招きねこの手も借りたい

主婦のち仕事、ところによって母、時々芝居。

畳替えしました

2008年10月31日 | 日常
思い立って寝室の畳を替えた。

残念ながら男前の職人さんではなく、
きびきびしたお姉さんがやってきた。

最近は女性の畳職人が増えてるとのことだった。

新しい畳の香りは心が休まる。

夫が、年末に向け畳を替えようと言っていたので、
きっとあの世から喜んで見ていることだろう。

もう畳に、がしがし掃除機をあてるような、
愚かなことはしない。

デパートの江戸の職人展で買った座敷箒で、丁寧に掃除して、
畳を長持ちさせるぞっと。

「P.S アイラブユー」観賞

2008年10月26日 | テレビドラマ・映画
先日、P.Sアイラブユーを観た。

病気で夫に先立たれうちひしがれていた未亡人が、
亡くなった夫から届く10通の手紙と
周囲の人々の助けで自分を取り戻し
新しい人生に向かって歩き出す再生の物語である。

私のために用意されたかのような内容。
これは観るっきゃないでしょう。
本当は、夫とふたりで方言指導をし、
夫がチョイ役で出演もしている
「しあわせのかおり」を観るべきなのだが、
完成試写会をすでに夫と観ているし、
多分今の私が観たらいろいろ思い出して
全然関係ないところで号泣したりしてしまう危険性をはらんでいるため、
観るのはやめた。

ということで「P.S アイラブユー」
かなりネタばれなので、これから観ようと思う方は
この後☆☆☆マークの間はとばしてね。

        


       ☆☆☆

冒頭シーン、思い切りえげつない夫婦げんか。
もうね、なんちゅうイヤな女なんじゃいっ!
て、腹がたつほど主人公の彼女は夫に好き放題まくしたてる。
おいおい、それはどう考えてもあんたの身勝手だろうが…
そんな寛大で陽気な旦那さんになんでそこまで言うか…
と、ほとんどの人が思うと思う。
もちろん私もそう感じたのだが、
この旦那さんが病気で亡くなってしまうと分かっているだけに
「ああ、こんなこと言って、こんな態度とってたら絶対後悔するのに」
「バカバカ、もっと旦那さんを大事にすればいいのに」
と、過去の自分に対するように感情移入し、
もうすでに泣いていた私。

で、病気の発覚や闘病、臨終シーンは全くなく、
いきなり葬儀。
これは私にとって、ありがたかった。
正直、そういうシーンは今観られない。

葬儀が終わって、骨壺と部屋に戻り
ヒロインはそれから数週間引きこもって嘆き悲しむ。
部屋はめちゃめちゃ、悪臭さえ漂う。
DVDを観たり、大声で歌ってみたり。
仕事は休む。
このへんは私とは全く違うのだが、
状況が許せばやりたかったことなので共感する。

あと、夫の声で録音された留守番電話を
何度も何度も聞きながら眠りにつくとこは、
同じことを私もしたのでかなりツボだった。
そして、自分が夫にした数々のことを悔やむとことか、
いないのにいるつもりで話しかけて
「あ、いないんだった」と気がついて落ち込むとか、
原作者は私と同じ未亡人か?と思うほど
(実際はこれを書いた時作者は21歳のお嬢さんだったそうだ!)
夫を亡くした妻の描写はするどかった。

前半で、もう持っていったミニタオルハンカチはしっとりとしてしまった。


が。
彼女の誕生日を祝うために、友人とお母さんが家を訪ねてきて、
夫からのメッセージが入ったボイスレコーダーを聞き、
手紙が届き始めるあたりからは
かなりどん引きするシーンの連続だった。

夫の死を嘆き悲しんでいるのに、
なぜバーでナンパするんじゃ~い。
夫がセッティングしておいてくれた旅先で、
知り合ったばかりの男とすぐにベッドに入ってしまうのは
なんでなんじゃ~い。
で、その彼がなんと夫の幼なじみと分かってからは、
ことが終わったベッドの上で夫の思い出話しをする。
その神経はどうなっとるんじゃ~い。
思わず私は、ひとり髭男爵状態で突っ込み続けた。

精神と肉欲はべつか?
どうも、このへんは日本人の感覚ではついていけない。

ほんでもって、
「あ、私は何かを創造する人になりたかったんだった」
と夫からの手紙がきっかけで思い出し、
靴のデザイナーを目指す。

ふ~ん。
て、かんじ。

そして、彼女を支え続ける次の恋人候補?の男友達が
板尾創路にしか見えなかったのも敗因。
どんなにいいシーンも、
「板尾なのに」と思ってしまって感情移入出来ない私。
それにしてもだ。

