招きねこの手も借りたい

主婦のち仕事、ところによって母、時々芝居。

スーパーでのありえないできごと

2008年06月25日 | 日常
ちょっとぉ、奥さん、お嬢さん!
聞いて下さいな。
もう、びっくりですよ。

仕事の合間にとあるスーパーに入った。
ふだんの買い物は、
生協の宅配と市場と決まったスーパーで
ほとんどすませているのだが、
たま~に、ここに来ることもある。

今日はうどんだし2人前入りが必要だった。
山積みの商品の中からひとつを手に取る。
一応賞味期限チェック。

ん?
22日?
え~~~~っ?
だめじゃん、3日前に賞味期限が切れてる商品置いてたら。
これ1個、片付け忘れたのか?
隣りの品を手にとる。
あれっ、これも23日。
その上のをとる。
これも、23日。
これも、これも、これも!
なんじゃこりゃあ~。
ふざけんなっ。

新しいうどんだしがないのか?
てか、こんなの山積みにしておくってどんな神経じゃいっ。

近くの店員さんに、説明する。
「え?」と、目を丸くする店員さん。
「す、すみません。係のものが来ますので…」
おいおい、もう少しなんとか言いようがないんか?

しばし呆然と、うどんだしの前で佇む私。
うどんだしの隣りには、
本日25日が賞味期限になっているそばが、
おつとめ品となって割り引き販売されている。
今日賞味期限のそばでさえおつとめ品なのに、
なんで3日前のだしを定価で売るのだ。
まぁ、何かのミスなんだろうけど、
それにしてもあまりに大量の賞味期限切れ商品を
堂々と並べすぎだろう。
チェックしないのか?
気がつかないのか、店の人よ。

そこの担当らしい店員さんが、眉間に深い縦皺を寄せつつ
あわくって小走りにやってきた。
そしてその店員さんは、私に何か言うでもなく、
ものすごい勢いで、
賞味期限切れの商品をカートにぶちこみはじめた。

おいおい。
私は放置ですかい。

まず、客に大変申し訳ございませんだろう?
んで、代わりの新しい商品を渡すのがすじじゃないんかい?
えっ、そこんとこどうなんだい?

仕方がないので、
「新しいのがほしいんですけどあります?」
と、言うと
「あります、この下にいっぱいあります」

ああ、そうですか…
てか、とってくれてもいいじゃん。

「なんでこんなことになってるんですかね?」
と、聞いてみた。
縦皺店員は、
「商品を並べた者が間違えたんです。すみません。」
と、不機嫌そうな顔はそのままで応えた。

これ、もしかしてすでに何人かのお客さんが
買っていってる可能性もあると思う。
賞味期限は、小さな字ではじっこに印字してあるので、
お年寄りなどはしっかり見ないのではないか?
消費期限ではなく、賞味期限だから、
即お腹を壊したりということはないにしろ、
あとで家で食べて美味しくないなぁと思うこともあるだろう。
それは、スーパーの信用を落とすだけでなく、
むしろその商品を作っている会社の信用を落とすだろう。
やはりあってはならないことだと思う。


う~ん。

ありえんな、この店は。
店員の対応も全くなっていないし、
だいたい3日前に賞味期限が切れた品物を
間違えて店頭に出してしまい、それに気がつかないというのも
理解不能だ。
スーパーの倉庫の管理がなっていない証拠じゃないのか?
全てにおいて一事が万事そういうことなんじゃないかと
思ってしまう。

レジ横では、ここのスーパーの新規カード会員を声高に募集していた。

レジは、忙しい時間帯にもかかわらず全てのレジをあけていない。
わずかなレジにはそれぞれ長蛇の列。
普通こういう時は、対応レジを増やすんじゃないのか?

新規カード会員を募集するより、
売り場の商品をこまめに見廻ったり、
レジでムダにお客さんを待たせないように
目配り気配りするほうが先決だと思う。

2度とこの店には行かない。







スキップの思い出

2008年06月23日 | 思い出場話(懐かしの昭和編)
今朝、ゴミ出しに行く途中で
スキップしている幼稚園児と遭遇した。
足元の悪いなか、滑らないかと思いつつも、
微笑ましく見守った。

で、思い出したことがある。

私は長いことスキップができなかった。
小学校の2年生くらいでようやく
ちゃんとしたスキップができるようになった記憶がある。
保育園に年長クラスからいきなり通いだし、
わずか数ヶ月で中退した私だが、
(詳しくは ここを読んでね)
その一因にこの「スキップができない」というのもたしかにあった。


年長組のユリ組さんのほとんどは、
年少組のばら組からか、
もしくは年中組のキク組からの子だった。
たしかユリ組から入ったのは、
私ともうひとり、
関西から引っ越してきた男の子だけだったように思う。
もちろん、関西から引っ越してきた男の子は、
初日から持ち前のサービス精神と、
人なつっこさですっかりユリ組のみんなとなじんでしまった。

