招きねこの手も借りたい

主婦のち仕事、ところによって母、時々芝居。

引きこもり準備

2008年12月31日 | 日常
今日から4日の夜まで、引きこもるので
あ、2日は母の様子を見に病院に行くけど、
あとは出かけない、人に連絡をとらない、何もしない
という生活をする覚悟を決めた。

訪ねて来る人がいた場合は、迎え入れる。
来るものは拒まずだ。
しかし、鍋パーティーをしようと言っていた子からは
その後なんの連絡もない。
こちらから、どうする?と連絡する気はない。

友人知人は、里帰りしている人が多いし、
もしくは家族や恋人とゆっくり過ごしている。
今の私は家族連れや恋人同士でうちを訪問してほしくない。
自分のみじめさが際だつし。
いつも仲良くしているシングルの女性達は
あえて正月に仕事をいれていたりもする。
てなわけで、訪ねて来る人はいないだろう。

自分から「おいでよ」と誘わない。
電話やメールをしない。
その孤独にどこまで耐えられるのか、試してみる。

そのために、ふんだんに美味しいものと
美味しいお酒を自分のために用意した。

自分のために鶏の照り焼き、筑前煮、黒豆煮、
豚角煮、海老の中華煮などを作った。
大根サラダの材料も用意した。
人参ポタージュの材料も用意した。
昨日作った鱈の昆布〆は明日には食べ頃だ。
鶏ミンチもあるので、なんなら肉団子も揚げられる。
誰かのためではなく、自分のために。

自分のために過ごす時間を楽しむ練習だ。

なんてことを言ってたら、
芝居仲間から
今日の夕方遊びに行ってもいいかとメールが来た。
来るものは拒まず。

けどさ、お客さんて、帰った後が寂しいんだよね。

そんなこんなで、皆さん今年もありがとうございました。
来年は、バージョンアップした私でいたいと思います。
どうか、今後とも仲良くしてやってくださいね。




父の祥月命日

2008年12月29日 | 日常
今日、12月29日は私の父の祥月命日。
毎年、年末の買い物の前に夫か次兄と一緒に墓参りをしていた。

大雪が積もって、夫と墓を掘り起こしながらお参りした年もあった。
夫が都合がつかない時は次兄と行った…。

今年は、夫も次兄もこの世にいない。
ひとりで墓参りするのは辛すぎて、行くのをやめた。

29日は夫の月命日でもある。
街は、正月準備でにぎわっている。

「自分の寂しさときちんと向き合いなさい」
「失ったものの大きさを噛みしめ、ちゃんとそれを受け入れなさい」

カウンセリングの先生にそう言われているのだが、
向き合うのが怖くていつも何かで紛らわしている。

先日、夫のことで新聞の取材を受けた際、
自分でも思わぬところで悲しみがこみあげてきた。
まだ自分のなかで整理がついていないあれやこれやを思う。


干し柿を買ってきた。
父が作る干し柿とかぶら寿司は、天下一品だった。
毎年毎年、年末に干し柿とかぶら寿司をもってきた父。
本当は心待ちにしていたのに、
色々複雑な思いがあってきちんと父に
「美味しい」「いつもありがとう」と伝えなかった10数年前の私。

次兄が亡くなった日、私が朝電話していたら、
もしかしたら発見が早くなって助かったかもしれない。
電話しようかどうしようか迷いながら、
結局自分の用事を優先させて電話しなかった私。
いつも次兄からの電話は
「おふくろ、元気か?旦那は大丈夫か?お前は辛くないか?」
と、こちらを気遣う言葉ばかりだった。
それに甘えて私は
「兄さんは大丈夫?」と聞いたことなどほとんどなかった。
次兄はもしかしたら、私からの電話を待っていたのかもしれないのに。


今年の夏、次兄が亡くなった際に夫は
私の知らないところで、周囲の人に
「頼りにしていた兄さんが亡くなって落ち込んでいるから
 支えてやってくれないか」と頼んでいたと、先日聞いた。
夫自身も腹水がたまり体調が最悪だったにもかかわらず、
私の心配をしていたという夫。
その夫に、私は
「私の悲しみはあなたには分からないんよ!」
と、言っていた。
私が作る鱈の昆布〆が大好きだった夫が、
作って病院に持ってきてくれというのを、
「あれは冬に食べるもんだから」と作らなかった。
その後、夫は固形物が食べられなくなった。

