
2001年10月31日
イシカミの地球着地、綾部と元伊勢の山々
2001年10月31日 3時40分
眠れないので星原の事を思っていると、突然、地響きとともに「ドスーン」と大きな物が落ちたような音がきこえました。(北東方面)
聞くと、
「あの音は重要な意味を持っています。
君山が地球に降りてきた時にあのような音がしたのです。
すなわち物質としてのイシカミが、宇宙から降りてきた時の音をあらわしました。
そしてその衝撃でイシカミの球体はつぶれたのです。
キミ山もこのような痛みを感じました」
(急にお臍のところがキューと痛くなるも1分くらいで治る)
「君山は未熟児のように小さかったので(人間の)巨人は創りませんでした。
それで小さな君山は、分身を作る(お腹から取出す)のが最初の仕事でした。
そしてその分身(日室岳)が2人の巨人を作り、すぐに働いてもらったのです。
その巨人達がトヨウケ(私市円山古墳)とイナリヤマ(本宮山=鶴山)で、 ミセン(弥仙山=君尾山の分身の巨人)と力を合わせて由良川を作りました。
また(福知山の)三段池を作り、田へ水路を引き、おいしいお米が獲れるように人間のために働きました。
その証拠が池の周りにあります」(=稲葉塚古墳)
*)君山=イシカミの女王の末子。
未熟児だったという綾部市吉美にある小山。
唯一ホシノミナのそばに降りた。
山彦を見守っていたので、シガサトの7(8)不思議を出してヤマトに抗議した。
ソラ辞典より
・星原
宇宙の大元の分身のホシノミナが降りた所と伝えられた所。
この地域にある入母屋つくりは、ホシノミナが彗星で降りてきたので、その形をあらわしているそうで、屋根を逆さまにして空気抜きは口。
京都府綾部市星原という小さな村で、ヒミコの娘とノアの息子が出会った所であり、その子の山彦が住んでいた所。
谷間の村なのになぜ星原というかと言うと、
星述べ=>ホシノベ=>星野辺=>星+野原=星野原=>星の原=>星原になり
ノ(野)が抜けた。
ヤマトにとっては一番隠したい所であり、古くは柿本人麻呂、小野小町等も訪れ、山彦の悲劇を百人一首に読まれている。
*)綾部の写真(入母屋造りの屋根など)
・君山(城山)
城山、シロヤマとも言う。
京都府綾部市吉美にある三角の小さな山。
射手座の女王の末子でホシノミナのそばに降りて山彦を見守ったが、殺されたためシガサトの七不思議の奇跡を起こした。
・シガサトの七不思議
イシカミのキミ山はそれらの惨劇を悲しく見守るだけでしたが、そのエネルギーで植物に不思議な変化を起こさせました。
それが【シガサトの7不思議】と呼ばれる奇跡です。
(注*京都府綾部市志賀郷に伝わる七不思議。
イシカミのシロヤマが、山彦が殺されたので知らせた)
1)白藤(藤波神社の藤は正月に白藤が咲いた)
2)白萩(若宮神社=山彦が祭られる?神社の萩を白くした)
3)ゆるぎ松(山彦達が逃げて行った所の松が風も無いのに揺れる)
4)しずく松(同じく山彦が逃げていった場所の松が雨が降らないのにしずくが落ちる)
5)タケノコさん(竹の子の出る季節でもない2月4日に竹の子が出てきた)
6)みょうがさん(みょうがの出る季節でもない2月3日に芽が出てきた)
7)ご用柿(秋に赤くならないでお正月に赤くなる。御用、御用と追っ手がきて恐怖の為に柿が青いままだったから)
後年、ヤマトの支配者は大男の山彦を悪者に仕立てあげた伝説も残っています。
・君尾山
君山についてきたイシカミ。
君山がやられないように君尾山とつけ、意識をこちらに向けさせたので、この山に仁王門などがある。
・私市丸山古墳
京都府綾部市私市にある物部守屋(イシカミを守る)と星述べ(白い木の者)の子供の墓と知らされた。
高速道路を作る時に発見された、京都府一の巨大な丸山古墳。
(隠されていた)大人と子供の遺体が発見され、古墳の回りには多数の、横穴のあいた土器が置いてあった。
横穴のあいた土器は、将来この古墳に横穴(高速道路)が開く事をイシカミはわかったので、テレパシーで知らせていた。
ていねいに小山が丸石で葺かれているのは、イシカミをあらわす石を大切にしていた事がわかる。
キサイチとは仏教を推し進める推古天皇が、イシカミを信じる物部氏を一番嫌ったことから来ている。
ソラ画像より
・私市丸山古墳、ワの山古墳=イチゴ=ブッダの頭をあらわす
綾部市にあるワの山の古墳。
京都府一の大きな古墳ですが、近年高速道路の工事で見つけられるまで古墳という事は知られていなく、完全に隠され封印されていました。
ワの山の周りは丸い小石が敷き詰められ、石を大切にしていた事がわかります。
頂上には大人と子供のお墓があり、知らされた情報と一致しています。
周りの土器の真中に穴が開いているのは、将来このお墓の下に道路が通る事をチャネリングで知らされ、それをあらわしているとしらされました。
物部守屋と星延べの白い木の子孫のお墓だそうです。
大人と子供のお墓で1500年前。
小石が敷き詰められたワの山は、巨人の遺体です。
イチゴという名前【イシカミのチカイのゴロク】からつけられ、ワの山に小石をイチゴの種にみたてた形を真似て作られたと伝えられました。
大仏=ブッダの頭もこれをあらわしている。
ソラ辞典より
