・秋篠宮、伊勢神宮でお木曳行事を視察
「伊勢神宮の建物が(20年毎に)建て直されるのは、石(=踏まぬ石)の事が知られると困るからです。
その意味は、石はいつまでも壊れないのに木製の建物は古くなって行くからです。
いつか(建物が)古くなって見捨てられないか心配だったので、立て直すように言い伝えを残したのです。」
「伊勢の石段(踏まぬ石)についてですが、ムウラの頭が納められたという伊勢内宮に行った時のことです。
どこかなと思い、いろんな所を探して歩いていました。荒宮へ通じる石段に来た時、突然若いカップルが観光ガイドを見ながら「下から14段・・・」と数えながら昇り、一つの平べったい石の所で立ち止まりました。
それが「踏まぬ石」でした。
石段の中でも、ここだけに塩がまかれていました。
なぜこんなところにひび割れた石があり、事情を知らない参拝者が踏む場所に塩がまかれているのかが不思議でした。
あのカップルが石を教えてくれたと思いました。
その石の下にムウラの頭があるように思い、出すようにイメージをしました」
「皆に知らせてください。
それは石(=ふまぬ石)の事です。
本当に石段の下にムウラ(ノアの息子)の頭が埋められたのです。
それを皆が毎日踏んで歩くようにしたのです。
いつになれば神話のウソがあばかれるかと待っていました。
これまで(ソラのものが)知らせて来た事(=ソラからの真実の歴史)のどこがおかしいか、歴史学者に聞いてください。
(歴史学者は)権力者の都合の良い事しか書いてない文献のみ信じていますが、何がイシカミをあらわす磐座*を隠したか?
石器*やストーンサークル(=イシカミをあらわす)の意味も判らないままです。
考古学と歴史学が離れてつながりがありません。
考古学とその後に続く神話の世界と全くつながりません。
そして無理につなげようとするのも想像にすぎません。
神話の世界から現代の皇室が、本当に続いていると学識者は本当に思っているのでしょうか?
それらも・・・であろうと想像するだけで、各自の自説をかたくなに堅持しているのみです」
*)磐座 = かって大切にされていたと思われる磐座の前には、必ずといって良いほど宗教の建物、像などがあります。
*)石器 = 何の目的で作られたのわからない石器が沢山ありますが、想像で祭事用と片付けられています。
しばらくして、右肘にサインで目が覚める。
「あなた方が見つけたナゾの答えが、光の輪となって地球上を回っています。
その事が一番、道を通していくのです。
道を通すとは、真実の事を知らせる事です。
みんなのお蔭で今紐解かれ、歴史の謂れが見直されます。
茅の輪の事も知らせてください。
チノワ=チエノイワ=知恵の岩を略したのです。
イシカミは人間に知恵を与えてきました。
大きな輪は、今にも崩れそうなイシカミの身体をあらわしました。
(輪をくぐり抜けるのは)大きなイシカミの身体から巨人が出てきた事をあらわしているのです」
・皇太子が献血大会出席 群馬・前橋
皇太子曰く「特に若い人たちの献血への参加が、今強く求められています」
「悪者が来ています。
人間になる前はリュージンだった人です。
ナ0ヒ0です。
すなわち、ヒトにナルという意味です。
その人がメキシコ(での世界水のフォーラム*)に行きます。
マヤの力を得るためです。
メキシコへはリュージンがタマをつかみに行くのです。
タマとは生贄にされ、生きたまま心臓を取り出されたものです。
タマを取られた人たちは、生きる希望をなくするのです」
「爬虫類の星から来たイシキがリューになるには、一度人間になります。
(これを書いていると右足裏にきついサインあり、本当ですと)
それが、爬虫類の星の掟なのです。
そして悪い事にあらゆるイシカミの作品(岩)に入り込んだのです。
(これはイシカミの作品を宗教で封印したという意味のようです)
リューがいなくなるには、爬虫類のイシキを消滅させなければなりません。
それにはリューを崇める事を止める事が大切なのです。
リューには血にまみれた記憶があります。
それはいつもお塩と酒だけのお供えでは元気が出ないので、人間を生贄にしていた事です。
それは“まごうかたなく真実”です。
今では言い伝えられることが少なくなりましたが、全国津々浦々にリュージンへの生贄の昔話はありました。
単なる伝説ではなく、 真実の物語だったのです。
リューグウ(竜宮)という意味は、リューの恐ろしさを隠すために作られた物語です。
リューグウから持ち帰った玉手箱を開けるという事は、真実を知るという事です。
真実を知ると、あまりの恐怖で白髪になると言う事です」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、ソラからの伝言より。