どうして、あの時作らなかったのかと悔やんでも悔やみきれない。

今年はひとりのお正月なので、おせちは作らないと決めていたが、
鱈の切り身と昆布は買ってきた。
夫が好きだった日本酒も。

死んでからつくっても、それはきっと自己満足だ。
でも、つくった。

父にも、次兄にも、夫にも、
後悔することだらけだ。
なんできちんとみんなの愛情を感じ、
それに応えてこなかったんだろうか。
なくなってみて、気がついた大きさに途方にくれている。

今日はどうも、だめだ。
明日はきっと大丈夫。



持ち寄り忘年会inじぶんち

2008年12月27日 | 日常
あまりの家事の手抜きっぷりに一念発起して、
人を招くことで掃除と料理をしようと、
夫が代表をしていた人形劇団のメンバーと
うちで忘年会をすることにしていた。
それが今夜。
もう今から。

結構早くから予定をいれていたのだが、
直前で仕事やなにやらがたてこみ、
予定していたことが何ひとつできず、
掃除は中途半端。
料理も圧力鍋であわてて作った肉じゃがと、サラダ。
食器もきれいなのを出してこようと思ったのに、
結局いつものだし。
花も飾ろうとしたけど、買いに行けなかった…。
ほんとは、ヨーグルトを使った
「なんちゃってチーズケーキ」も焼くつもりだった。
時間と気合が足りなかった。

持ち寄りなので、他のメンバーがいろいろ持ってきてくれるだろうし。

などと言い訳しながらブログの更新。

わいわいみんなと食事して、
その後夫の舞台やCMを録画したものを
つっこみいれつつ見る忘年会。
ちょうどいいタイミングで、
隣県のスタジオから
まだ私も見ていない修出演番組のDVDが届いた。
ひとりでは、まだ夫の映像は見られない。
だから、夫の映像を見たいときは人を呼ぶことにした。

今夜は、久しぶりにお酒も飲もうかと、
ビールとワインも冷やしておいた。

昨日は、夫の遺作の上演のことで取材をうけた。
冷静に淡々と話しをしていたつもりだが、
ふとしたきっかけで不覚にも涙が出てしまった。
平気なつもりだっただけに、自分でも驚いた。

そういう自分も含めて、
今夜はみんなに支えられてぐだぐだになろうと思う。



クリスマスイブだけど

2008年12月24日 | 日常
知人に不幸があり、お通夜。
んで、明日のクリスマスも
午前中は正月明けの仕事のための衣裳合わせで
夜はナレーションの仕事。

へんにあいてるよりよっぽどいい。

土曜日は日中撮影の仕事だけど、
夜は夫が代表をしていた人形劇団のメンバーがうちに来て
持ち寄り忘年会だ。
何か作るつもりだったのに、仕事が長引きそうなので、
たいしたものは作れそうにない。
掃除もしてないしそこらはバタバタだけど
ま、いいか。

正月三が日ひとりで過ごすと言ってたら、
「じゃあ、pecoさんちで鍋パーティさせて下さい!」という
ちょっと面白そうな話しも仕事先で持ち上がったりもして、
世の中捨てたもんじゃないかもしれないなんてね。

ぎりぎり20代の男の子(子は失礼か)に、
「pecoさん、カッコイイですよ」と、お世辞120%だろうけど言われて
悪い気はしない、ぎりぎり40代の私である。






み、眉間に…!

2008年12月23日 | 日常
くっきりとした縦皺ができていた。

自慢じゃがないが、年の割には皺がなかったのに。
眉間に、くっきり縦皺……。
それなら目尻に笑い皺のほうがまだましだ。

ショックだ。
まじ、ショックだ。
皺そのものにではなく、
縦皺ができるような表情が続く日常が続いていたことに。


感謝

2008年12月20日 | 日常
先日から、精神的に追い込まれたり、
自信を失ったり、
本来の自分を見直さねばならない状況に追い込まれたり、
仕事で能力以上のことを求められたりと、
もう、ほんとなら夫の支え無しでは乗り切れないことがつづいた。

半泣きで、人生の先輩や頼れる後輩にちょっと愚痴った。

そしたら、それぞれ翌日
「これ食べて、元気だして」
と、それぞれが私の好物をプレゼントしてくれた。

かぶら寿司、干し柿、ごぼうせんべい、ロイズのチョコレートポテチなど。

たくさんの励ましのことばと、好物。
うれしかった。

それと同時に
自分のことは棚に上げ、
べつの年上の友人がへこんでいたのを、電話で必死に励ました。
そしたら翌日「pecoちゃんと話しができて、すっきりして元気が出たよ」
と、翌日うれしいメール。

