招きねこの手も借りたい

主婦のち仕事、ところによって母、時々芝居。

ひとあし早い結婚記念日の計画

2008年04月29日 | 夫ネタ
ようやく夫に、外泊許可が出た。
明日、明後日と自宅ですごすことになった。

今日は天気が良かったので、夫の布団のシーツを替え、
ベランダに干した。
結婚記念日の5月2日には、3回目の抗ガン剤投与が待っている。
ということで、明日はひとあし早く記念日を祝うことになった。

自宅でのんびりするつもりで段取っていた私に、
昨晩夫からメール。
「30日は、どっかドライブに行ってうまいものでも食べよう。」
て、おいっ。
ドライブって。
夫の胸の上部の血管には点滴用の穴があいたままである。
体重も少しずつ戻っているとはいえ、かなり減ったし、
貧血症状もあり気をつけないないと
歩いていてふらついたりもしている。

私が甲斐性のある嫁ならば、
「よし、私に任せとき!」
と、ハンドルを握るところだが、
何度も言うようだが私は黄金に輝く伝説のペーパードライバーだ。
私にハンドルを握らすということはものすごく危険な賭けだ。

もちろん夫ははなからそんなつもりはない。
自分が運転して、私をどこかに連れて行く気満々だった。

大丈夫なのか?

不安はあるが、体調が悪くなったりしたら
無理せずすぐ引き返すということで、
明日は富山チューリップフェアに行って、
その後庄川で鮎料理を食べて帰ってくることになった。

実は、このコース、以前夫が同じ病気で無菌室に入っていた
数年前の同じ時期に娘とバスツアーで行ったコースである。

あの時は、結婚記念日は無菌室の中だったっけ。

それに比べればましだよね。

では、明日のレポートお楽しみに~。

爽やかな2日酔い

2008年04月26日 | 日常
私の自慢は友達運が良いことだ。
自分と波長の合う人を嗅ぎ分ける鼻も、
警察犬並に良くきく。

そして中年まっただ中の今、
厳選された様々な友達が私の周囲を固めてくれている。
年齢も幅広い。

ありがたいことに、それぞれが抜群のタイミングで、
私がへこんでいたりめげている時に声をかけてくれる。

昨晩は久々に飲みに出かけた。
母と娘には、手を抜きまくって市販のお弁当を置いていった。
出かけるぎりぎりまで
留守番の家族のための食事の仕度をしてから出かけることが多かったが、
自分改革の一環として思い切って手抜きをしてみる。

年の離れた友人なのだが、めったやたらと感覚の似ているところがある。
がんがん飲みつつ、毒舌を吐きまくる。
あまり自分の弱みを見せることがなかった私だが、
思い切って愚痴や弱音も吐いてみた。
外で飲むときはいつも飲む量をセーブする私が、
飲みたいだけ飲んでみた。

帰宅時間も、12時をすぎるといつもならそわそわする、
年の食ったシンデレラ状態だったが、
昨日店を出たのは深夜26時半!
家に帰ったら、午前3時だった。

初めての体験である。

しかし、今朝は妙に爽やかに目が覚めた。
近所のJAの朝市でどうしても朝堀り筍が買いたくて、
家を7時半に出た。
ずんずん歩いて、人混みをかきわけ美味しそうな筍や山菜を買う。
帰宅後勢いにのって下処理。

そこで、ふと二日酔いしていることに気がついた。
気がついたが、全然しんどくない。
アルコールが残ってるなぁってかんじがあるだけだ。

気分はすっきり、はっきり、くっきりしている。
自分改革は、順調である。

泣き面に蜂かと思えば…

2008年04月22日 | 日常
随分、更新がとまってしまっていた。
どうも私の体調がいまひとつで、パソコンに向かう気力がなかった。
夫のほうも、2度目の抗ガン剤投与の副作用がひどい。

辛気くさい内容しか思いつかないこともあり、
ブログを更新できなかった。
みなさんのブログを訪問し、コメントのやりとりをするのが楽しみだったのに、
なぜかそれもできない状態だった。

今朝もどよどよした気分で、
夫にもっていくための煮物を作っていると、
玄関先からびちゃびちゃびちゃっと大きな音がする。

はじめは、近所で水まきでもしているのかと思ったが、
どうも音が妙に近い。
チワワのちとせが、いっちょまえに異変に気付き吠えている。

味見のおたまを持ったまま玄関に向かった私の目にうつったのは、
玄関の天井から、じゃばじゃばと落ちて来る大量の水だった。

え~っ?!

