さて、新米ベビーシッターや、学校の先生や、かかりつけの女医さんなど、
高度な演技力を要求される役柄ばかりを演じるはめになった
リカちゃん人形を持っていない9歳の私。
タミーちゃんは、大活躍だ。
しかし、いつの日か主役の座をこの手に!と心には野望を抱いていた。
そんなある日、珍しく父が出張帰りにおもちゃを買って来てくれるという。
「着せ替え人形!!」と即座に答える私。
このとき、はっきり『リカちゃん』とどうして答えなかったのか悔やまれてならない。
そう。
父が買ってきたのは、『バービーちゃん』だったのだ。
父なりに気をきかせて数種のドレスや小物まで買ってきた。
当時のバービーちゃんは、ぶっちゃけ地方都市に住む普通の小学生ウケする容姿ではなかった。
とがった顔、つり上がった目、抜群のプロポーション。
妙に露出の多いドレス。
今の私なら迷うことなくバービーちゃんを選ぶのだが、
当時の私が欲しかったのは可愛いリカちゃんだ。
私の落胆はそれはそれはすごいものだった。
「せっかく買ってやったのになぜ喜ばないかっ」と怒る父。
「子ども相手に何をそんなに怒るのよ。だからあなたという人は!」
と本来の話しからそれてここぞとばかりに父に日頃のうっぷんをぶつける母。
もともと和気あいあいとした夫婦ではなかったが、バービーちゃんがもとで離婚されても困ると思い、
とりあえずその場をとりなし、嬉しげにバービーちゃんをカバンに入れて友達の家に行く。
私 「新しいお人形買ってもらったよ」
友 「どんなの?」
私 「ほらっ」
友 「え~っ。こわ~い。じゃあその子魔女の役ね」
またかよ。
また脇役かよ。
しかも魔女ってどうよ。
とりあえず妥協案として、リカちゃんのライバル役ではどうか?とか
リカちゃんが憧れる家庭教師役はどうか?とか
リカちゃんが習いに行くバレエ教室の先輩役ではどうかと
提案してみる。
友 「リカちゃんをいじめる継母役ならいい」
こうして、また私の老け役、脇役、悪役人生が始まった。
高度な演技力を要求される役柄ばかりを演じるはめになった
リカちゃん人形を持っていない9歳の私。
タミーちゃんは、大活躍だ。
しかし、いつの日か主役の座をこの手に!と心には野望を抱いていた。
そんなある日、珍しく父が出張帰りにおもちゃを買って来てくれるという。
「着せ替え人形!!」と即座に答える私。
このとき、はっきり『リカちゃん』とどうして答えなかったのか悔やまれてならない。
そう。
父が買ってきたのは、『バービーちゃん』だったのだ。
父なりに気をきかせて数種のドレスや小物まで買ってきた。
当時のバービーちゃんは、ぶっちゃけ地方都市に住む普通の小学生ウケする容姿ではなかった。
とがった顔、つり上がった目、抜群のプロポーション。
妙に露出の多いドレス。
今の私なら迷うことなくバービーちゃんを選ぶのだが、
当時の私が欲しかったのは可愛いリカちゃんだ。
私の落胆はそれはそれはすごいものだった。
「せっかく買ってやったのになぜ喜ばないかっ」と怒る父。
「子ども相手に何をそんなに怒るのよ。だからあなたという人は!」
と本来の話しからそれてここぞとばかりに父に日頃のうっぷんをぶつける母。
もともと和気あいあいとした夫婦ではなかったが、バービーちゃんがもとで離婚されても困ると思い、
とりあえずその場をとりなし、嬉しげにバービーちゃんをカバンに入れて友達の家に行く。
私 「新しいお人形買ってもらったよ」
友 「どんなの?」
私 「ほらっ」
友 「え~っ。こわ~い。じゃあその子魔女の役ね」
またかよ。
また脇役かよ。
しかも魔女ってどうよ。
とりあえず妥協案として、リカちゃんのライバル役ではどうか?とか
リカちゃんが憧れる家庭教師役はどうか?とか
リカちゃんが習いに行くバレエ教室の先輩役ではどうかと
提案してみる。
友 「リカちゃんをいじめる継母役ならいい」
こうして、また私の老け役、脇役、悪役人生が始まった。
私の子どものころに、初代リカちゃんが発売になった。
ほしくてほしくてたまらなかったが、
