徒然なるまゝによしなしごとを書きつくる

旧タイトル めざせ、ブータン

トルコ イスタンブールに行ってきました

2019年09月25日 | 旅行

家内と5泊7日でトルコ・イスタンブールに滞在して街を散策してきました。いままで単独都市で滞在したのはパリで4泊したのが一番長かったのですが、今回は5泊で最長です。イスタンブールは古くは東ローマ帝国の首都コンスタンチノープルと呼ばれ、その後オスマン・トルコの首都となりアタチュルク革命後にイスタンブールとなる変遷を経て、イスラム的なものとキリスト教的なものが混在した実に奥深く魅力的な街です。

街は大きく分けてボスポラス海峡の東側・アジア地区と西側のヨーロッパ地区、ヨーロッパ地区も新市街と旧市街が金角湾で隔てられ、それを有名なガラタ橋が繋いでいます。

最初に泊まったホテルは旧市街にあるブルーハウスホテルでアヤソフィア寺院やブルーモスクに歩いて5分という便利な場所でした。夜に着いて翌朝人けの少ない時間に散策に出かけたのですが、いきなりの巨大モスクに対面してオーと息をのむような感じでした。日本の東大寺の何倍もあるようなモスクがそこら中にボコボコ立ってるんですから恐れ入ります。

モスクの内部は無料で見学できるのですが、今でも日に5回アザーンというお祈りの呼びかけを大音量で流し信者はメッカの方向に向かってお祈りをする場所なのでドレスコードが厳しく規定されています。といっても男は長ズボンであれば普段の格好で入れますが女性はミニスカートとかノースリーブは厳禁で頭にスカーフを巻かないと入れてもらえません。内部はカトリック教会のようなゴテゴテとした装飾は無くメッカの方向を示すミフラーブがあるだけでドームの広大な空間が広がっています。

イスタンブールの街を五日間ウロウロした訳ですが最初に出会ったのがこの猫

とにかく猫の多い街で至る所でニャーニャーやってます。野良猫なんだけど痩せてなくて毛並みが艶々してて綺麗な猫ばかり。街の人たちが餌をやってるところをシバシバ目撃しました、猫は人が近づいても全然気にしません、みんなが猫好きなんですね。ここの猫はオイオイとかシーシーとか言っても全然反応しません。ところがピシピシッと言うと全員面白いくらいにこっちを見ます。

僕が何でイスタンブールに行きたかったかというと、20代のころ月刊プレイボーイという高級エロ雑誌があって開高健の”オーパ”とかと共に、藤原新也の全東洋街道・オールオリエンタルロードという紀行を数カ月にわたって載せていて、その中の次の文章に引かれたのです。

”イシュケンベ・チョルバス ー羊の腸のスープー は羊の腸を茹でて、それをまな板の上で細かく砕き、大きな鍋にぶち込んで、多少塩味をきかせて煮込んだだけというだけの単純なものだが、これが妙に複雑な味を放つのは、腸の油脂の持つ独特のチーズ臭い匂いと、腸の中にこびりついている糞が茹でられて、その発酵成分が何かえらく老獪な酸っぱみを漂わすためである 腕前の良いコックは、ほとんど屈託のない笑顔で羊の腸をしごき、この腸の微妙な加減に手心を加えるという途方もない裏取引をやっている。”  藤原新也・全東洋街道 

これを読んで以来、いつかこのスープを飲んでやろうと思い続け、40年経ってやっと念願がかなった訳だが...

最初に行った店はタクシム広場のそばにあるLaleという小奇麗なレストランで、ここはこのスープが名物ということでガイドブックなどで紹介されている。早速オーダーして食した訳ですが、なんか違う... 味が上品すぎるのです。ウーン、まあこんなものかと自分を納得させようと思ったのですがなんとなく腑に落ちない。

ところがホテルをオリエンタル急行の終着駅であるシルケジ駅のそばのユーロスター・ホテルに替わってウロウロしてると、食べ物屋ばかり集まってる横丁があり、そのドン突き奥まったところのロカンタ・バルカンという店でとうとう本物に出会いました。

この写真左上のギトギトスープがそれ。老獪にして複雑、病みつきになりそうな奥深い味わい、40年間の思いが通じた気分です。このバルカンという店、客引きなど一切なしで繁盛してて安くて旨い(^ω^)/ 大体の観光場所のレストランで食うと二人で100リラ(約2千円)くらい、セブンヒルズの屋上レストランなんか本当に不味い料理をちょっと食っただけで160リラなんて取るのに、このバルカン様では上の写真の料理を指さしで選んで、二人で満腹になってたったの40リラ(800円)おまけに本物のイシュケンベに出会える稀有な存在です。イスタンブールを訪れたら是非行ってみてください、シルケジの食い物横丁のドン突きです。

