招きねこの手も借りたい

主婦のち仕事、ところによって母、時々芝居。

久々の婦人科

2007年11月29日 | 日常
私生活で、いろいろ心が折れそうになる出来事が続き、
ブログを続ける心のゆとりもなくなりそうになっていたのですが、
皆さんからのコメントに励まされ、
とにかく前向きにやっていこうという気持ちになりました。


というわけで。

健康が自慢の私とはいえ、ここ最近病気というほどのこともないにしろ、
なんだか不快な症状がたくさんあり、
それもあって気分もどんどん憂鬱になる。
思い切って婦人科の更年期専門外来に行ってみた。

予約がとれなかったため、随分待たされた上、
問診はとても短く(その分事前に山ほどの質問用紙にいろいろ症状について記入させられた)、
血圧、血液検査、骨密度検査をして、
結果は次週ということになった。
私の抱える不快な症状は、
年齢的に見てほぼ更年期障害に間違いないだろうという、
あまり嬉しくない医師からの言葉。

わりと皆さん、婦人科より先に内科や整形外科や、心療内科などを受診し、
よく原因が分からないままいろんな病院をはしごすることになるらしい。
私達世代は、とりあえず婦人科でホルモンのバランスを調べてみるのが
どうも手っ取り早いという先輩方のすすめに従ってみた。

私の友人達など、どの科に行こうが、
結局「加齢のため」「加齢が原因」「加齢だからしかたない」と言われる人が多かった。
名付けて、「加齢なる一族」。
全然華麗じゃない。

女性ホルモンを補うだけで、随分症状が軽減され、
気分も晴れやかになるという。
お肌の調子もついでによくなるし、
声に張りと艶も戻ると聞けば、そりゃあやってみる価値ありである。

しかし、私が本当に「加齢なる一族」の仲間入りかどうかは、
とりあえず来週血液検査の結果を聞かないと分からない。

骨密度も、加齢とともに下がるらしいのだが、
私の場合骨密度はものすごく良かったようだ。
看護士さんも驚いていた。
「100点満点。いえ、120点満点ですよ。」だってさ。

前にカーブスで筋肉とか体脂肪とかいろいろで出した身体年齢は
年齢プラス10歳でショックだったし、
岩盤浴で測った血管年齢も年齢プラス10歳くらいで驚いた。
しかし、骨だけはものすご~く丈夫らしい。

自分の身体が若いのか、おばちゃんなのかよく分からん。

さて、来週の結果はいかに。
そして、改善されるのか心と身体の細かい不調。

医師に勧められ、大豆イソフラボンのサプリメントの三ヶ月無料モニターも
申し込んできた。

自分の身体は、ちゃんとメンテナンスしなくちゃね。
皆さん、何かやってます?

気遣い、心遣い

2007年11月26日 | 日常
私は健康である。
家族がみな体調を壊している今、
私が健康であることが大切だ。

以前、私は看病キャラだとブログに書いたと思うが、
自分では病人の看病や介護は慣れているつもりでいた。

大きな誤解だった。

病気らしい病気をしたことがなく、
入院経験はお産の時のみ。
盲腸の手術すらしたことがない。
先日娘と話しをしていて、私が点滴をしたこともないと言ったら、
とても驚いていた。
熱が出ても、37度台ならば寝込むことなく生活できる。
快食快眠快便。

ここまで読むと、「なんだ、健康自慢か?」と思われるだろう。

健康であることは私の数少ない取り柄だし、もちろん自慢だ。

しかし、そのせいで私は心身の弱っている人に対する気遣いがない。
ふだんの生活での気遣い、心遣いはできるほうだと思っているが、
これが病人や、病弱な人に対してはどうも想像力が働かないのだ。

夫は、体力が落ちしんどそうにしている。
体調がすぐれないあまりに不機嫌になったり、
逆ギレしたりされると、「???」と感じてしまう。
抗ガン剤をいれた直後は、身体や頭の中がざわざわして苦しいと
言われても実感として分からない。
大変だね。効いている証拠なんだろうね。
毒をもって毒を制すだね。
などという、呑気なことしか言えない。

母がひじょうに弱気になり、時折
「こんな状態(昔のようにテキパキ家事ができない)なら消えてなくなりたい」
とか
「あんた達に迷惑かけるくらいなら早く死んだほうがいい」
などと超ネガティブ発言をする意味も分からない。