人間、理解不能なできごとに遭遇すると固まる。
そして、私の場合は力なく笑う。

ない知恵を絞りまくり、その部分の真上が浴室であることに気がつく。
浴室では、娘が朝風呂のあとのお湯を抜いているところだった。

築10年。
こんなに早く水回りのトラブルが起きるものなのだろうか?
ローンはまだ8年残っている。
嗚呼。
とにかく施工業者に電話して見に来てもらうように依頼する。
夫に電話すると、副作用でバテバテのはずの夫が、
妙にてきぱきと念のため設計士さんにも連絡して相談するようにという。

わがやは、住宅メーカーに頼まず、
設計士さんにまずお願いし、そこから施工業者を選定した。
敷地の条件が複雑だったことと、
ありきたりなかたちにしたくなかったことから、
多少割り高を覚悟してそうしたのだ。

私が帰宅できる夕方に来てもらうように手配し、
とりあえず夫のもとへ。
いったい補修工事にいくらかかるんだろうか?
夫の治療で物いりなところにもってきて、
なんてこった。
天は我を見放したか…

しかし。
天は見放してはいなかった。
浴槽の横のパネルをはずして見てもらったところ、
排水のホースがバスタブからなぜか抜け落ちていただけのことだった。
この際、なんで抜け落ちたかとかはもうどうでも良かった。
抜けないようにしっかり取り付けてもらい、
一件落着。
駆けつけてくださった、設計士さんと胸をなで下ろす私。

設計士さんは、数年前まで
私達がかかわる芝居の舞台を観に来てくれたりと交流があった。
久しぶりにお会いしてお話しすると、
設計士さんも昨年ガンを患ったとのこと。
ちょっとはげましあったりした。

今朝はどうなることかと思ったが、
結局補修の必要もなくなり、懐かしい人に会うことができ、
そうそう悪いことでもなかった。

なんとかこの勢いで、あれやこれやが上向きになっていかないものか。



甲斐性無し

2008年04月14日 | 日常
玄関ホールの天井の電球4個のうち、2個が同時に寿命できれた。
玄関、暗っ。

何も2個同時にきれなくてもいいだろうがっ。
と、天井に向かって文句を言っても、
復活するわけでもなく。

家中の電球や蛍光灯はこれまで全て夫の担当だった。
背の高い夫は、当たり前のように自分の仕事として、
電球がきれると交換してくれていた。
スペアを補充しておくのも夫だ。
場所によって、電球の種類やワット数も違う。

困った。
買い置きの電球がどこにあるのかすら分からない。
夫にメールする。
リビングの吊り戸棚の中の青い箱の中にないか?
と返信が来たので、探してみた。
ない。

あったとしても、私は電球の交換をしたことがない。
脚立に登り、慣れない手つきで交換する自信がいまいちなかったりする。
一人暮らしをしたことがない私は、
こういうことに関しては、本当に甲斐性がない。

それでも、夫がいなくてただでさえ辛気くさくなりがちな家で、
玄関ホールが薄暗いなんてたまらなくイヤだ。

頑張って、きれた電球をとりはずして、
同じものを買ってきて交換しようと思う。

そういうと、夫が外出許可をもらって
電球を買って交換しに帰って来ると言う。

おいおい、こらこら。
そんなことしなくていいし。
あんたが今しなければいけないことは、
電球の交換ではなくて、身体の養生だ。

夫がそこまで私の甲斐性無しぶりを心配していたとは。

これはもう少ししっかりしないとなぁ。

ちょっと復活

2008年04月13日 | 日常
風邪は、辛さのピークをなんとか乗り越えることができた。

夫のほうは、薬でむりやり白血球の値を上げる治療の効果がわりと早く出て、
一昨日無事2度目の抗ガン剤の投与ができた。

私の体調が悪いときは、夫に病原菌をうつしてはおおごとなので、
見舞いは控えていた。
今日は、友人が送迎をかってでてくれたので、
友人の運転で夫の病院へ。
もちろんマスク着用、離れた場所からの会話。
おかずを届け、洗濯物を交換し、
業務連絡をし、早めに退散した。
それでも、お互いの顔を見られてちょっと安心した。
夫は、食欲も出てきたようで、
持参するおかずにいろいろリクエストしていた。
知人がことづけてくれた宮崎産のマンゴーがいたく気に入ったようだった。
なかなか、そんな高価なものは自腹では買えないが、
そんなに気に入ったのなら、今度買って行こうと思う。
私もはじっこをちょこっと食べた。
実はマンゴー初体験。
たしかに美味しかった。

