墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

平成マシンガンズを読んで 159

2006-11-27 19:15:51 | 

「あのさぁ、死神の例えは良くないよ。自分では面白いつもりかもしれないけど、かえって理解しにくくさせてる一面もある。面白く例えりゃ誰でも解るって訳じゃないよ」

「そうか」

「全体的に死神はひとりよがりだと思う」

「すまん」

「死神が言うように、なにかを解らせる為に必死にならなきゃならないなら、死神の態度は良くないよ。なんとなくだけど、解る奴だけ解りゃいいっていう傲慢なかんじがする。それじゃまわりから反感を買うだけで駄目だと思うよ。もっと必死に訴えなきゃ!」

「そのとおりだな」

「死神の言いたい事はなんとなく私には伝わるけど、誰もが解る保証はない。もっと真剣に訴えなきゃ」

「って。
 オイ!
 なんで、俺があんたみたいなガキに説教されてるんだ!」

「私ってガキ?」

「すいません。言い過ぎました」


平成マシンガンズを読んで 158

2006-11-27 18:49:14 | 

「学問でも、厳密さを追求しようとする学問なら言葉の意味を明確に使い分けようとする。お互いに言ってる言葉の意味が違ってしまうと議論にならないからだ。
 その良い例が数学だったりするな。
 数学の記号は、数学のお約束以外で記号を理解する事を禁じる。だから、解も出る。記号の意味を1つでも誤解している人間は絶対に正解にたどりつかない。
 楽譜だってそうだ。1つでも、記号の意味を誤解していたなら、正確な演奏はできない。
 他の学問でも同じだ。なるべく共通な意味で言葉を使おうと必死だ。そうしなければ、議論すら成り立たない」

「ホントに必死だね」

「そうなんだよ、ルールを共有しなけりゃゲームすら成り立たない。
 同じルールを採用している同士でなけりゃ将棋も指せない。
 例えばだ、あまりに極端すぎて分かりにくいかもしれないが、『巨人の星』の星一徹と、羽生名人が将棋で対局したとする。

 羽生名人は将棋のルールにのっとり第1手。

 パチリ。

 星一徹の番。

『バッカモーン!!』

 一徹はいきなり将棋盤を引っくり返して、羽生名人に張り手!
 名人がひるんだ隙に名人にギブスを装着。
 そこで、場面は昼間だったのがいきなり夜になって星が輝いている!

『星じゃ! 将棋の星を目指すのじゃ!』

 そして猛特訓!

 なっ、このようにルールを共有してないと『将棋』ってゲームすら成り立たないだろ?」

「いや、その例えじゃ全然解らない」

「えー。
 んー。
 じゃぁ、ミミズとジャンケンできるか?」

「できない!」

「それは、あんたとミミズがジャンケンのルールを共有してないからだ」

「ルール以前に、ミミズには手がないからジャンケンできないよ!」

「コマケェな。
 じゃぁさー、俺は『麻雀』のルールを良く知らないんだけれども、仮にあんたと俺が対局して、まともに『麻雀』できるだろうか?」

「出来ないよね」

「だろ、『麻雀』のルールを共有していないからだ!」

「それは違うよ。だって私も『麻雀』のルールを知らないもの。その状態はルールを共有している、していない以前の問題だ。
 死神も私も『麻雀』のルールを知らないんじゃ、『麻雀』のルール自体の存在すらあるのか怪しい。あるのはパイのみだ!」

「めんどくせぇガキだなぁ!
 じゃあ。『ドッチ・ボール』。
 片方は『ドッチ・ボール』のルールを知っているチーム。
 対戦相手は、ルールを全く知らないチーム。
 さぁ、ゲームになるか!」

「たぶん、ならない」

「そうだな、ルールを共有してないからだ」

「そうだね!」


平成マシンガンズを読んで 157

2006-11-27 00:15:26 | 

「共通な意味を理解するって、簡単なようでいて実は必死なんだよ。絶対に分かってやる、分からせてやると必死にならないとお互いに共通な意味は理解できない。逆に、分かってもらえなくてもいいやというスタンスでいると、言葉はどんどん曖昧になる」

