木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

リクエスト

2009-03-12 18:27:21 | タイムマシン
僕のタイムマシンは酷使してるみたいで老朽化してるわりにはしょっちゅう出番がある
もう面倒だから乗ってよ とかそういう言葉使わなくなっちゃったわけ
で、察してね


うちで仕事をし出した頃まだ開局して間もないFM局をよく聞いていた
午前中当時の放送のターゲットは主婦層だったみたいで生活のあれこれの話題をちょっとおしゃれな感覚で紹介していたものだ
そんなのを18・9の僕はいつも聞いていた
月曜から金曜まで毎日違う、ちょっと大人の女性が担当していて僕のお気に入りは金曜日
すまして話しかける木曜までの人と一味違うちょっとばかりじゃなくて完全に大人のMKさんだった
時々葉書を書いて ごくたまあに読んでもらった 
ラジオから自分な名前が流れると ドキドキする
仕事してる手がちょっと震えた
高校生の頃から深夜放送をよく聞いていてそこでも名前を呼ばれたりしたことはあったから
それはそれなんだけど
MKさんは変わっていた
僕に葉書をくれるんです
今度こういうことを放送するから聞いてね とか
今までの雲の上のDJさんとは違う
僕はますます彼女のファンになった


ある日僕は調子にのった
「今度放送してるのを見学に行ってもいいですか」
そんな葉書に快くOKの返事を貰った


大人の女性ですからね
僕はまだ女性と言うものを知らない時です 色んな意味でですが ご想像にお任せします いやん(カルルン風)
彼女はもう結婚してるし小学校へ入るか入らんかくらいの男の子の母親でした
はっきり覚えてないけど 当時僕はもうそのあたりまで知ってたと思う
だから正直女性を意識してのことじゃなくて憧れみたいなものだったかなぁ


それで初めてその放送局へ行ったやっぱりきれいな人だった
でもおかあさんの匂いもした
僕に接してくれた時の顔と違って放送中は真剣な顔になる
そのギャップも素敵だったなぁ


その後知ったこと
彼女の旦那さんは僕が高校生の時に聞いていたミッドナイト東海という深夜放送のDJだったのだ
どうも苗字が同じなので怪しいと思っていたのだが。。
だからまた近づけたような気がした


そのあとしばらくして 
「うちへ遊びに来ない?」って言われたのです
彼女と言うかその一家は岐阜の柳ケ瀬という繁華街の近くにあった
何故声をかけてくれたのか今も分からないんだけど 色っぽい話じゃないよ
そこにはおばあちゃんもいたし息子もいたし
その、僕が聞いてたDJであった(この頃はディレクターになってた)旦那さんもいた
そこへ一人で遊びに行っちゃったよ
緊張したけど楽しかったよ






名古屋ではずっと昔から 3時になると  大須ういろ 大須ないろ ってコマーシャルが流れた
この声が彼女の声だった
だからそのあともずっと彼女の声は僕の心の中に残ってるんだなぁ・・・


3月12日はあの人の誕生日だったはず

  おめでとう    と思った


何年の3月12日かは知らない
僕よりそこそこ上としか
今、彼女の名前をググってみた
 何ページも出てきたよ
活躍されてるようでなんかうれしかった


 ありがとう



●憧れのラジオ・ガール / 南 佳孝







コメント (10)
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