徒然なるまゝによしなしごとを書きつくる

旧タイトル めざせ、ブータン

ブータン人と宗教

2011年10月11日 | ブータン ライフ

 ブータンについて2週間になりますが、日本あるいは他のアジアの国々と違う面が色々と見えてきます。例えば外国人でもあまり値段を吹っかけないこと、お寺では本当に真剣にお祈りをあげている事、ゾンなどでは皆非常に礼儀正しい事、着物の乱れがあまり見られない事、街中に野良犬が多いこと、等々。これらの事柄やGNHを理解するには彼等の宗教観を正しく認識しておく必要があると思います。

 ブータン人の信ずる所によると、死ぬと魂は輪廻転生する。そこには6層の世界があり一番下は地獄、二番目は飢餓地獄、3番目は畜生界、4番目が人間界、5番目が半神半人界、6番目が天界、とあり人が生きている間に溜めた業・カルマによって魂は次にどの世界に生まれ変わるかが決まる。ちなみに仏陀は悟りを開いたが故にこの輪廻から解脱した唯一の存在である。全ての人は内なる仏陀を秘めており非常に高いカルマを得た場合は解脱することは不可能では無い。

 カルマは良い行いをすれば上昇し、悪い行いをすれば下降する。良い行いというのは他人に善行を施すこと、目上を敬うこと、仏を敬い真剣に祈る事、時にタクツアンの高みに苦しみながら参ることなどであり、悪い行いとは生き物を殺す、大食大飲する、嘘をつく、騙す、淫乱にふける等々です。ブータン人は常日頃からこのカルマの蓄積具合を気にしながら生きている。彼等も生身の人間ですから、時に外国人に値段を高く吹っかけてお金を稼いだり、大酒を飲んだり、淫乱にふけったりもします。しかし、もちろん死後畜生道に落ちたり、最悪地獄に行くのは嫌なのでカルマを上向き補正するために、お寺に行って祈ったり、マニ車を回したり、タクツアンの高みに上ったりするわけです。

 ちなみに、タクツアンには馬に乗っても登れますが、ブータン人に言わせれば自力で登らないとカルマは上昇しないばかりか、馬をいじめているので却ってカルマは下降する全く馬鹿げた行為だと言うことになります。

 彼等の行動規範はカルマの上昇にあり、少々あくどい事をしたとしても死ぬまでにそれを出来るだけポジティブサイドに持っていこうと祈ったり、善行を行ったりします。もちろん余りにも悪いことをすると取り返しがつかなくなるので、なるべく悪行は行わないよう極力努力します。

 ここで注意しておきたいのは、自分のために勤勉に働くことにカルマを上昇させる効果は無いということです。彼等の考え方では善行によりカルマが上昇すれば運はついて来て作物は勝手に良く実るようになり皆が幸せになると信じています。我々日本人がブータン人を見て誤解を起こしがちな点がここにあります。我々日本人は自助努力を旨とし勤勉は美徳と信じているので3Kを厭わず働き、5Sを守るようにブータン人に求めます。しかし、彼等にとってそんな事を幾らやっても、カルマは上昇しないので徳には為らないのです。

 とにかく、彼等の価値観あるいはGNHという発想は宗教を抜きにしては絶対に理解できないと思います。同時に、今のブータンの有り様の大きな部分は宗教が占めており、ブータンをブータンたらしめているのがチベット仏教なのです。ほとんどの現代日本人は無宗教に近いので宗教の占める規範力というものを見失っていますが、ブータンではそれが生きている。それが日本とブータンの根本的な違いでは無いでしょうか。

 


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3 コメント

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Unknown (TAXI)
2011-10-12 15:03:20
日本人は正しい哲学を学ばない、持っていないのが問題でしょう。 まあ哲学を宗教と呼ぶ人も居ますが。 「自分は何のために生きているのか」すらも問い詰めない日本人が数多く居ます。

インド哲学的には「そんなやつはほっとけ」になります、タマス(無知)はロバと同じだ、ロバは仕事の目的など考えない、尻をムチで叩かれたら仕事する、荷物を降ろしたらそこでボーっとして食事をする。 そうやって一生を過ごすような人間と議論するのは時間の無駄である、と。
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Unknown (まさ)
2011-10-12 19:50:13
私自身はブータン人が正しく日本人が間違っている、という様な事を言うつもりは有りません。出来れば第三者的視点に立って両者の違いを見られれば良いかなと思っています。文化の違いを知る、違いを認識する、と言う作業に興味が有ります。
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Unknown (TAXI)
2011-10-13 14:38:56
私も日本人ですからねえ(笑、チベット仏教と上座部仏教と日本の大乗仏教はその原点から既に別れてますから「仏教」とひとくくりにできないと思ってます。
日本は大乗仏教徒9000万、次が原始宗教でこれが主要宗教で、いずれも他力本願か自然崇拝思想であり、哲学が育たない土壌があるんではないでしょうか。 実は私もインドに住んで初めてインド哲学の面白さを知りました、それまでは哲学なんか考えたこともなかったもので。
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