徒然なるまゝによしなしごとを書きつくる

旧タイトル めざせ、ブータン

山本五十六

2019年11月17日 | 歴史

連合艦隊司令長官 山本五十六 半藤一利著 を読んで

 やって見せ 言って聞かせて させてみて 

         褒めてやらねば 人は動かじ 

と言ったのは山本五十六か

山本五十六は越後・長岡の人である。この本を書いた半藤氏も長岡の出身で同郷の英雄である五十六を非常に尊敬している。長岡藩は明治維新の際に幕府側についたせいで賊軍として討伐されていて、長岡の人はその後の明治政府から受けた仕打ちを根深く恨みに思っているらしい。そして、半藤はこう書いている ”西軍の末裔が太平洋戦争を始めて、国が亡びる寸前にまでしてしまったが、東軍の末裔が辛うじてこれを救ったのである。”と。

山本五十六はこの東軍の末裔として、非戦を徹底的に主張し開戦に反対し早期講和を目指した人であったと、この本を読んで初めて知った。

満州国が成立した後、日中は一触即発の状態にあり盧溝橋事件が勃発し日本は中華事変の泥沼に足を突っ込むことになる。この盧溝橋事件は日本の関東軍が中国侵略を目的としてエスカレーションさせたもので、停戦状態の中国軍に対し牟田口連隊長が独断で抗戦命令をくだし、事後報告をうけた河辺旅団長が無言のままそれを認可した、というのが真相らしい。この牟田口、河辺コンビというのが後にインパールで7万5千人の将兵を無策から白骨にした作戦責任者なのだ。

その後、日中戦争は日本軍が南京を陥落させ勝った勝ったとちょうちん行列で浮かれていると、毛沢東の八路軍と蒋介石の国民軍はどんどこ奥地に逃げ込んで、それを追う日本軍は都市は占領するが所詮点と線の占領で残る面の部分はゲリラの跳梁する中国側のエリアとなり、勝ってんだか負けてんだか良くわからない泥沼に足を取られた状況に陥っていた。

そんな中で欧州ではナチスが台頭してきて日独伊三国同盟を結ぶか結ばないか、喧々諤々の議論が続いていた。山本五十六らはこれを結べば米英と完全な敵対関係になることを恐れ海軍次官として徹底的に反対していたがナチスの電撃的な勝利を見た国民(衆愚)の国論には逆らえず同盟は締結され太平洋戦争へ突入していく。

そして真珠湾攻撃。これは山本が立案・実行した作戦だが戦術的には世界で初めて航空部隊を主力とした作戦であった。それまでは巨艦巨砲主義が主戦略であったのを180度転換した作戦で、結果として大戦果をもたらした。ちなみに、宣戦布告前の奇襲だとされているが山本自身は奇襲になる事態を恐れ何度も外務省に確認し宣戦布告後の開戦を模索していた。しかし、結果として外務省局員の英訳が間に合わず開戦二時間後に宣戦布告するという何とも間抜けな結果になりルーズベルトから散々卑怯な日本人というプロパガンダでアメリカ国民の戦意高揚を手助けする結果となった。

その後、ミッドウェー海戦での大敗北、ガダルカナル撤退など日本軍の負けが続く。エピソードとしてガダルカナルの激戦が続いている時期、戦艦大和はトラック島に停泊したままで作戦に加わらない。業を煮やしたガ島参謀がトラック島に怒鳴り込んでいくと海軍参謀から”実は燃料が無いんですよ”と言われ肩を落としたという話が書いてある。

山本長官は、作戦上捨て石になるラバウルを前線視察(実は全滅を前提とした別れ)に訪れ、そこから帰任する際に飛行計画を傍受した米軍のP38により撃墜され戦死した。

山本五十六という人は稀有な戦術家であり、日本軍にあって非戦を主張した数少ない軍人で、冒頭の警句にある人心掌握に優れた英雄であった、と