベルばらといい、ポーといい、出版社的には、こういう流れになっているんですかね?
でも。(新たな若い読者の開拓、なんて需要があったら、あれだけど。かつての作品をリアルタイムで見た者の勝手でしかない、意見だけど。)
永遠の時を生きる少年、ポーの一族の、エドガーの不思議な話は、過去ので、完成度が非常に高く、
心の中に棲む『ポーの一族』の世界に、これ以上の付け加えとか、個人的には、いらないような気がするのだけど。(すまん)
(どちらかといえば、ちょっと前に、『ポーの一族』をTVドラマ化したものは、良かったと思う。香取慎吾が主演で、作った人たちが作品世界をよく理解し、咀嚼することに成功していたと感じた。赤薔薇とか、神秘的な吸血鬼の女の子とか、良かった。ほぼ全員キャスト良かった気がする。ポーは立派な原作があるので、ああいう風に、ドラマ化とか、別の見せ方で行くのも、向いているのかも。)
萩尾望都ファンの方々、作者様、こんなコメントですみませぬ。
「買わずに、読まずに、言うな!」という炎の反論あったら、それは正論。
時に、『ポー』の時期に『トーマの心臓』(このタイトル!萩尾望都の天才の片鱗が今更伺える。)って作品もあって、
ちなみに、間違ってるかもしれなけど、俳優の生田斗真のお名前って、この「トーマ」から取ったんじゃないかと、ず~っと思っていた。
その位、やっぱり萩尾望都作品って、インパクト強かったんだと思う。
『オルフェ』と違って、『ポーの一族』の方は、自分も凄く若い時に読んで、、そこで完結した読書体験になっていて、大人になってからも再再読できるような感じでもなくて、10代とかの自己形成にも関わった位、思春期の糧になる必須栄養素のある作品群だった。
それが、あの頃の萩尾作品だった、ような気がする。
萩尾さんが、お若い時に、漫画雑誌のインタビューの中で、”他の人のように嫁に行けというご両親に、自分は一生かけて漫画を描いていくのであって、お嫁さんになったりとかする代わりに、一生の仕事としてこれをやるんだ、というような説明をして(本人のコメントを正確に再現できてないけど、そんなような内容だった)、なかなかご両親に理解して貰えなかった”、との主旨のコメントをしていたことがあった。
確かに、今の時代に振り返ると、「一生かけてやる」ほどの、なまなかでないお仕事だったと、よく分る作品群ではあった。物を創造するというのは、絶大な集中力、エネルギーの居ることだから。
散漫失敬。次はバレエで。