・イチゴの誓いのゴロク
イチゴ=イシカミのチカイのゴロク
「イチゴは種が実の外側にありますが、その悲しい物語です。
イチゴは小さな丸山のような形です。
その周りに小さな種? がありますが、その種?からは子供は増えていきません。
見せ掛けだけの種なのです。
それはイシカミも同じでした。
イシカミはイチゴに似せたもの(私市丸山古墳など)を作りましたが、忘れ去られて行きました。
世界中のイシカミたちも、落し物であちこちに自分の分身の岩を並べておきましたが(ストーンサークル、ドルメンなど)、そこからは子供(分身)は出来ませんでした。
そして、人間達にも忘れられて行ったという悲しい物語です」
2002年1月21日
私市の円山古墳
2002年1月18日 綾部に向かう車中にて。
(綾部の)私市の円山古墳は、誰を埋葬していたか考えていた。
「あの丘の上にいる者で物部の守屋なり。
どこまでもウマヤどのミコは追って来た。
何としても君山(=城山)の見える所に葬って欲しいと言っておいた。
けれども(敵に)君山を気づかれては困るので、君尾山の見える所(少し離れた所=私市)にした」
「物部の守屋がどうして(あそこに)葬られたか、仲間がお知らせします。
小さな子供が、白い木の子孫です。
物部氏が滅んだ後、その子供は信貴山に送られ、そこの僧侶にさせられたのです」
2002年1月19日 綾部にて真夜中
「丘の上の者です。
物部の守屋です。
いつになったらお知らせできるかと思っていました。
【守屋】と名乗ったのはなぜかというと、矢でもってお守りする、と言う意味で名乗りました。
なぜ私のお墓が忘れられたかというと、仏教のせいなのです。
それはとてつもない言い方で押さえ込まれたのです。
守屋に付いていた小さな子供(白い木の子孫)は、支配星に支配された者につかまり、信貴山の寺に送り込まれました。
そしてその子供がそのお墓(物部氏のお墓)を祭ると、死んでから救われないから、と言わされたのです。
その代わり、家の屋根のところに口をあらわすもの(空気抜き)を作るように言ったのです。
真実が隠された事を家は見ていた、と言う事をあらわすためです。
家々にその事が語りつがれていったので、この地方の家には口の形をしたもの(空気抜き)があるのです。
叉あの家はホシノミナをあらわします。
あの形(三角)の反対の形で地球に降りてきた事を表わしているのです。
茅(カヤ)葺の屋根も意味があるのです。
カヤの花=ススキは切るとすぐ枯れて、白髪のようになります。
それは人間の肉体もすぐ年をとることを現しています。
沢山のカヤで屋根を覆い、年月が経つと葺き替えますが、人間の生まれ変わりと同じ、と言う事をあらわしています」
注)物部氏は、以前から綾部市物部町から出た人とチャネリングでは言われていました。
物部町は私市の近くにあります。
この地方の農家はカヤ葺きの入母屋造りで、三角の屋根の部分にひし形の空気抜きがありますが、それが丁度口のように見えます。
2002年5月6日
綾部便り・その1
【私市丸山古墳】
古墳の頂上には大と中のお墓の後がありましたが、以前教えられたとおり、物部氏と星述べの家の者と言われました。
Aさんによると“丸山”は大小対であり、大きい方で祭事?をして小さい方がお墓になっていることが多いそうですが、ここにもやはり隣により大きな丸山らしきものがありました。
次に物部氏が出たと言う物部町を通りましたが、その手前が「舘=たち」」と言う所でしたので、ひょっとしたら物部氏の館があったのではないかと思いました。
【ホシノミナジンジャ】(星原)
以前にもお知らせしましたが、
「イワクラが無いためにすっかり忘れ去られた(=石なし)」
とホシノミナが嘆いていました。
寂びれた神社で“建物は見ないで下さい”と以前言われましたが、ここ(神社前の平地=田)にホシノミナが降りて来たそうです。
この地において初めてイシカミをあらわすストーンサークルが作られましたが、ストーンサークルはヤマト?によりばらばらにされたが、真中の岩だけ奥の谷に辛うじて残して置いたと言われましたのが、高さ50cmくらいの石です。
【入母屋造りの家】
これまでの隠された歴史を伝えているのが入母屋つくりの農家の屋根の空気抜きだそうです。
「三角の白い壁にひし形の空気抜き」が隠された「真実を語っている口」と知らされましたが、このような形の家は丹波地方独特の家です。
下半分は後年瓦になりましたが、上からトタンが張られていますが、以前は下まで萱葺きでした。
Aさんが2回にわたり鮮明に夢に見られた内容(3月14日のお便り紹介)と、これまで知らされたり昔の風景と一致しているようでした。
夢で350円というのが出てきますが、
『ミゴト=(これまで夢をちゃんと知らせてくれている)』
『ミゴロ=見頃がちょっと遅れましたが、殺された山彦を偲んで真っ赤な霧島つつじの古木が数本あります』
【若宮神社】(白萩)
シガサトにあり、寄りましたが、完全に忘れ去られた神社と言う感じです。
山彦が星原から山越えで逃げてきて殺され、ここに祭られたと知らされましたが、勿論何の文献もありませんが、この近くでシガサトの7(8)不思議が起こりました。