食い物の話ついでにもう一つの名物、ガラタ橋のサバサンド

これも藤原新也 ”少年は油にすすけた顔の中の、幾分黄ばんだ目で私を見つめていた。少年の腕にはマッチ売りの少女が持っているような、手籠を何倍も大きくした籠がかかっていて、その中に揚げたブリの切り身がたくさん折り重なっている。ここトルコでも、冬のブリは寒ブリに違いあるまいと思い、私はそのひと切れをフランスパンにはさんだものを買った。寒気の中でその揚げ魚の切り身は温かく美味であった。私は夢中でその朝食を口に入れた。”

これが40年前の話だが、今ではすっかり名物サバサンドは岸壁につながれた船の上で盛大に焼かれ、皆の胃袋に直行している。

このサバサンドがあるガラタ橋は、土日は凄い人出でおまけに橋の上から竿を出して並んで魚釣りをしてる。

ガラタ橋から新市街に渡り、丘を登るとガラタ塔があり、

その上からはガラタ橋と旧市街が一望できる。

あと、グランバザールの迷路も圧巻 迷い彷徨いアラブを体感できます。

バザールに続く問屋街

魚屋もあります。

回る宗教舞踏 セマーも見ました

ローマ時代の水道橋、街の北西にあるベオグラードの森から市内の地下貯水池に水を引いている。

スレイマニエ・モスクの夜景

という事で、語るに尽きぬイスタンブールの旅でした。

 

追記;

藤原新也の40年前のトルコは、寒くて貧しくて薄汚れたトルコだが今は全然違う。これは中国でもインドでもベトナムでもフィリピンでも韓国でも起こっていることだが、日本をはじめ先進国と言われた国々が行き詰っている間に、水が高きから低きに流れるがごとく、これらの国々は人々の旺盛な欲望を満たすために発展し追いついてきている。ただ、見た目の豊かさの裏でごみ箱をあさる若者や、幼子を抱えた若いアラブの母親や老婆の物乞いの姿も見かける。発展と貧富の格差そして高齢化、人にその解決の手立てはあるのだろうか

 

 

 

 

 

 


西安 食べ物

2019年05月05日 | 旅行

これ、ビャンビャンメンと読みます。

西安はシルクロードの出発点で昔からの国際都市なのでウイグル族(回族)が多く住んでいます。このビャンビャンメンも、もとは回族の食べ物で回族の集まっている回人街に店が多く出ています。どんな食べ物かというと幅広麺で日本でいえばホウトウみたいなものです。

ちょっとピリ辛酸っぱいたれがかかっていて旨い。

回人街は西安の真ん中にある鐘楼からちょっと西に行ったところにあります。

夜行くと凄い人出\(^o^)/

最初の晩に行ったのが回人街の中ほどにある賈三灌湯包子館という店

ここの湯包子(小籠包)が旨い\(^o^)/

台湾の小籠包は一口サイズの点心ですが、ここのは肉厚な皮で食べ応えがあり、これだけで結構お腹が膨れます。中国人は食い物に執着心が強いので量も充分無いと満足しないと見えます。これ、お汁もたっぷりで本当に美味しいですよ。いろんな種類があり値段もとってもリーズナブル。

あと、回族といえばシュシュリーク(串焼き肉)ピリッとしたタレが付いた羊肉の串焼きで旨い。ビールが有れば最高なんだけどモスレムは禁酒なんだよなあ(´・ω・`)


中国 武陵源、西安の旅

2019年05月02日 | 旅行

10連休を利用して中国旅行に行ってきました。行先は、あのアバターのモデルになった張家界・武陵源と西安。

張家界は中国のほぼ真ん中に位置するまさに中国奥地。日本からは上海経由で9時間ほどかかります。因みに、五月連休は飛行機やツアーの料金が普段の倍くらいに跳ね上がるのですが連休直前の金曜日に出れば普段の格安料金でチケットを買うことが出来ました。

武陵源で二泊して山の中をウロウロしたのですが、あいにくの天気で霧が邪魔をしてあまり眺望は望めませんでした。まあ、霧の中に見える景色も山水画の趣があって宜しいかと....