娘が私の言動ひとつひとつに反応して、
ふとしたきっかけでスイッチが入って体調を崩すことについても、
どうしていいか分からず、おろおろするばかりだ。

私には弱った人に対するデリカシーがないのだ。
相手の立場にたって、その状況や心理を想像する力に欠けているのだ。

私が何か言ったり、やったりすることで、
どんどん病人たちの状況が悪くなる。


なんとかこの状況から脱しようと、
母には介護認定を受けてもらい、
訪問看護に定期的に看護士さんに来てもらったり、
体調のいいときには、デイサービスで気分転換してもらえるように、
手続きをすすめているが、残念ながら役所仕事は進度が遅い。
それに、私と母などよりも
もっとせっぱ詰まった困った家庭は山ほどあるため、
今ひとつ担当者の反応も悪い。


次兄と長兄に電話して母のことを相談したら、
「お前の年齢からしたら、更年期でイライラしているんじゃないか?」
と言われた。
ほしかった答えとは、ずれている。
ずれてはいるが、全くはずれでもない。
とりあえず、数日後婦人科でホルモンバランスを見るための
血液検査をしてもらうための予約をした。

私が更年期で心身のバランスをくずしていて、
家族とうまくやれないのであれば、ホルモン治療をすればいい。
しかし、原因がそれではなかった場合、
私自身が根本的に変わらなければならない。

いや、原因がそこだったとしても、
早急に私の考え方や人への接し方を変えないと、
このままでは共倒れになる。

自分を見つめ、家族との関係について真剣に考えるために、
天が与えたきっかけだと思いたい。

でも、今は平穏無事な家庭がうらやましくて仕方ない。
どんなに外から見て平穏無事に見えても、
中ではもしかして大変なのかもしれない。
それは理屈で分かっているが、
今は羨ましい。





携帯デビュー

2007年11月25日 | 日常


母が携帯デビューをした。
84歳でのデビューは、少し遅いかもしれないけど。
ストラップに仏様と鈴をつけるところが母らしい。

母の自室にはNTTの固定電話があるのだが、
最近耳が遠くなって、かかってきた電話の声が聞き取りにくいと言う。
トイレに立ったり、階下のリビングにいるときに電話がかかると、
電話に出られないことも多い。
そして、近頃やたらとヘンなセールスの電話がかかったりもする。

それならいっそ、固定電話をやめて、
老人向けの、音が受話音量の大きい携帯電話にして、
電話番号を本当に知らせたい人だけに教えておいたほうが
いいのではないかということになった。

機種もいろいろ迷ったが、
どう考えても母にカメラ機能やメール機能は必要ないだろうし、
あれこれ押すところがあっても、
覚えにくいだろうということで
一番シンプルな、まるでエアコンのリモコンのような機種にした。

電話番号登録は3件しかできないが、
ほとんど外出をしない母は、
私の携帯、次兄の携帯、長兄の携帯の番号が登録してあれば、
事足りると思う。

昨夜、さっそく試しに次兄の携帯に電話した母。

「あたし、携帯電話にしたから。あんたに一番先に電話かけたよ。
 番号の登録よろしくね。」

おお、いい感じだ。

次に長兄の携帯へ電話。

「これ、あたしの携帯。今度からこっちにかけてね。
 あら、あんたの声がよく聞こえるわ。」

おお、いいじゃないか。

これでもう、へんなセールスの電話もかかってこないからいいよね。
電話番号は、あと数件の親戚に知らせればいいね。
しばらくして、母にそう言うと、

「あら、※※のとこ(次兄のとこ)に電話番号知らせないと。」
と言う。

おいおい。
さっき、一番に電話したじゃないの。

「あら、あたしは△△(長兄のとこ)には電話したけど。」

こら~っ。
いくら長兄が好きだからと言って、
次兄のところに電話したのを忘れるのかいっ。

全く、先が思いやられるぞ、母の携帯ライフ。


似ているもの

2007年11月23日 | 日常
寒い中、食材の買いだしに出かける時は完全防備をする。

帽子(いわゆるしょうちゃん帽型の毛糸のやつね)、
マフラー、
白いフリースのジャケット、
白いコットンパンツの下にはズボン下(女性用股引ね。若い時は絶対着用しなかった)。