鳥居は下半分が3本に分かれた鳥居柱ですが、3位一体(肉体・イシキ・魂)をあらわしていると知らされました。(ヤタガラスの3本足も関係する)
【白道路=ハ(ク)ソウジ】
2004年3月6日
倭の国は由良川のほとり、そのナゾのいろいろ、トヨウケ
2004年3月6日 夜中突然目が覚める。
「トヨウケです。
私は悪い者ではありません。
今度の物語に付け加えてほしい事があります。
それはヤマタイコクが滅ぼされた後に出来た国のことが消されていることです」
2003年3月23日
由良川の曲がり方の意味
ソラからの情報で綾部の地図を作ってくれましたが、良く見ていると由良川が不自然に曲がっています。
綾部に住みながら全く気がつかなかったのですが、なぜ2度も直角に近い曲がり方をしているのか聞きました。
「イシカミ(君山と、君尾山)の巨人(トヨウケと、ミセン)が由良川を作りました。
川を星原の前に通そうと思いましたが、川の氾濫で大変な目に逢うといけないと思い、又曲がって遠回りをしたのです」
2008年1月31日
三田、由良川の分水嶺、古事記の大鰐、鳴門の渦潮と阪神大震災と淡路島の神社の関係
三田とは3つの国が高い所から見ることができる所であるということで、兵庫県三田市に行ってきました。
3つの国とは、この情報で繰り返し伝えられている丹波地方の倭の国、四国のヤマタイコク、奈良のヤマトということです。
倭の国は綾部、福知山を含む丹波地方であったが、当時は山がなく大きな平野でとてもにぎやかだったそうです。
けれどもヤマトに滅ぼされたので、イシカミが後から降りてきて山国になったと伝えてきましたが、以前、由良川の分水嶺はとても低く標高95.45メートルで、大昔は瀬戸内海へ流れていたと学問的にも指摘されていることと一致します。
又、由良川を行き来して交流をしていたという情報ですが、今の由良川では難しいだろうと思っていましたが、平野であればとても良い方法であったと思います。
#)リュー座の女王が「大鰐(プレアデナイ)になったものです」と古事記の一部と一致しますが、古事記など世界中の神話は支配星の都合の良いように書かれています。
ソラ画像より
・日本一低い分水嶺
綾部から帰りは175号線を通ってもらいました。
名前の通り高さが95mの低い分水嶺でここの雨は日本海の由良川と瀬戸内海の加古川に分かれます。
・日本一低い分水嶺2
ここに行った帰りに同行者のコメカミにサインがあり、ここが天の岩戸の続き?と言ってきて、それを知らせていると。
平らな倭の国の両側に、四隅のイシカミが岩戸のように降りて来た。
すなわち本州のコメカミのようにあらわしたということで、日本海側に、先日知らされた大江山の麓の天の岩戸があります。
ちなみに綾部の由良川が本流で、福知山からは武田川になっているようです。
・地震雲画像
DATE LAT LON MAG DEPTH km REGION
12-MAR-2010 11:02:16 -38.08 -72.66 M4.9 35.0 CENTRAL CHILE
12-MAR-2010 10:39:27 -34.29 -71.89 M4.8 35.0 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
12-MAR-2010 09:00:56 -34.29 -71.66 M4.8 35.0 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
12-MAR-2010 08:53:28 -34.34 -71.62 M4.7 35.0 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
12-MAR-2010 07:21:20 0.42 123.47 M4.8 283.4 MINAHASSA PENINSULA, SULAWESI
12-MAR-2010 06:56:41 -34.20 -71.76 M4.9 35.0 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
12-MAR-2010 06:45:01 -34.29 -71.86 M4.8 35.0 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
12-MAR-2010 06:10:38 -34.38 -71.61 M5.0 35.0 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
12-MAR-2010 05:51:56 43.98 147.83 M4.8 57.1 KURIL ISLANDS
12-MAR-2010 04:10:34 12.79 145.39 M4.0 35.0 SOUTH OF MARIANA ISLANDS
12-MAR-2010 03:22:51 -9.22 157.55 M5.3 71.8 SOLOMON ISLANDS
12-MAR-2010 03:10:49 -34.32 -71.80 M4.8 35.0 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