その後、友人とランチ。
野菜料理中心のオードブルのバイキングと、
メインディッシュ、スープ、飲み物、デザートがついている。
久々のちゃんとした外食に舌鼓をうつ。
お喋りにも花が咲く。

そのまま友人に、劇場まで送ってもらい、
知人がたくさんかかわっている舞台を観劇。
途中咳き込んだりしつつなんとか最後まで観劇できた。

帰りは雨に降られ、傘がなくて困っていたら、
夫の教え子にばったり会い、
バス停まで傘にいれてもらえた。
なんてラッキーな私。

体調を崩し、気持ちも心もぼろぼろだったが、
どうやら今日あたりからいろんなことが復活のきざしである。
良かった、良かった。

気合でなおすぞ

2008年04月10日 | 日常
不覚にも風邪をひいてしまった。

ほんとは、ブログの更新をしている場合ではない。
さっさと寝ればいいのだが、しんどすぎて寝られないので、
パソコンにむかった。

熱はまだ出ていないが、
この喉の腫れ具合と、鼻水の出具合、
目の奥の熱さ具合、だるさ具合を総合して判断すると、
明日か明後日あたりから出そうな気がする。
私のこういう当たってほしくない予感は不思議と当たる。

明日も明後日もはずせない予定がたくさんある。
内科に行く時間もとれそうにないので、
さっき市販の風邪薬を飲んだ。

今私が寝込むわけにはいかない。
気合だ、気合だ!と心の中で叫んでみた。

夫は、1回目の抗ガン剤投与で白血球の値が1000まで落ちてしまい、
なかなか回復しない。
1回目の投与でいったん小さくなったガン細胞だったが、
大変進行の早いタイプに変わってしまい、
すでにまた大きくなり始めている。
なるべく早く2回目を投与して進行を食い止める必要がある。
ということで、白血球の値を薬で無理やり回復させて、
抗ガン剤を投与するという力技のような治療をすることになった。

今は、以前のような痛みや猛烈な下痢に悩まされてもいないし、
食事も点滴→流動食→離乳食みたいなの→老人食みたいなの
と、順調にステップアップしている。
しかし贅沢者の夫は、
病院の食事がまずくて半分弱しか食べられないという。
そこで、家から煮物を毎日持っていっている。

白血球の値が下がっているということは、
様々な細菌に感染しやすということなので、
風邪ひきの私がそばによるのは危険である。

それでも、夫には、おかずを何品かどうしても届けたい。
そこで明日は、私の代わりに娘が行ってくれることになった。
そう言う娘もここ数日体調はあまりよくない。
何日も娘に頼むわけにもいかない。

なんとか気合で、私が元気にならないといけない。

明日は、都会の大きな病院の人間ドックを紹介するビデオの
ナレーション録りもある。
体調を崩してよたよたしている私が紹介しても、
なんだか信頼感がもてないかもしれない。
とりあえず、声だけは元気に明るく艶やかな声を出さないといけない。

ちなみに、今の私の声は寝起きの黒木瞳みたいな声だ。
黒木瞳の寝起きの声なんて聞いたことないけど、まぁそんなかんじ。

朝起きたら、はつらつ声に戻ってますように!

では、もう寝ます。




イヤホンマイクと七色の声

2008年04月07日 | 日常
大荷物を持っての移動が続くため、
重宝しているものがある。

携帯電話のイヤホンマイクである。
荷物を両手に持ったまま、かかってきた電話に応対できる。
留守中事務所にかかってくる電話は、
全て私の携帯電話に転送されることになっているため、
外出中でもよく電話がかかる。
これまでは、道を歩いているときに携帯が鳴ると、
あわててポケットから電話をとりだし、
それからまたバッグから手帳をとりだし、
あたふたしていた。
今は、携帯電話をネックホルダーで首からぶら下げ、
イヤホンマイクをつけているので両手があいている。
だから余裕でスケジュール手帳を取り出せる。