支えたり支えられたり。
今支えてくれている人には、すぐには恩返しできないけど、
べつの人にその分気遣いできるときはする。

まわりまわって、全てのことがうまくいけばいいと思う。

体重がこの一年で10数キロ減って身も軽くなった。
まあ、以前がものすごかったので、
健康的な理想体重に近くなっただけなのだが、
ぽっちゃりしてるほうが私らしいかとも思ってみたり。
友人たちが差し入れてくれた食べ物で、
ちょいと栄養補給しようかな。

今夜は、別の友人と観劇のあと安い居酒屋でめちゃ飲みすることにした。
毒舌吐きの彼女と、外で飲むのは久しぶりである。
私も、毒舌吐いて吐いて吐きまくって、
ストレス発散!

気遣ってくれたり、
本音を喋れる友人知人がこんなにいることに感謝しよう。

「足りないものを数えるより、有るものの数を数えなさい」
夫の生前のことばより。



とうとう

2008年12月18日 | 日常
ずぼら度急上昇中の私ではあるが、
ついに行くところまで行った感がある。

昨日は、18時15分に帰宅して
そのまま18時30分にまた出かけねばならなかった。
帰宅は22時すぎになる。
食事をとるなら、その15分間しかなかった。
22時すぎに食事はしたくないし。

で、私は素早く残りご飯でおにぎりをつくり、
合間に仕事の打ち合わせの電話をしつつ、
スーパーで買ってきた酢豚をパックのままチンし、
そのパックのまま(しかも量が多くて残るのが見えていたため、
ラップを半分めくった状態)で、
台所で「立ち食い!」し、出かけたのである。

入院中の母が見たらおそらく目をむいて怒るだろう。
まず、大正生まれの母の辞書に、
スーパーでお総菜を買うという言葉がない。
しかも自宅で立ち食い。
夫が見たとしても、おそらく
「おまえなぁ~」と、とほほ感いっぱいな感じで
呆れられること間違いない。
夫の生前にも、スーパーのお総菜を出したことは多々あるが、
そのときはやたらきれいな器に、
野菜などを添えて体裁を整えて出していた。

そう、体裁を気にしていた。
あと、世間体とかね。

先日ある人に、そこを指摘されあまりの鋭さに
固まってしまった。

基本私はずぼらで面倒くさがりやなのだ。
ひとりになってつくづく分かった。
やりたいからやっていたというより、
誰かに褒められたり、
しっかりした家庭的な奥さんと言われたいためにやっていたのだ。
誰からも評価されず、
奥さんでもなくなった今、価値基準は自分。

ひたすら合理性の追求をしている。

草葉の陰で夫が泣いているやもしれず、
笑っているやもしれず…。

ありがとう、夫よ

2008年12月17日 | 日常
いやはや、夫に助けられた。

3月にひかえた朗読の発表会の効果音やつなぎの音を決めるため、
CDを整理していたら、
夫が人から借りっぱなしにしていたCDが出てきた。
だらしない奴め。
と、思いつつとりあえず聞いてみる。

ん?あれ?この曲いいじゃん!
使えるんじゃない?
私のイメージどおりやん。
やっほ~っ。

絶対ないと思っていたイメージ通りの風鈴の音や、
ジージー鳴く蝉の声とか、
秋の虫の声が入ったCDもあった。
これは、夫が買い込んだものの中にあった。
そういえば、この音効CD買うとき、
私はぶつぶつ文句言ったっけ。
「すでに山ほど音効CD、あるじゃん。
 そんなにいらんでしょ。」
「こういうものは、見つけた時に買っておかないと
 ほしいときにはないもんなんや」
「ったくもう!」
そんな会話をした。
音効CDは、自分が使うより他の人に貸すことが多く、
私はそのありがたみを感じることはあまりなかった。

しかし、今日はほんとに感謝した。
CDを借りっぱなしにしてくれてたからこそ、
音のイメージが定まったし、
ムダに思えたまとめ買いをしておいてくれたこそ、
すんなり見つけられた。

先日は、新しい劇団設立のための口座を作るのに
会則が必要とかで作るのに困っていたら、
夫の引き出しからとある会の手帳が出てきて、
それに会則が載っていた。
で、それひな形にして作ることができた。