あんなに都合のいい男友達がいるか?
自分にあきらかに好意を持っていても、
(このあきらかに好意を持っているというのがポイント)
その下心は出さず
自分の気まぐれや愚痴や雑用に
辛抱強く付き合って支えてくれる。
…………おるかっ、普通そんな男友達。

だいたい、末期の脳腫瘍の夫が
あんなに周到に自分が死んだ後の手配をし、
手紙を書きつづれるかというと疑問。
うちの夫なんか、貸金庫から出てきたのは空っぽの封筒だったし、
事務所の引き出しの奥から出てきたのはエロ本だった。
現実なんてそんなもんだ。

ま、しょせん夢物語。
大人のメルヘン。


      ☆☆☆


観終わって、冷静に考えてみた。
彼女は30歳。
あたしゃ、四捨五入でばりばり50歳、子持ち。
彼女は美人とは言えないまでも、
そこそこキュートでスタイルもいい。
あたしゃ、お多福顔のぽっちゃり体型。
彼女は美大出身で、美的才能が隠されている。
あたしゃ、短大中退で、隠されているのは白髪くらいのもんだ。

比べるほうがおかしいわけで。

キャシー・ベイツが演じていたお母さんが
一番リアリティがあったかな。
亡くなった夫も、人間が出来上がりすぎである。
どんだけ妻を愛してたか知らんが、
ああいう愛情のかけかたは明らかに父性愛だと思う。

そう、あれが例えばものすごく年の離れた夫婦で、
老いた夫が残された若い妻に書いた手紙なら納得だし、
父親が世間知らずの娘に残した手紙なら、
もっと感情移入できたことだろう。

う~む、これ書いた作者はファザコンとみたがどうだろうか?
私はゆがんだファザコンなので、
同じ匂いのするものをかぎつけるのは結構得意だ。


ということで、最近夫を亡くした人以外が観ても
多分「ふ~ん」としか思えないと思う。

あ、だけど他の人たちからことごとく不評の
「エンディングテーマが、洋画なのになぜか徳永英明な件」
に関しては私はOKだった。

なぜならば、夫が最後に私にしたサプライズプレゼントが
徳永英明のCDだったから…。
これは、結構…来た。









笑顔

2008年10月24日 | 日常
仕事や雑用で街をうろついていると、
いろんな場所でいろんな知人に遇う。

で、だいたいほとんどの皆さんは

「どうですか?少しは落ち着きました?」

もしくは

「お寂しいでしょ?」

あるいは

「思ったより元気そうで安心しました」

たまに

「なんだかお疲れ気味みたいですね?大丈夫ですか?」

だいたいこの4種類の言葉が返ってくる。
親しさや年齢により、
それが敬語になったりため口になったりするぐらいだ。

どれも、私を思いやってくれてのことだということは
頭では分かるし、
他に何を言っていいか、正直相手も困ってるんだろうなとも思う。

でも、ぶっちゃけて言うと、

「落ち着きましたか?」と聞かれてもよく分からない。
雑事はようやくゴールが見えたが、
精神的には夫がいないのに落ち着くはずがない。
でも、それを立ち話で説明するわけにもいかないし、
されても先方も困ると思う。

「お寂しいでしょ?」と言われると「ええ」としか言えない。
で、そういうと相手はちょっと困った顔をする。
かといって相手に気を遣って
「いや~、案外平気なもんですね、あはは。」
と言うのもなんだかおかしいし。

「思ったより元気そうで云々」に関しては、
軽く流しておけばいいんだろうけど、
結構どんよりした気分で歩いているときに言われる事が多いので
「お前は、どこ見とるんじゃ~い」とつっこみたくなる。

かといって見たまま
「お疲れ気味みたいですね」と言われると、
そんなに私は負のオーラを出してるのかと落ち込む。


はい、私は面倒くさい未亡人だ。
結局何を言われようが、だめなのである。

「おでかけですか?」
「はい、ちょっとそこまで」的な

「もうかりまっか?」
「ぼちぼちでんな」的な
当たり障りのない世間話が今うまくできないのだ。


今日、思いがけないところで、
思いがけない人とばったり遇った。
その時私は、重たい荷物を持って
結構どんよりした気分で歩いていたのだが、
彼は離れた所から私を見つけ
にっこり笑いながら手を振っていた。
その笑顔がありがたかった。

私も、笑顔で人の気持ちを丸くできる人になりたいと思った。

どこかで、どよ~んとした丸顔の中年女を見かけたら、
みなさん、とにかく笑顔でよろしくお願いします。




意味深な白封筒について

2008年10月21日 | 日常
いろんな相続がらみのめんどくさい手続きがだいぶ終わりに近づいてきた。
頑張ったぞ、自分!
まだもう少し残っているとはいえ、山は越えた。

今日は、その手続き関係に追われる日々のなかでの
とある出来事について書こう。

様々な手続きのために
夫が生前契約していた貸金庫をあける必要があった。

日頃から夫は、
「保険証券のすべて、実印、年金手帳、家の権利書、
 大事なものは全部貸金庫にあるから。
 分かりやすいし、万が一家が火事になっても大丈夫だろ?」
と、鼻の穴を膨らませていたものだ。

普段から、そういう関係は全て夫に任せきり。
恥ずかしながら私は、自分たちがどういう種類の保険に加入しているのかとか、
何のローンがどれだけ残っているのかとか、
全く把握していなかった。

ま、とりあえず貸金庫さえあければ、
夫のことだから分かりやすく整理してあるのだろうと銀行を訪ねた。

そしたら、契約者である夫が亡くなった場合、
私が貸金庫をあけるためには、私の実印がいるという。
私の実印………。

!!!!

貸金庫の中だっ。

夫のばか~っ。

貸金庫をあけるための実印が
その貸金庫に入っているという間抜けな展開に
同情いっぱいの顔で
すまなさそうにしている担当のお姉さん。

結局新たに実印を作り、印鑑登録をしなおすことにした。
確か貸金庫にいれてある私の実印は、
夫がかなりはり込んで頑張っていいものを買ったはずだ。
うう、もったいない。
経費削減のため、新たに作る実印は最低ランクのものにする。
不本意だ。

で、印鑑登録をしなおし、
市役所で諸々の必要書類をとり、
日を改めて意気揚々と貸金庫をあけに娘と出かけた。

貸金庫をあけるのにこんなに苦労するとは思わなかった。


で。
貸金庫の中には夫が言っていたとおり、
私の実印と年金手帳と家の権利書、
「保険証書入れ」と書かれたファイルが入っていた。

ファイルをあけた。

ん?
からっぽである。

えええええっ。
動揺する私と娘。

毎月引き落とされていた何社かの保険料。
契約内容の確認のお便りだってたしかこの前届いていた。
なんで入ってないのだ。

ファイルの間から、はらりと白い封筒が落ちた。

「お父さんから私達へのお手紙かもしれんよ」

保険証券については、後でゆっくり考えることにして、
とりあえずその「お父さんから私達への手紙」かもしれない
白い封筒をあけてみた。

からっぽ。

はぁっ?

なんだ?

そりゃ、映画やドラマみたいに
「愛している。」なんて手紙が入ってるとか、
「どこどこに、金塊を隠してあるので掘り起こしてみなさい」
なんてことが書いてあることを望んだわけではない。

でも、なんで空の封筒を意味ありげにはさんでおくか、奴は。

それならせめて、
「なんか期待した?残念でした。あっかんべ~。」
くらいのメモはいれておいてほしかった。
やることが中途半端すぎである。

それにしても保険証券…。


ま、証券類は家の中の思い当たる場所を
徹底的に探したら全部見つかった。
通帳の引き落としと照らし合わせたので、
多分もれはないと思う。

全面的に私は、夫はしっかりした人だと信頼していたんだが、
どうもそうでもなかったという話しである。

で、なんで白い空の封筒だけいれてあったのか、
ものすごく気になっている今日この頃である。

恐山のイタコに頼んで夫の霊を呼び出してでも、聞いてみたい。



たたりか?呪いか?

2008年10月19日 | 日常
予定があってタクシーをよんで待っていたら、
私の携帯が鳴った。

「あの~、☆☆さんのおうちのお嫁さんの電話ですよね?」
「はい?」
「すみません、私××と申しますが、
 ☆☆さんのおばあちゃん(夫の母)の自転車と私の車が接触して、
 今から救急車でおばあちゃんを搬送しますので、病院に向かっていただきますか?」


一瞬、目の前が真っ暗になった。
夫の四十九日が終わって、今度は義母が事故?
電話の相手もかなり動揺していて、なんだか要領を得ないのを、
なんとかいろいろ聞き出して、
意識はあって、本人は大丈夫だと言っていること、
ただ右半身を強く打ちつけた様子なので検査のために
病院に向かうということが分かった。

楽しい予定のために呼んだタクシーが
病院へ向かうためのタクシーになった。

病院の受付で、義母の名を告げしばし待つ。

処置室に案内されると、
移動ベッドにちょこんと座りつつ
看護士さんたちに
「あたしゃ、大丈夫だ!なんでこんなに待たされるんや。
 ここの病院は、うまいんか?
 骨なんか折れてない。自分で分かる。」
と、毒を吐きまくる小さい老婆。
義母である。

「お義母さん!」
「あら~、あんた忙しいのに、来なくても良かったんに。」

おいおい、お義母さんが加害者の人に私の携帯番号を教えたんだろうが。

「痛いんやろ?」
「まぁ、痛いといえば痛い。」
「見せて。」

母の右肘は青紫に腫れ上がっている。
右足の膝も動かしにくそうだ。

「明らかに、これ検査しないとだめでしょ、お義母さん。」
「あら、そうかい。
 あたしゃ、こんな大ごとにしたくなかった。
 自転車でそのまま帰ろうと思ったのに。」
「そりゃ、無茶だわ。頼むわ、お義母さん。
 とりあえずレントゲン撮って、検査しよう。」

うちの母といい、義母といい、どうしてこう年寄りというのは、
素直に言うことを聞きたがらないのだろう。
だいたい、義母は今朝様子を見にいったときには
お腹が痛いと突っ伏して寝ていたのだ。
それがなぜ、自転車でスーパーに…。

「いやね、お腹は治ったんよ。
 そしたら、肩から腕にかけて痛いのが気になってね」
「それで?」
「栄養ドリンクを飲んで治そうと思ってスーパーに行ったんよ」

なんで、肩や腕の痛みをドリンク剤で治そうと思うのかが理解不能だが、
きっと義母のなかでは筋が通っているんんだろう。

「いらんこと思いついたおかげで、こんな痛い目にあったわ」

やっぱり痛いんかいっ。


レントゲン結果は、骨に異常なし。
打ち身と打撲と擦り傷のみ。
湿布薬と、痛み止めの頓服をもらって帰ってきた。
スーパーで横倒しになった自転車も無傷。
相手の車の持ち主もとてもいい方で、
明日再度病院で診察したうえで診断書をもらい、
一緒に警察で調書をつくる。

その全てに私が付きそうことになる。
頑固で意固地な義母に、分かりやすくいろんなことを説明するのは
結構骨が折れる。
あ、義母の骨が折れるよりいいか。
お後がよろしいようで。


て、明日は朝から晩まできっちきちに予定が詰まることになりそうだ。
大丈夫か、自分。

それにしても、こう次々いろんなことがあるのは、
何かのたたりか?呪いなのか?

ちょっと疲れ気味の、幸薄い未亡人に温かい声援をよろしくお願いします。

寂しさとの付き合い方

2008年10月16日 | 日常
今日は、なんだか寂しくってしかたない。
身の置き所のない、どうにもならない寂しさが、
朝起きたときからまとわりついた。

こんな日に限って仕事も用事も約束も何もない。

やばい。
ぼ~っとすると、絶対落ち込んでいく。

そういえば、衣替えがまだだった。

クローゼットをあけ、引き出しをあけ、
中のものをどんどんだす。
かたっぱしからだす。
寝室は、衣類とハンガーと洋服カバーとバッグで散乱した。
これを片付けないことにはどうしようもない
というところまで自分を追い込む。

ゴミ袋に、着なくなった服、
サイズの合わない服をがしがしと詰め込む。
実はかなり痩せた。
丸顔に変わりがないため、誰も気がついてくれないけど。

何も考えずに、身体を動かしていると寂しさをしばし忘れる。

ただ。
夫の服を手にしたら、またこみ上げてくるものがあった。
まだ、夫の匂いの残っている服の数々。
やばい。

夫のものには手をつけないことにした。

作業再開。
見違えるほどすっきりしたクローゼットと、
引き出し。
どうなるかと思った、寝室中に広がった衣類や小物は、
あとかたもなくなった。

寝室に置かれた夫の祭壇は、四十九日の今日が終わったら、
葬儀社が片付けにくる。
夫と2人分の布団を敷いていた寝室は、
今は私の布団だけだ。
広くもない寝室だが、やはり空いたスペースは寒々している。
祭壇がある間はその空いたスペースがさほど気にならないが、
なくなったらきっと寂しいと思う。