その当時の母は私にそんなものを買う金銭的余裕も、精神的余裕もなかった。
私の住んでいたところは商店街のそばだったため、比較的裕福な家が多かった。
リカちゃんは、かなりの同級生たちが買ってもらっていた。
ある子は、リカちゃんハウスまで所有し、
リカちゃん人形も数体持っていた。
私はいつもそのうちの1体を貸してもらって遊んでいた。
自分の着せ替え人形がほしい!といつも思っていた。
ある時近所のお金持ちの家の5歳年上の子が、
遊ばなくなった着せ替え人形とドレス、小物もつけて私にくれると言う。
スキップし、鼻歌を歌いもらいに行く9歳の私。
しかし。
私を待っていたのはリカちゃんではなく、タミーちゃん。
今こうして見るとタミーちゃんはかなりかわいいし、おしゃれだ。
古き良きアメリカの女の子だと思う。小物もとても凝っている。
でも、当時の私はいまひとつ喜べなかった。
まぁ、それでもこれで着せ替え人形遊びをするときに肩身の狭い思いをしなくていいと安堵した。
勇んで友達の家のベルを鳴らす。
私 「あたしの人形持ってきたよ~」とタミーちゃんを掲げる。
友達はタミーちゃんを知らなかった。
お姉さんがいる子なら、タミーちゃんの存在も知っていたのかもしれない。
しかし、彼女はひとりっこ。
友 「なんか、その子かわいくない」と言い出す。
リカちゃんに比べてタミーちゃんは顔が大きい。
体つきもひとまわり大きい。
友 「じゃあ、その子はリカちゃんのお母さん役ね」
9歳の私にとっていきなりの老け役は荷が重い。
私 「お母さん役はちょっと…」
友 「え~っ。じゃあしょうがないなぁ。お手伝いさん役は?」
ええ、ええ。やりましたさ。お手伝いさん役。
パーティーに行くリカちゃんのドレスを選んだり、髪をとかしたりする役。
「いってらっしゃいませ、お嬢様」と言ってお見送りもしましたさ。
貧富の差を初めて意識した9歳の夏。
この後、私は2体目の着せ替え人形を手にいれる。
続きは明日!
ほしくてほしくてたまらなかったが、
その当時の母は私にそんなものを買う金銭的余裕も、精神的余裕もなかった。
私の住んでいたところは商店街のそばだったため、比較的裕福な家が多かった。
リカちゃんは、かなりの同級生たちが買ってもらっていた。
ある子は、リカちゃんハウスまで所有し、
リカちゃん人形も数体持っていた。
私はいつもそのうちの1体を貸してもらって遊んでいた。
自分の着せ替え人形がほしい!といつも思っていた。
ある時近所のお金持ちの家の5歳年上の子が、
遊ばなくなった着せ替え人形とドレス、小物もつけて私にくれると言う。
スキップし、鼻歌を歌いもらいに行く9歳の私。
しかし。
私を待っていたのはリカちゃんではなく、タミーちゃん。
今こうして見るとタミーちゃんはかなりかわいいし、おしゃれだ。
古き良きアメリカの女の子だと思う。小物もとても凝っている。
でも、当時の私はいまひとつ喜べなかった。
まぁ、それでもこれで着せ替え人形遊びをするときに肩身の狭い思いをしなくていいと安堵した。
勇んで友達の家のベルを鳴らす。
私 「あたしの人形持ってきたよ~」とタミーちゃんを掲げる。
友達はタミーちゃんを知らなかった。
お姉さんがいる子なら、タミーちゃんの存在も知っていたのかもしれない。
しかし、彼女はひとりっこ。
友 「なんか、その子かわいくない」と言い出す。
リカちゃんに比べてタミーちゃんは顔が大きい。
体つきもひとまわり大きい。
友 「じゃあ、その子はリカちゃんのお母さん役ね」
9歳の私にとっていきなりの老け役は荷が重い。
私 「お母さん役はちょっと…」
友 「え~っ。じゃあしょうがないなぁ。お手伝いさん役は?」
ええ、ええ。やりましたさ。お手伝いさん役。
パーティーに行くリカちゃんのドレスを選んだり、髪をとかしたりする役。
「いってらっしゃいませ、お嬢様」と言ってお見送りもしましたさ。
貧富の差を初めて意識した9歳の夏。
この後、私は2体目の着せ替え人形を手にいれる。
続きは明日!