あと、50代から70代の人がたくさん出る戯曲を探していたら、
夫が最後にネットで購入した本のなかに
まさにそれにぴったりのがあった。

「俺の価値は、俺が死んだらきっと分かる。」
と、常々言ってた夫。
はい、そのとおりでした。

ありがとう。
そして、生きている時その価値を正当に評価できなくてごめん。
それどころか、
いつも、やることなすことにケチつけたり、
文句言って足ひっぱってすみませんでした。

謝るし、反省するからさ、
ちょっと顔出して、
「よし、よし。頑張ってるなお前」て、言ってよ。
ちょっと、今かなり私ぎりぎりの土俵際なんですけど…。
だめか。

快挙

2008年12月15日 | 日常
年下の友人が、「超」とつけてもいいくらいの高齢出産にチャレンジし、
無事元気な赤ちゃんを出産した!
うれしい。
ほんとにうれしい。

彼女の妊娠を知ったとき、亡くなった夫も
やった!お祝いなんにしよう!
と、気の早い喜び方をしていた。
残念ながら生まれた赤ちゃんの顔を見ることはできなかったが、
さっき送られてきた赤ちゃんの画像を、
遺影に見せてやった。

産まない人生、産む人生、どちらもありだと思うが、
産める環境にあって、産みたいと思ったのであれば、
やはり産んだほうがいいと思う。
こどもを育てることで、もういちど人生を追体験できるし、
人の輪も違う部分で広がっていく。
親の苦労や苦悩も、少しは分かる。

これから、体力的に子育ては大変だとは思うけど、
彼女ならユニークでかっこいいお母さんになると思う。

私も、頑張ろう。
ん?何をどう頑張ろう?
ま、いいか。
とりあえず人生をということで。

来年のこと

2008年12月13日 | 日常
来年のことを言うと鬼が笑うそうだが、
笑わば、笑え。
私も一緒に大笑いしてやろうじゃないか。

というのも。

な~んか、公私ともに最近ばたばたしてるなぁと思ったら、
来年の予定(月単位だけど)が、かなり埋まってて、
それの準備や何やらのためで今ばたばたしていることに気がついた。


まず、2月に今スタッフとして関わっている芝居の公演がある。
3月には夫に代わって講師をしているグループの発表会。
6月は、夫の遺作となった短編を含む作品の公演。
これも、スタッフ参加とはいえ、
多分4月からその準備でバタバタすると思う。
で、9月頃に講師をしている朗読教室の発表会。
11月に新たに仲間たちと立ち上げる劇団の旗揚げ公演。
これは、事務局の一員としてすでに動き出している。

どうも周囲が、暇を持て余したら私はろくなことにならないと心配し、
あれこれ役目や機会をふってくれているような気がする。
もともと私には、能力などない。
夫にくっついて、夫のやることの後ろで訳知り顔をしていただけだ。
でも、今はきっとちょこっとムリをしてでも、
実力や実績を作らねばならない時期なのだと思う。

幸い助けてくれる人はたくさんいる。



仕事のほうは、未亡人景気と私は密かに呼んでいるが、
今までやったことがないような仕事が舞い込んできている。

産休に入る芝居仲間のピンチヒッターで
着物を着てホールで司会をする仕事やら、
方言と所作を伝えるビデオでおばあちゃん役とか。
……おばあちゃん役。
て、おいっ。
ちょっとショック。
最近痩せて若返ったと言われて喜んでたんだけど。
ま、いいか。仕事が来るのはありがたい。

忙しくなるので、とりあえず今日はインフルエンザの予防接種をしてきた。

来年は、病院とは縁のない一年にしたいものだ。
今年は、病院通いばっかだったもんなぁ。
母の退院は、来年2月か3月頃になりそうだ。

来年は、きっと良い年!




ずぼら懺悔

2008年12月12日 | 日常
残りご飯をタッパにいれておいたのを忘れ、
色とりどりのカビがはえていました。
お許し下さい。

キッチンマットを洗濯して、ベランダに干したことをすっかり忘れ、
雨ざらしにして洗う前の状態よりも汚してしまいました。
お許し下さい。

洗濯は洗濯機がいっぱいになってから洗い、
乾いたものの一部は、たたまずにクローゼットの隅におしやっています。
お許し下さい。

掃除は、フローリングにふわふわと綿埃が舞うのを見つけたらしています。
お許し下さい。

冷蔵庫に、賞味期限が2ヶ月前にきれた
こんにゃくと魚肉ソーセージがありました。
おにぎりに昆布の佃煮をいれようとしたら、
蓋がきちんとしめてなくて干からびていました。
お許し下さい。

丁寧なお悔やみのお便りをいただいたのに、
返事を出していない方が3人もいます。
お許し下さい。

図書館の本の返却期限がとっくに過ぎた雑誌があります。
お許し下さい。

藤山寛美のDVDと、ガラスの仮面、
ず~っと借りっぱなしです。しかも、ちょっとしか見てないし。
お許し下さい。

今度ランチでもしようねとこちらから言っておいて
そのままほったらかしの友人が4名います。
お許し下さい。

トイレのカレンダーが、11月のままになってました。
お許し下さい。

ていうか、来年のカレンダーの用意をするのをすっかり忘れていました。
お許し下さい。

人には、バランスの採れた食生活をしろと言いながら、
先日の私の夕食はポテチ一袋とベビースターラーメンでした。
お、お許し下さい!

誰に許しを乞うているのか、微妙だが、
とにかくずぼらさがものすごい勢いで増している。
ど、どうしたらいいんだ!

さすがにこれはいかんと、ゴミ捨てと掃除と洗濯を一気にやった。
トイレも磨いた。
ほんとは、常備菜も作ろうと思ったが、
力尽きてブログを更新したりしている。

小汚く、だらしない、ずぼらな中年未亡人というのは、
いただけない。
こざっぱりと、凜とした、涼やかな未亡人になりたい。
で、ものすごくいい男に口説かれて、
「あら、いやだ。私は主人のことが忘れられないんですのよ。」
と、きっぱり断ってみたい。


………いろんな意味で、ムリっ!








クリスマスと正月

2008年12月10日 | 日常
喪中なので、来年の正月は祝えない。
てか、祝おうとしてもひとりでどう祝えというのか。
娘は仕事をいれているようだ。
母は病院。
姑は旅行に行くらしい。

年末大掃除もしない。
換気扇や、風呂のタイルの目地の掃除とか、
網戸洗いとか、ブラインドの埃落としとか、
いつも夫と一緒にしていた。
そんなことをひとりで、しかも自分のためになんてできないぜっ。

正月三が日は、普通の休日としてだらけて過ごす。

出かけなくてすむように、食料とお酒だけは確保。
ひとりで家でお酒を飲むことを今自粛しているが、
正月三が日のみ許す!
だらだら、お酒飲んでごろごろする。

どうせ、年賀状も来ないし、お年賀のお客も来ない。
家族連れで遊びに来られても、
今の私は軽くひがんでしまいそうなので、
お断りすると思う。

そんなかんじ。

で、クリスマス。
年賀欠礼葉書は出したが、ちょいと縁の深い人とか
お世話になってます系の人に
クリスマスカードは書いてみようかどうしようかな?程度。
ツリーとか、飾り付けとかする気はなし。
だって、「お、出したな。」とか
「かわいいね」とか言う家族がいないから。
反応がないことをするのは悲しくて寂しい。
そして、絶対出かけない。
幸せそうな家族連れや、カップルを見ると
悔しくて悲しくて寂しくなるだろうから。
正月三が日も同じ理由で、映画とかデパートとか行かない。
まじ、ひきこもる。
もう決めてある。

ただし、4日に今参加している芝居の仲間うちの新年会があり、
それは幹事の責任があるから、行く。
きっと、それは楽しい時間が過ごせると思う。

クリスマスとか、正月とか、
イベントごとは独り身には切なすぎである。

そうするととにかく、正月用にとびきり美味しいお酒を探すことが
かなり大事だと思う。
探すぞ!

よしよし、いい子いい子。

2008年12月08日 | 日常
よしよし、いい子いい子。

この年になり、そして私の容姿容貌からすると、
多分、もう一生誰からも言われないだろう。
唯一言ってくれていた夫がいなくなったのだから。

でも、言われたい。
頑張ったときはご褒美として。
頑張れないときは励ましとして。
ご機嫌のときは仲良しの証として。

何を甘えたことを…と思う人も多いかもしれない。
でも、言われたいのだから仕方ない。

基本、私は自分をほめてくれたり
認めてくれた人としかつき合えない。
そして、そういう人たちからまたほめてもらいたい、
認めてもらいたいと思うことをモチベーションにして頑張る。