前にも書いたかと思うが、
私は保育園に通い出すまでずっと家の中だけで遊んでいた。
たくさんの同年代の友達を見るのは初めてだったし、
団体行動の意味も良く分かっていなかった。
みんなで一斉に何かするというのがとても苦痛だった。

毎日、嫌々泣く泣く母に手をひっぱられて通っていた。

で、初めてのお遊戯の時間だった。

「さ~、みんな手を繋いでスキップするわよ」
という先生の声に私は「???」となった。
スキップって何?状態。

きょとんとしている私に、先生が
「ほら、pecoちゃんもやってみて」
と、促す。

楽しげにスキップするみんなの様子を横目で見て、
「ん?こんなかんじか?」
と、おそるおそる私がやったのは、
お世辞にもスキップと呼べる代物ではなかった。
今思えばそれは、
疲れ果てた老人のツーステップみたいなことをしていた。

ここで、この先生が
「あらあら、pecoちゃんこういう風にやるのよ」
と優しく教えてくれれば良かったのだが、
先生はとても忙しかった。
とにかく私にみんなのお遊戯の輪に入れと背中を押した。
ワケも分からず私は、
楽しげにぴょんぴょんスキップをする仲間の輪に、
疲れ果てた老人のツーステップのまま入った。

不幸にもそんな私と組んだ男の子は、
歩幅とテンポがあわず転びそうになっている。
それを見た他のやんちゃ坊主が
「がはは、へ~んなスキップ。
 お前スキップもできないのかぁ?」
と、大笑いする。

世話焼きタイプの女の子は、
「もうっ!××くん。そんなことを言うもんじゃないよ。
 pecoちゃんが可哀相やよ。」
と、声を張り上げる。

お、ちょっと待ってくれ。
私は可哀相なのか?
その、みんなが意味も無く笑顔でぴょんぴょん飛び跳ねる
「スキップ」とやらができない私は、
人から笑われたり、
可哀相と言われなければならない存在だったとは…。

ここで、心機一転頑張ってスキップをマスターし、
みんなととけ込もうとすれば良かったのだろうが、
当時の私はそんな前向きな性格ではなかった。

ふん。
できてなくてもいいし。
お部屋でご本読んでるほうがずっと楽しいし。
なんでにこにこ顔でびょんぴょんしながら
同じとこをぐるぐる回らなきゃいかんのよ。
あほか。

私はお遊戯を放棄して、園庭からユリ組のお部屋に戻った。

もちろん、周囲の子たちは例の
「あ~じゃじゃ、あ~じゃじゃ。
 い~んですかぁ、い~んですかぁ。
 せ~んせいに言うてやろ~、
 言うてやろ~言うてやろ~」
の大合唱となった。

知らんがな。
言いたければ言え。
お前らなんかあるとすぐみんなでその歌の大合唱か。
そんなにその歌が好きか。
アホどもめがっ。

迎えに来た先生がどんなに優しく誘っても、
それから私はスキップやお遊戯を一緒にしない、
偏屈な年長児だった。

結局このあと保育園を中退し、
小学校入学まで家でぶらぶら気ままに好きなことだけして暮らした。
そのため、また小学校1年で私はまた大変な苦労をする。
こんなことなら、保育園でちゃんといろんなことや、
集団行動をきちんとやっておけば良かったと
ものすごく後悔するのだが、
それはまた別の日に。

接骨院 2回目

2008年06月19日 | 日常
昨日、買い物中に突然腰の左半分に鈍い痛みが走った。
べつに重いものをもったわけでもなく、
ただ普通に歩いていただけだ。

その後も、腰にはずっと違和感がある。
痛みというより、どんよりと重たいかんじだ。
横になっても、仰向けになっても、うつぶせになっても、
寝苦しかった。

そこで、先日行った接骨院に行くことにした。
初回の時のようになんとなく身体がだるいのを癒してほしいのを、
1年前の捻挫と、現在の軽い肩こりを口実に誤魔化すというのではなく、
今回は大手を振って腰の違和感を訴えてマッサージをしてもらう。

前回古傷の捻挫に、これでもかと電気をかけられ懲りていたので、
「おかげさまで、足の捻挫のほうはほとんど気にならなくなりました」
と、ことわっておいた。
事実、あれからさほど足は痛まない。
浴槽のなかでのリハビリ法をその時教えてもらい、
実践していたことも一因かもしれない。

長期の入院生活で身体全体がこっている夫も、
今日初めて受診した。
夫のほうは、現在の病気治療の様子を説明し、
身体に負担のかからない程度にしてもらう。

夫と並んで治療台にうつぶせになり、
しっかりたっぷりほぐしてもらった。
夫も随分気持ち良さそうだ。
私のほうは、最後に腰にテーピングをしてもらった。

ただ、ちょっと気になったのは、
そのテーピングについて私が質問した際、先生は
「ああ、これお相撲さんがしてるやつですよ」
と、答えたことだ。
私の肉付きのいい背中にテープをはりながら。

