スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
*禁無断転載

知人とストックホルム観光その2

2011-12-29 22:00:50 | スウェーデン国内観光
で、市庁舎のガイドツアーを聞きつつ今一度知ったこと。

1、上写真、以前にも紹介した黄金の間の首のない王様の絵であるが、
ストックホルム市庁舎その5
この絵には、もう一箇所深刻なミスがある。王様の下にある建物に注目されたし。スウェーデン王室のシンボルは3つの王冠なのだが、建物の上には2つしか王冠がない。一番上の王冠は同じく長さ不足で省略されてしまった様なのだ。日本で言えば菊の御紋章が半分になったような物で、当時はかなり問題視されたらしい。
2、下左、同じく黄金の間より。周囲はスウェーデンの歴史であるが、このプロペラを持った人は誰?と思ったらジョン・エリクソン(John Ericsson)
Wikipedia「ジョン・エリクソン」
である。船のスクリュープロペラの発明者(実際は3人が別々に同時期に特許を出しており、誰が本当のオリジナルとされるべきかはっきりしないらしい)である。スウェーデン生まれだが、研究環境を求めてアメリカに渡った。歴史に詳しい方であれば、南北戦争でのハンプトン・ローズの海戦を思い出されるかもしれない。このときの北軍のモニター艦を設計・作成したのが彼である。かなりのワーカホリックだったらしく、モニター艦の時は設計開始からわずか100日で完成にこぎつけたという。何故この絵で上半身が裸なのかは不明。
3、下中央、同じく黄金の間から。終生を戦争に費やしたカール12世である。ロシアのピョートル大帝のライバルとして知られる。大分強烈な絵である。
4、下右、鏡の間から。窓の反対側にはエウシェン王子のフレスコ画がある訳だが、窓の脇には漆喰彫刻がある。で、この彫刻は一切道具を使わず、指だけで製作されたそうである。地味ながら凄い。
5、設計者のラグナー・エストべリ(Ragnar Östberg)は今でこそ高名な建築家として名を残しているが、若い頃は数学の出来が悪く、学校で落第した事もあったそうだ。建築家が数学が苦手だったのだ。人生分からぬものである。

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知人とストックホルム観光その1

2011-12-29 17:08:35 | スウェーデン国内観光
年末休暇を利用して知人がストックホルムまで来て下さった。有難い限りである。ストックホルム観光を一日ご一緒させて頂いた。
大体1日観光のコースとしては市庁舎
ストックホルム市庁舎その1
ガムラスタン散策、大聖堂、王宮の衛兵交代式、
衛兵交代式その1
ノーベル博物館でノーベル賞アイスを食べ、
ノーベル博物館その1
そして昼食をカフェジレット
ガムラスタンその2
ガムラスタンその3
そしてNKで軽くお土産を探したあと、トラムに乗ってヴァーサ号博物館
ヴァーサ号博物館
というパターンで一巡させて頂いた。大体これで9時から午後5時まで余裕を持って回れると思う。今まで自分で見て来た場所でも、また改めて見てみると新しい発見があるものである。衛兵交代式は写真の様に随分縮小版だったし、カフェジレットの位置は昨年と微妙に違っていた。
この方は日本の最新の「るるぶ」を持って来ていらしたのであるが、これで見るとヴァーサ号博物館が隅っこの方に小さく記載されていて、「もっとDeepに街歩き」というくくりになっている。要するに「時間に余裕があれば回ってみれば」という事らしいのだが、その知人の方もヴァーサ号を見て「これは一見の価値ありだな」とおっしゃっており、これは観光として外せないルートというのが自分の意見である。何はともあれ満足して頂いてこちらも嬉しい限りである。
今回の観光での写真は次でちょっとアップしてみる。
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電飾@Stockholm

2011-12-29 00:20:52 | 日記
クリスマスが過ぎても道の電飾はまだ外されていない。ストックホルム市内の電飾の写真を並べてみる。まだ日没は3時頃だが、逆に日没後の方が今は綺麗な時期かもしれない。皆様も今の時期にストックホルムに来られたら、ぜひ一回日没後に街を歩き回って見る事をお勧めする。

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