木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

何故、舟木一夫

2009-04-04 22:55:10 | Weblog
母親(ここではポタージュと言われている 何故そう呼ばれてるかと気になって暇のある人はこちらをどうぞ)
が三人目の子、弟を産んだときほとんど親父は病院へ来なかった
毎日のように来てくれたのは 今僕と一緒に働いてくれてる職人さんだった
ポタはS6年生まれで職人さんは15年
看護婦さんに「あの人がご主人?」って聞かれた
この話を僕は昔からずっと聞かされている
もう100回くらい聞いてるじゃないか
でも一応全部聞いてから 知ってるよ と言ってやるんだけどね
  歳とると同じ話を何回もする
それを分かってるから一度日記に書いたことはなるべく書かないようにしてるけど
でも割合新陳代謝が激しい読み手さんだから話しが重なること許してもらおう


小学生の時、高学年だったとおもう
当時の御三家は 橋幸夫 舟木一夫 西郷輝彦 
もし四天王という言い方をすればそれに 三田明が加わった
愛知出身の舟木一夫を特別応援してたわけじゃないけど
その時いいアルバムが発売された
2枚組で「高校三年生」から最新ヒット曲「友を送る歌」まで網羅された
「ひたむきな青春」2000円 だった
2枚組で2000円? やっすぅ と思うかもしれないけど当時のドーナツ盤は330円だったから特別安いわけでもない
当然僕の小遣いをチョチョチョイと出して手に入るものではなかった
何ヶ月か貯めて絶対買おうと心に決めた
そしてそれが実現する直前に事件が起こった
正確には事故なんだけど

まだその日のことははっきり覚えてる
夕方自宅の電話が鳴った
母親が話してる・・相手は父だった
「事故を起こした? 相手は? 大丈夫?」
その普段からは考えられない声を聞いて 祖母は仏壇に向かって線香をあげ手を合わせた
「どうぞ相手の人が大きな怪我でありませんように」
そう呟いたのを聞いた

その時僕は何と思ったか・・
もうレコードあきらめてもいいよ
僕のお金もその人のために使って

今から思ってもけなげなことを思っていた

でも不幸中の幸い 入院した相手はそれほど長い療養生活を経ずに社会復帰をされた


僕の手には「ひたむきな青春」があった
むちゃんこ嬉しかった
そのあとラジカセ買ってもらったり高級ステレオ・テレビ・ビデオ 車を手に入れた時よりも
その時のレコードを手にした時ほどうれしかったことはない

手に入れてからその何年か前の曲「仲間たち」を知り「君たちがいて僕がいた」を実感した
だから 舟木一夫 が出る
すまんことだが 彼が出る



コメント (18)
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