なんでお相撲さんを例に出すか。
普通にスポーツ選手でもいいんじゃないか?
私の背中からお相撲さんという単語が自然に導き出された気がしてならない。


まぁ、いい。
おかげで、今は随分ラクだ。
これだけラクになって、夫と二人合わせて治療費は1500円でおつりが来た。

これはちょっと病みつきになるかもしれない。

明日から週末にかけては、丁度夫は化学療法の副作用で
起き上がれなくなりそうなので、
体調が整う週明けにでもまた一緒に行くことになりそうである。




苦悩する私

2008年06月18日 | 日常
ほしくて仕方ないものがある。
それは、もう随分前からほしかった。
買おうと思えば買えないこともない金額だ。
店に行くと、必ずその商品の前に釘付けになり、
ためつすがめつその商品を見る。
カタログも各社の分を集めた。

ネットで、それを使って楽しんでいる人のブログを見つけ、
「ああ、これさえあれば私は幸せになれるのに」
と、身もだえして羨ましがる。

それでも今まで買わなかった理由がある。
それは、私も含めて家族全員が、
「多分、3回ほど使ったら飽きてしまい、使わなくなるんじゃないか?」
と同じ意見だからである。
そう言われると、反論できない。

「大丈夫。使いこなしまくりよっ」とはどうしても言えない。

こうして、買おうか買うまいか悩んでいる時が一番楽しいのだと思う。
手に入った瞬間、
それは急激に魅力がダウンするのだ。
それは、男性が憧れの女性を自分のものにするまでのエネルギーが、
自分のものになった途端にダウンし、
つった魚にエサはやらなとばかりに見向きもしなくなり、
また新しいターゲットに気持ちが向くのに似ていると思う。


前置きが長くなった。
私がほしいのは、ホームベーカリーである。
パンも焼け、おもちもつけるやつである。

私の父は仕事でパン屋さんに出入りしていた。
幼かった私を連れてパン屋さんを廻った。
パン屋さんでは決まって
焼きたてのパンを私にくれたり、
カステラのきりくずを袋にいっぱい詰めてくれたりしてもらえた。
父が仕事をしている間、
私はパン工場の片隅で椅子に座り、
パンの焼けるいい香りに包まれながら、
焼きたてのパンや焼き菓子を頬張っていた。

パンの焼ける香りは、私にとってしあわせを象徴する香りなのだ。

今でもパン屋さんの前をとおりかかると、
ついつい立ち止まって、思い切り深呼吸をする。

その、しあわせを象徴するパンの焼ける香りを、
家庭で手軽に毎日思い切り嗅げるのである。

ホームベーカリーがなくても、パンは焼ける。
うちのオーブンレンジは、パンを焼く機能がついている。
しかし、手軽ではない。
私はべつにパンを焼くのが好きなわけではない。
焼ける香りさえ嗅げればいいのである。
あまり面倒なことはしたくない。

というわけで、ホームベーカリーがほしいのだ。

しかし、今のうちのキッチンはものであふれかえっている。
鍋だけでいったいいくつあるんだというほどあるし、
道具好きな夫や娘が買ってきた、
キッチン便利グッズや、伯父から譲り受けた食器も多い。
これ以上ものを増やしたくない。

置き場所が確保できないものは買わないと、
つい先日宣言したばかりである。


で、今日ホームベーカリーを置く場所が確保できるか
試しにやってみた。

意外といらないものや、使っていないものがあった。
これは捨てて、これはこっちに移動して…
と、パズルのようにものを動かしていくうちに、
なんと、ぴったりホームベーカリーを置く場所分だけ空いた。

夫に、その場所を見せた。

「お前、それほどまでにほしいのか?」
呆れる夫。

欲しい。
欲しいのはたしかだが、ムダにならないとは約束できない。

それに今はどこへ行ってもバター不足だ。
バターがないと、美味しいパンは焼けない。
フランスパンばっかり焼いているわけにもいかないし。

娘は、
「18000円も出して、そんなもの買うのはどうなの?
 18000円分、美味しいパン買ったほうがいいんじゃない?
 そんなに焼きたてパンの香りが嗅ぎたければ、
 パン屋の早朝パートにでも行けば?」
と、クールに言い放った。

どうでしょう、皆さん。
私はホームベーカリーを家族の反対を押し切ってでも
買ったほうがいいでしょうか?
それともやめたほうがいいでしょうか?
悩める私に、良きアドバイスを下さい。

日帰りバス旅行 

2008年06月16日 | 日常
ハッピーバースデイー、自分。
というわけで、今日は私の誕生日。
メールやお手紙、宅急便でのプレゼントなどなど、
いろいろいただき幸せな一日だった。

