奥永さつき

日々のできごとをそこはかとなくつづります。

日本国憲法のこと

2017-05-03 17:08:55 | 社会
日本国憲法が施行されてから70年たった今日、護憲派、改憲派ともいろいろな見解を述べているようです。
積極か消極かの違いはあっても改憲を容認する国民が過半数を占めるような時代になり、護憲政党やマスコミは「踏ん張りどころ」といった感じでしょうか。護憲派と改憲派が同居しているという、およそ政党と呼ぶのは憚れる民進党なんぞは、「安倍政権の下での改憲に反対」などと訳のわからないことを言っています。

日本国憲法が占領下で制定されたから破棄してしまえという極端な意見もありますが、日本国憲法の正統性以前に、日本国憲法には自己矛盾している部分があるし、国際法との齟齬を生じていますから、それらを正すためにも改憲は必要です。

・国際法との齟齬
悪文と酷評される日本国憲法前文の
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」

保守あるいは右翼で、「平和を愛する諸国民」はどこにいるのだとバカにして、そんなものの「公正と信義に信頼」するのは能天気だと批判する人がいます。ただ、これは「読み」が浅い批判ですが、正しいとも誤りだとも決め付けることはできません。
この箇所は国連憲章の集団安全保障が機能して平和が維持されていることを前提にしています。国連憲章は国際の紛争を平和的に解決することを優先しますが、それが不可能なときには武力行使を認めています。
ところが、日本は憲法第9条で自衛以外の武力行使を認めていませんから、国連の武力行使には参加できません。戦闘行為がない場所で後方支援などと逃げざるを得ない。その態度に対する国際の批判は「日本は金だけ出して血や汗をながさない。」「平和活動には貢献せずに金儲けばかりしている」というようなものです。
国際平和を希求するといっても他国任せ。
そんな非難には反論しようもなく、日本国に対して誇りを持てません。
「平和主義」は日本国憲法の三大要素の一つなどと学校で習いますが、怪しいものです。

国連憲章(第51条)では、安全保障理事会が必要な措置をとるまでの間、個別的または集団的自衛権を認めています。
先に成立した安保法制では実効的な集団的自衛権行使にはなりません。これも憲法第9条の足かせです。

そもそも、国際関係は国際法の範疇なのだから、国内法である憲法に第9条は不要だという意見は説得力があります。

・「国民主権」の怪しさ
前々から書いていますが、「国民主権」の日本国の憲法第一章が「天皇」なのか意味がわかりません。形式上、「大日本帝国憲法」を改正したことになっているから、「大日本帝国憲法」第一章からの名残なのでしょうか。

 産経新聞は平成25年4月、現行憲法に代わる新憲法案として「国民の憲法」要綱を発表した。「日本国は先人から受け継いだ悠久の歴史をもち、天皇を国のもといとする立憲国家」と前文に記し、天皇を元首と位置づけた。(中略) 読売新聞は6、12、16各年に試案を出した。1章は「国民主権」とし、現行憲法で1章の「天皇」は2章に移行した上で元首と位置づけなかった。(産経)

「悠久の歴史」上、天皇が元首だったのは奈良時代までと明治から敗戦までと限られた時代で、ほとんどの時代は幕府の将軍などが元首だった。
自民党の素案にしても産経案にしても、「天皇=元首」が国民に受け入れられるのだろうか。読売の試案程度が無難な線だろう。

もっと言ってしまえば、徳川時代のほとんどの人(農民)は天皇の存在すら知らなかったわけで、それをいまさら「国民統合の象徴」といわれてもどうなのか。「天皇」条項を廃止し、税金を使うのではなく天皇シンパが寄付したって良いだろうといった極端な意見もあるのかもしれない。

だから、「国民主権」も怪しいといえばそうなのかもしれない。