残念ながら、生まれながらに人間は違う。
俺の祖父は幼稚園の園長でり、その影響からか、他の子供よりは、たぶんガキの頃から、子供の教育の仕方について良く試行錯誤していた。
変かもしんないけど、どうやったら子供は良い子に育つんだろうとガキの頃から考えていた。本音を言うなら、ガキの頃の俺の将来の夢に、幼稚園の先生とか保父さんとかいう選択肢も本当はあったのである。
途中で漫画家になって一攫千金と言う野望さえ抱かねば、今頃はどっかの保育園にでも勤めていたかもしれない。
で。
残念だが、人間のスタートラインはみんなそれぞれ違う。
親が金持ちとかいう話ではない。もっと生まれながらの素養の面である。
受精した卵子の状態・たどりついた精子の状態・血筋血統・産まれた時期・妊娠した時の状況・母体の栄養条件・周囲の汚染濃度・胎教・母体のストレス・母体の時代環境・生まれでる子供の幸運や不運。
ありとあらゆる選択肢やら、偶然の産物、母体の好き嫌いやら、避妊やら中絶の危機まで乗り越え、さらに胎児は遺伝的な作用も受けつつ、やっとこさなんとかさと、この世にどの子も赤子として産まれ出る。
生まれながらに、産まれるまでの環境が全くそれぞれ違うのだ。
1人として生まれながらに同じ子供なんかいないのは当たり前だのクラッカー。
だがクラッカーであろうと、俺は、適正さえ見極めその子なりの適正に合わせた教育さえ子供にして上げることさえ出来たのなら、どの子であろうとも絶対に良い子になれると信じている。
もしも、生まれながらのモンスターがいると言うなら、俺は俺が殺されようとも違うと叫びたい。
産まれた後の環境で子供が腐るのは親のせいであり、また、俺たち世間の大人のせいである。腐らせちまった子供達に謝らなければならない。
どの子も違う。
それが前提である。
その子なりにどの子も違う。
中には自己愛が強く、全能感が強い子供もいるだろう。
俺は子供の全能感の強さは、個性の一種だと思っている。
生まれながらに我が強く、扱いにくい子供がいるように、たしかに扱いにくい子供はいる。だが、扱いにくい子供ほど『鉄は熱いうちに叩け』なのである。
俺の祖父は幼稚園の園長でり、その影響からか、他の子供よりは、たぶんガキの頃から、子供の教育の仕方について良く試行錯誤していた。
変かもしんないけど、どうやったら子供は良い子に育つんだろうとガキの頃から考えていた。本音を言うなら、ガキの頃の俺の将来の夢に、幼稚園の先生とか保父さんとかいう選択肢も本当はあったのである。
途中で漫画家になって一攫千金と言う野望さえ抱かねば、今頃はどっかの保育園にでも勤めていたかもしれない。
で。
残念だが、人間のスタートラインはみんなそれぞれ違う。
親が金持ちとかいう話ではない。もっと生まれながらの素養の面である。
受精した卵子の状態・たどりついた精子の状態・血筋血統・産まれた時期・妊娠した時の状況・母体の栄養条件・周囲の汚染濃度・胎教・母体のストレス・母体の時代環境・生まれでる子供の幸運や不運。
ありとあらゆる選択肢やら、偶然の産物、母体の好き嫌いやら、避妊やら中絶の危機まで乗り越え、さらに胎児は遺伝的な作用も受けつつ、やっとこさなんとかさと、この世にどの子も赤子として産まれ出る。
生まれながらに、産まれるまでの環境が全くそれぞれ違うのだ。
1人として生まれながらに同じ子供なんかいないのは当たり前だのクラッカー。
だがクラッカーであろうと、俺は、適正さえ見極めその子なりの適正に合わせた教育さえ子供にして上げることさえ出来たのなら、どの子であろうとも絶対に良い子になれると信じている。
もしも、生まれながらのモンスターがいると言うなら、俺は俺が殺されようとも違うと叫びたい。
産まれた後の環境で子供が腐るのは親のせいであり、また、俺たち世間の大人のせいである。腐らせちまった子供達に謝らなければならない。
どの子も違う。
それが前提である。
その子なりにどの子も違う。
中には自己愛が強く、全能感が強い子供もいるだろう。
俺は子供の全能感の強さは、個性の一種だと思っている。
生まれながらに我が強く、扱いにくい子供がいるように、たしかに扱いにくい子供はいる。だが、扱いにくい子供ほど『鉄は熱いうちに叩け』なのである。