亀石の次に目指したのは、川原寺跡弘福寺(ぐふくじ)。
前回は向かいの聖徳太子誕生の地・橘寺に寄って、
こちらはチラッと道なりに見たのみだったので今回は境内に入りましょう。
川原寺は飛鳥四大寺に数えられる大きなお寺。
東西の長さは150m以上、南北に330mという広い敷地の中に、
東塔ひとつとふたつの金堂、
境内側に扉を持たずに解放された僧房が北東西の三方から囲むという、
一塔二金堂式(川原寺式と言われる非常に珍しい)伽藍を持つお寺でした。
遺構が残っているので少し歩きました。↑川原寺塔跡。
↓中門跡。
↓西金堂跡。
境内にのみ、瑪瑙(メノウ)の礎石が残されています。
さあ、入ってみましょう。
拝観料は300円。
ここが日本で初めて写経が行われた場所。
時間が有れば、お写経もしたかったんですけどね。
ご本尊は十一面観音様。
日本で3番目に古い十二神将も安置。
そして、境内には瑪瑙の礎石が28個残されていて、
パワーストーンだと言うので、しっかり触ってきました。
メノウと言うからもっとツルツルした石を想像してしまった・笑
川原寺は飛鳥四大寺の一つですが、
日本書紀等の文献にほとんど出てこず、
創建の理由、創建の時期等の詳細が謎に包まれたお寺です。
天智天皇が母の斉明天皇が営んだ川原宮の跡地に創建したとする説が現在は有力。
また他の寺が藤原京、平城京、平安京と移転していったのに、
川原寺のみ、飛鳥にとどまり移転しなかったと。。。謎多きなのだそう。
1400年前の飛鳥時代にタイムスリップしてみたいものですね。
これにて、ランチタイム
事前にランチの取り置きをお願いしていたカフェ「ことだま」さん。
ギリギリ13:30の訪問となりました。
その記事はまた後程。
ランチの後に向かったのが、飛鳥宮跡(伝板蓋宮跡)。
大化の改新のはじまりの舞台となった場所です。
ここで、中大兄皇子(天智天皇)らによって蘇我入鹿が暗殺されたのですね。。。
暗殺された日は大雨の日だったとか。
う~む、1400年前とは言え教科書で習ったことが実際にあった場所に立つとは、
不思議な感覚です。
飛鳥宮跡は、調査で飛鳥板蓋宮(皇極天皇)だけでなく、
飛鳥岡本宮(舒明天皇)や、
飛鳥浄御原宮(天武・持統両天皇)など、
複数の宮が断続的に置かれたことが判明し、
伝板蓋宮跡から平成28年に「飛鳥宮跡」と名称が変更されました。
板蓋宮跡(いたぶきのみやあと)とは、当時宮殿の屋根は茅葺や桧皮葺だったのに、
この宮は高級材であった板を使用したことから、板蓋宮の名がついたそう。
「大化の改新」のあった場所。。。と、想像すると凄い場所なのですが。。。
大井戸の跡を再現し、柱跡にコンクリの円柱を立てていますが、
ちょっと草ぼうぼうで、荒涼とした感じ。
でも今回訪れた中では感慨深く心に残った場所となりました。
しかし、この草ぼうぼうがセーターに一杯くっ付いて後で痒くなって困ったよ
もうちょっと手入れされていたらなぁ。
まだまだ続きます。
田畑の中を走って、次は甘樫丘を目指します。
途中で横切った飛鳥寺と、
飛鳥寺の隣の田んぼの中にある蘇我入鹿の首塚。
先ほどの飛鳥宮跡で切られた入鹿の首が、
ここ飛鳥寺近くまで飛んできたという逸話が残されています。
バックが甘樫丘。
飛鳥寺は前回に寄りましたので、先を急ぎますよ。
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