しかし、中国に来るといつも感じるのですが奴らの感性は明らかに日本人のそれよりスケールがでかい。道路にしろホテルにしろ空港にしろ日本ではちょっと考えられないスケールで作ってしまう。やっぱり万里の長城や西安の城壁、紫禁城などを作り出した連中だね。武陵源にもそれにつながるトンデモナイものがありましたw

300mを超える絶壁にエレベーターを設置して観光客を大量輸送してる\(^o^)/ 作ったのはフランスだかドイツだかのメーカーらしいが、こんなものを作る発想は中国人にしかできないね。ただ、こんな究極の自然破壊を平気でやるところも中国人だな。

武陵源で二泊したあと西安に向かったのですが中国全土が大雨で夜の二時まで待った挙句フライトキャンセルになって航空会社の用意したホテルで朝まで過ごして翌日昼過ぎの便で西安に到着しました。

西安は秦、漢、唐、明など歴代の王朝が2000年にわたり維持してきた都で、周囲17キロにわたる城壁に囲まれた世界最大にして最古の城塞都市です。この西安の都からローマに続く道がシルクロード。インドに向かい16年をかけて経典を持ち帰った玄奘三蔵もここから出発し、ここに戻ってきた。(玄奘が苦難の末行きついて仏典を学んだインドのナーランダ大学遺構を訪れたときの記録がこれhttps://blog.goo.ne.jp/pgpilotx/e/56e10ee2a935540e573c1a8f68f6ab12 ) 空海や最澄が遣唐使の船でやってきて仏教を学んだのもこの西安(長安)の都ですね。

↓は三蔵法師の持ち帰った経典を収めた大雁塔

あと、西安といえば兵馬俑。1974年にある農民が井戸を掘ろうとしているとコチンと硬いものに当たって掘り出すと、とんでもない立派な俑が出てきて驚いた\(^o^)/ その最初に掘った場所がここ①の場所。

それではと、周りを掘ってみると出るわ出るわ、最初村人はこっそり掘って売り飛ばそうと思ったが、すぐに党幹部の知るところとなり北京から学者が飛んできて世界を驚かす大発見となったわけです。ちなみに最初にこれを掘り当てた爺様は今でも健在で土産物店をやってますw

これらの俑は全て違う顔をしていて、それぞれの兵士の等身大模写らしい。中国人はスケールもでかいが行動も自由闊達で皇帝に献上する俑なのに結構自由な格好で収めているのもある

以上、食い物編に続く これが読めたらエライ!

 


スペイン旅行 9,10日目 マドリッド 帰国

2018年05月24日 | 旅行

さあ、スペインの旅も終わりに近づいてきました。グラナダからRenfeでマドリッドへ帰ろう、と思いきやマドリッド・グラナダ間の鉄道は長い間工事をしているのにいまだに開通していません。それで、グラナダから一旦西のアンティキテラ(おお、あの古代コンピュータと同じ)までRenfe のバスで移動してそこからAVAに乗り換えます。

バスの車窓から見えた岩山

アンティキテラの駅は真新しいけど野原の真ん中で周りに人家は有りませんw

私はスペイン人に一つ文句がある それは旅人にあまりにも不親切な事だ 観光地に地図看板が時々あるが絶対に現在地点が書かれてない。それじゃどこにいるのか判らんだろーが 鉄道もアナウンスなんて全然なくていきなり無言で走り出す。ホームだって列車の停止位置や何号車なんて全く判らん 下の写真はスペイン人と一緒に電車を待ってたが到着列車はここから100mくらい手前に止まったので全員一斉に走り出したw ヨーロッパは大体こんな感じだけどスペインは一番ひどいね

ということで、マドリッドのソル広場近くの4っ星ホテルにチェックイン

広場にいた銅像人間 時々動いて女の子がキャって言うw

散々食べたハモン・サンド 安くて旨い 結局スペインで一番うまかったのはこれだね

マドリッドの街角をうろつく謎の台湾人w

空港にあった奇妙な日本語表記の店

ということで、長い旅も終わりです。北京経由で帰国  アディオス エスパーニャ!