外では春の雪が舞っているが、部屋のなかは暖房であたたかだ。
しかもわんこには専用の掛け布団もある。
あたたかすぎて、掛け布団からはみ出し、
しかもソファからもはみ出し、オットマンの位置まではみ出し、
惰眠をむさぼっているうちの駄犬。
しかもわんこには専用の掛け布団もある。
あたたかすぎて、掛け布団からはみ出し、
しかもソファからもはみ出し、オットマンの位置まではみ出し、
惰眠をむさぼっているうちの駄犬。
ここを読んでくださっている私と同世代の方なら覚えがあると思う。
「交換日記」と「文通」について。
私が中高生の頃、インターネットなんて夢の世界だったし、
もちろん携帯電話を学生が持つなんてあり得なかった。
ていうか、存在していたんだろうか?携帯電話。
友達とはひたすらおしゃべりするか、自宅の電話で話すのが当たり前。
自宅の電話で長電話すると親に叱られるので、
「交換日記」というものをしたものだ。
中学生の頃なんて、2つの友人グループと交換日記をし、
なおかつクラスで先生から強制的に班ノートという名の交換日記をさせられ、
ボーイフレンドとも交換日記をしていた。
合計4つ。
勉強はいつするんだってかんじ。
その他雑誌のペンフレンド募集ページで知り合った数人のペンフレンドと「文通」もしていた。
「文通」…死語だろうな、もう。
10代の子は意味を知らないと思う。
で、子育て真っ最中の頃は「育児回覧ノート」というのをまわしていた。
5~6人のグループで、いろいろその時の悩みや思うこと
子どもの成長などを書いて、次の人に郵送してまわす…というやつ。
回覧ノート仲間で、ネットで言うところの「オフ会」みたいなのもやった。
まぁ、考えてみるとメールやブログと内容は変わらない。
手書きの文字の暖かみはあったが、リアルタイムでの会話ができないため、
ノートがまわってきたり、手紙の返事が届く頃には、
状況や気持ちが大きく変わっていたり、自分なりに答えを見つけた後だったりした。
まぁそれでも、書くということで自分の頭の中を整理し、
ストレス解消になっていたし、状況が変わっていても、
気の合う仲間からの意見や情報はとてもありがたかった。
今この時代、メールやブログは即自分の書いたことの反応が返ってくる。
便利な世の中だ。
私の学生時代に、これだけインターネットが普及していたとしたら、
多分かなりのオタク女になっていたような気がしないでもない。
「交換日記」と「文通」について。
私が中高生の頃、インターネットなんて夢の世界だったし、
もちろん携帯電話を学生が持つなんてあり得なかった。
ていうか、存在していたんだろうか?携帯電話。
友達とはひたすらおしゃべりするか、自宅の電話で話すのが当たり前。
自宅の電話で長電話すると親に叱られるので、
「交換日記」というものをしたものだ。
中学生の頃なんて、2つの友人グループと交換日記をし、
なおかつクラスで先生から強制的に班ノートという名の交換日記をさせられ、
ボーイフレンドとも交換日記をしていた。
合計4つ。
勉強はいつするんだってかんじ。
その他雑誌のペンフレンド募集ページで知り合った数人のペンフレンドと「文通」もしていた。
「文通」…死語だろうな、もう。
10代の子は意味を知らないと思う。
で、子育て真っ最中の頃は「育児回覧ノート」というのをまわしていた。
5~6人のグループで、いろいろその時の悩みや思うこと
子どもの成長などを書いて、次の人に郵送してまわす…というやつ。
回覧ノート仲間で、ネットで言うところの「オフ会」みたいなのもやった。
まぁ、考えてみるとメールやブログと内容は変わらない。
手書きの文字の暖かみはあったが、リアルタイムでの会話ができないため、
ノートがまわってきたり、手紙の返事が届く頃には、
状況や気持ちが大きく変わっていたり、自分なりに答えを見つけた後だったりした。
まぁそれでも、書くということで自分の頭の中を整理し、
ストレス解消になっていたし、状況が変わっていても、
気の合う仲間からの意見や情報はとてもありがたかった。
今この時代、メールやブログは即自分の書いたことの反応が返ってくる。
便利な世の中だ。
私の学生時代に、これだけインターネットが普及していたとしたら、
多分かなりのオタク女になっていたような気がしないでもない。
昨日、和小物の店でセールをやっていたので、
思わずいろいろ買ったうちのひとつ。
ちっちゃい招きねこ。

これでは大きさがわからないと思うので、
でこぽんの上に乗せてみた。

…小さい。
この小ささで本当に福を呼べるのか、一抹の不安が。
それにしても「でこぽん」てネーミングもどうかと思う。
「でこ」はこのでっぱりのことを言っているのだろうが、
「ぽん」て。
そこはかとなく漂うまぬけ臭を感じるのは私だけか?
同じ柑橘類でも「甘夏」だとなんかかわいいし爽やかだ。
「八朔」は質実剛健な感じがする。
「檸檬」や「柚子」は文学的な香りすらする。
それに比べて「でこぽん」
味はダントツでおいしいのに、ネーミングで損してないか?
初めてこの名前を見たときは、スーパーで腰くだけした。
一度聞いたら忘れられない名前だ。
思わずいろいろ買ったうちのひとつ。
ちっちゃい招きねこ。

これでは大きさがわからないと思うので、
でこぽんの上に乗せてみた。

…小さい。
この小ささで本当に福を呼べるのか、一抹の不安が。
それにしても「でこぽん」てネーミングもどうかと思う。
「でこ」はこのでっぱりのことを言っているのだろうが、
「ぽん」て。
そこはかとなく漂うまぬけ臭を感じるのは私だけか?
