木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

異国の丘 

2020-10-04 00:54:30 | 音楽
音楽の時間が大っ嫌いだった僕が流行歌に興味を持つようになったのは小学6年の頃だった
調子っぱずれで僕が歌うといつももっちゃんに大声で笑われた
でもそのもっちゃんを黙らせたのは野球部の集まりで長島温泉へバスで遊びに行った時だった
植木等の「スーダラ節」だ
ちょっとだけ自分なりにものまねの要素を織り込んで歌ったら大受けした。
別に上手かったわけではなく小学生がこんな歌を歌ったことが受けたんだと感じてはいた
でも唱歌ではなく流行歌が少し好きになった。

そんな頃一世を風靡していたのが御三家 橋幸夫 舟木一夫 西郷輝彦
それに加えて四天王の一人 三田明がいた。
僕は舟木一夫(コロンビア)も西郷輝彦(クラウン)も大好きだったけど、ビクターの星 橋幸夫と三田明は「好き」以上の尊敬の対象のような位置にいた。
その二人の先生が吉田正という人だった。
昨日録画しておいた「昭和の巨星スペシャル 吉田正」を見た

吉田正は戦争で満州にいた
その地で「昨日も今日も」という曲を作って戦友たちと歌っていた。
終戦を迎えてソ連軍の捕虜となり昭和23年まで生きるか死ぬかの苦しい抑留時代を経験する
8月に舞鶴港へ帰還する
巷では「異国の丘」という曲が流れていた。
佐伯孝夫という人が詞を書き直していたが作曲は「詠み人知らず」
あの曲は正しく自分の書いた曲
もどかしさと誇らしさの両方を感じたのだが
手書きの楽譜などはすべて没収され、自分の曲だという証拠はない。


異国の丘 三浦洸一 三田明 橋幸夫


そんな思いでいるときに朗報が届いた
戦友だった一人の手帳が公開されたのだ


「異国の丘」ならぬ「昨日も今日も」の譜面 そのメロディラインは正しくあの「異国の丘」だった

吉田正とある。

もしこれが見つからなくてもきっと吉田正という人は世に出て戦後の歌謡界で活躍されたのだろうが
この発見によってそれが早まり、三浦洸一 フランク永井 松尾和子 マヒナスターズ 橋幸夫 三田明 そして吉永小百合の存在が確固たるものとなったのだろう。
僕自身も恩恵に与った一人と言っておく。
昭和 良き時代。 まさか「異国の丘」でブログ書くことになるなんて思いもしなかった。
乾杯乾杯・・・
コメント (4)
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