昨日は、一日早い誕生日祝いと夫の退院祝いを兼ねて、
ふたりで日帰りバスツアーに行ってきた。

ぶっちゃけ、私は団体バス旅行が苦手である。
自分のペースで動けないのと、
無理やりダサイお土産店にうむを言わさず連れていかれるのが
なんともはや居心地が悪い。
夫は、バス旅行が大好き。
まず、自分が運転しなくていいという気楽さ。
そして、あの格安感。
ふだん自分が先頭にたって、人を引率することが多いからか、
団体バス旅行で添乗員さんのもつ旗を頼りに
牧場のヒツジのようについて歩くのが新鮮らしい。

なんだかんだ言って、これまで数多くの団体旅行に参加してきた。

というわけで、昨日は久々の日帰りバスツアー。
行ったところは、ここ。



あ、これじゃあ分からないですよね。
善光寺、小布施、さくらんぼ狩りツアー。

一生に一回は善光寺は行っとけ…ということで、
お札をいただくことにした。

夫は病気平癒。
私は家内安全をお願いした。

ひとつのお願いにつき、2千円とのこと。
交通安全と、商売繁盛もお願いしたいところだったが、
予算の関係で涙をのんだ。

お昼ごはんは、宿坊でこのメニュー。

これに、古代米というのだろうか?もちもちした赤いご飯がついた。
残念ながらお蕎麦は、早い時間から茹でてあったため、
ちょっとのびていたような気がした。
胡麻豆腐がとても美味しいかった。

時間の関係で、近くの東山魁夷美術館も行けなかったし、
善光寺の中も全部見ることができなかった。
来年は7年に一度のご開帳だとか。
来年、またゆっくり行きたいと思う。

このあと、小布施。
ここもたった1時間の滞在だったので写真を撮る暇もなく、
とりあえず栗ソフトクリームを食べ、
栗かのこを買い、栗ペーストを見つけ大喜びしていたら、
あっというまに集合時間。
栗おこわを買いそびれたのを後悔しつつ、
バスに乗りこむ。

さ、次はさくらんぼ狩り。
30分間食べ放題だそうだ。
温室のなかに、たくさんのさくらんぼの木。


軸は残して、さくらんぼの実だけをつまみ、
種はそのまま地面に落としてもいいとのこと。
生まれて初めて、果物の種をぺっぺ、ぺっぺと地面にとばす。
なんだかものすごい不良になった気分を味わう。
木によって味が違うと聞き、食べ比べをしてみる。



こんなかんじでたわわに実っている可愛いさくらんぼたち。
なぜか手の届かない高いところにあるほうが美味しそうに見える。
背の低い私には届かないので、夫に「とって、とって」とねだってみる。



頑張って、むりむりに手を伸ばしてとる夫。
で、それをくれるのかと思えば、
さるかに合戦のさるのように独り占めしてみたり。

え~い、それならと自分でとってみる。



う、腕がつる~。

ほんとに、木によってそれぞれさくらんぼの味が違うことを実感。

それにしても、あんなにさくらんぼをたくさん食べたのは、
初めてだった。

このあと、当然バスはお土産屋さんへ。
結局、佐藤錦1パック1500円也を購入。
勢いに乗せられるというのはこういうことだと思う。

今日、地元の市場で同じようなのが半値くらいで売っていた。
かなりぼられた感があるが、ま、楽しかったから良しとしよう!



これは、帰りのバスの車窓からとった夕景。
刻々と海に沈む夕陽を、眺めつつの帰路となった。

さすがに夫は疲れたようだったが、
またどこかへ行きたいと言っている。
今度は、あまりいろいろ欲張った企画ではないツアーにして、
一箇所をじっくりと楽しめるものにしたいと思う。












王妃の紋章 観てきました

2008年06月14日 | テレビドラマ・映画
夫は、昨日通院で抗ガン剤治療。
そして、今日の日中は仕事。
よく頑張っていると思う。さすがである。
今日の仕事は私の付き添いは不要ということで、
「のんびり映画でも観てきたらどうだ?」とすすめてくれた。


母はデイサービスの日なので、
昼ご飯の心配はいらない。
夫のお弁当を作るついでに、娘用にもお弁当を作り、
私は昼間からホテルの温泉入浴&映画という
贅沢三昧をすることにした。
といっても、温泉入浴は携帯クーポンで500円にドリンク付き。
ドリンクはもちろん私はビールをチョイス。
映画のほうは、ポイントが貯まっていたのでそれを使って無料で
ずっと観たかった「王妃の紋章」を観ることにした。


で、この「王妃の紋章」。
どうも私は、お姫さまものに弱い。
マリーアントワネット、エリザベス、
茶々-天涯の貴妃。
豪華絢爛の生活なのに、
真実の愛を得る事の出来ない孤高の女性に、
なぜこんなに惹かれるんだろう?
もしかして、私の前世は孤高の姫だったのか?
と思うくらいこの手の映画が好きである。