で、買い物に便利なウエストポーチをしているため、
フリースジャケットの腹部は微妙に膨らんでいる。

私があと10年若ければぎりぎり「妊婦?」と思われないこともないと思うが、
残念ながら現時点での私の場合、
ただのむくむくもこもこしたおばちゃんである。

買いだしを終え、バスを待っているあいだ、
ふとショーウインドウに映った自分の姿を見て
「何かに似ている」
と思った。
それがなんなのかは、とっさに分からなかった。

ちょっとダサめなニットの帽子。
短い首にむりやり巻き付けられた赤いカシミヤマフラー。
腹部が妙に膨らんだ白いもこもこしたフリース。
久しく理髪店で顔剃りをしていないため、
私の眉は黒々とした一本眉に近くなっている。
一応黒目がちな丸い目。
寒さで真一文字に結んだ唇。
色白で丸顔。


さぁ、ここまで書くと皆さんもおわかりかもしれない。


答えは「雪だるま」に似ているである。
西洋のハイカラな雪だるまのイラストではなく、
昔からよくある日本の伝統的なほうの雪だるまのイラストに似ていたのだ。

カーブスで少しずつでも筋力をつけ、
食生活を変えてわずかではあるが体重を落としつつあるとはいえ、
厚着をすれば雪だるま。

嗚呼。

雪原に佇む丹頂鶴とか、
湖面を優雅に進む白鳥とか、
草原を駆け抜ける雌豹とかに
一度でいいから似てみたいものだ。

ストーカー行為と、恋する乙女の心のさかいめについて

2007年11月22日 | 日常
先日、某スポーツ選手にストーカー行為を続けた
41歳の女性が逮捕された。

1日にメールを百通送るとか、
入院中の病室に勝手に入って、手を握っていたとか、
ストーカーされている立場としたら
本当に迷惑な話だったと思う。

これでようやく練習に集中できるだろうし、
良かったなぁと思う。


が。
この41歳のストーカー女性のことがちょっと哀れに思う。
好きで好きでたまらなかったんだろうなぁとか、
身近な存在を相手に恋愛をするきっかけを
どこかの時点で失ってしまったんだろうなぁとか、
自分の頭の中で描いた物語の中だけで生きてきたんだろうなぁとか、
考えれば考えるほど、その女性のことが他人事ではないように思えてくる。

もちろん、やったことは許されることではない。
けれども、このストカー行為というのは、
恋する乙女の一途な思い込みと紙一重のところにあるように思う。

ここを読んでくれている皆さんには身に覚えはないだろうか?

私は小学校の4年生くらいから高校2年生あたりまで、
片思いの相手に対して、
かなりストーカーぎりぎりな追いかけ方をしていたように思う。

例えば。
小学校時代は、憧れの先輩が登校してくるのを
毎朝下駄箱の陰で待ち続けるとか、
○曜日の○時限目の家庭室移動の際に、
理科室に移動する先輩とすれ違えるとかを、
ものすごい熱意と情熱で調べ上げていた。

中学校時代は、好きな人の後を追跡して自宅をつきとめ、
休日に偶然出会わないかと、その周辺をうろつくとか(←これはかなりストーカー的だと思う。)
好きな人の持ち物を観察し、勝手に同じものを買って
ひとりお揃い~♪と喜んだり(←これもかなり危ない奴だ)
無記名のラブレターを連日下駄箱にいれていたこともある(←これなんかされたほうは絶対気持ち悪かったと思う。)

高校時代には、同じバスになるように毎朝時間を調整したり、
自宅に電話をかけて偶然彼が出ないかとどきどきし、
結局途中で切ってしまったり。(←これも今思うと迷惑な話である)

その他にも、好きな人と同じ組の子に頼み込んで、
写真を隠し撮りしてもらうとか、
彼が書いたメモ書きとか、書き損じのノートをもらってもらい、
大事に持ち歩くとか、
もう、ここには書けないような恥ずかしい
あんなことこんなことをしまくった記憶がある。

ああ、思い出すだけで赤面である。

こんな私にも、一応付き合ってくれないかと言ってくれる人も
いないわけではなかったが、残念ながらどうしても私は、
自分を好きになってくれる人を好きにはなれなかった。
自分が好きで仕方がない人に振り向いてもらいたかった。

