懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

ソロルという名の馬

2013-09-22 02:24:16 | Weblog
今日の神戸新聞杯に出る池添騎手の馬で、「ソロル」ってのがいる。
母は「ラバヤデール」その母は、「ニキヤ」。
なんだそりゃ~。

馬券的には外したいんだけど、バレエマニアを惑わす名前・・・。
こういう馬名つけるのって、バレエファンに「買え~!」って言ってるようなもん。
(競馬ファンはご存じなかろうが、バレエ「ラ・バヤデール」は、古代インドらしき時代考証いいかげんなエキゾチックワールドで、戦士ソロルと神事を司る舞姫で巫女のニキヤを巡る悲恋物語。割と俗っぽい作品だけど。)競馬の馬名ジャンルにバレエ関連ってあるみたいだけど、一作品を巡って出てきたのは珍しいかな。

山田順という人のコラムに、凱旋門賞について、斜陽のG1と書いてあった。
(あ、でも今、私のブログのアクセス上がっちゃったから、今書かない方が良かったかな。)
なるほど言われて見れば、だけど。日本人のフランスコンプレックスは、根強いし。

それでもオルフェが勝ったら喜んでしまいそう、自分。
キズナでもいいし。
オルフェがまた、ぶっとんだことすれば、それはそれで面白がって見ちゃうし。
彼的には、何かに憤慨していたり、笑えることではないのかもしれないけど。逆噴射走りとか、ディープインパクトでもやらなかったありえないレースを過去にやってる、妙な最強馬だし。

凱旋門賞そのものより、オルフェ、キズナ参戦、こういうこともきっかけに、日本の競馬界にスポットが当たって、プラス材料になればいいんじゃないかと思うのだけど、甘いかな。

前週の大河ドラマで新島襄役のオダギリジョーが、いい芝居をしていた。セリフに「国の為に働く人を育てたい。国というのは、国家という意味ではなく、”People”ということだ。」だったか、そんな、今の日本にはスパイシーなセリフがあって、その瞬間「たかがテレビドラマ」を超えてしまい、ドキッとした。

脚本家の人は、何かを意識してこのセリフを書いたんだろうか?
それにしても、当て書きではないんじゃないかと思うから、このセリフを言ったのが、オダジョーで、本当に良かった!この時勢ジャストミートなセリフが、100%生きた。

大河ドラマは、今、脇役に名優が出る時代なんだろか?
「平清盛」の時の三上博史、上野樹里が主演したつまらなすぎる大河(タイトル失念)の時の、宮沢りえの淀君と豊臣秀吉の結ばれるシーンとか、主役の主筋ではない部分に、ピンポイントで面白い場面が出たりする。

今回、オダジョーが出てから面白くなったというか、映像が廻りだした気がしていて、こういうのが映画でてる俳優の強みなのかしら、と思ってみた。
その中で、前の鳥羽上皇役の三上との違いとして、鳥羽上皇は、ひとり突出していた気がするのだけど、オダは周りを包み込んでいく感じがした。より強く「周囲」を感じる演技、というか。あのセリフや、役への溶け込み方を見ていて、演技って、その俳優さんの生き方みたいなものも、反映されてるんじゃないか、と思った。

この俳優さんを育てた、過去に関わった映画監督たちとか、そういう、この人の背後にあるものまで、感じさせた。綾瀬はるかは、オダが出てなかったときよりは、オダが出てきてからの方が、良く見えた。

大河ドラマは、静止画的に画面がなってしまいやすいのは、何か構造的な問題があるんだと思う。オダの芝居部分がいいのは、そこだけ、大河ドラマ特有の硬さが取れて、画面の空間にもっと動きを感じるというか、映像が廻ってる気がするから。その辺に、私的には、オダの演技に映画の世界からの影響を感じた。

西嶋秀俊は、ここではビジュアル担当になっていて、この人が俳優としてのスキルを全開したのは、少し前に出てた韓国美人女優との恋愛ドラマで、それも本編ではなくて、脇役との掛け合いの芝居の所。最高に生っぽい芝居をしていた。あれ以上生っぽい芝居もないんじゃないかと思うほど。個人的には、そういう時の演技の方が好きだけど。今回のは大河っぽく静止画っぽい芝居で・・・。

年齢を裏切る若さと美貌を見せている事には、感心するけれど。
国を憂う士の役、っっていうのは、西島秀俊に合ってるのかどうか??と思ったけど、皆がいいって言うから、反対しないでおこう。(笑)

三上の良さは、今まで充分にTVドラマで成功していて、TVドラマの撮影空間でも、自在に表現できるという、オダとの違い、二人の俳優のバックヤードの違いも、チラッと感じた。

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