さすが制作費50億円。
もうね、きんぴかのきらきら。
スクリーン全体がまぶしくて、目が疲れたくらい。
時代考証全く無視の女性たちの
おっぱいよせてあげて、見せすぎの衣裳。
女の私でさえついつい目がそこへ行くのだから、
男性は釘付けだろうなぁ。
私は全く予備知識なしで観に行ったので、
中国版大奥みたいな話しかと呑気に観ていたら…

途中でものすごい勢いで王と皇太子の殺陣のシーンになり、
王の元妻がくのいちみたいになって忍び込んできたり、
ものすごい数の黒づくめの軍団が、
どこからともなくワイヤーを伝って現れたり、
ちょっと気持ちわるくなるぐらいの数の兵士達が、
ばったばったと斬り合って死んでいくあたりで、
どん引きしてしまった。

とはいえ、その累々と重なった膨大な死体を、
それ以上にすごい数の人間が現れて、
あっというまに片付け、血を水で洗い流し、
踏み散らかされた何十万本の菊の花を、
新しいものに交換するとこは、
それはそれで圧巻だったけど。

基本、私はスペクタクルとか、アクションとか、苦手だし。

人、死にすぎ。
今まで私が観た映画のなかで、死者の数だんとつだろう。
血、流れすぎ。
剣とか鎌とかふりまわしすぎ。
あっけなく死んでいく兵士ひとりひとりに、
それぞれの人生があり、家族があると思うと、
しんどくて観ていられなくなる。


で、そのそもそもの原因であるところの、
王と王妃の確執や、義理の息子との不義密通とか、
そのあたりの心の動きやなんかが全然描かれてない。
私が観たいのは、そこなのに。

たしかに色彩感覚や、画面の美しさ、様式美は楽しめる。
けど、人間ドラマの描き方が浅い。
どの登場人物にも、とうとう感情移入できないまま、
衝撃の?ラストシーンになっていた。
う~~~ん。

だいたい私はお話しの冒頭で、
コン・リーが「80年代山口百恵メイクをした桃井かおり」
に見えてくるし、
チョウ・ユンフォは北大路欣也に見えて来てしまった。


この前エリザベスゴールデンエイジで、
恋人役がルー大柴に見えて困ったのだが、
この、勝手にそっくりな人物を思い浮かべてしまうクセを治さないと、
真から映画を楽しめないと思う。

というわけで、無料で観たのであんまり文句は言えないけど、
私好みの映画ではなかった。

監督のチャン・イーモウは、昔はもっと
人間の心の動きをきちんと描いた作品を撮っていたはずなんだけど、
なんでこんなハリウッド的な作品ばかり撮るようになったんだろう?
てか、これハリウッドではあんまりうけなかったらしいけど。

オリンピックの開会式の演出を担当するらしいけど、
たしかにこの映画を観てたら、
いかにもだなぁと納得した。

次回は、人の心の機微を丁寧に描いた作品を観たいものだ。





大物俳優?

2008年06月11日 | 仕事
昨日、退院後初仕事のローカルCMの撮影に行ってきた夫。
なんとか無事に仕事を終えることができた。
それもこれも、この私が付き添ったおかげである。

………そんなこたぁない。

優秀なスタッフと、本人のやる気のたまものだと思う。

いつもは、お互いの撮影の仕事の時は、
あまり現場に顔を出さない。
下手に顔を出すと、あれこれ余計なことを言って、
邪魔をしそうなのであえて干渉しないようにしているのだ。
それでも昨日は、久々の仕事ということもあり、
「付いていこうか?」と、聞いたら珍しく断らなかったのだ。

ということで、私は動きやすい服装をし
衣裳や靴、数種類用意したメガネなどの大荷物を手にして、
夫の後ろに付き添った。
その姿はどこから見ても
「大物俳優に影のようにつきそう付き人」である。
夫は、15キロ痩せた身体をごまかすこともあり、
私服は明るく派手なものということで
派手な縦縞のシャツに、オレンジ色のジーンズを穿いている。
でも頭は坊主。
鬘がかぶりやすいようにと、坊主にしている
マツケンやエビさまみたいだろ?などと言う夫。
う~ん、それはムリっ。

局のロビーでスタッフと待ち合わせをしたのだが、
いったいどこのスターさんか?という雰囲気を醸し出す夫。

名古屋のモデル事務所から来た相手役のお嬢さんは、
黒木メイサ似の可愛らしい方なのだが、
付き人どころかマネージャーもつけず、
ひとりでやってきた。

今回夫は、「伊武雅刀っぽく」と言われている。
たしかに、坊主頭にスーツを着るとなんかそんな感じになる。
エセ伊武雅刀は、撮影の合間椅子に座り、
私がお茶場から持ってきた紙コップのお茶をうけとる。
撮影が開始されると、その紙コップを私に渡す。
おいおい、そんなもの自分で処理したらどうなんだ?
あんた、何様?と、心でなじりつつも、
ここは私も付き人役に徹してみたりもする。

撮影スタッフは、みんな20年来の知り合いなので、
私達のことはよく分かってるいるのだが、
相手役のモデルさんとエキストラの人は、
おそらくすっかり私を付き人と思っているようだ。

多分「誰?誰なんだあのおっさんは?」
と、思っていたに違いない。

仕事っぷりは、私が言うのもなんだが、
なかなかのものだった。
ディレクターの要求どおり、
何パターンもの芝居をどんどんこなしていた。
とても、この間までベッドの上でへばっていた人とは思えなかった。


『無名の大物俳優』私は、夫をそう名付けた。

退院しました!