同じ柑橘類でも「甘夏」だとなんかかわいいし爽やかだ。
「八朔」は質実剛健な感じがする。
「檸檬」や「柚子」は文学的な香りすらする。
それに比べて「でこぽん」
味はダントツでおいしいのに、ネーミングで損してないか?
初めてこの名前を見たときは、スーパーで腰くだけした。
一度聞いたら忘れられない名前だ。
いっときすごいブームになった韓国あかすりエステ。
ブームのはじめの頃、1回だけしてもらったことがある。
とある健康ランドに家族で行った。
話しの種に、当時小学生だった娘と2人で韓国あかすりエステをしてもらうことにした。
受付で手続きをすませる。
受付のおじさんは、「順番がきたらお呼びします」とだけ言った。
細かい説明などは一切ない。
私も娘も韓国あかすりエステがどういうものか全く知識がない。
でも初めての体験を前にわくわくしていた。
とりあえず、周辺でうろうろしつつ順番を待っていた。
名前を呼ばれ、あかすりの部屋に入る。
当然全裸で。
入ったとたん、黒いビキニを着たあかすり担当の韓国のおばさん2人が仁王立ちで
「風呂、入ってきたか?」
とタメ口で聞く。
その勢いに圧倒されつつ
「いえ、入ってません」
とおどおど答える全裸の母娘。
風呂に入ってきていないことを聞いたとたん、
おばさん達が烈火のごとく怒った。
「風呂入ってないと、垢出ない。なんで風呂入らない。それではできない。約束が違う!」
‥おばさんと約束した覚えはない。
まぁ、たしかに湯につかって身体をふやかさなければ垢はでないと思う。
しかし、受付で何も言われなかったので、
てっきりあかすり部屋に入ってからの段取りだと思っていたのだ。
片言の日本語ながら、キツイ口調でまくしたてるおばさん達の様子におびえ
直立不動になり、涙目になりながらぺこぺこ頭を下げる母娘。
もちろん全裸で。
おばさん達は水着を着ている。
人間、とりあえず身体に何か身につけている人のほうが圧倒的に精神的に優位だと思う。
全裸でぺこぺこはかなり悲しい気持ちになってくる。
「なんでお金を払って全裸で謝っているんだ自分」
「なんでおばさんはため口なんだ」
「韓国あかすりを楽しみにしていた娘は今何を思っているんだ」
などのことが頭の中でくるくるまわる。
「あ、もういいです。しなくていいです。帰ります。」
と蚊の鳴くような声で答えたのだが、
「そういうわけにはいかない。10分でいいから風呂につかってすぐ戻ってこい!」
と言われ、とぼとぼ無言で浴槽に向かった。
もう来たころの
「韓国あかすり初体験~ランララン♪」という気持ちはみじんもない。
どよ~んとした気持ちで娘と風呂につかる。
またあのおばさん達のとこに行くのかと思うと気が重い。
言われたとおり湯につかり、垢すり部屋に戻った。
おばさん達はちょっと怒りすぎたことを反省したのか、
今度はやけにフレンドリーに話しかけてくる。タメ口で。
しかしいったん閉じた私と娘の心が開くはずもなく‥。
垢すりも、そのおばさん達がそうなのか、
もともと垢すりというものがそうなのかは分からないが、
もの凄く雑だった…。
横たえた身体を、ごろごろと転がしながらてきぱき垢をこすってくれるんだが、
向きを変える時にぺちっとその部分をたたかれるのも、もの悲しかった。
転がされたマグロの気持ちを味わった。
最後のしあげのキュウリパックも、エステのパックというより、
食材に薬味をまぶしているかのような感じだった。
とにかく早く終わって解放されたい…というのがその時の心境だった。
それから2度と韓国あかすりには行っていない。
もっと優しいおばさんがしてくれるところもあったのかもしれないが、
もういいや…と思った。
今となってはいい思い出だ。
娘と2人で全裸で謝ることは、これからの人生おそらくもうない。
ブームのはじめの頃、1回だけしてもらったことがある。
とある健康ランドに家族で行った。
話しの種に、当時小学生だった娘と2人で韓国あかすりエステをしてもらうことにした。
受付で手続きをすませる。
受付のおじさんは、「順番がきたらお呼びします」とだけ言った。
細かい説明などは一切ない。
私も娘も韓国あかすりエステがどういうものか全く知識がない。
でも初めての体験を前にわくわくしていた。
とりあえず、周辺でうろうろしつつ順番を待っていた。
名前を呼ばれ、あかすりの部屋に入る。
当然全裸で。
入ったとたん、黒いビキニを着たあかすり担当の韓国のおばさん2人が仁王立ちで
「風呂、入ってきたか?」
とタメ口で聞く。
その勢いに圧倒されつつ
