木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

ボケ

2011-12-26 23:50:23 | 忘れる
宝田明のお爺ちゃんは見事な演技だね
今日の「カーネーション」を見てて、親父の晩年の晩年を思い出してしまった
いや正確には僕の親父はボケまではいってなかった
昼間は普通の親父のまま最後までいられたと思う
ただ夜中になるとどこかおかしくなる
ナースコールを何回も繰り返して訳のわからんわがままを言った
それで長いこと入院していた病院から退去勧告をもらってしまった
ただし夜中に家族が付き添いをするなら大目に見ると
それで廃科になった産婦人科の診察室として使ってた部屋を割り当てられた
広いんだけど窓がない部屋
その真ん中に一つベッドが置かれ隅には僕ら家族が付き添う簡単な寝床がある
母親と僕と2人で交代で付き添った期間は2か月弱だったか
ほとほと疲れてしまった
寝させてもらえればまだいいけど1時間なり2時間たつと呻きだす
別に苦しい何かがあるわけじゃないようなんだが 自分ひとり寝かせないぞ と言わんばかりに攻められた
それで老人病院への転院もそこから解放されるというだけで僕とは母は胸をなでおろした
それは介護で苦労されてる人たちには申し訳ないことだが
当時の僕らにとっては限りない負担だったわけだ

昔のことを振り返ってみると祖父は家族の中で3年くらい寝たきりだった
それでも頭がおかしいと思ったことがなかった
いつでも一緒にいた祖母の目にはどう映っていたのか知らないけれど
だんだん弱っていった身体とともに頭も休んでいった感がある
祖母の方は病気が発覚して入院して1か月もしないまま逝ってしまった
だから呆けることは全くなかった まだ64歳だったし

最近は医療技術が発展して昔ならボケる前に命が無くなってしまってたということなのかもしれない
生きること、元気に生きることが誰もが望むことなんだけど
元気に生きられなければ とくにボケて周りの人たちに迷惑をかけるくらいなら
早く召された方が幸せだ それは母の口癖でもある
僕もそう思う
母は決して延命措置はしてくれるな という
実は父親が老人病院に入るとき 担当医に聞かれた
延命措置をご希望ですか? と
もう答えは用意していたのだが敢えて
僕と同年代らしき女医さんに僕の方からも問いかけた
先生ならどうされますか?
「助かる可能性があるなら勿論しますが そうでないのならしません」
そうしてください と言った
だから最後は「ご意向に従った措置をしました」で終わった


ボケに関しては無理やり医学の発展のせいだとこじつけたけれど
まだまだ必要な発展はある
その恩恵を受けながらこれからもう少し人生を楽しませていただくつもりです
ありがとうございます

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする