奥永さつき

日々のできごとをそこはかとなくつづります。

ルソー、カント、ヘーゲル

2023-10-31 21:39:05 | 社会
Bertrand Russell, “History of Western Philosophy” のBook III Part II ch. 22(Hegel)まで読み進めました。
ドイツ観念論は意味不明なのですが、Russellがヘーゲル哲学の論理的誤りを一刀両断にしている箇所は見事というしかないように見えます。

Russellの譬え。
“At the present time, Hitler is an outcome of Rousseau; Rosvelt and Churchill, of Locke.”

“Do the citizens exist for the sake of the State, or the State for the sake of the citizens? Hegel holds the former view; the liberal philosophy that comes from Locke holds the latter.”


私の立場は各々、「後者」です。
時間もないので、ルソーからヘーゲルの書物にはあたらないつもりです。

「手術せずに性自認のみで戸籍が変更できる」は誤り【ファクトチェック】

2023-10-27 19:11:02 | 社会
検証過程
(中略)
今回の判決で違憲になったのは、4つ目の生殖不能要件だ。一方で、5つ目の外観要件については「更に審理を重ねる必要がある」として、広島高裁に差し戻した。
判定
今回の最高裁判決について「手術せずに性自認のみで戸籍変更が可能になった」という言説は、誤りと判定した。
あとがき
世界保健機構(WHO)などの国連機関は2014年、生殖機能をなくす手術を課すことは「人間の尊厳に反する」と共同声明を発表し、生殖不能要件や外観要件を撤廃する国は広がりつつあります。
(ファクトチェック)


男性器をつけた「女性」が女風呂にはいってきたら、怖がられるのは当たり前でしょう。
性同一性障害を有する人のうち「生殖機能をなくす手術を課すことは「人間の尊厳に反する」」と考える人はどれほどいるのか疑問です。生物学的身体に違和感があるのだから、手術で生物学的身体を変える方を選ぶと思いますが。
それにしても、面倒な世の中になりつつあるなと感じているから、そろそろ退場かな。


最近読んだ本(2023.9~2023.10)

2023-10-21 08:42:35 | 社会
イムレ・ラカトシュ「方法の擁護」新曜社、1986/6/1
概要
没後編集刊行された哲学論文集の第一巻の全訳。五章からなり、第一章「反証と科学的研究プログラムの方法論」が核となっている。この論文では
「科学の合理性を擁護するというポパー的立場を採りながら、科学の歴史に即した科学理解、動的な科学理解の重要性を認める点でクーンの問題意識を正面に受けとめ、『科学的研究プログラム』という独創的な方法論を展開している。」(訳者のあとがき)
感想
「前進的問題移動と退行的問題移動との間の境界設定という考え」は、後付けに過ぎないように思える。歴史を書く上では正しいのであろうが、まさに研究に携わっている研究者に「境界設定」を任せるしかないのであろうか。境界を「読む」能力も研究者の能力の一部かもしれないが。

科学哲学について広く知るために、

サミール・オカーシャ「科学哲学」岩波書店、2008/3/25
「一冊でわかる」シリーズの一冊なので、「科学とは何か」について、広範囲にわかりやすくまとまった本である。高校生程度でも理解できる良書と思うが、記憶に残る部分は少ない。

