木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

差別するということ

2009-05-14 18:29:21 | Weblog
日本という国は比較的差別ということが少ない国と聞いたことがあるのだが
残念ながら日常生活の中にそれはググッと頭をもたげてくる
僕自身それはいいことだとは思ってないから自分はしてないつもり・・
 でもこんなことがあった


小学校から中学にかけて同じ学年の女の子
この子はうちのワンブロック離れただけ 近くに住んでいた
その一角には在日朝鮮人と言われる人たちが何家族か寄り添うように生活していた

これだけ言えば状況がつかめる人も多いだろう
彼女はクラスメイトによく「朝鮮人」と呼ばれて苛められていた
僕らの子供の頃はいわゆる陰湿な苛めと言われるようなのはなかったと信じてる
でも彼女は時々心ない人のその言葉に沈んでいたのは間違いない事実
「朝鮮人じゃないもん」と言っていた彼女はおそらくやはり 在日と呼ばれる人の中の一人なのは確かだった

僕はその呼ばれ方をされた彼女がどんな気持ちだったのか知る由もない
知ってる限りではその呼ばれ方をする時以外、彼女がいじめられてるのを見たことがない
案外平気だったのかもしれない
勿論僕は一回も彼女のことを「朝鮮人」と呼びかけたことはなかった
でもあまり成績のいい子じゃなかったということで尊重もしてなかったと思う

やはり近所に在日の人たちが住んでいるということはその周りの人間は自分たちと区別したがる
だから恥ずかしい話だが うちの中では「朝鮮の人」という特別な人らしい言い方はしょっちゅう耳にしていた
でもちょっと利口ぶってるかっつん少年はそのことを外には出していなかった
実際自分では差別してる気はなかった つもりだった


でも・・・大人になってからのこと
学区内の友達同士で野球チームを作って楽しんでいた
ある試合が終わってみんなで食事に行った時
メンバーの小太郎が
「かっつんってさぁ 韓国の人だよね」
と言った
僕はその時 放心状態になった
近所に在日の人たちが住んでいたから僕の家もそうだと彼は理解していたようだ
別に差別なんかしてないつもりのその国の人と思われてるのがわかって すっごいショックだった
「それ誤解だよ」という言葉さえその時は出せなかった

つまり逆に言うと僕は在日韓国人朝鮮人の人たちを差別してたんだろうか

もしかっつんってフランス人? って言われたらここまでショックではないんだろ
ま、顔が完全に完璧に違うからそうは言われないけどね


無意識のうちに差別している
恥ずかしい自分がいるのが分かった
周りの人を非難できるわけない

20歳そこそこの頃の思い出だ

今も取り立てて差別してるつもりはない
例えば子供が外国人と結婚したいと言っても反対しないだろうとか(娘が外国へ行っちゃうのはダメ)
自分では理解ある人間だとは思っている  でもその深層心理の中にそれを覆すものを持ってるのだろうか
   それはわからん
コメント (16)
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