殺したいほど憎んでいる人間を殺すのは、殺したい人間の消滅や、相手への復讐が目的であって、人殺しはその手段にすぎない。
強盗殺人の目的はたいてい強盗であって、殺人は手段だ。
レイプ殺人だと少しめんどうで、レイプが目的で女に騒がれたから殺した場合なら殺人はレイプをする為の手段であるが、死んだ女にしか欲情できない男の場合ならば女を殺してレイプする事が目的となる。
個人の犯す犯罪では、人殺しそのものを目的とする犯罪は少ない。
なんらかの目的の遂行の為に殺人を手段に選ぶ犯罪の方が多い。
その点で考えるなら、敵軍の勢力を粉砕する事、敵兵の頭数を減らす人殺しそのものを目的とした「戦争」はとても罪深いように思える。
望んで人を殺す人間は少なく、目的の手段の為に仕方なく人を殺すのがほとんどだ。正当防衛による殺人もその一例である。
ただの個人にすぎない、たいていの我らは、タブーうんぬんを差し引いてさえも、なにか本能的に自分では責任の取りようもない取り返しのつかない事態を避ける傾向がある。もちろんそれが自己保身に繋がる事をなんとなく理解しているからだ。
どの個人も共同体に依存しながら、共同体からの復讐をなによりも怖れているので、罰せられるような罪は犯さないようにする。もしくは、犯しても隠そうとする。
だから、人殺しが目的の人間は、誰にもばれないように人を殺そうと努める。
人殺しを手段として殺人を犯した人間も、捕まりたくないと思って自分の罪を隠そうとする事では一緒ではあるけれども、決定的な違いは人殺しが目的か手段かという事である。
殺人そのものを目的とする、自己の快楽を求めての殺人。殺人が目的の人間は捕まらないように工夫して殺人を犯す。
警察なんかに捕まったら、なにより唯一の快楽を奪われてしまうのだから、絶対に捕まりたくなんかないだろう。
殺す事そのものが愉しくて、殺人を目的として人を殺す人間の心性は今の俺には良く理解できない。だが、何が楽しくて人を殺すのかを理解しなくてはならないだろうと思う。
死刑にされたいとか、世間をビビらせたいとかいうのが目的の宅間守にとって殺人はその手段にすぎず、人殺しがとくに好きなワケではなかったように思える。
強盗殺人の目的はたいてい強盗であって、殺人は手段だ。
レイプ殺人だと少しめんどうで、レイプが目的で女に騒がれたから殺した場合なら殺人はレイプをする為の手段であるが、死んだ女にしか欲情できない男の場合ならば女を殺してレイプする事が目的となる。
個人の犯す犯罪では、人殺しそのものを目的とする犯罪は少ない。
なんらかの目的の遂行の為に殺人を手段に選ぶ犯罪の方が多い。
その点で考えるなら、敵軍の勢力を粉砕する事、敵兵の頭数を減らす人殺しそのものを目的とした「戦争」はとても罪深いように思える。
望んで人を殺す人間は少なく、目的の手段の為に仕方なく人を殺すのがほとんどだ。正当防衛による殺人もその一例である。
ただの個人にすぎない、たいていの我らは、タブーうんぬんを差し引いてさえも、なにか本能的に自分では責任の取りようもない取り返しのつかない事態を避ける傾向がある。もちろんそれが自己保身に繋がる事をなんとなく理解しているからだ。
どの個人も共同体に依存しながら、共同体からの復讐をなによりも怖れているので、罰せられるような罪は犯さないようにする。もしくは、犯しても隠そうとする。
だから、人殺しが目的の人間は、誰にもばれないように人を殺そうと努める。
人殺しを手段として殺人を犯した人間も、捕まりたくないと思って自分の罪を隠そうとする事では一緒ではあるけれども、決定的な違いは人殺しが目的か手段かという事である。
殺人そのものを目的とする、自己の快楽を求めての殺人。殺人が目的の人間は捕まらないように工夫して殺人を犯す。
警察なんかに捕まったら、なにより唯一の快楽を奪われてしまうのだから、絶対に捕まりたくなんかないだろう。
殺す事そのものが愉しくて、殺人を目的として人を殺す人間の心性は今の俺には良く理解できない。だが、何が楽しくて人を殺すのかを理解しなくてはならないだろうと思う。
死刑にされたいとか、世間をビビらせたいとかいうのが目的の宅間守にとって殺人はその手段にすぎず、人殺しがとくに好きなワケではなかったように思える。