いつものように朝ワイドショーを見てたら、盲学校の卒業生に毎年毎年オルゴールを送リ続けてる人がいるという話に出会った
それが実に51年間続いているという
そんなに続くってその人はいくつなんだろうかと思った
その人は毎年その時期になると「今年の卒業生は何人ですか?」という質問をしてくるのだという
だから施設側からしたらもしかしたらどこの誰かある程度分かっているのかもしれない
しかし、本人の意向を尊重してそれを公にすることはしない
僕らからしたらいやいやそれを送ってもらった卒業生からもそれが誰なのかは謎のままである
オルゴールはどんな役割を果たしているのだろうか
目の不自由な人にとってその音は僕らから見たものとは違う意味の物なのかもしれない
全ての人ではないにしても、受け取った側の心にはいつまでも残る物のようだった
途中から全盲になった人は、今はマッサージ師となり、送り主と一緒に歩いて、その人の体を楽にしてあげたいとそんな夢を語っていた
その人はもう90歳になる
次からは他の人にその送り主の座を譲るつもりだと言う
その意志によってそれはまだ続くのだ
こういうことが「徳を積む」ということなのだろう
癒しのオルゴール★ 「 YELL 」いきものがかり
今年はこの曲が選ばれたそうです
前にここにも書いたけど、僕もその真似事をしたことがあった
高校生の時に交通事故の被害者の話を聞いて、新聞社を通じて2000円寄付したことがあった
それは市民版に小さな記録として記してあった
そして弟を亡くした後、10代の終わりから数年間?だったと思うが
やはり新聞社の社会事業団を通して、最初は2000円からスタートしてやがて3000円を毎月送り続けたこと
白血病の研究費として・・・
チャンチャラおかしいでしょ
なぜ辞めたかと言ったら、当時愛知医大というところで汚職事件があった
その金額を見て目が覚めたわけだ
自分がいかに自己満足だけのために無駄なことどころか事業団の人には迷惑な仕事をさせてしまってたか
20代の中頃にそんなことを悟った
結局「徳を積む」ことはできなかったわけだ
一つのことを51年間続ける
しかもそれを喜んでくれる人がいる
ああ、徳を積むことの難しさよ
今更もうできない。。
ただ、僕には一つ今になっての小さな自己満足がある
それは白血病が克服できる病気になりつつあること
あの時僕が流した涙を流さなくて済む人がいること
それを望んでしてたことだから
自分の力じゃないのにねぇ(笑)
(↑雪文字)
それが実に51年間続いているという
そんなに続くってその人はいくつなんだろうかと思った
その人は毎年その時期になると「今年の卒業生は何人ですか?」という質問をしてくるのだという
だから施設側からしたらもしかしたらどこの誰かある程度分かっているのかもしれない
しかし、本人の意向を尊重してそれを公にすることはしない
僕らからしたらいやいやそれを送ってもらった卒業生からもそれが誰なのかは謎のままである
オルゴールはどんな役割を果たしているのだろうか
目の不自由な人にとってその音は僕らから見たものとは違う意味の物なのかもしれない
全ての人ではないにしても、受け取った側の心にはいつまでも残る物のようだった
途中から全盲になった人は、今はマッサージ師となり、送り主と一緒に歩いて、その人の体を楽にしてあげたいとそんな夢を語っていた
その人はもう90歳になる
次からは他の人にその送り主の座を譲るつもりだと言う
その意志によってそれはまだ続くのだ
こういうことが「徳を積む」ということなのだろう
癒しのオルゴール★ 「 YELL 」いきものがかり
今年はこの曲が選ばれたそうです
前にここにも書いたけど、僕もその真似事をしたことがあった
高校生の時に交通事故の被害者の話を聞いて、新聞社を通じて2000円寄付したことがあった
それは市民版に小さな記録として記してあった
そして弟を亡くした後、10代の終わりから数年間?だったと思うが
やはり新聞社の社会事業団を通して、最初は2000円からスタートしてやがて3000円を毎月送り続けたこと
白血病の研究費として・・・
チャンチャラおかしいでしょ
なぜ辞めたかと言ったら、当時愛知医大というところで汚職事件があった
その金額を見て目が覚めたわけだ
自分がいかに自己満足だけのために無駄なことどころか事業団の人には迷惑な仕事をさせてしまってたか
20代の中頃にそんなことを悟った
結局「徳を積む」ことはできなかったわけだ
一つのことを51年間続ける
しかもそれを喜んでくれる人がいる
ああ、徳を積むことの難しさよ
今更もうできない。。
ただ、僕には一つ今になっての小さな自己満足がある
それは白血病が克服できる病気になりつつあること
あの時僕が流した涙を流さなくて済む人がいること
それを望んでしてたことだから
自分の力じゃないのにねぇ(笑)
(↑雪文字)
たった一人の弟さんを想って共に歩んだ思いの丈はどこかで誰かの「生きる」になって、
克服できる病気になって嬉しく思いますよね。
今ね・・・夫は2ヶ月に一度東北大学病院へ行っていますが、
全く関連がなさそうなリハビリテーション科のボランティアで1週間の万歩計生活の記録を提出しています。
循環器科の受診の後、更に3~40分かかりますが、心電図の方もデータを提供するのです。
日々、3万ぽ近く歩く人間の記録が一般的かどうかが疑問で聞いてみたら、やはり、異常データの人がもう一人いるそうです(笑)
それでもいつか誰かのためになるかもしれないと、生かされてきたものに出来る恩返しを積んでいます。
不治の病が回復できる時代になって、それは多くの方々の涙の上に成り立ってきた努力でもあると思うのです。
かっつんの心の中にはもう十二分の徳がしっかりと積まれていると私は思います。
>目の不自由な人にとってその音は僕らから見たものとは違う意味の物なのかもしれない
全ての人ではないにしても、受け取った側の心にはいつまでも残る物のようだった
なるほど。
たしかに目の不自由な人にとっての音は、違うかもしれないですね!
