「あぁ。ロミオ様、ロミオ様。なぜあなたはロミオ様なの!
という問いが、ロミオが自分とは違う反対勢力の出身であるという状況を嘆いて言う言葉である限りは、可哀想だなと同情もする。
だが、万が一、ロミオはなんでロミオって名前なの?
って問いであるなら、よけいな事を考えてないで早く寝ろってかんじだ」
「うん、解った。なんとなく言葉も記号にすぎないような気がしてきた」
「偉いぞ! その心を忘れるな。
で、もう一度だけ聞くけど『X』の意味は?」
「だからぁー、それこそ単なる記号で『X』に意味はない」
「だな、そして言語は数式で、単語は記号だ。
記号そのものには何も意味はない。
意味を生むのは状況と文脈だ。
それなら、単語のみを取り出し『愛とは何か?』と問うても、それは愛という概念を表わす記号にすぎないとも言えるはずだ!」
「じゃあさー、『学校』って言ってもたくさんあるよなぁ。
小学校から中学校、高等学校から専門学校に大学校。
ところで、今日はあんたの学校で遠足があったとする。
家に帰って、お母さん、いや、帰ってきたお父さんに『今日の遠足どうだった?』と聞かれた。
あんたは、『今日の学校の遠足は楽しかった』とお父さんに答えた。
さて、この時の『学校』は、星の数ほどある学校のうちで、どの学校を差している?」
「どの学校も何も、私とお父さんの会話なら、私が行ってる学校以外に学校はありえないよ」
「その、私とお父さんの会話が、記号の成り立つ状況だ。
次に、君は学校の帰り道に、見知らぬおじいちゃんに道を聞かれたとする。
そのジジイはあんたに聞く『学校はどっちですか?』。
はい、どっち?」
「どっちも何も、どの学校?」
「はい正解。
見知らぬおじいちゃんは、実は来年から、あんたの学校の校長先生になる人であった。今日は、来年から赴任する予定の学校の視察に来たのだが、途中で道に迷った。
困り果てていたら、赴任する先の学校の制服を着た女の子が歩いてきた。
あぁ、この女の子に道を聞いたなら、目的地の学校に通う生徒なんだから間違いなく道をしっているはず。そう思ったとたんに、自分が女の子にとって見知らぬ人間であるという可能性を忘れて『学校はどっちですか?』とあんたに聞いてしまった。
このジジイは、学校と呼ばれる建物が無数にあるコトは知っているくせに、自分のルールで、学校と言ったら、あんたが通い、自分が赴任するはずの学校以外にあり得ないと思い込んで、こう言ったんだが、このジジイの状況を知らない人間にはチンプンカンプンな質問だ。
まず、どの学校に行きたいのか説明しろってかんじだ」
「あー」
「じゃ、次に『犬』という言葉の意味は?」
「え。ワンワン吠える動物」
「正解。
ところで、この地球上にはワンワン吠える犬と呼ばれる動物は何万頭といる。なのに、どれも犬と呼ばれる。なぜか?」
「どれも犬と呼べる動物だから」
「正解。
犬という単語は、犬という集合体に含まれる全ての犬をあらわす記号だ。犬と言うのがはばかれるほど犬っぽくなかったり、犬らしくなかったりしたら、いくら本当は犬でも、犬とは呼ばれない。ぜんぜん犬に見えない犬は、いくら本当は犬だとしても誰も犬とは呼ばないだろう。
反対に、犬と呼べるモノはワンワン吠える動物の犬じゃなくても、全て犬と呼ばれる。これは犬型ロボットや犬のぬいぐるみに交番の警官まで含まれる。
だが、目の前に今お散歩中の犬がいて、それを指差して、『ほら、あの犬』と言ったなら、犬という単語は現実に目の前にいる散歩中のその犬という意味以外は持たない。
地球上に犬が何百万頭いようと、犬のカテゴリにおさまる範囲にいる単体としての犬をひとつ取り出し、ほらアレも犬だと固定して指し示す事ができるのは、犬という単語が、ただの記号だからなのだ。
そして、記号は、状況や文脈がないと分からない、記号そのものはなんとでも置き換えのきくあやふやな物だからだ。状況や文脈が言葉に意味を与える。
犬という言葉がただの記号であるというのは、犬の本質と何も関係なく、他の言葉でも置き換えが出来るからで、実際に言語が違えば犬はDogだ」
「記号とは呼び方にすぎない。何をなんて呼ぶかなんて趣味の問題で、好きに呼べばいい。
だけど、記号は他人に通じなけりゃ意味がない。
赤信号は『止まれ』なんですよと、誰もが理解してそのとおりにしないと、赤信号が記号である意味がない。
赤信号で止まる奴がいたり、
赤信号で走り出す奴がいたり、
赤信号で踊り出したりする奴や、
赤信号で泣き出したりする奴がいたりするなら、
もう収集がつかない。
怖くて道も歩けない。
人によって赤信号の意味を勝手に理解して、止まったり進んだり踊ったり泣き出したりするぐらいなら、もういっそのこと信号機なんかないほうが、よほど安全だ。
別に何色が止まれでも、誰もが、その色を『止まれ』ということを意味する記号だと理解するなら、赤でも緑でも黄色でも何色でも良い。
このように、赤信号なんか何色でもいい。
赤色に『止まれ』の意味はない。
もし、仮に赤という色には、『止まれ』という意味があるんだなんて勘違いした奴がいたとしたら、リンゴを見て止まり、トマトを見て止まり、日の丸を見て止まり、闘牛士のふる布を見て止まりと、赤色があるたんびに止まってなきゃなんない。下手すりゃ動けないかもしれない!」
「で?」
「だから、記号そのものには意味はない。
誰もが、その記号の意味を理解しているという状況の方が大切なのだ。
記号の意味は、記号ではなく、状況や文脈が生む。
ところで、『愛とは何?』と問われたら、しばし考え込むだろう。
だが、数学の記号の『Xとは何?』と問われたら、どう答える?」
「Xは、それこそただの記号じゃん。グラフの中にある場合と数式の中にある場合じゃ意味が違ってくるし、それに、Xに何を代入するのかで答えが違うし」
「そう、Xが記号なら、愛も状況や文脈に配置されないかぎり、ただの記号だ」
「でも、愛は記号じゃなくて、言葉であったり文字だったりするじゃん」
「だから、言葉も文字も、状況や文脈がないかぎりはただの記号だ」
「なんで?」
「なんでって、どうして、そこが分からない?」