そんなわけで、結構なりふりかまわず
好き好き光線を出しまくり、
恥ずかしい恋する乙女行動をとり続けていたのだ。

おかげさまで、そこそこのところで相思相愛の相手を得ることができ、
それなりの理性と常識もついたため、
いつまでも夢の世界で生きて、ストーカー行為に走るということがなくてすんだ。

でもね。
私だって、もしかして一歩間違えたら
この41歳のストーカー女性と同じ道を歩んでいたかもしれないと思う。

結構思い込み激しいし、想像力もたくましいし、
恋愛に関しては、わりと自分に都合良くものごとを考えてしまうし。

この記事読んで、どん引きした人、「私も!私も!」と思った人、
どちらが多いだろうか?

自分の恥ずかしい時代について、
いろいろ思い出すきっかけになった事件ではあった。




冷え込んでます

2007年11月21日 | 日常
こちらは、ほんとに寒い。
わがやのアイドルちとせは、こんなかんじ。



いったい何にしがみついているのでしょう?
はい、良く見てみましょう。

夫のメタボリック腹が、ほどよいクッション性と、
ぬくもりがありどうやらお気に入りらしい。

激写する私に気がついたちとせがどうしたかと言うと…



夫の服のなかにもぐりこんだ。

お前は有袋類かっ。

のどかな午後である。



通院治療

2007年11月17日 | 日常
本日、夫は退院した。
あとの2回の抗ガン剤治療は、通院で行うことになる。

先日の胃カメラ検査で、
胃の部分のガン細胞はかなり減少していることがわかった。

一週間おきにあと2回の治療で、
全ての部位の悪いところが全部消えてなくなってくれるといいのに。

とりあえずは、自宅でのんびり療養できることを喜ぼうと思う。


実は、とある講座を私にしたら長期で受講している。
あと、2回で講座は終了する。
その講座のしめくくりとなる提出物の締め切りが目前にせまっている。

母の手術や、夫の再発で、ほとんど手つかずになっていたのだが、
できないことの言い訳を並べるヒマがあったら、
どうしたら出来るかの方法を考えたほうがいい。

自分で言うのもなんだが、お尻に火がつくと
私は底力を発揮する。
というわけで、今日明日の私は底力の見せ時だ。

皆さんのところには、週明けにでもゆっくりお邪魔します。

頑張るぞっ!


『○○君』よばわりについて

2007年11月14日 | 日常
ちょっとここを読んで、コメントを書いてくださっている皆さんに
お聞きしたいことがある。

「男性を君付けで呼ぶことってありますか?」

私は、ある。

小学校に入ったとき、担任の先生から
「同級生の女の子にはさん、男の子にはくんをつけましょう」
「学年が上の人には、男の子でもさんをつけましょう」
そう教えられたことが、今のこの年齢になってもしみついている。

で、例えば昔の芝居仲間の男性のことなんかも、
先輩以外は全員「○○君」と呼んでいる。
劇団の代表となり、地元演劇界ではかなり名の知れた存在になり、
ほぼ全員が「○○さん」と呼んでいても、私は「○○君」。
今さらさん付けで呼ぶのは、なんだか彼との距離まで遠くなるように感じて、
ずっと君づけのままだった。

自分より年下の芝居関係の後輩など、
「ちゃん」づけは当たり前、呼び捨てのことも多々ある。

このノリで、仕事先でも
自分より年下のディレクターや、ミキサーのことは
「君」付けで呼んできた。
この仕事を始めて、もう20数年たつため、
ほとんどのスタジオのスタッフは年下である。
始めはぺーぺーの下働きだった男の子も、
責任ある立場に立っている。
その彼のことも「君」づけで呼んできた。

もちろん、初対面のクライアントや、
初めて仕事をする外部のスタッフに対しては
年下であろうが、さん付けで呼ぶ。


先日、ずっと会社勤めをしている友人に指摘された。
「男性に『君』呼ばわりは、失礼だよ。
 せめて仕事先では、たとえ年下でも『さん』づけにしたほうがいいって」

そ、そうだったの?