かっつんはそこまで配慮ができるんですね。
たいしたものです。なかなか気付かないことです。
>自分がいかに自己満足だけのために無駄なことどころか事業団の人には迷惑な仕事をさせてしまってたか
20代の中頃にそんなことを悟った
無駄になっていないと思いますよ。
事業団の方にとって事務処理などたいへんだったかも知れませんが、ひとりの善意が多くの善意を生むことを知っていらっしゃるので、感謝されていたと信じます。
>それは白血病が克服できる病気になりつつあること
弟さんは残念でしたが、助かる方も増えてきたということはうれしいですね。
私の友達も40代で発病しましたが、今は元気で徹夜麻雀もしています。(苦笑)
いくら元気でも徹夜麻雀は如何なものかと思いますが。
私はかっつんのようなやさしさがないので、寄付はしていません。
それもあり、徳がないでしょうね!(苦笑)
自分のためじゃなくて、誰かのため
それも自分が知らない誰かのため
見返りを期待せずに誰かのために努力すること
・・・それは多分巡り巡って自分に帰ってくる
いや、直接自分にではなくて、自分の大切な人のところへ帰ってくることもある んだろうなぁ
そういう意味じゃ僕はもう十分に見返りをもらってるのかもしれません
そしたらやっぱ少しは徳を積んでたんでしょうか
そうやって思うと、僕らが今生きてるってことは前の時代の人の徳が生かされてるってことなんでしょうね
感謝しなくては
それにしても僕は虫が良すぎる
報われ過ぎかもしれません(笑)
優しい言葉をいただきました
ありがとうございます
誰でもわかるような配慮がしてありました
その送り主が選んだものがオルゴールだった
そういうことかぁ って
その曲は毎年違ってて、今年はいきものがかりの「YELL」だったそうです
https://www.youtube.com/watch?v=ZQSVVoOsMNs
そうだ今からこれ記事に張り付けよっかなぁ(笑)
やっぱりお知り合いの方で白血病を克服なさった方がおられる
自分は直接関係してなくても、その結果に勝手に参加してるような気がしてうれしいです
世の中には数々の病気があって、自分の一生に関わることのないそれもある
そしてその一つ一つにいろんな人が関わって・・
いくつかの病気が克服もされ、まだその途上にあるものもある
果てしないですね
僕はmasaやんのブログに癒されてますよ
それも徳の積み方の一つかもしれません
>僕はmasaやんのブログに癒されてますよ
それも徳の積み方の一つかもしれません
かっつんのこの言葉を頂いてから、いきものがかりの「YELL」のオルゴールの音を聴きましたら、なんだか泣けそうになりました。
いきものがかりの女性ボーカルの子の声も癒されますが、オルゴールの音(ね)も癒されますね。
オルゴールと言えば、中学生の頃小さな携帯用のオルゴールを松坂屋で買ったことがあります。曲は「バラ色の人生」でした。
中学・高校とバラ色の人生ではなかったですが。(苦笑)
かっつんのやさしさに感謝です。
いつも一生懸命仕事をなさってるmasaやんと奥さんの絶妙な掛け合いは自然に口角が上がってしまいます
それを実にうまく表現されてると思います
いつもそのことをみぃに言うんですが
「そんなら実際に会ってみたらいいんじゃない?」
とまた今日言われました(笑)
松坂屋、小さい頃しょっちゅう屋上に連れて行ってもらってました
一週10円の車に乗るのが大好きで
1回10円のくねくね道がやってくるドライブゲームをやってました
楽しかったです