そうだ、こたつを出そう。

我ながらいいアイディアだ。
この家を建ててから、一度もこたつを出していない。

そう思ったら、今度は寝室の畳が気になりだした。
10年たって傷みに傷んだ畳を気にしていた夫。
「正月前に、畳替えしよう。
 女房は古くてもいいけど、畳は新しいほうがいいだろ」
病室で、そんなことを言っていたのを思い出した。

こたつを出す前に畳替えをしたほうがいい。
思い立ってすぐ、
網戸からトイレまで一手に引きうけてくれる頼もしい芝居仲間に
「早い、安い、うまい、男前の畳屋を知らない?」
とメールしてみた。

明日、畳屋さんが見積もりに来るための
電話をしてくる手はずが整った。
男前かどうかは分からない。

新しい畳に、こたつ。
いいじゃん。
それくらいの贅沢してもいいだろう。


泣きそうになったら、何かをする。
これが一番だと思った。


四十九日法要と、納骨

2008年10月13日 | 日常
本日、無事四十九日法要と納骨をすませてきた。

なんだか今日まであっという間だった。

納骨は、夫の芝居仲間2人が墓石を動かし、
骨壺をなかに納めてくれた。
本当に夫は幸せものだと思う。

さすがに、納骨の際には泣いてしまった。

もしかして良くないのかもしれないが、
私も娘もそれぞれ夫の遺骨の一片と、1本の歯を
火葬場で骨あげの際によけてもらった。
小さな陶器の蓋ものにいれてそばにおくことにした。

そうは言っても、
どこかで、気持ちの区切りはつけなければならない。

「ちゃんと、自分の足で早く歩きだせ」
口を開くといつもそう言う人もいる。

「今は、自分を甘やかせるだけ甘やかして傷を癒すといい」
そんなメールをくれる人もいる。

どちらも、私のことを思っての言葉だと思う。

頑張るときは頑張り、ゆるむときはゆるむ。
メリハリつけてやっていこうと思う。

今日の法要のために、昨日黒のパンプスを買った。
今まで履いていたのがあまりに傷んでみすぼらしくなっていて、
夫が生前
「新しいのを早く買いなさい。靴が貧乏くさいとほんとに足元を見られるぞ」
と言っていたのを思い出し、あわててデパートに行ったのだ。

恥ずかしながら、私は1万円以上の買い物を
ひとりでしたことはない。
いつも夫と一緒だった。
私はものを選ぶセンスと、
いいものを思い切って買う決断力に欠けているからだ。

はじめての高価な買い物。
思い切って予算の2倍で、いい物を買った。
丁寧な店で、時間をかけて私の足にぴったり合うように調整してくれた。
都合が悪くなったら、いつでも無料で調整してくれるという。

自分の足でしっかり歩きだすために、
足にぴったり合う素敵なデザインの靴を買った。
夫は「安物買いの銭失い」が一番嫌いだった。
多分、夫も「いいのを買ったじゃないか」と言っていると思う。
そしてこれは、ある意味自分を甘やかしてもいる。

その靴は、今日一日履いていても、
全く足が痛くならなかった。
さすがだ。

そして、納骨の後の会食のあと
ナレーションの仕事にも行ってきた。
仕事が入ると断れない貧乏性が悲しいが、
それでもちゃんと全てをこなせる自分をほめてやろうと思う。

で、結構疲れたので今日は早寝をすることにした。
ほんとは、6通ほどお礼の手紙やお返事などを書かねばならないのだが、
書くエネルギーがない。
と言いつつブログを更新するエネルギーならあるところが私らしい。

やれることはちゃんとやる。
ムリだと思ったら、やめる。

メリハリ、メリハリ。
と、誰に言い訳しているのか分からないが、
手紙書きは明日にまわして今日は寝る!

おやすみなさ~い。


投石おばさん

2008年10月10日 | 日常
台所で食事の仕度をしていると、窓からご近所の旦那さんたちが
仕事を終えて帰ってくる様子が良く見える。
のどかな風景だ。
そののどかな、なんてことのない風景が
今の私には無性に腹がたつ。

なんで、うちの夫は帰って来ない!
どうして、お向かいのうちの旦那さんや斜め向かいの旦那さんは
当たり前のように元気に帰ってくるんだ!