A. F. チャルマーズ「改訂新版 科学論の展開」恒星社厚生閣、2013/4/4
概要

What Is This Thing Called Science? 3rd Ed. の訳本。
副題の「科学と呼ばれているのは何か?」に応える試みとして、ポパーの反証主義、クーンのパラダイム論、ラカトシュの研究プログラム、ファイヤアーベントのアナーキズム、ベイズ主義的アプローチを詳述している。要約すると、
科学的推論に関するベイズ主義者の見解を失敗とみなすとすれば、科学的知識に特有のものは何であるのかということに関して、これまで行ってきたいくつかの特徴づけはまだ不十分であることになる。ポパーは、観察が理論に依存していること、および、理論が観察をある程度はつねに超越しているため証拠から理論を導出することができないということを強調することで、実証主義や帰納主義に対して諸問題を提起した。ポパーの科学観は、厳しいテストに耐えた理論が最良の理論であるという考えに基礎をおいている。しかしながら、ポパーの科学観は、テストに失敗に対して、背景知識の何らかの要素に対してではなく、理論に対して責任を負わせるべきなのはいつなのかについて明確な指示を与えることができないし、たまたまずっとテストに耐え続けてきた理論について十分に積極的なことを何もいうことができない。本論で論じたさらなる試みはすべて、理論依存性という観念をポパーがしたよりもさらに先に進めようとすることに関わるものである。ラカトシュは研究プログラムという考えを導入し、規約的ら決断によって研究プログラムが保持されたり拒否されたりするとした。例えばラカトシュは、見かけの反証に対して補助仮説を問題にし、堅個の核を構成している原理を守るといった決断がなされるとしている。しかしながらラカトシュは決断に十分な根拠を与えることができなかった。ラカトシュが挙げている根拠は、ある研究プログラムを捨て去り、別の研究プログラムを採用する決断をいつなすべきなのかを特定する根拠としては、どのような場合においても弱すぎるものでしかなかった。クーンは研究プログラムではなくパラダイムという概念を提唱し、ポパーの理論依存性よりもはるかに強いパラダイム依存性という考えを導入した。そのためクーンは、新しいパラダイムはそれに取って代わったパラダイムに対してどのような意味において改良となっているのかという問題に明確な解答を与えることに関して、ラカトシュよりもさらにずっとうまくいっていない。ファイヤアーベントは、理論依存性という動きをさらに極端にまで推し進めた。ファイヤアーベントは、科学のための特別な普遍的方法や普遍的規準という考えを全く捨て去り、クーンとともに競合理論を共約不可能と考えた。(p. 267~268)
感想
「科学とは何か?」に答える単純・明確な定義はないということである。
科学哲学は科学の歴史を殊更に強調して(あるいは一部誤解して)いるように思えるし、実際の歴史は現代の我々が持っている「感覚」と矛盾することはないようだ。
結局のところ、
物理学における進歩の重要な特徴は、新しい理論は先行理論の理論的予測の成功を再現できるだけでなく、先行理論が成し遂げた成功の度合いをうまく説明できるという点にある。光に関するフレネルの理論は、多様な状況下で光が実際に波動としての性質をもっているからこそ成功できたのである。光が多様な状況下で波動的性質を示すという事実は、現代理論の中で反駁されるどころか、より強固なものとなっている。同様に相対性理論の観点からは、光速にあまり近くない速度で運動しており、質量があまり大きくない物体に関する限り、空間を時間ともに物体から独立な容器として取り扱うことが、広範囲にわたる状況下で我々をさほど間違った方向に導くわけではないのはなぜかということを正しく理解することができる。物理学の進歩に関するどのような見方も、そうした一般的な特徴をうまく説明できる必要がある。こうしたことを成し遂げることができる立場を何と呼ぶのかはさほど重要ではない。(p. 343)

上記のラカトシュ「方法の擁護」の読後感はそのままであった。科学の進歩を遅らせる可能性はあるものの、それよりも似非科学を排除する必要があるから、(流行りではないようだが)ポパーの反証主義がよいと思う。

コロナワクチンのつらい副反応は「良いこと」だと示す研究続々、抗体レベルの高さに関連(National Geographic)

2023-10-16 20:22:43 | 社会
 新型コロナウイルスワクチンの副反応におびえる人々に朗報だ。最新の研究によれば、強い副反応はワクチン接種後にウイルスと戦う抗体がより多く作られていることを示していて、良いことかもしれないという。論文は査読前の論文を投稿するサーバー「medRxiv」で2023年10月6日に公開された。(中略)
 それでも、新型コロナワクチンは帯状疱疹ワクチンに匹敵する、最も副反応のつらいワクチンの一つだ。理由はまだ明らかになっていない。「mRNAワクチンの副反応については、未解明の点がたくさんあるのです」と、米ワシントン大学医学部のワクチン学者であるデボラ・フラー氏は言う。氏は現在、より苦痛の少ない、次世代のmRNAワクチンの開発に挑戦している。(中略)
 ワクチン接種後の抗体レベルに個人差があるのはなぜなのか、一部の人で痛みや発熱などの副反応が強く出るのはなぜなのかは、まだ明らかになっていない。「副反応が出なくても十分な予防効果が得られる人がいるのはなぜなのかもわかっていません」と、米プリンストン大学の感染症生物学者でウイルス学者でもあるアレクサンダー・プロス氏は言う。
 ドゥアム氏は、年齢、性別、ワクチン接種時点での感染症や疾患の有無などの要因が、副反応の強さに影響しているのかもしれないと考えている。
 プロス氏とドゥアム氏は、新型コロナウイルスに感染したときに重症化するかどうかには、「防御力を決める遺伝子」が関係していることを示し、2022年4月に学術誌「Cell Reports」に発表した。新型コロナウイルスに感染したときに、免疫系の複数のしくみをすばやく動かして、ウイルスを除去するのに役立つ遺伝子があるのだという。しかし、これらの遺伝子がワクチン接種後の副反応の個人差に関係しているかどうかはまだわからない。(National Geographic)