「死神から『必死』なんて言葉を聞けるとは思わなかったよ」

「俺はいつだって必死だ」

「必死な死神?」

「そう、俺は必死な死神なのだ!」

「変なの」

「変だな。
 まぁ、それはともかく。必死な人間ほど言葉の意味を明確に分けて使おうとする。意味の取り違いを許さない。
 例えるなら、そうだな。

 ここは町外れの工事現場。
 多くの土木作業員が集まって橋を架けている。その現場ではものすごいパワーの重機がうなりをあげ、足元には基礎のコンクリを流し込む為に開けられた鉄筋むきだしの穴だらけ。
 こんな場所でふざけてたら、命を落とす危険性もある。みんな真剣だ。
 その現場に型枠大工の親方が手元の若い奴を1人つれてやって来た。
 親方が若いのに言う。

『おい、ネコさがして持ってきてくれ』

『はい』

 そこで、若いのは親方に言われたとおりに河原で昼寝していたネコを探しだして、なんとか捕獲して親方のもとに持って帰った。

『親父さん、ネコを持ってきました』

『おう、ずいぶん時間がかかったな』

 で、ネコが鳴く。

『ニャー!』

『馬鹿やぁろぉ!!
 現場でネコって言ったら、ネコ車。一輪車のことだろがぁ!!』

 まぁ、怒鳴られて当然だな。
 他にもこんな例もある。

 場所は病院。深夜の緊急治療室!
 まさに命がけの正念場!
 ささいなミスが、死に直結する、本当に命がけの現場。
 交通事故で重体な患者が運び込まれた。死の一歩手前。すぐに手術室に運び込まれてオペがはじまる。

 先生が看護婦に指示する。

『メス!』

『はい!』

 看護婦はメスの三毛猫を先生に手渡す。
 毛並みの良いフカフカで可愛いネコだ。

『ニャー!』

 先生はそっとネコを床におろすと、問答無用で看護婦を殴りたおした!

 バキィ!!

『手術室に動物を入れるなぁー!!』」

「死神、あんたは落語家か?」

「落語じゃねぇよ。例え話だ。その証拠に落ちはない。
 次に、言葉の意味を共有しないで議論する事がいかに無意味だかを、例え話でお話しよう。
 例えば、1時間進んだ腕時計をはめた男と、1時間遅れた腕時計をはめた男が、正午12時に会う約束をした。
 1時間進んでる男は、本人は時間ピッタリのつもりで、標準時間の11時30分に約束の場所に来た。
 1時間遅れている男は、早めに着こうと30分早めのつもりで、標準時間の12時に約束の場所に来た。
 どちらの男も、標準時間で考えるなら約束を守っている。
 でも、彼らの時計は進んでたり遅れたりするので、そもそも基準は無いのと同じだ。

 進んでいる時計の男が自分の腕時計を見て言う。

『おい、30分も遅刻だぞ!』

 遅れている時計の男も自分の腕時計を見て言う。

『なにを言ってる。俺は30分も早く着いてる!』

 こんな事を言い争っても時間の無駄だ。単なる水掛け論で、ケンカする前にお互いの腕時計を合わせろと忠告したい。

 まぁ、ようするに、必死な人間ほど言葉の意味を厳密に区別する。
 その反対に、余裕のある人間は言葉を厳密に分ける必要性を感じない。
 別に、ファション業界に携わる人間が、余裕のある人間だとイヤミを言っているワケではなく、ファションに興味を持つ人間には余裕があるという事だ。だから、ワガママな感性で言葉をあやつっても問題は生じない。服のヒラヒラなんてしょせんは飾りだ。あってもなくても保温性に問題はないし、ヒラヒラがなきゃ死ぬって事もない。ヒラヒラなのが好きだからヒラヒラの服を着ているだけだ」

「ヒラヒラって」

「よほど寒くなきゃ、別に全裸だからって死ぬ事もない。流行の服を着なくても死ぬ事はない。コスチュームの違いが生き死にに関わるのは『戦場』だけだ。人間は多少ダサイぐらいじゃ死なねぇんだよ。
 服なんて人間の生き死にに関係ない。そんな事は誰でも理解しているから、ファッションを欲する人間はどんどん身勝手に流行の服を追い求める。そして、ソレに見合うような格好の良い『言葉』も求める。格好よさに意味はいらない。感性がしびれりゃそれでいい。
 ところでさ、教育も余剰だ。
 馬鹿だからって死ぬ事はない。
 食い物を手に入れる方法を知っているか、あるいは共同体にパラサイトする手段を身に付けているなら、必要以上の知識はあってもなくても死ぬ事はない。
 この事も実は誰もが無意識なレベルで理解している。
 誰もが、知識なんて余剰だと無意識のレベルで知っているから、知識がファション的なかっこよさを追い求めるようになる事は避けられない。
 必死な現場では明確に言葉を使い分けるが、必死じゃない現場の言葉はどんどん曖昧になる」