2008年06月09日 | 夫ネタ
本日、夫は退院しました。
治療はまだ続くのですが、通院治療で大丈夫とのこと。

仕事も、体調の様子を見ながら
これまでどおりやっても良いということで、
実は明日早速CMの撮影の仕事をいれた夫。
いつもならひとりで行くのだが、
大事をとって、私もマネージャーとして付いていく。
とはいえ、このマネージャー甲斐性がないので、
現地までの運転は夫本人。
先方との打ち合わせも本人。
じゃあ、意味ないじゃんという声も聞こえないでもないが、
付いて行こうか?と聞いたら、
珍しく夫は「おお、そうしてくれ」と即答だった。

体調はすこぶるいい。
まだ病巣は残っているのだが、
食欲もあるし、体重も少しづつ戻ってきている。

仕事をするほうが、気が紛れ、
張り合いもできていいと私も思っている。

というわけで、ムリをしない範囲で、
いつも生活に戻して行く予定である。

ご心配下さったみなさま、
とりあえずは一区切りです!

場違い夫婦

2008年06月07日 | 日常
昨年の夏、方言指導でかかわった映画「しあわせのかおり」の
先行完成試写会があった。

昨年のロケの様子の記事は こちら と こちら

東京での打ち上げや、
キャストスタッフの試写会にも招待されていたのだが、
ちょうど夫が入院したばかりの時だったので、
残念ながら欠席した。

ということで、初めて完成した映画を観ることになる。
夫も、外泊許可をもらい試写会とパーティーに夫婦で参加した。

撮影に入る前段階から、脚本をいただき、
台詞を方言に書きかえ、
それぞれの台詞を夫と私で手分けして録音した。
地元のロケのほとんどに付き合い、
役者さんに付いて現場で
アクセントとイントネーションを確認した。
朝早くから夜遅くまで、かなりハードだったが、
その分やりがいもあり、
間近で役者さんの素晴らしい演技を観られたし、
いろんな役者さんとたくさん楽しい話しもできた。

なんだか昨日のことのように懐かしい。
この仕事が終わってしばらくしてから、夫は入院した。

まだ治療の途中とはいえ、
こうしてふたりでこの場に出席できて良かったと
しみじみ思って、ふとあたりを見回した。

ほぼ8割方が、スーツ姿のサラリーマン軍団だった。
お気に入りのカバのプリントのTシャツに、
派手な太い縦縞のシャツを羽織り、
しかもスキンヘッドに薄い眉の夫は、
副作用だから仕方ないとはいえ、
人相がワルく胡散臭く、
周囲の紺やグレーのスーツ姿の人々の中で浮きまくっている。

どうも、今日の試写とパーティーは、
映画を作るにあたってスポンサーになった企業や、
地元の商工会、マスコミ、行政の担当者中心のものだったようだ。

多分こういう事でもないと、私達夫婦が会う機会もないような、
地元の名士とかお偉いさんとか、
その部下の人たちでいっぱいである。
わずかに放送局関係や代理店関係に知人を見つけ、
ほっとする私達。

場違いだよね?
うん。場違いだな。
なんで私ら呼ばれたのかな?
東京の試写会行けなかったから、先方の好意だろ?
でも、居心地悪いよね。

そんなことをひそひそ話しているうちに上演開始。

作品は…素晴らしい出来だった。
地味だけど、観た人の心がほかほか温かくなるような、
そんな映画だった。
夫は、お祭りのシーンでテキ屋の親父役で出演し、
藤竜也さんと二言三言会話を交わしてもいる。
私も、別のシーンでまばたきするぐらいの間
中谷美紀さんと同じシーンに映っていたりもする。
夫はともかくとして、私を捜せる人はかなりのpecoマニアだと思う。
そんな人、いるのだろうか?
いや、いない。

まあそれはともかくとして、とにかくこの映画は、
出てくる中華料理全てが美味しそうだ。
料理の香りや湯気が、スクリーンのこちら側に伝わってきそうである。
そして、調理する藤さんや中谷さんの食材へのまなざし。
大切な人に食べてもらうために作る調理人の顔は、
凛として美しい。
藤さんと、中谷さんファンは必見だと思う。
その料理を美味しそうに食べる人たちの笑顔、
どれも観ているものを幸せにする。


