懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

夕鶴

2012-01-25 01:01:32 | Weblog
オペラと演劇の小話。

年初にTVで見たコンサートに出てた演目、オペラ「夕鶴」より。
ヒロイン、つうの歌う、「与ひょう、私の大切な与ひょう」を見て、恋愛などの関係性の距離は、開いたり閉じたりするという、普遍的な事を表現していると思って、切ない歌だと聴いた。

その昔、劇作家の唐十郎が、「あなたの演劇は、よく分らない」と言われる話をし、
「観劇して、リアルタイムで、分からなくってもいいんだ。その後になって、何か道を歩いているような時にでも、ふっと、あ、分かった、と思う時があれば」等、説明していた。

なるほどね、と思った。とりあえず見ておく、というのも、いいかもしれない。
その時分らなくても、後で分るかもしれない。そんな時もある。

オペラの原作の戯曲、木下順二の「夕鶴」を、私が読んだのは、子供の時。
たぶん中学生位で、恋愛経験もないし、鶴の恩返しの、おとぎ話として読んだかもしれない。
少なくとも、恋愛感情は理解してない。

原作の戯曲を忘れても、今、オペラを聞くと、
「与ひょう、あたしの大切な与ひょう、あんたはだんだんに変わってゆく、私の世界の人ではなくなっていってしまう。私はどうすればいいの?」というソロは、恋愛の関係で、近しく感じていた人との関係の距離感が、だんだんにひらいてゆく時の不安を表した、切ない恋の歌だと分る。

それで涙した。私にオペラの真贋は、分らない。オペラ作品として、これが良いのかどうかなんて、自分には判断付かないのだけど。

芸術の価値とは、普遍的な真実を描けてるかどうか、も、私的な基準の一つにしてる。
バレエも同様。

それと、このコンサート、この「夕鶴」の次に「蝶々夫人」の絶唱を入れていた。
コンサートは順番も大事。この順は逆でない方が良いのは明らか。
愛の不安をうたった、実験的な意欲作と、評価の確定した、愛の確信の絶唱。

感動を産み出す仕掛けには、幾つも分岐点がある。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする