招きねこの手も借りたい

主婦のち仕事、ところによって母、時々芝居。

やる気とお金のない日のメニュー

2006年06月30日 | 料理
なんだかかったるくて、複雑な料理を作りたくない。
そして、買い物にも行きたくない。
しかも、冷蔵庫に入っているのはなんだか貧乏くさい食材ばかりだ。

そんな経験は、主婦なら必ずあると思う。
今日が、私にとってそんな日だった。

ということで、今日の夕食はこれ。


鮭の照り焼きを焼いたのをほぐし、昨日の枝豆の残りをさやから出したものと一緒にごはんに混ぜ込む。
冷凍室にあった、宍道湖のシジミで味噌汁。
出し巻きたまご。
オニオンスライスと残り物のハム。
もやしを茹でて、ごま油とごまとすりおろしニンニクでナムルもどき。
あ、ごはんと味噌汁以外は3人前。
ここから取り分けて食べる。
最近家族みんな小食。

夕食というよりも、朝ご飯的になってしまった。

だって、やる気も予算も材料もない3重苦だったんだも~ん。

皆さんはこんな時のための、お助けメニューってありますか?

最初の劇団時代 (紆余曲折編 その32)

2006年06月30日 | 芝居
かかしさんとロボットさんが立ち上げた劇団の初日。
私はPちゃんやこけしたちと、花束を持って観に行った。

私たちは大きなホールでの公演や観劇に慣れていたので、
街の中の普通の事務所の横の細い階段を上がる、その会場にちょっととまどった。
階段を上がり、ドアをあけるとそこは手作りの舞台と客席があった。
手作りの黒幕を自分たちで張り、照明も吊ってある。
照明卓や音響卓を操作したり、サスライトを扱うのも劇団員だ。
照明を担当するのは、私たちと同時に入団したKさんだった。
Kさんは、ロボットさんと同い年の男性で11匹のねこのときは役者として出演していた。
無口だけど、肝心なときに頼りになる私たちのお兄さん的存在だった。
Kさんは、旗揚げに誘われていたのだった。

私たちが所属していた劇団では、音響や照明は全てプロの業者さんに任せていた。
旗揚げする劇団は予算がない…という話しは聞いていたが、
予算云々より以前に、そのための勉強をして、
みんなでやるという心意気に驚いた。

お客さんの入りもまずまずだった。
狭い空間で、客席と舞台がこんなに近い状態で芝居を観るのは初めての体験だった。
始まる前から、観る立場だというのになぜかどきどきする。
その周囲に流れる空気に圧倒されて、私は一緒に行った同期たちと話しもできず、
舞台を見つめていた。
緞帳もなく、ただ空間があるだけの舞台。
セットも何もない。
ここでいったい何が始まるのだろうかという期待でわくわくした。


芝居が始まり、そのあまりのテンションの高さと、勢いに目眩がしそうになった。
つか芝居特有のキツイギャグや差別スレスレの危ない台詞。
信じられない強引な展開。
根底に流れる、強烈な愛。
全て初体験だった。
高3のとき、今の劇団がつかの「生涯」という芝居をビルの1室で上演したとき、
観に行った。
そのときもかかしさんも、ロボットさんも出演していて
「地元にもうまい役者さんがいるんだなぁ」と感心した。
しかし、今観ている「戦争で死ねなかったお父さんのために」のような
圧倒的な迫力は感じられなかった。

ロボットさんとかかしさん以外の出演者のほとんどは高校生だ。
うまい…というのではない。
主役をやっている男の子などは、むしろ荒削りでうまいとは言えない。
滑舌も悪く、聞き取りにくい部分もある。
しかし、熱いのだ。
すくっと舞台に立って、こちらに向けて投げかけてくる視線も、言葉も、存在そのものが、熱いのだ。
どの子が言う台詞も、ダイレクトに胸に突き刺さってくるのだ。
当時、東京に芝居を観に行った事のなかった私にとって、
そんな体験は生まれて初めてだった。

つづく。


好きだから…

2006年06月29日 | 夫ネタ
思いがけず時間のあいた夫が、
「おいっ国本武春のCD探しに行くか?」と声をかけてくれた。

先日から、ほしいほしいと言っていたのを気にかけてくれていたのだ。
数軒の店をまわったが、どこも店頭にはなかった。
結局ネットで買うことにした。
探している途中で夫が、

「最近おまえがはまっているラーメンズのライブビデオがここにたくさんあるぞ」

と教えてくれたので、さっそくレンタルしてきた。
ラーメンズは、私が最近はまりまくっているお笑い2人組だ。
あまりテレビに出ないので、レンタルショップでライブを借りて観ているが、
いつも行くショップにはラーメンズのみのライブのビデオは置いてなくて、
探していたところだ。