スペイン旅行 8日目 グラナダ2日目

2018年05月24日 | 旅行

この日は、今回の旅のハイライト、アルハンブラ宮殿を訪れました。

世界的に有名な観光地なので宮殿内への入場は30分ごとの入場制限が行われていて指定時間に行かないと入れてもらえません。この時間指定チケットを入手するのが結構大変でWEBで入場月の3か月前の1日にアクセスしてやっと入手しました。下に並んでる人たちはそうしてチケットをゲットした人たちです。チケットは14€で、旅行代理店からも入手できますが5倍くらい吹っ掛けられます。

ここが、かの有名なアラヤネスの中庭

 

 細かい細かい彫り物がされた鍾乳石飾りの天井

アルハンブラ宮殿で一番古い建造物である貴婦人の塔

アラブ軍事技術の粋を結集した砦 アルカサーバ

フェネラリーフェの庭園

宮殿全景

まあ、こんなに内容濃くたっぷり見て飽きない場所って他にないんじゃないか、と思える素晴らしい建造物群と庭園と彫刻装飾です。壁や天井の細かいアラブ文様を見ると、人間の空虚を嫌い何かで埋め尽くそうとするある種の狂気・執念みたいなものを感じます。

ランチに食べたアラブ風コメ入りサラダ、さっぱりして美味かった。上に乗ってる白い豆腐みたいなのはチーズで、これが程よい塩味で抜群に旨かったな。

昼からはC2巡回バス(1.4€)に乗って町はずれにあるカルトゥーハ教会(Monasterio Cartuja)を訪れた。この教会は観光客もほとんど来ない静かな雰囲気だが内部は圧巻で、こんなに装飾が美しい教会は無いと言えるくらい素晴らしい。ここはグラナダの必見スポットです。

オレンジの生る中庭

グラナダ旧市街遠景


スペイン旅行 7日目 グラナダ

2018年05月22日 | 旅行

コルドバからグラナダへバスで移動、2時間半です。

スペインは右側通行

車窓の風景は相変わらずオリーブだけ 時々オレンジと牛の放牧

グラナダが近づいてくると雪を頂くシェラネバダ山脈が見えてきます。いままで意識したことが無かったのですがシェラネバダはグラナダと地中海の間にありスペイン最南方なんですね。そこに雪ってちょっと不思議な感じです。

グラナダはイベリア半島で最後に残ったアラブ王国でここを最後にヨーロッパはキリスト教化します。

香辛料の店

ランチを食べたアラブレストラン

食べたのはアラブ料理

グラナダはイベリア半島における最後のアラブ王国で1492年に滅亡します。この図は右側の馬に乗ったイザベル女王と負けて去るアラブの王様

さて、一言いいたいのですが。キリスト教徒から見ればコンキスタドーレス(失地回復)でアラブ放逐は正義の戦いとなるわけですが、ちょっと待てw 暗黒の中世と言いますが当時のキリスト教国は教会の権威ばかり強く、宗教裁判や魔女狩りが横行する野蛮な世界でした。一方アラブはどうでしょう? 

私が小学生の頃まで0,1,2,3,4,5,6,7,8,9の数字はアラビア数字と言ってました。そうなんです、ゼロはインド人の発明と言われていますがそれを使って2018などの今当たり前に使われている位取りによる数表記を確立して簡単に四則演算を行えるようにしたのはアラブなのです。数学だけに留まらず文学、哲学、地理学などの広い分野で暗黒の中世に学問の光を掲げていたのは実はアラブ諸国なんです。だからヨーロッパで一番古い大学はアラブ系のボローニャ大学なのです。

その文化の灯明たるアラブがここグラナダで最期を迎えます。1492年グラナダはイザベラ女王に降伏しアラブ王はシェラネバダを越えて去ります。そして、奇しくも同じ1492年コロンブスが新大陸に到着し、スペインの大航海時代が幕を開けるのです。

幻想的な夜のアラブ街

 

 

 

 

 


スペイン旅行 6日目 コルドバ

2018年05月21日 | 旅行

アラブ・コルドバ王国の首都だったコルドバに列車で移動。まずはホテルの真ん前にあるメスキータを見学。これが有名な列柱の間

このメスキータはキリスト教会とモスクが同居しているスペインならではの建造物で下の写真はメッカの方向を向いたカーバ

コルドバは花の街としても有名で街中いたるところで花を見る

ランチはコルドバ名物アヒージョ(冷たいスープ)とフラメンキン(肉巻きフライ)、イカのフリット

コルドバのアルカサル(王宮)も美しいが生憎月曜日は休館日で外からしか見れませんでした

美しい夕暮れのメスキータ


スペイン旅行 5日目 セビリヤ2日目

2018年05月21日 | 旅行

セビリア2日目 朝はセビリア万博の開かれたスペイン広場へ 建物というよりこの空の青さ

スペインでは街角で大道芸人やミュージシャンをよく見かける

これは違うけどねw

セビリアでカテドラルと並んで有名なのがメスキータ

美しいイスラム建築と庭

夜遅くまで人々でにぎわっている街角

僕はエビの串焼きで一杯


スペイン旅行 4日目 セビリア

2018年05月21日 | 旅行

この日は一旦マドリッドに戻りAVEでセビリアに向かう。

まずはパラドールでリッチな朝食です。この朝食、正規料金では19€(約2600円)するのですが昨日のチェックインの時19€は高いから止めとくと言ったら特別ディスカウントすると向こうから言ってきて11.5€にマケテくれました(´・ω・`) 