「pecoはさ、今までただの一度も会社勤めしたことないでしょ?
 学生気分のまま、社会人やってるから、
 ちょっとそういうところ気にしないとだめじゃない?」

が~~~ん。

自分で言うのもなんだが、私はかなりの常識人のつもりだった。
マナーとかも、わりと気を遣ってすごしているつもりだった。

男性に君づけは失礼……考えてもみなかった。
どうも人によっては、君呼ばわりされるのを極度に嫌がる男性もいるらしい。

だって今まで「君づけはやめてください」とか
「おい、おい。君呼ばわりはそろそろどうかと思うぞ」
などというクレームはもらったことがない。

そういうと、
「言えないでしょ、ふつう。」
とたしなめられた。

「だいたい、君よばわりしたり、呼び捨てにしてるpecoの事を見てる周囲の人は、
 『わ、生意気な女』とか、『何様?』て、思う人が多いと思うよ。」

え~~~っ?
そうなの~。
そうかなぁ。

どうでしょ?
ちょっと、ご意見ご感想をお待ちしております。
できれば、男性からのご意見も聞きたいです。
旦那様や、周囲の男性へ聞き取り調査が可能な方は、
ぜひ聞いてみてください。

そういえば、うちの夫を「君呼ばわり」するのは、
高校時代の同級生の方が一名のみだ。
でも、あとはみんな学生時代のあだなで呼び捨て。
そして、仕事先には夫より年上の女性は存在しないため、
全員もちろん「さんづけ」だ。
夫自身は、なんて呼ばれようとお構いなしキャラなんだけどね。

「君呼ばわり」、やめたほうがいいのかなぁ。

幸せな時間

2007年11月12日 | 日常


娘の許可を得て、昨日の夫の誕生日の写真を掲載。

そっくり父娘。
夫のとろけそうな笑顔。

娘が、隣りに住む義母も誘ってくれたおかげで
(気ままなひとり暮らしを満喫している義母はめったに私たちの家でご飯を食べない)
昨夜は、夫、娘、義母、母、私のにぎやかな食卓だった。

しばらく娘はこちらに滞在して私を助けてくれる。

いっとき体調を崩しかけた母も、
可愛い孫娘が帰ってきたおかげでまた持ち直した。

私にはできないことを、
娘がやってくれている。



希望

2007年11月10日 | 日常
夫の治療方針が変わった。

使う予定だったこれまでと同じ薬を中止して、
新薬を使うことになった。
昨日丸一日がかりかけて、その抗ガン剤を点滴し、
アレルギー反応が出ないか観察し続けた上で、
異常がなかったため無事今日明日と外泊許可が出て帰ってきた。

新薬のメリットは、とてもよく効くということと、
悪いガン細胞だけを攻撃し、他の細胞を傷つけないため、
副作用が出ないということだ。
デメリットは、大変高価な薬のため、
保険診療でやれる回数や期間が国で定められているということ。
自費でやるとすると、かなりすごい額になるらしい。
らしいというのは、まだ具体的なことの説明がないからである。
とりあえず夫は、今月4回の新薬治療を行う。
これは保険診療内なので、
高額医療手続きをしてある私たちに支払えないような請求はこないだろう。

ただ、次に再発したときにどうなるのかというと、
かなり選択肢が狭くなってくる。

骨髄移植の話しも出るには出たが、
どうやら夫の年齢だとリスクが高すぎて危険らしい。
もともと夫は臓器移植や骨髄移植に関しては、
他の人がする分にはいいけれど
自分がそうしてまで長らえたいと思っていない。
ということで、すぐに選択肢からはずされた。