12-MAR-2010 02:58:55 -37.06 -72.78 M4.7 35.0 CENTRAL CHILE
12-MAR-2010 02:30:44 4.24 122.88 M4.6 586.0 CELEBES SEA
12-MAR-2010 01:46:59 -34.34 -71.64 M4.9 30.9 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
11-MAR-2010 23:20:22 -23.86 -175.82 M5.1 58.8 TONGA ISLANDS REGION
11-MAR-2010 23:18:11 -37.40 -73.01 M4.9 35.0 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
11-MAR-2010 22:34:05 -37.65 -73.50 M5.5 36.9 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
11-MAR-2010 21:50:07 -34.32 -71.71 M4.9 33.1 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
11-MAR-2010 21:09:08 -7.51 128.21 M5.0 170.2 BANDA SEA
11-MAR-2010 20:11:20 -34.33 -71.68 M5.8 2.3 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
11-MAR-2010 19:28:07 -34.31 -71.77 M5.5 24.5 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
11-MAR-2010 17:18:50 -34.26 -71.85 M5.1 23.3 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
11-MAR-2010 16:56:33 -34.41 -71.76 M5.3 35.0 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
11-MAR-2010 16:23:52 -34.38 -71.80 M5.0 29.1 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
11-MAR-2010 15:54:39 -34.33 -71.88 M5.0 35.0 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
11-MAR-2010 15:34:52 -34.27 -71.56 M4.9 43.2 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
11-MAR-2010 15:26:18 -34.24 -71.84 M5.4 35.0 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
11-MAR-2010 15:06:03 -34.22 -71.89 【M6.0】 32.0 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
11-MAR-2010 14:55:30 -34.29 -71.66 【M6.7】 44.4 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
11-MAR-2010 14:39:48 -34.29 -71.95 【M6.9】 35.0 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
発生時刻 2010年3月12日10時22分頃
震源地 京都府南部(北緯35.0度 東経135.5度 深さ10km)
規模 M2.8 震度1 亀岡市(京都府)、豊能町、能勢町(大阪府)、三田市(兵庫県)
発生時刻 2010年3月12日14時52分頃
震源地 択捉島南東沖(北緯43.7度 東経148.1度 深さごく浅い)
規模 M5.0 震度1 根室市
発生時刻 2010年3月12日16時8分頃
震源地 茨城県南部(北緯36.1度 東経139.9度 深さ50km)
規模 M4.2 震度2 笠間市ほか(茨城県)、宇都宮市ほか(栃木県)、館林市ほか(群馬県)、東松山市ほか(埼玉県)
発生時刻 2010年3月12日23時12分頃
震源地 高知県中部(北緯33.6度 東経133.2度 深さ40km)
規模 M3.9 震度2 佐川町
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、地球の謎解きより。
写真は3月12日のソラ。