「いえ、入ってません」
とおどおど答える全裸の母娘。
風呂に入ってきていないことを聞いたとたん、
おばさん達が烈火のごとく怒った。
「風呂入ってないと、垢出ない。なんで風呂入らない。それではできない。約束が違う!」
‥おばさんと約束した覚えはない。
まぁ、たしかに湯につかって身体をふやかさなければ垢はでないと思う。
しかし、受付で何も言われなかったので、
てっきりあかすり部屋に入ってからの段取りだと思っていたのだ。
片言の日本語ながら、キツイ口調でまくしたてるおばさん達の様子におびえ
直立不動になり、涙目になりながらぺこぺこ頭を下げる母娘。
もちろん全裸で。
おばさん達は水着を着ている。
人間、とりあえず身体に何か身につけている人のほうが圧倒的に精神的に優位だと思う。
全裸でぺこぺこはかなり悲しい気持ちになってくる。
「なんでお金を払って全裸で謝っているんだ自分」
「なんでおばさんはため口なんだ」
「韓国あかすりを楽しみにしていた娘は今何を思っているんだ」
などのことが頭の中でくるくるまわる。
「あ、もういいです。しなくていいです。帰ります。」
と蚊の鳴くような声で答えたのだが、
「そういうわけにはいかない。10分でいいから風呂につかってすぐ戻ってこい!」
と言われ、とぼとぼ無言で浴槽に向かった。
もう来たころの
「韓国あかすり初体験~ランララン♪」という気持ちはみじんもない。
どよ~んとした気持ちで娘と風呂につかる。
またあのおばさん達のとこに行くのかと思うと気が重い。
言われたとおり湯につかり、垢すり部屋に戻った。
おばさん達はちょっと怒りすぎたことを反省したのか、
今度はやけにフレンドリーに話しかけてくる。タメ口で。
しかしいったん閉じた私と娘の心が開くはずもなく‥。
垢すりも、そのおばさん達がそうなのか、
もともと垢すりというものがそうなのかは分からないが、
もの凄く雑だった…。
横たえた身体を、ごろごろと転がしながらてきぱき垢をこすってくれるんだが、
向きを変える時にぺちっとその部分をたたかれるのも、もの悲しかった。
転がされたマグロの気持ちを味わった。
最後のしあげのキュウリパックも、エステのパックというより、
食材に薬味をまぶしているかのような感じだった。
とにかく早く終わって解放されたい…というのがその時の心境だった。
それから2度と韓国あかすりには行っていない。
もっと優しいおばさんがしてくれるところもあったのかもしれないが、
もういいや…と思った。
今となってはいい思い出だ。
娘と2人で全裸で謝ることは、これからの人生おそらくもうない。
私はお菓子などが入っていたきれいな箱や缶が捨てられない。
いただいたお花をくるんであったラッピングペーパーも捨てられない。
リボンもそうだ。
見ているだけで楽しいので、時々取り出して眺めたりする。
誰かにお裾分けしたり、プレゼントをするとき使えばいいし。
しかし、私は基本的にけちんぼだ。
いざ、お気に入りの缶や箱やリボンを使おうとすると結構躊躇してしまう。
ペーパーやリボンあたりは、わりとたまりやすいので大盤振る舞いできるが、
次にいつ手に入るか分からないような珍しい缶や箱は、結局ため込んでしまう。
だから、そんな物たちでリビングの作り付けの棚の数段がしめられている。
私の母は、ひもが捨てられない。
なんの変哲もないビニールのひもですら。
袋の口なんかをしばってある、短いのまでとっておく。
「なにかをしばる時便利だから」というのが理由だ。
なにかってなんだ。母はいったい何をしばろうというのだ。
ビニールひもなんて、私は一巻き分をいつも買い置きしてある。
中途半端な長さのものを引き出しにぐるぐる巻きにして片付けておかなくとも、
好きなだけ引っ張りだしてしばることができるのだ。
台所のいくつかの引き出しは、母のよくわからないひもコレクションで占領されている。
私は、母の隙を見つけては少しづつひもを捨てている。
そして母は、私がなかのお菓子を食べ終わったらコレクションしようと思っていた
可愛い形の箱や缶を、
中身を移し替えてまで、先に捨てている。
今日も、紫色で楕円形、表面に何も書いていないそれはそれはきれいな紙箱を
わしわしつぶしていた。
「こんなのなんに使うのよ」と言いながら。
妥協案を考えてみた。
私のコレクションの箱や缶のなかに、母のひもコレクションをしまうのだ。
これで双方文句なしだ。
しかし、どう考えても母のひもコレクションはムダだ。
ひもは、一部の麻紐とか木綿の面白いものを除いてかわいくもなんともない。