どんどん新薬が開発され、
その時その時で新たな展開があるかもしれないと楽天的に考えたい私だが、
夫は最近どうも腹をくくりつつある。

「人間いつかは死ぬ」
「早いか遅いかだけ」
「悔いのない日々を送ることが大事」

そりゃそうなのだが、やはり私はじたばたしたい。

奇跡はおこるものではない、おこすものだと思っている。
画期的な治療法が生まれると信じていれば、
必ずその日が来ると思いたい。

「こういう時は先々のことをあれこれ考えているよりは、
目の前のことを粛々と片付けていけば必ず明かりは見えてくるよ。」

先日そんなメールをいただいた。


今日は、地物の香箱蟹と、おでん、地酒で
みんなで食卓を囲んだ。

食欲が落ちてやつれていた母が、
今日はたくさん食べることができた。
夫は終始にこにこ食べている。
娘もおでんをおかわりして食べた。

家族で食事をする…
ただそれだけのことが、こんなに愛しい時間だということに
気がつくことができたのは、
夫と母の病のおかげだ。

明日は夫の誕生日。

丁寧に、大事に時間を過ごそうと思う。



落胆

2007年11月08日 | 日常
本当なら今日と明日で、2回目の治療を行うはずだった夫。
ところが血液の数値の回復が思うようにならず、
治療は見送られた。

いつもなら3週間おきに治療を行い、4回から6回の治療で寛解…
という流れだった。
発病しても薬でたたいてやっつければいい!
そう思ってきた。

しかし、今回はどうもそういうわけにはいかないようだ。

血液の数値を薬でむりやりあげて、
治療を続けることも可能らしいし、
その他にもいくつか選択肢があるとのことで、
詳細は明日担当医から夫に説明がある。

今の段階であれこれ心配していても仕方がないが、
夫は珍しくショックを受けているらしい。
「らしい」というのは、
夫は私には直接自分のショックな気持ちを伝えていないからだ。
娘にだけメールで、治療が延期になったこと、
自力での数値の回復の限界を感じて
ショックだったことを伝えたのだ。

娘からそれを伝え聞いて、
私は夫が私に本音を言わなかったこともショックだった。
私に自分の動揺を伝えると、私がおろおろし取り乱すだろうと判断して、
平静を装っているのだとしたら、
私は病気の夫に気を遣わせていることになる。
支えているつもりで、夫に支えられているのだ。

娘は、家族がそれぞれ自分のできることをやっていこうと言っている。
おとうさんが私に本音を言えるのならそれでいい。
その分おかあさんは、おばあちゃんのことを支えてあげればいい。
力を合わせて支え合おう、それが家族だよ。

自分自身も、心身の調子が良くない娘が、
そんなふうに言ってくれた。

私は、娘のことも、夫のことも、母のこともちゃんと支えきれていない。
しっかりしなくちゃ。

明日は次兄とともに、母の検診に行ってくる。
母は、術後あんなに元気になったのに、
ここ数日の衰え方はとてもひどい。
明日は、どうか夫にも母にも良い方向が見えてきますようにと祈りながら眠ることにする。


25年目のペアルック

2007年11月07日 | 日常
相変わらず、ぐずぐず微熱が出たり下がったり、
喘息の薬をしわすれたら息苦しくなったり、
ちょっとここには書けないあれやこれやもあり、
今朝までかなり消耗してしまった。

母の体調ががくんと悪くなり、
精神状態もちょっと軽い老人性のうつのような部分も見え隠れした。
来週月曜日の検診を、母を説得して今週金曜日に早めてもらうことにした。
母はへんなところに中途半端に気を遣う人で、
病院に迷惑がかかるとか、
送迎する次兄に悪いとか、
あれこれ言って我慢しようとする。
そのうち「消えてなくなりたい」とか「このまま死んでしまえば迷惑がかからない」
などと言い出す始末だった。
手術が成功したとき、「生まれ変わったみたいや」と言っていた母とは別人のようだった。

とにかく早く担当医に相談しようねと次兄と2人で説得。

そして、介護認定もうけて利用できるサービスを利用することにした。
母は他人が家に入るのを極度に嫌がるし、
自分がデイサービスに行ったりして他の老人と関わることにも消極的だった。

しかし、このままでは私だけの力ではいつか限界が来る。
母に対して優しく余裕をもって接することができるように、
行政や民間のサービスを利用してみようと思った。

今日は、私たちの地区担当の相談員の方に家に来てもらい、
いろいろ相談にのってもらった。
とても良い方で私が知らなかったいろんな情報を教えてくれ、
たまっていた母への愚痴もしっかり聞いてくれた。

母と会って、母のかたくなになっていた気持ちをほぐし、
デイサービスや、訪問看護派遣に対する偏見やとまどいを
ゆっくりと溶かして行ってくらた。

しんそこありがたいと思った。

そして、さっき。
これが宅急便で届いた。



お揃いのフリースの部屋着。
夫が、先日外泊許可で帰ってきたときに注文しておいたらしい。

私たちはペアルックをすることはこれまで
皆無に近かった。
新婚旅行にペアのスニーカーを履いて行って以来かもしれない。

しばらくは夫は病室で、私はうちで別々にペアルックだが、
そのうち自宅でこれを着て並んでソファに座る日が来るはず。

今日は、そんなわけでちょっとほっとできた日になった。

今日の雑感

2007年11月04日 | 日常
孝行娘がぶつけた車の傷を治しに出しておいたのができてきた。
友人の旦那さんが経営する修理工場は、
丁寧な仕事でお値段もリーズナブル。