イシカミの地球着地、綾部と元伊勢の山々
2001年10月31日 3時40分
眠れないので星原の事を思っていると、突然、地響きとともに「ドスーン」と大きな物が落ちたような音がきこえました。(北東方面)
聞くと、
「あの音は重要な意味を持っています。
君山が地球に降りてきた時にあのような音がしたのです。
すなわち物質としてのイシカミが、宇宙から降りてきた時の音をあらわしました。
そしてその衝撃でイシカミの球体はつぶれたのです。
キミ山もこのような痛みを感じました」
(急にお臍のところがキューと痛くなるも1分くらいで治る)
「君山は未熟児のように小さかったので(人間の)巨人は創りませんでした。
それで小さな君山は、分身を作る(お腹から取出す)のが最初の仕事でした。
そしてその分身(日室岳)が2人の巨人を作り、すぐに働いてもらったのです。
その巨人達がトヨウケ(私市円山古墳)とイナリヤマ(本宮山=鶴山)で、 ミセン(弥仙山=君尾山の分身の巨人)と力を合わせて由良川を作りました。
また(福知山の)三段池を作り、田へ水路を引き、おいしいお米が獲れるように人間のために働きました。
その証拠が池の周りにあります」(=稲葉塚古墳)
*)君山=イシカミの女王の末子。
未熟児だったという綾部市吉美にある小山。
唯一ホシノミナのそばに降りた。
山彦を見守っていたので、シガサトの7(8)不思議を出してヤマトに抗議した。
ソラ辞典より
・星原
宇宙の大元の分身のホシノミナが降りた所と伝えられた所。
この地域にある入母屋つくりは、ホシノミナが彗星で降りてきたので、その形をあらわしているそうで、屋根を逆さまにして空気抜きは口。
京都府綾部市星原という小さな村で、ヒミコの娘とノアの息子が出会った所であり、その子の山彦が住んでいた所。
谷間の村なのになぜ星原というかと言うと、
星述べ=>ホシノベ=>星野辺=>星+野原=星野原=>星の原=>星原になり
ノ(野)が抜けた。
ヤマトにとっては一番隠したい所であり、古くは柿本人麻呂、小野小町等も訪れ、山彦の悲劇を百人一首に読まれている。
*)綾部の写真(入母屋造りの屋根など)
・君山(城山)
城山、シロヤマとも言う。
京都府綾部市吉美にある三角の小さな山。
射手座の女王の末子でホシノミナのそばに降りて山彦を見守ったが、殺されたためシガサトの七不思議の奇跡を起こした。
・シガサトの七不思議
イシカミのキミ山はそれらの惨劇を悲しく見守るだけでしたが、そのエネルギーで植物に不思議な変化を起こさせました。
それが【シガサトの7不思議】と呼ばれる奇跡です。
(注*京都府綾部市志賀郷に伝わる七不思議。
イシカミのシロヤマが、山彦が殺されたので知らせた)
1)白藤(藤波神社の藤は正月に白藤が咲いた)
2)白萩(若宮神社=山彦が祭られる?神社の萩を白くした)
3)ゆるぎ松(山彦達が逃げて行った所の松が風も無いのに揺れる)
4)しずく松(同じく山彦が逃げていった場所の松が雨が降らないのにしずくが落ちる)
5)タケノコさん(竹の子の出る季節でもない2月4日に竹の子が出てきた)
6)みょうがさん(みょうがの出る季節でもない2月3日に芽が出てきた)
7)ご用柿(秋に赤くならないでお正月に赤くなる。御用、御用と追っ手がきて恐怖の為に柿が青いままだったから)
後年、ヤマトの支配者は大男の山彦を悪者に仕立てあげた伝説も残っています。
・君尾山
君山についてきたイシカミ。
君山がやられないように君尾山とつけ、意識をこちらに向けさせたので、この山に仁王門などがある。
・私市丸山古墳
京都府綾部市私市にある物部守屋(イシカミを守る)と星述べ(白い木の者)の子供の墓と知らされた。
高速道路を作る時に発見された、京都府一の巨大な丸山古墳。
(隠されていた)大人と子供の遺体が発見され、古墳の回りには多数の、横穴のあいた土器が置いてあった。
横穴のあいた土器は、将来この古墳に横穴(高速道路)が開く事をイシカミはわかったので、テレパシーで知らせていた。
ていねいに小山が丸石で葺かれているのは、イシカミをあらわす石を大切にしていた事がわかる。
キサイチとは仏教を推し進める推古天皇が、イシカミを信じる物部氏を一番嫌ったことから来ている。
ソラ画像より
・私市丸山古墳、ワの山古墳=イチゴ=ブッダの頭をあらわす
綾部市にあるワの山の古墳。
京都府一の大きな古墳ですが、近年高速道路の工事で見つけられるまで古墳という事は知られていなく、完全に隠され封印されていました。
ワの山の周りは丸い小石が敷き詰められ、石を大切にしていた事がわかります。
頂上には大人と子供のお墓があり、知らされた情報と一致しています。
周りの土器の真中に穴が開いているのは、将来このお墓の下に道路が通る事をチャネリングで知らされ、それをあらわしているとしらされました。
物部守屋と星延べの白い木の子孫のお墓だそうです。
大人と子供のお墓で1500年前。
小石が敷き詰められたワの山は、巨人の遺体です。
イチゴという名前【イシカミのチカイのゴロク】からつけられ、ワの山に小石をイチゴの種にみたてた形を真似て作られたと伝えられました。
大仏=ブッダの頭もこれをあらわしている。
ソラ辞典より
