一生懸命生きてるのになんで自分は報われないんだろう
さだまさしの噺歌集CDのなかにそんなフレーズが出てくる
そして歌のなかで もっともっと頑張ってるという人の存在を知らせば
もしかしたら報われない自分を許すことができるのかもしれない
そのために歌う・・・と
「償い」という有名な曲がある
この曲は初めからそんなに人に知られていたわけじゃない
2001年にあった三軒茶屋の喧嘩殺人の加害者の少年二人に
翌年の裁判で裁判長が本当の反省が足りないとみた彼らにこの曲を聞きなさい
と言ったことが報道されて一気に人に知られるようになった
知らない人のために・・
償い 「主 文 被告人両名を懲役3年以上5年以下に処する。」
さだの知り合いは被害者の奥さんの方だった
その人はお茶お花の先生をしてて ご主人を事故で亡くした後なんとか自分で生きるめども立って
加害者の手紙を読む苦しさから逃れたいこともあって
初めてもうお金を送ってくることをやめてほしいと手紙を書いたという
でも・・それでもお金は送られてきたという
その状況によく似た実話を僕も聞いたことがある
うちのお客さんだった人で小さな仏具店を経営してた人
そこの息子が加害者になった
一車線の道路に横断歩道があった
対向車線は渋滞
彼はその横断歩道に意識が行ってなかった
はっと気づいたときに渋滞の車の間から飛び出した
横断歩道上の小さな女の子を・・・
双子のうちの一人のその女の子は逝ってしまった
彼は保険には入っていたから 毎月お金を送ることはなかったようだが
毎月命日にその女の子の仏壇にお花を供えに行っていたそうだ
毎月毎月顔を出すお兄ちゃんに何も知らないもうひとりの女の子が懐いてゆく
ついに相手のおかあさんが
「鬼頭君、 もういいんだよ
毎月 毎月 来てくれなくても」
そう言われたんです
ってその彼のお母さんから聞いた
僕もまだ若い時、人の話に涙することなんかほとんどなかったのに もらい泣きしてしまった覚えがある
謝罪すること
許すこと
こんなに辛い結果が伴っていれば どちらも並大抵なことじゃない
はたして自分にできるのか
人間の価値っていったいどこにあるのか
地位や名誉だけでなく 世間の誰もその名前さえ知らない人の中にそういう価値を密かに持っている人がいる
間違う生き物人間
その時どんな行動を起こせるか
そこでその価値は決まる
忘れたくないもんだね