私が免許とりたてでぶつけまくっていた当時も
大変お世話になった。
私が運転しなくなってからは工場へ行くのは、
タイヤ交換の時くらいだったので、久々だった。

諸般の事情を察して、かなりサービスしてくれたようだったが、
それでも6桁の大台には乗った。
今のこの時期「あいたたた」という感じではあるが、
ぶつけて上手になっていくというのはよく分かる。
(私にはたまたまあてはまらなかったが…)
孝行娘は、こちらにいる間に驚くほど運転技術があがった。
軽自動車しか運転していなかった彼女が、
大きめのうちの車をなんとか乗りこなす様子は頼もしかった。
病院の行き帰りや、買い物も多いに助かった。

それを考えれば安いものだと夫は言う。
彼女は、私のようにペーパードライバーにはならず、
どんどん運手して上手になっていくと思う。
ぶつけまくって、膨大な修理費をかけたくせに、
もう恐ろしくて二度とハンドルを握る気のない私よりよっぽどいい。

とにかく運転に対する度胸が、私に似なくて良かったとほっとしている。

私のへたれ運転に関するエピソードは、
自動車学校時代を含めるともうブログネタの宝庫なのだが、
私自身あまりのへたれっぷりに
書こうとしては、情けなくて手がとまってしまう。
私の弁慶の泣き所である。

夫は、さっきその治りたての車を自分で運転して病院に帰っていった。
運転上手な女房なら、病人に運転させずに送迎するところだろう。
夫は、もう私にそれをのぞまなくなった。

しかも、私の風邪は長引いている。
今日はなぜか37度2分から下がらない。
明日は仕事と、銀行の用足しだけにして、
夫の病室にはいかないことにした。
夫にももちろんうつしたらいけないし、
同室の他の患者さんも風邪ひきの人間が出入りするのはイヤだろうと
夫に言われた。

「役立たず」
という言葉が脳裏をかすめる。



神業のような体温調節

2007年11月02日 | 日常
夫が外泊許可で帰ってきた。
しかし今回の帰宅は手放しで喜べない。
本当ならばこの週末は2回目の抗ガン剤治療を行うため、
帰宅できない予定だった。
ところが、1回目の治療の副作用でがくんと下がった
血液中のさまざまな成分の値の回復が遅れたため、
治療が延期された。

とりあえず、家に帰って美味しいものをたくさん食べて元気をつけて帰っておいで
と、担当医に背中を押されての帰宅だ。

私は午前中銀行や市役所での用足しを終え、
夫と待ち合わせて一緒に帰ってきた。
治療が延期されたということをマイナスにとらえず、
帰宅出来て良かったね、気長に行こうねというふうに考えようと話し合う。

夫の体調管理のために体温計を買い換えた。
今まで使っていたものは温度表示のところが小さくて、
老眼気味の夫は読みにくいようだったので、
表示部分が大きいものにした。

夫が測る。
36度ジャスト。最近彼は低体温だ。
私も測ってみよっと。
…………37度4分。
あれっ?

夫は開口一番「側を離れろっ」
そ、そんなぁ。
そりゃあ、抵抗力が落ちている夫に風邪がうつったら大ごとである。
そう言われてもし方がないけどさ。
そんな、人をばい菌の固まりみたいに言わなくても…。

私にとって37度4分くらいは全然平気な範囲である。
いちいちそれくらいで寝込んではいられないし、
気にもならない。
もしかして、昨日転倒した時点でも37度台の熱があったのかもしれないが、
することがいっぱいあったので、
熱を測ったりしなかった。

体温を知ってしまったことで
なんだかちょっとしんどい気分になってきた。

とにかく寝よう。

午後2時にぬくぬくの格好をして布団に潜り込む。
mamaさん直伝のトクホンはないけれど、
かなり着込んで布団をかぶって寝る。
4時半には起きて洗濯物をとりこみ、
夕飯の支度をし、5時半には生協の共同購入の商品をとりにいかねばならない。
それまでに平熱に戻すっ!
と自分に言い聞かす。