新聞や雑誌をしばる意外使いみちもない。
なぜにそんなにひもにこだわるんだろう。
いただいたお花をくるんであったラッピングペーパーも捨てられない。
リボンもそうだ。
見ているだけで楽しいので、時々取り出して眺めたりする。
誰かにお裾分けしたり、プレゼントをするとき使えばいいし。
しかし、私は基本的にけちんぼだ。
いざ、お気に入りの缶や箱やリボンを使おうとすると結構躊躇してしまう。
ペーパーやリボンあたりは、わりとたまりやすいので大盤振る舞いできるが、
次にいつ手に入るか分からないような珍しい缶や箱は、結局ため込んでしまう。
だから、そんな物たちでリビングの作り付けの棚の数段がしめられている。
私の母は、ひもが捨てられない。
なんの変哲もないビニールのひもですら。
袋の口なんかをしばってある、短いのまでとっておく。
「なにかをしばる時便利だから」というのが理由だ。
なにかってなんだ。母はいったい何をしばろうというのだ。
ビニールひもなんて、私は一巻き分をいつも買い置きしてある。
中途半端な長さのものを引き出しにぐるぐる巻きにして片付けておかなくとも、
好きなだけ引っ張りだしてしばることができるのだ。
台所のいくつかの引き出しは、母のよくわからないひもコレクションで占領されている。
私は、母の隙を見つけては少しづつひもを捨てている。
そして母は、私がなかのお菓子を食べ終わったらコレクションしようと思っていた
可愛い形の箱や缶を、
中身を移し替えてまで、先に捨てている。
今日も、紫色で楕円形、表面に何も書いていないそれはそれはきれいな紙箱を
わしわしつぶしていた。
「こんなのなんに使うのよ」と言いながら。
妥協案を考えてみた。
私のコレクションの箱や缶のなかに、母のひもコレクションをしまうのだ。
これで双方文句なしだ。
しかし、どう考えても母のひもコレクションはムダだ。
ひもは、一部の麻紐とか木綿の面白いものを除いてかわいくもなんともない。
新聞や雑誌をしばる意外使いみちもない。
なぜにそんなにひもにこだわるんだろう。
夜10時すぎに、暗い人通りのない夜道をひとりで歩くはめになった。
びくびくする年でもないが、まぁあまり楽しいものではない。
向こうから、くたびれたサラリーマン風の酔っぱらいのおっさんがふらふら歩いてくる。
しかもなんか私に言っている。
「いやだなぁ~。こんな人通りのないとこでからまれたら困るな~」
と思いつつも、1本道なのでまっすぐ歩いて行くしかない。
ろれつのまわらない、千鳥足で歩くおっさんはしきりに何か私に呼びかけてくる。
私の嫌悪感がマックスに達し、なおかつお互いの距離が顔を確認出来る位置になったとき、
そのおっさんは私の顔を見るなり
「チェッ!」といいおった。
そして、またふらふらと歩いていきおった。
「チェッ!」て…
人の顔見て言うにことかいて「チェッ!」てどういうことよ。
そのチェッ!の後にはおそらく
「おばちゃんかよ」とか
「デブかよ」とか
「ブスかよ」などの言葉が続くのであろう。
べつにからんでほしいわけではない。
抱きつかれても困る。
ナンパされたくもない。
こっちからお断りだ。
しかし。
「チェッ!」はないだろうがっ。
そんなことは、あんたの心の中で勝手につぶやけ。
私の顔見て言うなっ。
ああ、なぜ私はあのとき「ケッ!」と言い返さなかったのだろうか。
悔やまれてならない。
びくびくする年でもないが、まぁあまり楽しいものではない。
向こうから、くたびれたサラリーマン風の酔っぱらいのおっさんがふらふら歩いてくる。
しかもなんか私に言っている。
「いやだなぁ~。こんな人通りのないとこでからまれたら困るな~」
と思いつつも、1本道なのでまっすぐ歩いて行くしかない。
ろれつのまわらない、千鳥足で歩くおっさんはしきりに何か私に呼びかけてくる。
私の嫌悪感がマックスに達し、なおかつお互いの距離が顔を確認出来る位置になったとき、
そのおっさんは私の顔を見るなり
「チェッ!」といいおった。
そして、またふらふらと歩いていきおった。
「チェッ!」て…
人の顔見て言うにことかいて「チェッ!」てどういうことよ。
そのチェッ!の後にはおそらく
「おばちゃんかよ」とか
「デブかよ」とか
「ブスかよ」などの言葉が続くのであろう。
べつにからんでほしいわけではない。
抱きつかれても困る。
ナンパされたくもない。
こっちからお断りだ。
しかし。
「チェッ!」はないだろうがっ。
そんなことは、あんたの心の中で勝手につぶやけ。
私の顔見て言うなっ。
