本居宣長の実子、春庭は若くして目を患いついには失明した。
鍼灸医の修行を積み故郷松坂へ戻るが、志は父宣長と同じ国学
の研究を続けることにあった。完全な盲となって後に書き上げた
書物は国学、国語学研究の礎となっている。
(足立巻一著「やちまた」朝日文芸文庫刊、上下)
宣長が古事記伝を書き上げる助けをし、幼少時より教えを受け
て育った長男であるから当然というわけにはいかない。
ただでさえ言語研究は緻密で根気が要るのに春庭は盲なのだ。
足立巻一の執念がこもったこの本のおかげで、これまた執着の
(よい意味での)鬼のような春庭にめぐりあうことができる。
旧事本紀は漢文表記に振り仮名を振って動詞をつけて読み下して
いくので、動詞を間違えれば文意が異なってくる、つまり解釈を
まちがえる。注釈文にたよって読むと、解釈がいくとおりもあり、
おおざっぱななされ方をしたもので誤解、誤読することになる。
やちまたとは、春庭が研究して探りあてた日本語古語の動詞変化
の法則、八方に広がる変則をあらわしている。
たんに多くの事例を引き寄せて検めていくだけのことではたどり
つけない、それは実際にやってみるとよくわかる。
詞を読み取るには霊感、魂の響きが必要である。そのことを宣長
から教わったであろう春庭は、どうしても見えなくても、自らの
手であきらかにしておきたかったのであろう。
数日前にミステリー作家多島斗志之氏が失踪というニュースを
知った。「両眼失明、筆置き社会生活を終了する」と周囲に手紙
を遺してとあった。
まずわが身に置き換えると、心臓の鼓動が高鳴り身動きがとれない
ことは容易にわかった。自分は一歩だって闇のなかで歩くことはで
きないと思った。
思うがしかし、盲目を理由に「終える」のはいけないと思い直した。
意気地なしである。作家は死ぬときまで現役の職業だ。
その後のニュースを知らないが、無事でまた書き続けられることを
願っている。
そんなしだいで春庭のことを書いた。
そして、カメに教わった「たゆまずに歩け、おこたりなく」という
こともまた思い起こさずにいられなかった。
追記:
日々拙文を読んで頂きましたこと心から感謝しています。
今年も残すところ数えるほどになり年始のご挨拶もしたいのですが、
所用にてしばらくブログ更新を休みます。
〆はベイビーの顔で失礼いたします。
鍼灸医の修行を積み故郷松坂へ戻るが、志は父宣長と同じ国学
の研究を続けることにあった。完全な盲となって後に書き上げた
書物は国学、国語学研究の礎となっている。
(足立巻一著「やちまた」朝日文芸文庫刊、上下)
宣長が古事記伝を書き上げる助けをし、幼少時より教えを受け
て育った長男であるから当然というわけにはいかない。
ただでさえ言語研究は緻密で根気が要るのに春庭は盲なのだ。
足立巻一の執念がこもったこの本のおかげで、これまた執着の
(よい意味での)鬼のような春庭にめぐりあうことができる。
旧事本紀は漢文表記に振り仮名を振って動詞をつけて読み下して
いくので、動詞を間違えれば文意が異なってくる、つまり解釈を
まちがえる。注釈文にたよって読むと、解釈がいくとおりもあり、
おおざっぱななされ方をしたもので誤解、誤読することになる。
やちまたとは、春庭が研究して探りあてた日本語古語の動詞変化
の法則、八方に広がる変則をあらわしている。
たんに多くの事例を引き寄せて検めていくだけのことではたどり
つけない、それは実際にやってみるとよくわかる。
詞を読み取るには霊感、魂の響きが必要である。そのことを宣長
から教わったであろう春庭は、どうしても見えなくても、自らの
手であきらかにしておきたかったのであろう。
数日前にミステリー作家多島斗志之氏が失踪というニュースを
知った。「両眼失明、筆置き社会生活を終了する」と周囲に手紙
を遺してとあった。
まずわが身に置き換えると、心臓の鼓動が高鳴り身動きがとれない
ことは容易にわかった。自分は一歩だって闇のなかで歩くことはで
きないと思った。
思うがしかし、盲目を理由に「終える」のはいけないと思い直した。
意気地なしである。作家は死ぬときまで現役の職業だ。
その後のニュースを知らないが、無事でまた書き続けられることを
願っている。
そんなしだいで春庭のことを書いた。
そして、カメに教わった「たゆまずに歩け、おこたりなく」という
こともまた思い起こさずにいられなかった。
追記:
日々拙文を読んで頂きましたこと心から感謝しています。
今年も残すところ数えるほどになり年始のご挨拶もしたいのですが、
所用にてしばらくブログ更新を休みます。
〆はベイビーの顔で失礼いたします。