で、時々「よしよし、いい子いい子。頑張ったな。」
もしくは「よしよし、いい子いい子。頑張ってるな。」
と言われたらベストなのだ。

平気、平気!
大丈夫ですよ~と、から元気で強がっている時、
そのまま言葉どおり受け取らずに、
その裏にある大丈夫じゃないところを察して
「よしよし、いい子いい子。」と言ってもらいたいだけだ。

そう、私はめんどうくさい大人である。

仕事もプライベートも、
ちょっと自分の容量を超えるできごとが続いているため、
よしよし、いい子いい子に飢えている。

多分、赤ん坊の頃に「よしよし、いい子いい子」
と言ってもらう絶対量が足りていなかったんだと思う。

そんな弱気モード全開の今日、とある人から
「日々いろいろあると思いますが、上を向いて過ごしてくださいね」
というメールをもらった。
よしよし、いい子いい子ではないが、
「はい、上を向いて過ごしますっ」と、思った。

仕事先で付き合いの長い、気の合うある人が
私のムリした元気さの後ろにあるものを察してくれて、
心配してくれた。
そんなことが、とても嬉しかったりする。

だからよしよし、いい子いい子は、
自分で自分に言うことにしておこう。
そして、言ってほしそうな人に
言ってあげられる自分になろうと思う。
あれ?そんなこと言ってほしい人ってそんなにいないのか?
私だけ?





百箇日

2008年12月06日 | 日常
今日は、夫の百箇日だ。

もう百箇日なのか、まだ百箇日なのかよくわからない。
とにかくくよくよしないで、
前を向いて歩くことだけだ。

先日友人に教えてもらった。
百箇日という節目は、もう涙を流さず
区切りをつけるためにあるのだと言う。

それは、まだちょっとムリかもしれない。

お墓が車で45分ほどのところにあるため、
車を運転できない私は、気軽にお墓参りはできない。
朝晩、お線香をあげてお参りし、
好きだった緑茶を遺影に供える。

夫が元気だった頃は、
ドラマや映画で仏壇や遺影に向かって話しかけるシーンを見ても
なんだかウソくさい、そんなことするのか?ほんとに。
と、思っていた。

今、思い切りそれをやっている。

話しかけたら、心の中で夫の声が聞こえてくればいいのだが、
残念ながらいっさい聞こえない。
むしろ、夫に所縁のあった人達のほうが、
聞こえるとか、気配を感じると言ってくれる。
なぜだろうか?
私には聞こえないし、感じない。夢にもいっさい出てこない。
それでも私は話しかける。

多分、夫には私の声は聞こえているはずだし、
やっていることは見えているのだと信じたい。

ずぼらでだらしなくて、
自分勝手で、
人に甘えて生きている今の私に
夫は幻滅しているかもしれない。

叱ってくれる人はそうそういない。
しっかりしなくちゃ。


あとから来るもの

2008年12月03日 | 日常
年を重ねると、筋肉痛は翌日ではなくその後からくる。
筋トレして翌日は全然平気で、
「すごいじゃん、自分!」と思うのに
数日後に、階段の上り下りで激痛が走ったりする。

筋肉痛だけではないということが分かった。

先日、わけあって徹夜をした。
厳密に言うと、3時間仮眠をとったあと、
深夜1時半から徹夜をし、夜11時に寝た。
翌日は全く平気だった。
いや、むしろ快調だった。
多分それはナチュラルハイ状態だったのかもしれないが、
眠くもなければ、疲れてもいなくて、
とても前向きな気分だった。
それが。
その翌日である今日、どか~んと来た。
もう、バスで爆睡。
スタジオの待ち時間にうたた寝。
ものを考えているつもりが、いつのまにか寝ている。

夫が亡くなった日、私は完徹をした。
悲しすぎて眠くなかったのだ。
その翌日の通夜の日も、布団に横になったが眠れなかった。
でも、葬儀では眠くもならず、挨拶もきちんとできたし、
火葬場でもなんとかなっていた。
葬儀が終わって帰宅した夜、
香典袋を全て開封し、記帳とてらしあわせ計算した。
我ながら頑張ったと思う。
寝ていなくても、気力さえあればなんとかなると思った。


それが、今通常の生活に戻ったとたんこの始末である。
しかも反応出るの遅すぎ。
年か?年のせいなのか?
ああ、悲しい。

そのうち、悲しいとか楽しいとかも、
その場で感じなくなり、あとからゆっくり
じわじわ感じるようになるのだろうか。
それは困るな。