興味のある方は、ここ ←クリック。
まだ全てのコンテンツが整っていないようだが、
少しだけ紹介が載ってます。

この秋、全国公開!
ぜひ、皆さんご覧下さいませ。

三原監督と、主演の藤さんもいらしていて、
パーティーでは終始偉い人たちに囲まれていた。
合間を縫って夫とご挨拶に行った。

こういう場所ではいつもシャイな夫が、
珍しく藤さんに、私とのツーショット写真をお願いしてくれた。
心よく撮影に応じてくれた藤さん。
これはかなりうれしかった。

場違い夫婦は、お偉いさんの中で小さくなりつつも、
ちゃんと目的は果たせた。

パーティーが終わって気疲れした私達は、
ふたりでもう一度飲み直すために別の店に行って、
ゆっくり乾杯したのだった。

健康を取り戻して
またこんな、楽しくて張りのある仕事がやれますようにと。

秋の映画の公開が待ち遠しい。




母の変化

2008年06月04日 | 日常
母は、介護認定「要支援2」である。
デイサービスへは、基本的には週2日通う。
ここ数ヶ月は、夫の入院のこともあり、
施設のほうで事情を察して週3日通わせてもらっている。

はじめ、母は
「そんな年寄りばかり集まっているところに行きたくない」
(あんたは年寄りじゃないんかいっ)

「家でのんびりしていた方が気が休まる」
(呆けるぞ~っ)

「よその人が作った昼食なんて、口にあうはずがない」
(食べてみないとわからんぞ)

「意地悪な人にいじめられるかもしれない」
(昔の女学校じゃあるまいし)     などなど。

ありとあらゆることを言って、通所するのをしぶっていた。
それを地域のケアマネージャーさんに来ていただき、
あれこれお話ししていただくうちに気持ちが変わり、
2ヶ所ほど体験通所した後、
今のところに決めて通い出した。

通ってみれば案の定、とても居心地のいいことに気がついた母。
特にウォーターベッドでのマッサージがお気に入りだ。
専門の方が、ゆっくり丁寧に身体全体をさすってくれる。
母は自分で身の回りのことは全て出来るのだが、
お風呂の時は背中を流してもらえるのを喜んでいる。
心臓の病気で、体重が30キロになってしまい、
ガリガリにやせ細っていることを気にしていた母は、
デイサービス先での入浴を嫌がっていた。
自宅でも、お風呂に入るのをおっくうがり、
なかなか入らなかった人が、
今では喜んで背中を流してもらっている。

昼食も、家で食べる時は
麺類とおかず一品とか、
ご飯に一汁一菜くらいにしか私は用意できなかったのだが、
デイサービスでは、3品もおかずがつき、
デザートまでついて来るという。
施設のキッチンで手作りされた食事は、
できたてで、味も美味しく毎回残さず食べてくるという。

「そんな、子供みたいに体操だのゲームだの、
 私はしませんからね」
と、始めは言っていた母も誘われるままにやっているうち、
今まで肩より上に上がらなかった腕が
するっと上がるようになったと大喜びしている。

外出する習慣が出来たことで、表情も明るくなり、
生き生きしてきた母。
今では、食後の食器洗いや洗濯物をとりこみたたむのも
なんの苦もなくやっている。

しかも、家に閉じこもっていた時は、
だんだん身だしなみにルーズになり、
髪はくしゃくしゃ、
そのへんにある服をとりあえず重ね着して
暖を取ってます的なファッションだったのが、
きちんとコーディネイトを考え、
髪も定期的に切ってもらい(デイサービスに出張理髪店が来てくれる)
なんと口紅までひいて通所するようになった。

ありがたい。
デイサービス様々である。

どうやら、母が通う同じ曜日に95歳!のダンディな爺さまがいるらしい。
しかも東京生まれとかで、母と話しも合うとのこと。
奥様に先立たれて、息子さんと2人暮らしだとかで、
家ではキッチンにも立ち、余暇にはまだ現役でゲートボールもするとか。

いいじゃん。
ボーイフレンドにしちゃえば。

と言ったら、母に「ふん。そんなんじゃないわよ」と叱られた。

まぁ、なんでもいい。
とにかく、元気で長生き。
これが一番である。




それは誉め言葉なのか?