ああ、なぜ私はあのとき「ケッ!」と言い返さなかったのだろうか。
悔やまれてならない。
うちのわんこは、とりたてて特技があるわけでもない。
最低限のしつけ(待て、お座り、お手、ふせ、おいで、排泄は屋外)はできている。
まったりと室内犬生活をエンジョイする10歳の、そろそろ老犬。
唯一の欠点は、私達への抗議を『粗相』によって表明することだ。
『遊びの途中でさっさときりあげた』とか
『おやつをくれなかった』とか
『お客さんとばかりしゃべってかまってくれなかった』とか
『ドアを開けてくれと頼んだのに無視した』などの言い分で
抗議のおしっこ、もしくはうんこをする。
それは必ず抗議の対象となる相手のテリトリーにする。
夫にならば事務所のデスクの前かコピー機の前。
私ならリビングの私のパソコンの周辺。
同居の私の母へは、台所の冷蔵庫前…というように。
彼女と私達のあいだには暗黙のルールがある。
『畳の上と絨毯の上にはしない』
『おばあちゃんの部屋ではしない』
『替えのきかない寝具の上にはしない』
教えたわけではないが、とにかく私達が「ちっ、まぁいいか」
と思える場所(さっと拭き取ればいいフローリングか、替えがたくさんある座布団や、ソファカバー)にだけする。
犬は言葉がしゃべれないし涙も流せないから
変わりにこうして粗相で訴えてるのだと思う。
おしっこはわんこの涙がわり。
大好きな人がやってくると大喜びのあまり、やはりおしっこをちびる。
あれはうれし涙。
今日は初めてルールを破り夫のかけ布団の上に粗相した。
上の写真はこっぴどく叱られ、涙も枯れ果てふて寝する図である。
最低限のしつけ(待て、お座り、お手、ふせ、おいで、排泄は屋外)はできている。
まったりと室内犬生活をエンジョイする10歳の、そろそろ老犬。
唯一の欠点は、私達への抗議を『粗相』によって表明することだ。
『遊びの途中でさっさときりあげた』とか
『おやつをくれなかった』とか
『お客さんとばかりしゃべってかまってくれなかった』とか
『ドアを開けてくれと頼んだのに無視した』などの言い分で
抗議のおしっこ、もしくはうんこをする。
それは必ず抗議の対象となる相手のテリトリーにする。
夫にならば事務所のデスクの前かコピー機の前。
私ならリビングの私のパソコンの周辺。
同居の私の母へは、台所の冷蔵庫前…というように。
彼女と私達のあいだには暗黙のルールがある。
『畳の上と絨毯の上にはしない』
『おばあちゃんの部屋ではしない』
『替えのきかない寝具の上にはしない』
教えたわけではないが、とにかく私達が「ちっ、まぁいいか」
と思える場所(さっと拭き取ればいいフローリングか、替えがたくさんある座布団や、ソファカバー)にだけする。
犬は言葉がしゃべれないし涙も流せないから
変わりにこうして粗相で訴えてるのだと思う。
おしっこはわんこの涙がわり。
大好きな人がやってくると大喜びのあまり、やはりおしっこをちびる。
あれはうれし涙。
今日は初めてルールを破り夫のかけ布団の上に粗相した。
上の写真はこっぴどく叱られ、涙も枯れ果てふて寝する図である。
言わずと知れたペコちゃんである。
ハンドルネームからもお察しのとおり、ペコちゃんファンである。
ペコちゃんは、「peko」と書くのに、なんで「peco」なのか?
と疑問に思われるかたもいると思う。
深い意味はない。
間違えたのである。
私ではない。
最初に某サイトでゲスト日記を付けることになった際ハンドルネームをきかれ
「ペコでお願いね」とメールしたところ、
「peco」と名付けられたのである。
多分先方は男性なので、不二家のペコちゃんを意識していなかったのだろう。
で、そのままpecoでとおしている。
てなわけで、不二家のペコちゃん好きのpecoです。
この貯金箱は、ペコちゃんのお菓子の詰め合わせをいただいた際に入っていた。
以来、へそくり用としてリビングにいる。
ほおづえをついて「ねぇ。早くお金いれてよ~」と微笑んでいる。
いや、あの純朴なペコちゃんがそんなことは言っていないかもしれないが、
この微笑みにつられて、ついついちゃりんちゃりん入れてしまう。
主に500円玉。
スーパーなどの行きつけの店でポイントがたまって、金券が出ると、
それを使う際にはその分だけこのペコちゃんにいれている。
結構これがたまるものである。
貯金箱は絶対、愛想らしい(←金沢弁です)ものがオススメ。

ハンドルネームからもお察しのとおり、ペコちゃんファンである。
ペコちゃんは、「peko」と書くのに、なんで「peco」なのか?
