「自分探しの旅にでよう!」
え、死神はやっとどっか他の所に去ってくれる気になったらしい!
「行ってらっしゃい!」
「嬉しそうに言うな。一緒に旅立つのだ」
一緒にぃ?
「お、おい、そう露骨にイヤな顔をするな。表情ぐらい偽れ!」
「どこに行くの?」
「どこに行くかは決まってない。目的地も決まってない旅だが、帰還先はもう決まっている。我が家だ。まぁ! 自分は結局ここにいたのね! みたいなで、青い鳥でチルチルミチルなのだ!」
「そもそも自分探しって言うけどさぁ、死神の今まで言ってる事から考えると、まず自分は何なのかが分けられなきゃ何も解らない」
「鋭い! スルメのケンサキ並みに鋭い。刺さりそうだ!」
死神の比喩は変なんで、誉められてんだか、けなされたてんだか、なんだか全く解らない。むしろ、ただ思いついた言葉を羅列しているだけの可能性もある。
「そう。
本当の自分というモノを探して旅立つなら、自分をもし分けられるとするならば、対立するモノが存在するはずだ。なら、偽物の自分という存在が導かれるはずだ。
そもそも、1人である自分を本物と偽物に分けられるのか?
どう分けるんだ?
今の自分は、情けないし、自分でも納得できないから偽物であると仮定したとして、今の自分以外に分けられる自分なんてあるのか?
本物の自分の能力を全て発揮したら、女にモテモテで、、。
おっと。
あんたは女の子だから、男にモテモテで、誰もがちやほやして、自分でもコレが本当の自分だぁと納得出来る本当の自分になれるのか?
まぁ、それはそうなれるかもしれないが、そうなったとしても現時点で手に入れてない境遇は、普通の言い方では『可能性』と言う。可能性と本当の自分は違う。普通の分け方のルールで言うなら、本当の自分とは、現時点のあんたそのものが本当の自分だ。本物も偽物も、今ある自分以外に自分はない。
本当の自分なんて言葉は、自分の可能性という言葉を言い換えているだけの言葉に過ぎない。可能性と言われたら自分が出来るだけの事を、努力とかして将来に備えようと考える。
だが、本当の自分とか言われたら、フラフラと自分探しに旅立ちたくなる。
まぁ、自分の可能性って言葉でもかなりあやふやなんだが、それをさらにあやふやにした本当の自分なんか探しに出かけても何も見つからないだろう。
目的があやふやで検索しても何も見つからない。
分かりたい物を見極めて、ソレを分類するルールを決めて、ルールにのっとってちゃんと分別できて、はじめてソレが分かったと言えるのだが、でもそのルールが実は間違っている可能性もある。
本当にキチンと分かるのは実に難しいのだ」