「きっかけ(CUE)」

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弾丸

2008年02月03日 | 諸々・various




初代0系新幹線 もう引退してます 
だいたいの人に 新幹線の絵を描いてみてと問えば 
最新型:のぞみではなく このような 丸っこい形を描くでしょう



何故に 松山からで60分ほどの西条市にこのような 鉄道記念館があるかというと
名誉市民である十河信二氏が第4代国鉄総裁として
当時は世界中に前例のない一大プロジェクトであった
新幹線の建設を実現させたからなのです

 

構内では DF50気動車が 動体保存され 
わずかな距離ではありますが 走行するシーンを確かめられます
このDF50型はディーゼル=軽油で電気を興し走行する仕組みで 
今までの蒸気機関車の 排煙を大幅に低減する 環境に優しい画期的なシステムでしたが
思ったよりパワーも低く 外国製のエンジンだったため 
メンテなど コストも嵩み 23年前には完全に現役から引退してます 


1964年 東京オリンピックにあわせ 開業し 
今やJRの主要幹線として稼ぎ頭となってる新幹線
これは そもそも1940年9月に承認され
建設工事が始められる事になった「弾丸列車計画」にまでさかのぼります

これは東京から下関まで在来の東海道・山陽本線とは
別に広軌(1,435mm・標準軌)の新路線を建設し
最高速度200km/hを超える高速運転を行い
東京~大阪間を4時間 東京~下関間を9時間で結ぶ事を計画したものでした

既にこの時点で新しい幹線を引くという事から
「新幹線」や「広軌新線」という呼称を内部関係者は用いていたため
「新幹線」の語はここが起源だとされているのです

また将来的には対馬海峡に海底トンネルを建設して朝鮮半島へ直通
釜山から奉天(現:瀋陽)を通り 満州国の首都新京(現:長春)
さらには北京・昭南(現:シンガポール)に至るという構想もあったから 凄いですよね~
下の図がそうです↓↓↓

当時の鉄道はまだ機関車が客車を牽く方式が一般的で
「弾丸列車」も電気機関車と蒸気機関車を併用する方式で計画されたのです

太平洋戦争勃発後も工事は続けられ
日本坂トンネル(後に新幹線に利用)などの工事が進展したけど
最終的には戦況の悪化で頓挫します

しかしそのルートの相当部分が後の東海道新幹線建設で役立てられるのですね
特に 土地買収が戦時中の時点で
相当な区間において終わっていた事は新幹線建設をスムーズにしました
ただ 土地買収では 国策だの一言で 
二束三文で強制的に土地を奪われた方々もいるのですが。。。

この弾丸列車計画の技師たちが居住した地として
静岡県田方郡函南町には「新幹線」という地名が
東海道新幹線の開業前から存在してます 
このことはトリビアの泉でも取り上げられましたね

僕は 幼い頃から 車 飛行機 鉄道と乗り物全般が大好きです
一昔前は 鉄道好きって言うと オタク扱いされ肩身が狭かったですが
最近は女の子も鉄道好きなことを公言し ”鉄子” って呼ばれるまでになりました

ま そんな鉄道好き(俗に鉄とか鉄ちゃんとか言う)の タイプは大別すると
① 暇さえあれば 新規開業路線を乗りつぶす 全線走破タイプ 
② 
写真撮りまくるタイプ 
③ 自分でジオラマなど製作し模型に没頭するタイプ 
④ 時刻表を精読するタイプ になります

ようは 音楽好きって言っても クラシックしか聴かないとか 
ジャズが体に染み付いてるとかってのと同じと考えてください

僕は ①の”プチ鉄=少~しだけ鉄”くらいになるのかな 
大学時代は 新規開通するたびに 都内を地下鉄移動してました
あとは 山手線で移動中 東京駅で新幹線見たり 
田町~品川の車両基地見たら 胸がワクワクしていたのでね

さて なぜ この記事のタイトルを新幹線ではなく『弾丸』としたのかというと
の新幹線建設までの経緯を 読んでもらえれば分かると思います
今や 輸送力も限界に近づいてるのか
2025年には リニアモーター=中央新幹線の開業が正式に発表されてます
こうなると 東京~名古屋はほんの40分 完全な通勤圏内になりますよ
(もう 弾丸を通り越し 音速もしくは光速ですが)

ただ ルートが山梨(甲府)⇒長野(松本)⇒愛知(名古屋)⇒
三重(四日市)⇒奈良(京都は通らない)⇒大阪といった 雪の多い区間のため 
南アルプスや鈴鹿山脈 生駒山を潜る長大なトンネルを掘らなければならず
かなり 建設費はかかるので 第二東名道同様
ホントに大阪まで開通できるのかどうかは 未定ですけど 
ではまた



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