招きねこの手も借りたい

主婦のち仕事、ところによって母、時々芝居。

若さと幼さの違い

2010年05月16日 | 日常
久しぶりに友人と飲んだ。

私が今考えていることや、感じていることを話したら
「ああ、10年か15年前にはそんなこと考えてたかもしれんわ」
と、遠い目をされた。

「pecoちゃんは、若いね。」
イヤミでもなく、なんの悪気もなく言っているのは
彼女の顔と口調で分かる。

苦労人の彼女は、ある時期から
達観したのだという。

生きているだけで、それで充分やんか。
私ら、半世紀を生き延びてきたんよ。
幸運なことに子供にも恵まれたし、
仕事もあるし、友人もいる。
そんでいいやん。
頑張っている自分を、自分でほめてやれば。
私はね、どれだけ居心地のいい場所に自分の身を置けるか、
どれだけ平穏に過ごせるかをテーマにして
残りの人生をすごそうと思うんよ。

思わず、師匠~っと叫びそうになった。

私はまだじたばたしている。
このままでは終わらないはず、
もっと何かあるはずとあがいている。
基本的に、自分が何をしたいかではなく、
どうしたら褒めて貰えるか、
賞讃を得られるか、
もっといえば喝采を浴びられるか、
そんなことばっかり考えてきた。

何かやる時の、動機とモチベーションは
褒められることと、好きな異性だった。

今、その最愛の異性であるところの夫を失い、
2本柱が1本になって困っていたところだ。

そんな話しをしたら、
そこまで堂々と「褒められたいから」と言い切れるのは
ある意味すごいよ。
と褒めてくれた。
この前も、年下の友人に
それはぶれているようでぶれていないです、
芯がないといいながら、芯がないことで芯が通っていますね
と言われた。

呆れる人もいる。
それは違うんじゃないかと、諭す人ももいる。

で、迷っているところだ。

「pecoちゃんは、若いんだよ」
と、昨夜の友人は言うのだが、
私は自分でようやく精神年齢が幼いのだということに気がついた。
若いというのと、幼いというのでは全然違う。

経験値が低いだけだと慰め、励ましてくれる友人もいるが、

年相応の達観が出来た上で、
それでもチャレンジしてもがいれば
何か見えてくるものもあると思う。

いつのまにか大人になっていた同級生に
ちょっと驚き、焦った夜だった。

なんでそんなに悟りの境地?
と、聞いたら眠れない夜にNHKの「ラジオ深夜便」を聞いているという。

え~~~っ、あれって結構お年寄り向けの番組なんじゃないの?
と、言ったら

「しょこたんも聞いてるらしいよ」
と、鼻の穴をふくらます友。

いやいやいや、待ってくれ。
しょこたんが聞いているスタンスと、
私達世代が聞いてるスタンスは違うんじゃないの?
あんた、それは老け込みすぎじゃないの?
と、言ったら
「聞いたことある?とりあえず、騙されたと思って聞いてみ。いいから。」
とすすめられた。

とりあえず、1回聞いてみることにしようと思う。

何事も先入観とか、思い込みで避けるのは私の悪い癖だしね。

それにしてもラジオ深夜便て、
いいのかなぁ、そんなに(疑心暗鬼)