と疑問に思われるかたもいると思う。
深い意味はない。
間違えたのである。
私ではない。
最初に某サイトでゲスト日記を付けることになった際ハンドルネームをきかれ
「ペコでお願いね」とメールしたところ、
「peco」と名付けられたのである。
多分先方は男性なので、不二家のペコちゃんを意識していなかったのだろう。
で、そのままpecoでとおしている。
てなわけで、不二家のペコちゃん好きのpecoです。
この貯金箱は、ペコちゃんのお菓子の詰め合わせをいただいた際に入っていた。
以来、へそくり用としてリビングにいる。
ほおづえをついて「ねぇ。早くお金いれてよ~」と微笑んでいる。
いや、あの純朴なペコちゃんがそんなことは言っていないかもしれないが、
この微笑みにつられて、ついついちゃりんちゃりん入れてしまう。
主に500円玉。
スーパーなどの行きつけの店でポイントがたまって、金券が出ると、
それを使う際にはその分だけこのペコちゃんにいれている。
結構これがたまるものである。
貯金箱は絶対、愛想らしい(←金沢弁です)ものがオススメ。

スターバックスの初心者向けの珈琲セミナーに行ってきた。
珈琲は大好きで、一日に数杯は飲んでいる。
雰囲気を楽しみたくて手動のミルも買い、そのつど豆を挽いている。
でも本格的にドリップするのではなくて、珈琲メーカーを使っている。
このへんが私の中途半端なところ。
しかも、豆の違いもよく分かっていない。
お店のオススメのブレンドものを買ってきている。
産地による違いとか、豆によってのいれかたの違いなんかも知らない。
で、時間もあったので参加してみることにした。
8人の定員に5人の参加者。
はじめはなんだか、皆さん緊張してたけど、
2時間弱一緒にいろんな珈琲のテイスティングをするうちに和気あいあいとした空気が流れた。
そのなかにおひとり、いろんな教室に参加されているかなりの通の方がいらして、
休憩中に伺ったお話がとても面白かった。
スターバックスの教室での珈琲の入れ方は、残念ながらドリップ方式ではなく、
プレス式コーヒーメーカを使っていれるやり方だった。
とはいえ、入れ立ての珈琲はとびきり美味しかった。
違う豆を飲み比べてみると、はっきりその違いが分かった。
なんだか、リッチでセレブな奥様気分を味わう昼下がり。
豆の保存方法や、挽き具合などもいろいろ質問して教えてもらった。
ピーチタルトの試食もあって、しかも写真のようなお土産付き。
2時間弱のセミナーで参加費3千円は高めかな?と思ってたけど、
お土産についた1人分用のプレス式コーヒーメーカーには1780円、
ミルクフォーマー(手動でミルクを泡立てるやつ)には2100円の正札がついてたし、
コーヒー100グラムもついていたので、完全にもとはとれている。
ていうかむしろ大もうけ。
………ああ、こういう計算をするところが
リッチでセレブな奥様になれない理由かもしれない。
6月にはアイスコーヒーのセミナーがあるとか。
また行こうかな。
珈琲は大好きで、一日に数杯は飲んでいる。
雰囲気を楽しみたくて手動のミルも買い、そのつど豆を挽いている。
でも本格的にドリップするのではなくて、珈琲メーカーを使っている。
このへんが私の中途半端なところ。
しかも、豆の違いもよく分かっていない。
お店のオススメのブレンドものを買ってきている。
産地による違いとか、豆によってのいれかたの違いなんかも知らない。
で、時間もあったので参加してみることにした。
8人の定員に5人の参加者。
はじめはなんだか、皆さん緊張してたけど、
2時間弱一緒にいろんな珈琲のテイスティングをするうちに和気あいあいとした空気が流れた。
そのなかにおひとり、いろんな教室に参加されているかなりの通の方がいらして、
休憩中に伺ったお話がとても面白かった。
スターバックスの教室での珈琲の入れ方は、残念ながらドリップ方式ではなく、
プレス式コーヒーメーカを使っていれるやり方だった。
とはいえ、入れ立ての珈琲はとびきり美味しかった。
違う豆を飲み比べてみると、はっきりその違いが分かった。
なんだか、リッチでセレブな奥様気分を味わう昼下がり。
豆の保存方法や、挽き具合などもいろいろ質問して教えてもらった。
ピーチタルトの試食もあって、しかも写真のようなお土産付き。
2時間弱のセミナーで参加費3千円は高めかな?と思ってたけど、
お土産についた1人分用のプレス式コーヒーメーカーには1780円、
ミルクフォーマー(手動でミルクを泡立てるやつ)には2100円の正札がついてたし、
コーヒー100グラムもついていたので、完全にもとはとれている。
ていうかむしろ大もうけ。
………ああ、こういう計算をするところが
リッチでセレブな奥様になれない理由かもしれない。
6月にはアイスコーヒーのセミナーがあるとか。
また行こうかな。