2008年06月03日 | 日常
外泊許可で帰ってきていた夫のリクエストに応えて
おやつにホットケーキを焼いた。
われながら絶妙の火加減で、
ふっくらきつね色に美味しそうに焼けた。

ひとくち食べた夫が
「お~、デパートの屋上レストランで食べたのと同じだ」

………え~っと、それは誉めてるんですよね?
多分。

どうせなら
「ホテルのホットケーキみたいだ」
とかなんとか言ってくれたほうが私の機嫌はより良くなると、
なぜ気がつかないかな、この親父は。

で、昼食にパスタを茹でようとしていたら
「久しぶりにナポリタンが食べたい」と言う。
私はナポリタンはあまり好きではないので、
めったに作らない。

夫は入院前は、体調を崩していたので、
野菜中心のなんちゃってベジタリアン、
なんちゃってマクロビオテック料理を食べていた。
そして入院中は、何度も書いているが、
身体のための適温という名のぬるくて、
健康のための薄味という名の味も素っ気もない食事をとっているため、
その反動でやたら濃い味付けや、
人工的な味付けを求めているところがある。

まぁ、たまにはいいかと、
バターたっぷりで野菜とベーコンをいため、
パスタはうんと柔らかめに茹でて、
たっぷりのケチャップで和え、
粉チーズをふって出した。

「お~、昔の喫茶店のナポリタンとおんなじ味だ」

………え~っと、またまた確認のため聞くけど、
それって誉めてるんだよね?


「もちろん。このベーコンが赤いウインナーだったら完璧だったぞ」
あなたという人は…。
ベーコンやウィンナーでさえ、久しぶりに買ったというのに、
赤いウィンナーなんて、今どきわざわざ買うわけないだろうがっ。

考えてみると、私達の世代はこんなものばかり、
ありがたがって子供時代に食べていたので、
若くして病気になる人が多いのではないかと思う。
チクロ入りジュースも浴びるほど飲んでるし、
危なそうな添加物、保存料、化学調味料たっぷりのものが
美味しいと思って食べてきた世代である。

それにしても、夫がこんなに昔食べたものを求めていたとは。
こうなったら、昔の給食で食べたのとおんなじ味のクリームシチューとか、
昔のお祭りの屋台で食べたのとおんなじ味のお好み焼きとか、
昔のお肉屋さんで買ったのとおんなじ味のマカロニサラダとか、
全部再現しちゃうぞっと。

基本、夫は貧乏舌。
B級グルメ(グルメとも言えないかも)好きなのだ。

ま、私も人のこと言えないけどもさ。

うぬぼれ屋

2008年06月01日 | 仕事
先日、以前ここでも記事にした撮影がDVDになったものを
ディレクターからいただいた。
4月に地元ローカル局何社かでオンエアしたらしいのだが、
うっかり見逃していたので完成した番組を見るのは初めてである。

撮影の様子は懐かしい場所での撮影
         懐かしい場所での撮影 ② ←ここをクリック

なんせ、自分が育った家でのロケ、
夫が出演し、私がナレーション担当という
なんだか不思議な縁を感じる仕事なので
ちょっと思い入れもあったりする。

ということで、わくわくしつつDVDを観た。

地元の古い染め物の歴史や作品を紹介する番組なので、
画像も美しい。
暖簾や風呂敷、夜着、着物などを展示したのも、
私の育った家の仏間や、茶室、伯父達の居間だ。
こんなふうに撮ると、住んでいた当時は気がつかなかったが、
やはり良い環境で暮らしていたのだとつくづく思う。

で、タイトルの「うぬぼれ屋」だが、
それは住んでいた家に対してではない。

私は、自分の容姿やスタイル、頭の中身については
かなりコンプレックスがある。
残念ながら夫のように
「自分大好き!万歳自分!」という気持ちはさらさらない。
夫は、自分が映っている映像を、
満更でもない様子で見ることが出来る人だ。
それは、容姿、スタイルとも、若い頃とは激変した今も変わることはない。
ある意味すごい。
そのうぬぼれっぷり。

で、私のほうだが、
私は自分の声とナレーション限定で、
ものすごいうぬぼれ屋である。
よく、録音した自分の声を聞いて
「うそ~、変な声」とか「思っていた声と違う」とか
「わ~、へんな喋り方してる」などと思う人もいるようだが、
私は思わない。

「お、相変わらずイイ声」
「う~ん、ナイスな間のとり方と、テンポだわ」
と、自己満足の極みである。

残念ながら自分で思っているほどイイ声でも上手い読みでもない。
もしそうなら、私はとうの昔にもっと大きな仕事を依頼され、
世に名をとどろかせていたはずである。

私が世に名をとどろかせずにいるのは、
この声やナレーションにおいてのうぬぼれ度の強さと、
自己満足っぷりがいけなかったのだと
ようやく気がついた。

これで良し!と思っている人間に、
それ以上の進歩はないのだ。
だめだと思うから、その部分を努力でカバーし、
創意工夫をする。

そうかと言ってコンプレックスの固まりで、
自分はダメだダメだと思っていても成長しない。
へんに縮こまり、自信のなさが表面に現れ、
とても人前でさらせるものにはならない。

このへんの絶妙なかねあいがうまくいっている人が
一流になるのだろう。

なんてことをまた改めて考えさせられたDVDであった。

あ、花見さん見たいと言ってたよね?
容姿にうぬぼれるおっさんと、
声にうぬぼれる私たちがかかわってるけど、
番組としては綺麗な映像に仕上がってるよ。
送ろうか?