・イチゴの誓いのゴロク
イチゴ=イシカミのチカイのゴロク
「イチゴは種が実の外側にありますが、その悲しい物語です。
イチゴは小さな丸山のような形です。
その周りに小さな種? がありますが、その種?からは子供は増えていきません。
見せ掛けだけの種なのです。
それはイシカミも同じでした。
イシカミはイチゴに似せたもの(私市丸山古墳など)を作りましたが、忘れ去られて行きました。
世界中のイシカミたちも、落し物であちこちに自分の分身の岩を並べておきましたが(ストーンサークル、ドルメンなど)、そこからは子供(分身)は出来ませんでした。
そして、人間達にも忘れられて行ったという悲しい物語です」
2002年1月21日
私市の円山古墳
2002年1月18日 綾部に向かう車中にて。
(綾部の)私市の円山古墳は、誰を埋葬していたか考えていた。
「あの丘の上にいる者で物部の守屋なり。
どこまでもウマヤどのミコは追って来た。
何としても君山(=城山)の見える所に葬って欲しいと言っておいた。
けれども(敵に)君山を気づかれては困るので、君尾山の見える所(少し離れた所=私市)にした」
「物部の守屋がどうして(あそこに)葬られたか、仲間がお知らせします。
小さな子供が、白い木の子孫です。
物部氏が滅んだ後、その子供は信貴山に送られ、そこの僧侶にさせられたのです」
2002年1月19日 綾部にて真夜中
「丘の上の者です。
物部の守屋です。
いつになったらお知らせできるかと思っていました。
【守屋】と名乗ったのはなぜかというと、矢でもってお守りする、と言う意味で名乗りました。
なぜ私のお墓が忘れられたかというと、仏教のせいなのです。
それはとてつもない言い方で押さえ込まれたのです。
守屋に付いていた小さな子供(白い木の子孫)は、支配星に支配された者につかまり、信貴山の寺に送り込まれました。
そしてその子供がそのお墓(物部氏のお墓)を祭ると、死んでから救われないから、と言わされたのです。
その代わり、家の屋根のところに口をあらわすもの(空気抜き)を作るように言ったのです。
真実が隠された事を家は見ていた、と言う事をあらわすためです。
家々にその事が語りつがれていったので、この地方の家には口の形をしたもの(空気抜き)があるのです。
叉あの家はホシノミナをあらわします。
あの形(三角)の反対の形で地球に降りてきた事を表わしているのです。
茅(カヤ)葺の屋根も意味があるのです。
カヤの花=ススキは切るとすぐ枯れて、白髪のようになります。
それは人間の肉体もすぐ年をとることを現しています。
沢山のカヤで屋根を覆い、年月が経つと葺き替えますが、人間の生まれ変わりと同じ、と言う事をあらわしています」
注)物部氏は、以前から綾部市物部町から出た人とチャネリングでは言われていました。
物部町は私市の近くにあります。
この地方の農家はカヤ葺きの入母屋造りで、三角の屋根の部分にひし形の空気抜きがありますが、それが丁度口のように見えます。
2002年5月6日
綾部便り・その1
【私市丸山古墳】
古墳の頂上には大と中のお墓の後がありましたが、以前教えられたとおり、物部氏と星述べの家の者と言われました。
Aさんによると“丸山”は大小対であり、大きい方で祭事?をして小さい方がお墓になっていることが多いそうですが、ここにもやはり隣により大きな丸山らしきものがありました。
次に物部氏が出たと言う物部町を通りましたが、その手前が「舘=たち」」と言う所でしたので、ひょっとしたら物部氏の館があったのではないかと思いました。
【ホシノミナジンジャ】(星原)
以前にもお知らせしましたが、
「イワクラが無いためにすっかり忘れ去られた(=石なし)」
とホシノミナが嘆いていました。
寂びれた神社で“建物は見ないで下さい”と以前言われましたが、ここ(神社前の平地=田)にホシノミナが降りて来たそうです。
この地において初めてイシカミをあらわすストーンサークルが作られましたが、ストーンサークルはヤマト?によりばらばらにされたが、真中の岩だけ奥の谷に辛うじて残して置いたと言われましたのが、高さ50cmくらいの石です。
【入母屋造りの家】
これまでの隠された歴史を伝えているのが入母屋つくりの農家の屋根の空気抜きだそうです。
「三角の白い壁にひし形の空気抜き」が隠された「真実を語っている口」と知らされましたが、このような形の家は丹波地方独特の家です。
下半分は後年瓦になりましたが、上からトタンが張られていますが、以前は下まで萱葺きでした。
Aさんが2回にわたり鮮明に夢に見られた内容(3月14日のお便り紹介)と、これまで知らされたり昔の風景と一致しているようでした。
夢で350円というのが出てきますが、
『ミゴト=(これまで夢をちゃんと知らせてくれている)』
『ミゴロ=見頃がちょっと遅れましたが、殺された山彦を偲んで真っ赤な霧島つつじの古木が数本あります』
【若宮神社】(白萩)
シガサトにあり、寄りましたが、完全に忘れ去られた神社と言う感じです。
山彦が星原から山越えで逃げてきて殺され、ここに祭られたと知らされましたが、勿論何の文献もありませんが、この近くでシガサトの7(8)不思議が起こりました。