「副作用」が強い程、抗体レベルが高くなるというのは、当然ともいえる。
素人の疑問は、
・プロス氏とドゥアム氏の「防御力を決める遺伝子」が決定的(本質)ではないか? 本質と相関がある新型コロナワクチンの作用を議論しているだけではないのか?
・これらの遺伝子がワクチン接種後の「副作用」の個人差に関係しているのではないか?
・新型コロナに対する抗体レベルは、実は、プロス氏とドゥアム氏の「防御力を決める遺伝子」の作用による免疫系を測定しているのではないか?
・新型コロナワクチンによる(プロス氏とドゥアム氏の「防御力を決める遺伝子」が発現する) 「自然免疫系」への悪影響はないのか?

ワクチン未接種、新型コロナにも罹患していないものの戯言と受け取ってもらえればと思います。

最近読んだ本(2023.5~2023.10)

2023-10-14 20:37:50 | 社会
観念論ではなく経験論が正しいと思っている者としては、経験論の大御所の論文を読んでおく必要がある。日本語翻訳本は高価なので、英文で読むことにした。

J. Locke, “An Essay Concerning Human Understanding”(2023/5/15)
「人間悟性論」あるいは「人間知性論」と訳されるが、「悟性」では「悟り」のイメージが悪さをするから、「知性」が適切であろう。バートランド・ラッセルのロック評では、読者が混乱しないように論理を犠牲にしていることになるようだが、わかりやすい。

要約すれば、
「ロックの認識論によれば、われわれの心はいわば白紙(タブラ・ラーサ、羅:tabula rasa)として生得観念(innate ideas)を有していない。観念の起源はあくまでも経験であり、我々の側にあるのはせいぜいそれらを認識し、加工する能力だけである。そして、観念の起源は外的な感覚(sensation)と内的な反省(reflection)とに区分される。さらに、経験から得られたこれ以上分解できない「単純観念」からは「複雑観念」(様態・実態・関係)が複数の原子の結合から分子が作られるかのように形成され、我々の知識とは経験から得られた諸観念の結合と一致・不一致と背反の知覚であるとされた。」(Wikipedia)

「観念の起源はあくまでも経験」であるのかもしれないが、心が「白紙」ではなく、言語については、チョムスキーの言う「生得的な心的能力」がDNAに書き込まれているように思える。
一方で、現在わかっている脳神経科学を先取りしたような記述もあり、興味深い。

D. Hume, “An Enquiry Concerning Human Understanding”(2023/6/19)
「人間知性研究」
よく理解できなかったので、より初期の
D. Hume, “A Treatise of Human Nature”(2023/10/11)
「人間本性論」に当たってみた。Book I~IIIで構成されているが、”What is important and novel in his doctrines is in the first book” (B. Russell)で、”in the later portions of the Treatise, Hume forgets all about his fundamental doubts, and writes much as any other enlightened moralist of his time might have written” (B. Russell)は正しい。Book II, IIIは同じようなことが繰り返され退屈で、整理して書けば数分の一の量になるはずである。
Book Iの中で「因果関係」についての主張は
「一般に因果関係といわれる二つの出来事のつながりは、ある出来事と別の出来事とが繋がって起こることを人間が繰り返し体験的に理解する中で習慣によって、観察者の中に「因果」が成立しているだけのことであり、この必然性は心の中に存在しているだけの蓋然性でしかなく、過去の現実と未来の出来事の間に必然的な関係はありえず、あくまで人間の側で勝手に作ったものにすぎないのである。では「原因」と「結果」と言われるものを繋いでいるのは何か。それは、経験に基づいて未来を推測する、という心理的な習慣である。」(Wikipedia)
これには納得する。(物体を押したら動き出すというような)単純な物理現象を除けば、因果律があるのかわからない。無限能力のコンピュータでシミュレートすれば、世の動きを再現できるのかもしれないが、雑音や揺動により結果が異なる極めて複雑な非線形系では、因果律があるとはとても言えない。少なくとも「歴史」に因果律はないし、「歴史に学べ」は嘘である。

経験主義者・懐疑主義者としての立ち位置を明確するためには必読である。