写真は札幌市石山緑地より。
「伊勢神宮の建物が(20年毎に)建て直されるのは、石(=踏まぬ石)の事が知られると困るからです。
その意味は、石はいつまでも壊れないのに木製の建物は古くなって行くからです。
いつか(建物が)古くなって見捨てられないか心配だったので、立て直すように言い伝えを残したのです。」
「伊勢の石段(踏まぬ石)についてですが、ムウラの頭が納められたという伊勢内宮に行った時のことです。
どこかなと思い、いろんな所を探して歩いていました。荒宮へ通じる石段に来た時、突然若いカップルが観光ガイドを見ながら「下から14段・・・」と数えながら昇り、一つの平べったい石の所で立ち止まりました。
それが「踏まぬ石」でした。
石段の中でも、ここだけに塩がまかれていました。
なぜこんなところにひび割れた石があり、事情を知らない参拝者が踏む場所に塩がまかれているのかが不思議でした。
あのカップルが石を教えてくれたと思いました。
その石の下にムウラの頭があるように思い、出すようにイメージをしました」
「皆に知らせてください。
それは石(=ふまぬ石)の事です。
本当に石段の下にムウラ(ノアの息子)の頭が埋められたのです。
それを皆が毎日踏んで歩くようにしたのです。
いつになれば神話のウソがあばかれるかと待っていました。
これまで(ソラのものが)知らせて来た事(=ソラからの真実の歴史)のどこがおかしいか、歴史学者に聞いてください。
(歴史学者は)権力者の都合の良い事しか書いてない文献のみ信じていますが、何がイシカミをあらわす磐座*を隠したか?
石器*やストーンサークル(=イシカミをあらわす)の意味も判らないままです。
考古学と歴史学が離れてつながりがありません。
考古学とその後に続く神話の世界と全くつながりません。
そして無理につなげようとするのも想像にすぎません。
神話の世界から現代の皇室が、本当に続いていると学識者は本当に思っているのでしょうか?
それらも・・・であろうと想像するだけで、各自の自説をかたくなに堅持しているのみです」
*)磐座 = かって大切にされていたと思われる磐座の前には、必ずといって良いほど宗教の建物、像などがあります。
*)石器 = 何の目的で作られたのわからない石器が沢山ありますが、想像で祭事用と片付けられています。
しばらくして、右肘にサインで目が覚める。
「あなた方が見つけたナゾの答えが、光の輪となって地球上を回っています。
その事が一番、道を通していくのです。
道を通すとは、真実の事を知らせる事です。
みんなのお蔭で今紐解かれ、歴史の謂れが見直されます。
茅の輪の事も知らせてください。
チノワ=チエノイワ=知恵の岩を略したのです。
イシカミは人間に知恵を与えてきました。
大きな輪は、今にも崩れそうなイシカミの身体をあらわしました。
(輪をくぐり抜けるのは)大きなイシカミの身体から巨人が出てきた事をあらわしているのです」
・皇太子が献血大会出席 群馬・前橋
皇太子曰く「特に若い人たちの献血への参加が、今強く求められています」
「悪者が来ています。
人間になる前はリュージンだった人です。
ナ0ヒ0です。
すなわち、ヒトにナルという意味です。
その人がメキシコ(での世界水のフォーラム*)に行きます。
マヤの力を得るためです。
メキシコへはリュージンがタマをつかみに行くのです。
タマとは生贄にされ、生きたまま心臓を取り出されたものです。
タマを取られた人たちは、生きる希望をなくするのです」
「爬虫類の星から来たイシキがリューになるには、一度人間になります。
(これを書いていると右足裏にきついサインあり、本当ですと)
それが、爬虫類の星の掟なのです。
そして悪い事にあらゆるイシカミの作品(岩)に入り込んだのです。
(これはイシカミの作品を宗教で封印したという意味のようです)
リューがいなくなるには、爬虫類のイシキを消滅させなければなりません。
それにはリューを崇める事を止める事が大切なのです。
リューには血にまみれた記憶があります。
それはいつもお塩と酒だけのお供えでは元気が出ないので、人間を生贄にしていた事です。
それは“まごうかたなく真実”です。
今では言い伝えられることが少なくなりましたが、全国津々浦々にリュージンへの生贄の昔話はありました。
単なる伝説ではなく、 真実の物語だったのです。
リューグウ(竜宮)という意味は、リューの恐ろしさを隠すために作られた物語です。
リューグウから持ち帰った玉手箱を開けるという事は、真実を知るという事です。
真実を知ると、あまりの恐怖で白髪になると言う事です」
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以上、ソラからの伝言より。
写真は札幌市石山緑地より。