鳥居は下半分が3本に分かれた鳥居柱ですが、3位一体(肉体・イシキ・魂)をあらわしていると知らされました。(ヤタガラスの3本足も関係する)
【白道路=ハ(ク)ソウジ】
2004年3月6日
倭の国は由良川のほとり、そのナゾのいろいろ、トヨウケ
2004年3月6日 夜中突然目が覚める。
「トヨウケです。
私は悪い者ではありません。
今度の物語に付け加えてほしい事があります。
それはヤマタイコクが滅ぼされた後に出来た国のことが消されていることです」
2003年3月23日
由良川の曲がり方の意味
ソラからの情報で綾部の地図を作ってくれましたが、良く見ていると由良川が不自然に曲がっています。
綾部に住みながら全く気がつかなかったのですが、なぜ2度も直角に近い曲がり方をしているのか聞きました。
「イシカミ(君山と、君尾山)の巨人(トヨウケと、ミセン)が由良川を作りました。
川を星原の前に通そうと思いましたが、川の氾濫で大変な目に逢うといけないと思い、又曲がって遠回りをしたのです」
2008年1月31日
三田、由良川の分水嶺、古事記の大鰐、鳴門の渦潮と阪神大震災と淡路島の神社の関係
三田とは3つの国が高い所から見ることができる所であるということで、兵庫県三田市に行ってきました。
3つの国とは、この情報で繰り返し伝えられている丹波地方の倭の国、四国のヤマタイコク、奈良のヤマトということです。
倭の国は綾部、福知山を含む丹波地方であったが、当時は山がなく大きな平野でとてもにぎやかだったそうです。
けれどもヤマトに滅ぼされたので、イシカミが後から降りてきて山国になったと伝えてきましたが、以前、由良川の分水嶺はとても低く標高95.45メートルで、大昔は瀬戸内海へ流れていたと学問的にも指摘されていることと一致します。
又、由良川を行き来して交流をしていたという情報ですが、今の由良川では難しいだろうと思っていましたが、平野であればとても良い方法であったと思います。
#)リュー座の女王が「大鰐(プレアデナイ)になったものです」と古事記の一部と一致しますが、古事記など世界中の神話は支配星の都合の良いように書かれています。
ソラ画像より
・日本一低い分水嶺
綾部から帰りは175号線を通ってもらいました。
名前の通り高さが95mの低い分水嶺でここの雨は日本海の由良川と瀬戸内海の加古川に分かれます。
・日本一低い分水嶺2
ここに行った帰りに同行者のコメカミにサインがあり、ここが天の岩戸の続き?と言ってきて、それを知らせていると。
平らな倭の国の両側に、四隅のイシカミが岩戸のように降りて来た。
すなわち本州のコメカミのようにあらわしたということで、日本海側に、先日知らされた大江山の麓の天の岩戸があります。
ちなみに綾部の由良川が本流で、福知山からは武田川になっているようです。
・地震雲画像
DATE LAT LON MAG DEPTH km REGION
12-MAR-2010 11:02:16 -38.08 -72.66 M4.9 35.0 CENTRAL CHILE
12-MAR-2010 10:39:27 -34.29 -71.89 M4.8 35.0 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
12-MAR-2010 09:00:56 -34.29 -71.66 M4.8 35.0 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
12-MAR-2010 08:53:28 -34.34 -71.62 M4.7 35.0 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
12-MAR-2010 07:21:20 0.42 123.47 M4.8 283.4 MINAHASSA PENINSULA, SULAWESI
12-MAR-2010 06:56:41 -34.20 -71.76 M4.9 35.0 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
12-MAR-2010 06:45:01 -34.29 -71.86 M4.8 35.0 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
12-MAR-2010 06:10:38 -34.38 -71.61 M5.0 35.0 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
12-MAR-2010 05:51:56 43.98 147.83 M4.8 57.1 KURIL ISLANDS
12-MAR-2010 04:10:34 12.79 145.39 M4.0 35.0 SOUTH OF MARIANA ISLANDS
12-MAR-2010 03:22:51 -9.22 157.55 M5.3 71.8 SOLOMON ISLANDS
12-MAR-2010 03:10:49 -34.32 -71.80 M4.8 35.0 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
