木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

ドラフト前夜

2018-10-25 01:12:53 | タイムマシン
あくまでも井の中の蛙の話として・・

プライベートでも友達と遊ぶのは野球だった
学校の前の小公園で集まって12・3人くらいかなぁ
そのくらいで雑草の茂ったグランドでやったまさしく草野球
ソフトボールを使ってた
あのデカい奴じゃなくてもう少し小さいボール

まずチーム分けから始まる
同じくらいの力量の二人がまず選らばれてジャンケンをする
A君とB君とする
まずA君がジャンケンで勝つと自分のチームに引き入れたい人を指名する
次にB君が誰かを選ぶ
またジャンケンしてB君が勝つとB君が誰かを選んで自分のメンバーにする
次はA君が選ぶ
言ってみればちょっとしたドラフト会議だ
さてここが井の中の話だが、第一回戦で勝った子が僕を選ぶ確率が多分70%くらいだったと思う
これはもしかしたら当時の友達に聞いたら違う結果になるかもしれないが
僕の記憶ではそういうことだ
大抵その次の指名されるのも決まっててG君が多かった
どう転んだのか 僕とG君が同じチームになってしまった時はほとんど楽に試合が出来た 記憶がある
実はG君はいわゆる優等生で勉強も運動も非の打ちどころのない子だった
これも井の中の話には違いない

5年生になった僕は晴れて一軍選手 それもいきなりレギュラーに抜擢される
草野球ではサードを守っていたが、野球部ではセンターだった
その時同級生の西村君はレフトの守備に就く

今野球放送はセンターから中継しているが当時の中継はバックネット裏からのそれだった
だからいつも見てるのと違う角度から 自分達の野球を楽しめた
最初の試合は 9番センター かっつん  から始まった(7番レフト西村)
初めてバッターボックスに立った時は足が震えた
なんとそれを相手のキャッチャーに見破られるという醜態をさらす

「おいおい、こいつ足震えてんど~」

「うっせー 黙っとれ! このクソキャッチャー」と大声で言い返した・・心の中で。。 



初めての試合は三振とフォアボールだけだった。。
コメント (2)
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