家にいるときも、
掃除をしながらとか料理を作りながら応対できる優れものだ。

しかし、いくつかの短所もある。
歩きながらやバス待ち中に突然電話応対をはじめると、
周囲にいる人はたいてい一瞬たじろぐ。

私は公共の場所ではほとんど着信音を切っているし、
携帯電話を耳にあてていないため、
突然ひとりごとをしゃべり出した危ない人に見えるのだ。
イヤホンマイクの存在を知っている人はいいのだが、
年配の人なんかは不思議そうに私の顔をのぞき込むか、
すすっと、私の側から離れていくかである。

そしてもうひとつ。

本日のタイトルであるところの、「七色の声」に関係している。
私は仕事柄いろんな声を使い分けられる。
私でなくても電話に出るとき、
ちょっとよそ行きの声を出す人は多いと思う。
私の場合、これまで結構いろんな声を使い分けて電話応対してきた。
気の張る仕事先、慣れ親しんでいる仕事先、友人知人、
ちょっと好意を感じている異性の知人、家族、
全く知らない初めての相手、などなど。

相手先の電話番号が表示される携帯電話ならではの使い分け技だろう。
ちなみにナンバーディスプレーではない自宅の電話では、
一律ちょっと低めでゆっくりした声で出ている。

で、このイヤホンマイクでの応対だと、
いちいち表示を見ないで電話に出るため、
声の使い分けができない。

とりあえず、自宅の電話と同じようなトーンで出ると、
すっごく親しい相手だと
「え?あれ?どうした?」とか言われる。
その場合は、「あ~、○○ちゃんかぁ~。」
と、いっきにくだけた声になる。

これが軽く好感をもつ異性だったりすると、
自分的に「あ~あ、もっといい女声出してとけば良かった」と思う。
この場合は無難声で第一声を発しておいて、
相手を確認してから突然声を変えるのもどうかと思うので、
無難に発した第一声のまま喋り続けることになるのだ。

せっかくいろんな声で応対できるのになぁ。






腹を据える、覚悟を決める

2008年04月05日 | 日常
「いきあたりばったり」
「出たとこ勝負」
「あとは野となれ山となれ」
「明日は明日の風が吹く」

全部、これまでの私の辞書には抜けていたことばである。
あり得なかった。

綿密に計画と準備をし、あらゆることを想定して、
予備の策までいくつか練っておく。
ことが終われば誰からも後ろ指さされないように、
きちんと後始末をし、
常に明日の準備をおこたらない。

そこまでするにはわけがあった。
私はめったやたらに、アクシデントやハプニングに弱い。
想定外のできごとに対処する自信がない。
だから、立ち往生しないように、おろおろしないために、
「用意周到」「準備万端」「完全無欠」を目指していた。

しかし、そうは言っても人間に完全とか絶対とかはあり得ない。
あんなに頑張ったつもりなのに、
こんなにいろいろ準備したのに、
それでも「わっどうしよう」とか「げっこんなはずでは」
ということが結構あった。
そして、私のこの用意周到さや、準備万端さは、
自分自身の首を絞めることも多々あった。

立つ鳥跡を濁さずをめざしすぎ、
濁りを清めているうちに、飛び立つのが遅れたり
めんどくさくなってしまったり、
石橋を叩いて渡ろうとして、
叩き疲れて、渡るころには力尽き、
結局渡った後の大事な目的を果たしきれないみたいなこともよくあった。

先日、私が尊敬するある人から
「あなたのまじめさが、周囲を傷つけたり苦しめたりすることもあるんだよ」
と言われた。

私は「なるようになる」とか「なんとかなる」
という言葉に疑心暗鬼だった。
それは、ルーズな人のいい加減さを、
私のような生真面目な人間がどこかで尻ぬぐいしたり、
フォローしているからこそ
「なんとかしている」のだと思っていた。
なるようになっているのではなく、
どこかで誰かがが頑張って「している」のだと思っていた。

しかし、ここ最近私なりに手抜きをしてみたり、
頑張るのをやめてみて気がついた。
その、なるようにしている「誰か」は、
べつにこの私でなくてもいいのである。
私が頑張らなくても、それなりになんとかなっている。

私がキリキリと、必死に完全を目指している様子を
息苦しいと感じる人もたくさんいるという指摘にはっとした。


その人はこうも言った。

「何かことが起きた時に対応する覚悟だけあればいい。
 腹を据えて、どんと構えてごらん。
 起きてもいないアクシデントやハプニングに怯えるのはやめて、
 目の前のことだけを楽しんだり面白がったりしてみよう。」