12-MAR-2010 02:58:55 -37.06 -72.78 M4.7 35.0 CENTRAL CHILE
12-MAR-2010 02:30:44 4.24 122.88 M4.6 586.0 CELEBES SEA
12-MAR-2010 01:46:59 -34.34 -71.64 M4.9 30.9 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
11-MAR-2010 23:20:22 -23.86 -175.82 M5.1 58.8 TONGA ISLANDS REGION
11-MAR-2010 23:18:11 -37.40 -73.01 M4.9 35.0 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
11-MAR-2010 22:34:05 -37.65 -73.50 M5.5 36.9 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
11-MAR-2010 21:50:07 -34.32 -71.71 M4.9 33.1 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
11-MAR-2010 21:09:08 -7.51 128.21 M5.0 170.2 BANDA SEA
11-MAR-2010 20:11:20 -34.33 -71.68 M5.8 2.3 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
11-MAR-2010 19:28:07 -34.31 -71.77 M5.5 24.5 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
11-MAR-2010 17:18:50 -34.26 -71.85 M5.1 23.3 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
11-MAR-2010 16:56:33 -34.41 -71.76 M5.3 35.0 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
11-MAR-2010 16:23:52 -34.38 -71.80 M5.0 29.1 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
11-MAR-2010 15:54:39 -34.33 -71.88 M5.0 35.0 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
11-MAR-2010 15:34:52 -34.27 -71.56 M4.9 43.2 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
11-MAR-2010 15:26:18 -34.24 -71.84 M5.4 35.0 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
11-MAR-2010 15:06:03 -34.22 -71.89 【M6.0】 32.0 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
11-MAR-2010 14:55:30 -34.29 -71.66 【M6.7】 44.4 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
11-MAR-2010 14:39:48 -34.29 -71.95 【M6.9】 35.0 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
発生時刻 2010年3月12日10時22分頃
震源地 京都府南部(北緯35.0度 東経135.5度 深さ10km)
規模 M2.8 震度1 亀岡市(京都府)、豊能町、能勢町(大阪府)、三田市(兵庫県)
発生時刻 2010年3月12日14時52分頃
震源地 択捉島南東沖(北緯43.7度 東経148.1度 深さごく浅い)
規模 M5.0 震度1 根室市
発生時刻 2010年3月12日16時8分頃
震源地 茨城県南部(北緯36.1度 東経139.9度 深さ50km)
規模 M4.2 震度2 笠間市ほか(茨城県)、宇都宮市ほか(栃木県)、館林市ほか(群馬県)、東松山市ほか(埼玉県)
発生時刻 2010年3月12日23時12分頃
震源地 高知県中部(北緯33.6度 東経133.2度 深さ40km)
規模 M3.9 震度2 佐川町
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以上、地球の謎解きより。
写真は3月12日のソラ。