南部のアンダルシア地方は典型的な地中海気候で、冬に雨が降るが春から秋にかけてはほとんど雨が降らない。なんせ、目の前の海を隔てた向こうはサハラ砂漠だからね。そんなところで育つ植物はオリーブくらいしかない。車窓の風景も遥か彼方までオリーブの木しか見えない。

セビリアはイザベラ女王をスポンサーとしたコロンブスが新大陸に出航した地であり、その後の新大陸貿易権を独占し目もくらむような富を蓄積した場所である。ここには世界最大と言われる巨大なカテドラル(聖堂)がある。

カテドラル内部にある4人の王に担がれたコロンブスの墓

カテドラルの前にある古文書館には慶長年間に徳川家康がスペインに送った書状も展示されてました。スペイン人は日本に対してある(良い)特別な感情を持っているようです。

セビリアはフラメンコ発祥の地でもある。フラメンコという踊りはロマ族(ジプシー)のものでインドから流浪の旅を続けてきた彼らの、怒りと悲しみが込められた魂の叫びともいえる激しいものだ。僕らはカテドラルのそばの比較的小さなタブラオ(フラメンコ劇場)で初めてそれを見たがまさに鳥肌が立つような経験でした。

激しい踊りが一瞬止まる瞬間、歌舞伎の見得とおなじように静と動を美しく演じる。ギターの伴奏と木の箱で出来たドラムと歌 素晴らしい舞踏でした。

 


スペイン旅行 3日目 パラドール・デ・トレド

2018年05月21日 | 旅行

朝食後、観光客の居ない時間に細い路地を通って川に掛かる古い橋まで行ってきました。

それから対岸のパラドールへ移動。パラドールとはスペインの国民宿舎で古い城や家屋を改造してホテルにしているのですが普通のホテルより格上で、半年以上前から予約を入れないと部屋が取れません。とくにここトレドのパラドールは古都を見下ろす対岸の丘の上にありスペインでも最高のパラドールで、しかも眺望のある20部屋ほどのうち角部屋の417号室はトレドで最高の部屋、もっと言えばスペインで最高の部屋とも言えます。なんとその417号室に当たってしまいました\(^o^)/

 渋く決めてみたぞ

というのは一瞬で 明るいうちからトレドを見ながらワインを一本開けてしまった私です。

出来上がっちまったなあ

暮れなずむトレド 至福のひと時


スペイン旅行 2日目 トレド

2018年05月21日 | 旅行

2日目はマドリッドのプエルタ・デ・アトーチャ駅から列車で古都トレドへ、30分で着きます。下の写真はアトーチャ駅の待合、なんと熱帯植物園\(^o^)/

トレドはイベリア半島の中央に位置し、三方を川で囲まれ残りの一方は断崖絶壁の難攻不落の城塞都市です。長いスペインの歴史でこのトレドを抑えた者こそがスペインの真の覇者だと言われています。下はホテルのベランダから見たトレドの街並み

道は細く入り組んだ迷路

トレド大聖堂とその内部

聖堂にあるコロンブスが持ち帰った(略奪した)金400キロを使った神座

アラブ風モスクの中庭 スペイン文化の特徴は700年間続いたアラブ支配の影響を色濃く残してるところです。アラブ文化とキリスト教文化が融合して他にない複雑な味わいになっています。

ランチは名物パエリアとサラダ

ハムの切れ端とポッキーみたいな堅パン1€が意外と旨い

昼から乗った城壁の外周を回るソコトレインで事件は起きます(´・ω・`)

ソコトレインの後ろの座席にいた胡散臭い3人組のスペイン人(たぶんロマ)に家内の財布を掏られました。ただ現金は50€しか入ってなくてクレジットカードはすぐにカード会社に電話して止めたので被害額は7000円弱で済んだのは不幸中の幸い 観光客目当てにマドリッドからスリが出張して来るようで注意が必要でした。