私は臆病者なので、準備や用意ばかりに重点をおいていた。
大事なのは、準備や計画ではなく、
何かあった時に順応したり対応したりすることなのだ。

急には変われないが、変わりたいと思っている。

明日は、夫が外出許可をもらって日中だけ帰ってくる。
帰ってきたらあれをして、これをして、この相談をして…

あ、また計画を立ててるぞ。
いかんいかん。
いきあたりばったりで行ってみるんだった。

道は険しい。


それぞれのルール

2008年04月03日 | 日常
いろいろ心が揺れたので、本日2つめの記事。



娘とうまくいかない。
いや、うまくやることはもう諦めている。
なんとか折り合いをつけていこうとしているのだが、
多分、お互いの善意で傷つけあってしまうのだ。

そこへ持ってきて、やたら元気になった母が、
いろいろと暴走しがちなので
母と私で話し合おうとするのだが、
母はすぐ
「私はこの家にいてはいけない人間なのね」とか
「老人ホームを探して」とか極論になってしまう。
しまいには母はほろほろと泣き出してしまう。
年寄りに泣かれるとお手上げである。
どうしていいか分からない。

しんどい。

で、夫からは別の件のことも含めて、

「お前は昔から周囲がお前が決めたルールに従っていれば満足なんだ。
 でもな、お前が勝手に決めたルールは、お前だけのものであって、
 他者には通用しないこともあるということをそろそろ自覚しろ」
という、なんともはや心に突き刺さるような痛いひと言をもらった。

ちょっと八方ふさがり気分だった。

病院からまっすぐ帰宅してもこんな気分ではダメだと思い、
ふらりと映画を見に行くことにした。
ちょうど到着した時間に上映されるものを見る。
いつも念入りに下調べをし、上映時間に合わせて行く私にしたら
初めてのことである。
夫の母は、ふらりと映画に行く派である。
「全然期待せずに観るから、大当たりだと楽しいし、
 へんに基礎知識もって見るより新鮮でいいよ。
 仮に、はずれたとしても腹がたたないよ。
 つまんなかったら寝ちゃえばいいし。」
なんとも豪胆な人である。
義母を見習ってみた。

で、「クロサギ」を見た。
テレビドラマの方は見たことが1回くらいしかない。
そんな私でも、楽しめるような作りにはなっていた。
でも、なんで映画にするんだろ?てかんじ。
ドラマのスペシャル版でいいじゃんてかんじだった。

映画には映画にしかできないことをやってもらいたい。
舞台には舞台の、テレビにはテレビの、小説には小説の、
それぞれその分野だからこそできる表現があると思う。

山下くんのファンでもない私は、
彼の大写しのアップがうれしくもなんともない。
むしろ、山崎努さんや竹中直人さんの演技を堪能した。
けど、テレビでいいじゃんと思った。

あ、ただ劇中の山崎努さん演じる桂木の
「かわいそうになぁ。お前は悪くないんだよ。」
という台詞に思わずぼろぼろ泣いてしまった。
ネタバレになるので、詳しく書かないが、
この台詞は泣くところではないと思う。
おそらく、山崎努の老獪さと、山下くんの甘さの対比のための
作られた台詞なんだけど、
ちょっと今の私のへんなツボにはまってしまって、
ひとりしゃくりあげてしまった。

泣いたらちょっと心が軽くなった。

そんな意味では、ふらりと行ってみてよかったかもしれない。

おいっ

2008年04月03日 | 夫ネタ
昨日は、諸般の事情で夫のところに見舞いに行けなかった。
もちろんメールで、あれこれ連絡はとりあっていた。

で、今朝早く夫からメールが来た。

「今日は何時にこっち来るの?」

ん?寂しいのか。
ようやく私のありがたみがわかったか。
ふふふ、いい傾向じゃないか。

「昼頃になるよ。寂しいの?」

と、返信したら速攻で返ってきたメールがこれ。

「うん。懐が。テレビカードがきれた。新しいのを買う2千円がない。」

おいっ。
こら~っ。
そっちかいっ。

ふん、しょせん夫婦は他人。
金の切れ目が縁の切れ目か。
と言いつつ、雨の中バスを乗りついで病院に向かう私であった。