墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

平成マシンガンズを読んで 130

2006-11-13 20:24:35 | 

「単語は記号である。
 単語が記号として成立する環境のもとで、はじめて単語は意味を持つ。
 状況や文脈によって意味を与えられた単語は言語を構成する単位として機能する。
 だが、状況や文脈のないかぎり、そして、言語のルールを理解できる人間がいなければ、単語はただの音であったり線であったりする。
 理解する能力を持つ者が、理解できる状況に居合わせた時、単語ははじめて単語としての意味を持つ」

「なにが言いたいのか解らない」

「朝起きてだ、学校に行く為に外に出て、交差点に差し掛かった。
 舗装された道路の上に、いつもなら『とまれ』と書いてあるペイントが消され、その変わりに『うなぎ』とペイントされていた。
 この『うなぎ』って、どゆ意味?」

「意味もなにも、ワケわからないし怖い」

「また、夕暮れの放課後、教室にただ1人きり。
 返ろうと荷物をまとめていたら、いきなり教室に、サンタさんの格好をして袴をはいて地下足袋の、さらに左手に包丁を持った中年男が乱入してきて、いきなり『うなぎ』と叫んだ。この中年男の言う『うなぎ』の意味は?」

「意味なんか解らない。とにかく怖い!」

「『うなぎ』の単語の意味は、辞書を引きゃ分かる。
 だが、状況が『うなぎ』の意味を容認できない状態なら、『うなぎ』と言われたって意味不明だ」

「うーん」

「そこで、あんたは有閑マダムだとする!
 ヒマな上に財力をもてあますセレブで億万長者の妻だ。
 そのうえに、アルバイトで夕刊を配っていると仮定しよう。
 さらに、君はアマゾンを川流れした先で、南極ロケット一号に飛び乗り月まで行き、月から南極までバンジージャンプするほどに勇敢だと仮定しよう。
 勇敢で、夕刊を配っている有閑マダムが君なのだ。
 その君が、つい可愛い愛息子と散歩に出ちゃった。
 で、ふと道に目をやるとウナギが道ばたでニョロニョロうねっていた。
 愛息子ががウナギを指差して叫ぶ。
 『ウナギ』
 さて、子供が言うウナギとはなんだ?」

「道でうねっているウナギでしょ」

「そのとおり! 状況や文脈さえあれば、『うなぎ』が何だかすぐ理解できる」

「あり得ない状況で文脈ですけどね」

「じゃ、あり得る状況に変換するか。
 俺とあんたは恋人同士、今日は初デート!」

「いや、あり得てもあって欲しくない状況はやめて!」

「大丈夫、俺は死を崇拝している時点で去勢者だ。繁殖に繋がるコトには興味ない」

「で、どこへ」

「高尾山だな。で、帰りはふもとの『そば屋』でディナーだ」

「初デートがそば屋?」

「イタリアンとかナポリタンとかフレンチなんてクソだ。由緒正しい大人のディナーは寿司かソバだ!」

「ほんとかよ!」

「で、互いにテーブルの端と端に座り、君はメニューを手渡してくれた。『何を食べます?』。俺は答える『俺はうなぎ』」

「えぇー!
 あなたは実はうなぎだったのね。
 でもぉ、どうしよう。
 こんなところでうなぎだと今さら告白されても、どうしたもんだか」

「おい!」

「オイッて」

「そば屋で『うなぎ』と言ったら、俺はうなぎを食べるって意味だろ。ソレ以外に意味がアリか?」

「いや、てっきり俺は実はうなぎ人間なんだという告白かと」

「それは無いとは言い切れないけど、あんまり無いと思うぞ。まぁ、俺のチンコはドジョウだが」

「こら!」

「コラッて」


平成マシンガンズを読んで 129

2006-11-13 19:03:50 | 

「『1+1=2』という数式があったとする!」

「数式言うほど、立派な式なの?」

「っせなぁ。俺は数学が、いや、算数が嫌いだ。これ以上の数式は俺には思いつかない」

「そんなことをえばられても」

「ところで、『1』は、常に『1』を意味すると思うか? 『1』が『1』であり得るのは、数式という形式があるからだ。数式を理解する気がなければ、どんなに数学者が頑張って『1』は『1』であるんだと主張しても、『1』はただの線にしか見えない。
 画用紙にやや斜めに引いた線がある。これは『1』であると主張する数学者がいないかぎり、普通の人は、画用紙という状況から、これはなんか描きかけの線であろうと理解するだろう。
 だが、画用紙に『1+1=2』とまで、算数の方法で書かれちゃたらもう、あぁこの斜めの線は『1』以外ではないんだなと、別に数学者が頑張らなくても、俺でも理解する」

「ふーん」

「言葉も数式と同じだ。状況や文脈がなければ、言葉なんてただの音声だったり文字なら線だったりする。
 ところで、言語は単語に分けられる。
 そして、単語は、交通標識や看板と同じでただの記号だ。
 交通標識は交通ルールを共有する人間にしか理解できないように、単語は同じ言語を共有する者にしか理解されない。
 言語における単語は、ただの記号で、ただの記号にすぎない単語は、現実の何かをあらわすと決められている。
 そして、目の前の状況と記号がピッタリ合った場合のみ、人間は記号の意味を理解する。
 たしかに、言語は意味を持つ。だが、言語は数式と同じようにただの記号の寄せ集めで、ルールを知らなければただの記号そのものだ。
 記号である単語は、ルールを理解し、なおかつ状況や文脈がなければ理解できない」


平成マシンガンズを読んで 128

2006-11-13 18:28:17 | 

「言葉がなくても分ける事はできる。
 言葉がない動物だって、敵と味方、食べられるもの食べられないもの、暑い場所、寒い場所。それなりに分けている。
 ところで、動物は何を基準に分けているのだろう。
 動物の分ける基準は目の前にある状況だ。
 目の前に何も食べられそうな物がなにもなけりゃ、食べられるか食べられないかなんて分けられない。ないものを分けようもない。
 目の前に自分とは違う動物があらわれない限り、動物はそいつが敵か味方かなんて分けようとも思わないはずだ。
 動物は学習する。
 現実に目の前に何かがあるなら、過去の経験から危ないとか食えないとか分けて行動する事もできる。例えば鳩なら、カラスは敵だ、マメは食えるなどと分けて行動するだろう。
 だが、動物は言語を持たないので、現実に目の前に状況がないと分けられない。名前などの言葉によって頭の中にあるイメージを明確に分けられない限り、たいした思考はできないと思われるからだ。

 だが、人間は分ける為に言語を利用できる。
 これにより、目の前にない状況でも、過去の経験からシュミレーション出来るようになった。
 今、実際に目の前に分けるべき物がなくても、モノに名前をつけ、行動の仕方に名前をつければ、モノや行動をパターンとして分けられる。 
 人間は言語を利用して、目の前にない状況をもパターンとして認識できるから、目の前に餌がなくても餌がある状況を想像する。
 仮に餌があると想像できるなら、仮にある餌が食べられるか食べられないかを、寝ながらでも分けて考えられ、さらに仮にある餌を集める方法まで模索できる。
 だからこそ、人間は死後なんて事まで考えるんだけどね。
 しかし、人間は状況がないと言語を理解できない。
 言語は手に入れ、環境をシュミレーション出来るようにはなったけど、そんなに他の動物と比べて賢くなってないんだよ。
 文脈や状況がないと、人間は、他人の言葉を理解できない。
 それは、動物が目の前に餌がないと分けられないのと一緒だ。他人の言葉は、目の前に文脈や状況がないかぎり、意味を理解できない」