気を取り直して夜の大聖堂

川の対岸に見えるのが翌日泊まる予定のパラドール・デ・トレド 

 

 


スペイン旅行 初日 マドリッド

2018年05月21日 | 旅行

スペインに行ってきました。北京経由でマドリッドに入りトレド、セビリア、コルドバ、グラナダなどのアンダルシア地方を回った12日間の旅でした。移動は下図で青線が空路、オレンジが鉄道、緑がバスです。

飛行機は毎度の中華航空・往復2万8千円\(^o^)/ 北京で乗り継ぎ9時間待ちがキツカッタ 朝の7時過ぎにマドリッドについてリムジンバス(5€)で市内・アトーチャ駅まで行って、タクシーを拾ってマヨール広場の近くのホテルにチェックインしました。

マヨール広場は旧市街の中心で周りを建物に囲まれた古い広場です。

広場を出てすぐのところにある公設市場が面白い

これから延々と食べ続けることになる生ハムの山 イベリコ豚の最高級ハモンセラーノ

オリーブや果物も山盛り

で、スペインで最初に食べたのがクロケッタ(コロッケ)中身がトロっとして旨いよ

何だかいきなり食べ物の話から始まりましたがマドリッドは見どころ満載 サンミゲル市場からトコトコ歩いて王宮とアルムデナ大聖堂へ

とにかくスペインの建造物はやたらでかいのが多い。過去、新大陸から収奪した富で贅をつくした遺物を立てたのだろう。聖堂内部から見上げるととんでもない空間が広がっている。

このあとホテルまで歩いて帰ったんだけど見事に道に迷ってしまいました。とにかく旧市街の道は迷路みたいになっていて方向感覚を狂わせる。戦略上わざとそうしているという話もあります。で、迷ったときはどうするかというと、逆にややこしい交差点などでその構成にぴったりはまる場所をジグソーパズルを解くみたいに地図上で探して、今いる場所を特定してホテルまでの道順を確定するわけです。しかし、言うは易し行うは難し 知らない土地を地図だけを頼りに歩くのは大変だーね

晩は名物トルティーヤ(スペインオムレツ)の店で夕飯食ってマドリッド一番の繁華街ソル広場周辺をブラブラ

晩はこの時期10時くらいまで明るいので 夜9時でもこの人出 スペイン人は宵っ張りなんだね

 

 


メタセコイア街道

2017年12月04日 | 旅行

そろそろ冬ですが、紅葉のメタセコイアを見に行ってきました。メタセコイヤ並木が2.4キロも続いている滋賀県マキノ町です。

結構な人出で道路の中央に出て写真を撮る人が多く、ミニパトが道路に出ないでくださいって怒鳴りながら走ってましたw 紅葉の時期も良いですが新緑や雪をかぶった姿も素晴らしいので、その時期にも再び訪れてみたいと思います。

帰りは、北近江リゾートの食べ放題バイキングレストランで名物大エビフライ、その他をたらふく食べてきました。貧乏性だから食べ放題だと、どうも食べすぎるな(´・ω・`)

メタセコイアの発見と普及

メタセコイア属(Metasequoia)は,三木 茂博士(1901‒ 74)によって,1941年に化石をもとに新属として設立さ れたヒノキ科の落葉針葉樹である.

1946年,中国湖北省の山村の神木とされていた針葉樹が,メタセコイア 属の植物であると同定され,胡先驌博士によりその生存 が発表された(Hu, 1946).

 

 


富士山と紅葉

2017年11月14日 | 旅行

河口湖の紅葉まつりに合わせて富士箱根を旅行してきました。初日は箱根を回ったのですが生憎の曇天で、おまけに元箱根は大渋滞。疲れてホテルにたどり着いて翌日、夜明けに窓を開けると...

雲一つ無い空に富士山がその秀麗な姿を見せていました。

富士山は本当に美しい山ですね。男性的か女性的かというとやはり女性的な美しさがある。特にすそ野のなだらかな曲線が何とも言えず優美です。

紅葉も盛りで楓が真っ赤 タイヤを新調したレガシーも良く走る。新東名は近々120キロ制限になるようで途中区間は110キロ試用区間になってました。120キロということは150キロまでなら二点減点なのでまず捕まらないってことだね(´・ω・`)

静岡側からみる富士もいいね 大沢崩れが見えるけど数万年後には富士山も浸食で痕跡だけになるのかな...

白糸の滝も覗いて帰途に着きました。