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木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

差別するということ 2   岡林信康「手紙」

2009-05-15 19:07:37 | Weblog
昨日の話の続きもある

「破戒」とか「橋のない川」って知ってますか?

小学校の同級生には在日朝鮮の人がいて 中学に入るといわゆるの子たちがいた
4つの小学校がひとつの中学にやってくるがそのうちの一つの小学校はその人たちばかりの学区だった
ちなみに今は統合されてその小学校は姿を消した

これはまた典型的な差別される地区の人たちだった
でも中学に入ったばかりの僕はその地区がどうして嫌われてるのかがよく分からなかった
実を言うと今でも明確な差別の根源のその意味は知らない
知りたいとも思わないし・・

ただここだけの話・そこに住んでる人たちにはその雰囲気らしきものがあった
言葉づかいや行動
「あ、そこの人なんだ」って
そんなこと言うべきじゃないかもしれんけど 本当のことだ
多分それが分かってしまうから また差別の対象になってしまってるんだろう
なかには そこにいても全くそれを感じさせない子もいたけれど

感じたのはその地区同士で親戚が多い
裏返せば結婚するのに他の世界に出て行きにくかったのだろう
偏見かもしれないけど何となくそれを感じていた

他の学年は知らないけど例えば成績に関しては上位にいる子はほとんど覚えていない
よくて普通・・・かな?偏見が混じってないとも限らんけど
運動は優れていたと思うし美術の力が飛び抜けてたのが一人いた
こんな事書くこと自体がタブーかもしれん

中学生の頃の僕は当たらず触らずの精神だったが 自慢じゃないんだが・・
クラスの僕より成績のいい奴がなぜか生徒会の役員になったりして
よく繰り上げ当選のかたちで学級委員長を命じられた
3学年前後期6回中4回・・
そうすると当たらず触らずでは立ち行かない
必ずみんなと接しなくてはならない

彼らとうまく付き合うことができるだろうか
前にも書いたけど 僕には野球があった
小学校の時彼らの小学校と試合をしたことがあった
かなり強いチームだったけど一つの弱点を徹底的に突いて僕らが勝ったんだ
彼らは今この中学では番長クラス
そいつらは僕に一目置いていてくれた
だからラッキーなことに僕についてはトラブルは何もなかった
むしろいつも力になってくれたくらい

小学校からこの中学に入る時 よく脅された
あそこへ行くと暴力は受けるし 金をたかられる  って
つまりその地区の生徒にだ
それも杞憂に終わった


卒業してしばらく後 その地区の解体が始まった
古い集合住宅を解体して新しいマンション風の市営住宅を建てる
14階建て 何棟 10階建て 何棟・・・
そうしてここはきれいに生まれ変わった

・・・・でも 建築中他の地区に移ってそのまま住んでしまえばいいのに
また多くの家族が戻ってここに住む

散らばってしまえばもう普通の市民になれると思うのに
戻ってきてまた差別される地区の住民になる
不思議でたまらない
親戚家族で一緒にいたいから? 住居費が安いから?
もともと住んでる地区以外差別される理由の乏しい人たちなんだから離れちゃえよ



この地区にいて隣の小学校に通っていた僕の親友は
今は違うところで住んでいる
40年以上付き合ってるけど この地区にいた理由は聞けないままだ
それでもそれは関係ない 彼は彼だし


んなつもりじゃなかったけどこれって自慢日記か? すまね



その結末では・・・
岡林信康「手紙」

これは悲しい結末だから、資料には使えない
同和問題に接してる先生にそう言われたことがあった

コメント (12)
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