午後3時すぎ、熱は38度まで上がる。
ひたすら耐えて、がんがん水を飲み、汗が出るのを待つ。
出た。大量の汗。
着替える。
また寝る。
ジャスト4時半。
熱は37度ジャスト。

おしっ、いけるぞ。

起き上がり、パジャマから部屋着に着替え、
洗濯と、食事の支度、生協の商品のひきとりをこなす。
この間、夫と母に風邪がうつらないようにマスク着用。
みんなで食事をとり、後片付けをすませて
パソコンに向かっている。

そして今、これを書いている時点で私の熱は37度2分。
今日は夫とは寝室を別にする。

家事をする時間帯に体温を下げることができる神業をもつ主婦。
それが私だ。
ていうか、もう寝る。
明日の朝には36度台にしておきたい。

みなさん、おやすみなさ~い。

泣き面に蜂

2007年11月01日 | 日常
たっぷり寝て起きたのに、やはり身体はだるい。
持病の喘息の発作まで強くなっている。
いかん、いかん。

今日は仕事の都合で、朝、家を出たら昼に戻って来られないため、
母の昼ご飯の支度をしてから出かける。
牛肉のしぐれ煮、くるま麩と玉葱の煮物、なめこのおろし和え、千枚漬け。
温めて食べるばかりにし、母の部屋とリビングをざっと掃除して、
家を飛び出す。

スタジオを2軒まわって収録し、
かかりつけの内科の先生のところへ。
先生とは長いお付き合いで、この私のブログもご覧になっているため、
こちらの事情はよく分かっておいでる。
話しも早く、風邪薬とともに、
喘息の治療も腰を据えてちゃんとやることになり、
薬を出していただく。

やれうれしや、これで少しはラクになるぞと思いつつ、
雨のなか銀行に向かう途中、
なぜか思いっきり転ぶ。
カエルがひしゃげたような無様な格好でうつぶせに倒れる。
何にけつまずいたのか、滑ったのか、今となってはよく分からない。
白いコットンパンツは水たまりにつかってびしゃびしゃ。
黄緑色のベストにも泥。
白いTシャツの袖口もぐしょぐしょ。
持っていたショルダーバックの側面も雨水がたくさんついた。

手のひらもすりむき、おそらく膝小僧もすりむいている。

私が5歳児ならば、号泣するところだが、
残念ながら転んで号泣するような年齢ではないので、
頑張って無言で起き上がる。

たくさん人通りはあるにもかかわらず、
誰ひとり手を差し伸べるどころか、
「大丈夫ですか?」と声をかける人もいなかった。
まぁ、声をかけられたらかけられたで恥ずかしいのだから、
ほっといてくれて逆にありがたいとも言えるが、
なんて冷たい街になったのだとも思い、ちょっと寂しい。

夫に、転んでどろどろになったことをメールしたら
「靴が古くなっているのだと思う。早急に新しい靴を買い滑らないようにしなさい」
というなんだか、的を射ているのかとんちんかんなのか微妙なメールが返ってきた。
夫はいつもそうだ。
私がほしいのは解決策や打開策ではない。
共感である。
「おお~、痛いか?大丈夫か?」
そういうメールがほしいのだ。

まぁ、いい。
夫はきっとずっとこのままだ。
これは夫なりのやさしさなのだ。

銀行へ行く。
事務所の経理上のことはスムーズに行ったのだが、
プライベートのほうの通帳から生活費を引き出そうとしたら、
印鑑を忘れてきていた。
キャッシュカードは夫に渡してあるので
印鑑がないとおろせない。
嗚呼。

「落ち込んだときはとりあえず飯を食え」byうちの次兄

この言葉を思い出し、市場のなかにある定食屋さんへ。
ここは700円でおかずが3品もついてほんとに美味しい。
食べたら少し元気が出る。

勢いにのり、市場とデパートに寄り、
孝行娘には地元名産の「五郎島金時」を発送。
週末帰ってくる夫と、母のために栄養のありそうな食材を買う。

へろへろになりながらも帰宅すると…
用意していった母のための昼食が全く手つかずになっていた。
な~~~ぜ~~~。

「なんか、お腹空かなくてさ。」

ああ、そうなの。
がっくり。

今日は、どうもそういう日のようである。