夫を亡くした悲しみを怒りのエネルギーに変えることで
乗り切ろう作戦でしばらくやってきたが、
どう考えても、
恨まれるお向かいの旦那さんと斜め向かいの旦那さんは
とばっちりである。

でも、とにかく「くそ~っ」と石でも投げたい気分になる。

あと、街中で仲睦まじい老夫婦を見ても
「私はああいうふうになれねぇんだよっ」
と、石を投げたくなる。
あ、もちろん自分と同世代の夫婦が散歩やジョギングしているのも
なんかむかついて石を投げたくなるし、
しまいには若いラブラブカップルにさえも
ふんっ、どうせあたしゃひとりですよっ!
とむかついて石を投げたくなる。

言っておくが、絶対石など投げない。
投げないけど、投げかねない勢いでむかつくという話しである。

で、先日この気分を
我が家の男手仕事をいつも快く引きうけてくれる
人相と口は悪いが、心優しき芝居仲間に話しをした。


そしたら。

「いいか、そんなことしてもだ~れもあんたに同情せんぞ。
 せいぜい『騒音おばさん』とか『ゴミ屋敷おばさん』とかと
 同じ扱いで、ワイドショーネタにされるだけだぞ。
 『投石おばさん』とか言われて、この家映されて、
 しかもごちゃごちゃゴミがたまったり、
 雑草が生えているとこばかりを大写しにされるんだぞ。
 夫を亡くして自暴自棄になったpeco容疑者の家です。
 なんて言われるんだぞ。
 自称「ローカルタレント」とか、自称「朗読教師」とか、
 言われるぞ。」

めっちゃ、リアルな表現で思いとどまらせようとする
口は悪いが心優しき芝居仲間。
……そんなに私が、石投げそうに見えたのか?

投げないぜ。
石も、人生も。

母が昨日無事退院してきた。
「投石おばさんの母」として
ワイドショーのレポーター達から
インターフォン越しにインタビューに答えさせられるには、
あまりに母は年老いている。

さて、悲しんだり、怒ったりしている場合ではない。
母も、姑も、私の肩にかかってるんだからさ。




恥ずかしいメルアド

2008年10月07日 | 日常
ここんとこずっと、辛気くさい記事が続き、
自分でも自分にうんざりしている。

ということで、今日は気分を変えて。


ふだんはパソコンでメールのやりとりをしている人から
携帯番号と携帯アドレスを聞かれた。
深い意味はもちろん先方にはない。
が、私のほうは憎からず思っているので、
ちょっと嬉しかったりする。
あ、もちろん亡き夫は別格である。
それはそれとして、「うふっ、すてき!」「きゃっかっこいい!」的な。
そういう人から携帯アドレスを聞かれるのは
ちょっとドキドキしたりするのである。

で。
自分のアドレスを改めて見た。
…………。
携帯のアドレスというのは、結構凝っている人や、
若い女の子なんかは、可愛い言葉になっていたりする。

はい、私の携帯アドレスをご存じの方はもうお解りですね。
私のアドレスは可愛かったり凝っていたりはしない。

お多福。

お多福に数字を組み合わせたアドレスだ。

お多福って。

自分で決めておいて、今さら自分でつっこむのもなんだと思うが。

まぁ、アドレスは人を表すっていえばそうだ。

私はお多福に似ている。

そのまんまだ。
今までこのアドレスを恥ずかしいと思ったことはないが、
今日初めて恥ずかしいと思った。
ウケ狙いで適当にアドレスを考えた過去の自分を恨んだ。

もっとこう、
なんか、ふわっとした、華やかな、愛らしい、
え~っと。
全然具体的に思い浮かばないけどさ。
とにかく女らしい言葉を連ねたアドレスにしておくべきだった。

夫にのせられて、
「お多福でいいじゃん。」
「そうだね~。私らしいもんね。」
「おお、そうしとけしとけ。」
と、決めたあの日の私と夫。
バカ~っ。

とはいえ、その「うふっ、ステキ!」の方からは、
べつだんアドレスについてつっこまれることもなく、
普通にメールが来た。
その方のアドレスは、とてもシンプルですっきりしていた。

もう~、アドレスまでかっこいいんだからぁ。

と、思った私。

あんまり人のアドレスとかって普通気に留めないものなのだろうか?
私は結構気に留めるほうだ。

じゃあ自分のアドレスも変えればいいのだが、
みんなにお知らせする手間を考えるとめんどくさいし、
可愛い単語も具体的に何ひとつ思いつかないし。

多分、生涯「お多福」だ。
悪いかっ。