懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

11月の公演

2013-06-01 17:06:13 | Weblog
ちょっと先の話ですが。

・ギエム公演、やはり友人もエック版「カルメン」があるから、行くと言う。
(併演の、カーン振付のも、面白いと思うけど、自分はエック版の公演に複数回行って、燃え尽きそう。)

ただ、この作品、90年代の、マッツ・エックのクルべリ・バレエ団、本家の公演の画像が残っていて、これが素晴らしい!TVで放送してくれないかしら。WOWOWとか、シアターテレビジョンとか、クラシカとか~etc。放送してくれたら泣いて喜ぶんだけど。

開幕から、舞踊、音楽、演劇的要素、衣装、装置のコラボ加減が素晴らしすぎて、目がすごく働く。なんで、なんで、こういう独創的でユニークな振付・演出のアイデアを、次々思いつくんだろう。目が離せない、息もつかせぬ面白さ!

こういう、こういうコンテが見たかった!
最近私が見てきた、ぬるいコンテ群、あれは一体なんだったの??という気に。悄然。

カルメン=アナ・ラグーナ、ホセ=マルク・ウォン。そしてクルべリ・バレエのコールドのかもし出す、喧騒、猥雑さ、の中にも、時々、はっとするような舞踊美・・シチェドリンの編曲との見事な融合は、一方、同曲を使用の、アロンソ版「カルメン」に思い入れの強い私にも、ぐうの音も出ない。

本音を言えば、これが見たかった。特に、特に、マルク・ウォン、すっごい、ホセに適役!!なんでこういう、役にはまる人材を見つけてこれるのか。演出家って凄い。

対して友人は、なにかでギエムの2000年代に入ってからの公演での、エック版カルメンの舞台写真を見て、これが見たいと思ったって。ギエムは、クルベリ・バレエのラグーナの衣装姿よりも、もっと普通に女らしい着こなし。真っ赤なドレス。こっちの方が、日本の一般客にはいいかも?ただホセは、ムッルがやるとムッルのイメージになっちゃうと思うから、あの、マルク・ウォンの繊細で独特な雰囲気のホセでやってくれたら、もっと嬉しかった。でも、ムッルのファンは喜んでるよね。(ムッルは、昔の、ギエムとの「マノン」は、好演だった。)

って脱線したけど、この後者の、ギエムのエック版「カルメン」写真は、いちおう、WEBでチャコットのダンスキューブの、2000年代の「パリ便り」で、昔からのパリ通の批評家・渡辺真弓さんのレポの所で見れるっす。って、ギエム好きな人向けに。

・一方、これはショック!?
ニーナ・アナニアシヴィリが、11月、Kバレエ「白鳥の湖」全幕に出演と、Kバレエのサイトに出てた。王子は宮尾俊太郎さん。(東京オーチャードと、大阪フェスティバルホール。)

私は、友人たちにあれこれ言われてて、(「Kは、あなた向きじゃない、行かない方が良い」とか。)Kバレエ、行った事ない。昔見た友人の話では、昔はコールドの水準が高くなかった時代があったけど、近年は知人にも褒められることが多くなってきていた。やっぱり美術にお金が掛かってるのが、一見の価値あり、と言うのが、皆に共通した感想。

(TVに、よくKの関係者は出るので、そこで紹介の映像は見てる。その中で熊川哲也が、白鳥のホワイトアダージョ部分の音楽との関わり方を解説してた。確かに、舞踊と音楽の関係について、ボリショイの踊りあたりに教育されちゃってる私の見方とは、それは違った。一方、Kバレエのプリマで、TVに写ってた人は私好みだった。

熊川哲也は、「視覚、聴覚、視覚」と言ってて、観客は視覚から入るから、それを計算して踊るよう、プリマに指導してた。バレエに馴染みのない観客層を拾うには、それも一つの方法論かもしれないが、自分的には視覚・聴覚は一体。でないとダメ。

それと、湖畔の場、グランのオデットの演技について、「Take me、連れて行って」とオデットが王子に思うように、指導してた。間違ってはないけど、やや積極的で、現代女性的。自分の理解では、オデットは受身な女性で、王子の方が、オデットをややリードするイメージが強い。王子が自然体でオデットをうっとりみつめていて、その優しい眼差しの中で、自然にオデットがうっとりと恋に落ちていく、と言うのが、自分のイメージなのだけど。熊川のの理解は、観客に分りやすく、また演技を学ぶ人向けには、伝わりやすいかもしれない。

余談すると、昔のロシアのプリマで、この場の役の解釈について、「オデットは、ほのかに恋心を抱く」位で、まだ恋に落ちるまでは行ってない、と言ってた人も居た。)

今回ニーナが出演するからと、つい自分も行ってしまったり、しそう?と思ったけど、しかしギエムのカルメン公演で燃え尽きると思うから、オーチャードは行かなさそう。

年齢を重ねたスターの身の処し方の難しさ。ニーナは、そうまでして舞台に立ち続けなければ、いけないのか???(博打みたいなもんで、功を奏するかも、しれないが?。)

例えばギエムは、「身の引き際については、考えているわ」って、2000年代に言ってた。それぞれが、プリセツカヤみたいにはならずに、その人らしさを貫ければ、と思う。きれいごとでは済まないのかも、しれないけれど。

”ニーナ最後の白鳥”、って、前回来日で宣伝してた。彼女に限らず、宣伝の「最後の」は、最後じゃないことが多いかも? 一番記憶されてるのは、フラメンコのアントニオ・ガデス。あと、ギエムのボレロとか。(これは、最後といった後、震災後に踊ったのは、イレギュラーケースだったし、逆に福島で踊った英断は良かった面もあるけど。)

本当に最後の時は、逆に「最後」と宣伝されてない事の方が多い。残念だけど。

ニーナとギエムの差は、キャリアの中期から、革新的な1流の振付家と組めたかどうか、か?。ニーナは、既に成功していたマクミランには気に入られていたけれど、もう1世代若い、コンテの天才振付家と共同で仕事できるかどうか、は、キャリア円熟期の明暗を分けたかもしれない(?)。明日は、分らないけれど。

K出演が、必ずしも悪いかどうかは分らない。ただ確かなことは、「ボリショイのアナニアシヴィリ」が遠くなった、ということかと。

・マラーホフが、リニューアルできれいになったであろう、大阪フェスティバルホールの緞帳裏に、大きなサインを書いているのが、主催者さんのHPに写真で出てた。
リニューアルのフェスティバルホールには、いい記念になったかしら。
大阪フェスティバルホールも、過去に多くの良いバレエ舞台を見た場所なので、ちょっと懐かしく写真を見た。

・ギエム公演に行くこと決定して、私的には、逆に行くか辞めるか、迷いだしたのが、キャリア中期のヴィシニョーワのガラ。ダンマガインタビューで、「ABTに帰って来たいと思うのは、コルパコワ先生と、ゴメスが居るから」と語ってた。コルパコワ先生はニーナもイリーナも、褒めないダンサーは居ないから、当然としても、そこまでゴメスを信頼してるとは知らなかった。キャリア中期の人は、今回見なくても、次があるのでは?と思うから、後回しになりやすい。そうはいっても、当日客席に居たりして。さて、どうなるか。

ギエムの件ではっきりしたのは、いい振付家・作品を使うのが、公演において、やっぱり最も有効だ、ということ。

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