夫はいつも、私がほしいと言ったものや行きたいと言ったところ、
好きだと言ったものは、良く覚えていてできる範囲で私の希望が叶うようにしてくれる。


うちに帰ってきてお茶を飲みながら
「どうして?」と聞いてみた。

夫は私の目をみつめ、表情を変えずにこう言った。

「好きだから」

……………。
ちょ、ちょっ。おい、おい。
白昼堂々、今さら古女房に告白か?
照れるじゃないか。

と、一瞬口元がほころびかけて我に返った。
そんなことを言うキャラではない。
このおやじは。


「それって、『私のことが』好き…ではなくて、
 『人の願いを叶えてやることが』好きってこと?
 もしくは『人の願いを叶えてやっている自分のことが』好きってこと?」

とぼけたおやじは、ここで顔中くしゃくしゃにして大爆笑した。
図星を指されるといつも顔中くしゃくしゃにして笑う。

「ふっ。やっぱりね。」

「願いを叶えるのが好きな僕は、まるで神様のようだろ?
 これからは神様と呼んでくれ。
あ、ただし叶えてやる人はかなり限定された範囲で、
なおかつ予算も上限の設定がかなり低いけど」

「せこいっ!」

「けつの穴が小さく、懐が寒い神様だ」

それって、もはや神様じゃありませんから!





買おうと思えば買えるのに、買っていないものベスト3

2006年06月29日 | 日常
買おうと思えば買えるのに、買っていないものベスト3の発表。

ジャカジャン!

て、誰も興味ないか…。
でもとりあえず、第三位から。

第三位 エスプレッソマシン。
コーヒーが大好きで、毎日手動ミルでがりがり挽いて飲んでいるが、
いつも思うのは家にエスプレッソマシンがあったらなぁ~ということ。
でもね、あったらあったでそんなに毎日エスプレッソを飲まない気もする。
置き場所も困るし。毎日使うかどうかわからないものにこの値段ではやはり迷う。
でもほしいな~ という思考回路をぐるぐるぐるぐるまわっている。

第二位 ホットサンドメーカー。
ホットサンドが大好きだ。
テレビのホットサンドメーカーなんかの実演番組で、
チーズだのコロッケだのオムレツだのポテトサラダだのを挟んで
焼いているのを見ると、だらだらよだれが出る。
これは別に悩むような金額ではないわけで、
なんなら今すぐにでも買ってくればいいんだけど、
これもやっぱり毎日使うもんじゃないだろう?
という自問自答を繰り返してしまい、今日に至っている。
電機屋さんに行くたびに、この前で立ち止まり考え込む私に
「買えば?」と夫が言い、
「う~、やめとく」と私が応えるのはもはやある種の儀式のようになっている。

そして、栄光の?第一位はっ。

「ホームベーカリー」
もうね、これ、売り出した当初からほしくてほしくてたまらんのですわ。
私はパンの焼ける匂いが、死ぬほど好き。
パン屋さんから漂う匂いを嗅いでいると、それはそれは幸せな気分になる。
高校の頃もバイトはパン屋さんでしたかったのに、
「残った和菓子をもらえる和菓子屋さんにしなさい」という和菓子好きの母の命令で
憧れのパン屋さんのバイトはできなかった。
かといって、自分がパン屋さんになったり、パン屋さんにお嫁に行く気はなかった。
なぜなら、若いときは早起きが苦手だったからだ。
朝一番早いのはパン屋のおじさん。
むりむり。

そんな私にぴったりなマシン!
それがこれ。
材料をいれておいてタイマーをかければ、
早起きしなくても、朝起きたら部屋中にあの幸せな焼きたてパンの香りが漂うのだ!

じゃあ、買えば?

全国、全世界からつっこみが今聞こえたような気がした。

そう、買えばいい。
でも。
多分、私は数回作ったら飽きてしまうような気がする。
できたパンも、はじめは珍しがって家族も食べるだろうが、
どう考えても買ってきた「美味しいパン屋さんのパン」のほうが美味しいと思う。
実際数年前ホームベーカリーを買ってみた私の知人は
「すぐ飽きた。さほど美味しくできない」とぼやいていたし。
しかし、彼女は私に輪をかけたような不精者だ。
美味しくできないのは、それなりの努力をしていないからかもしれない。
頑張れば、すごく美味しいのができるかもしれない。
が、できないかもしれない。
しかも、これも場所をとりそうだ。
うちの台所の収納部分は狭い。
ムダな器具を増やすと作業しにくくなるのだ。

というわけで、この3ついまだに買わずにいる。
実際使ったことがある人がいたら、ぜひご意見を伺いたい。

そうそう。
数年前、知人の結婚パーティーのビンゴゲームの景品に
ホットサンドメーカーとホームベーカリーがついていて、
目を血走らせて参加したのだが、
私への景品はスヌーピーのかき氷器だった。
いらんわい。
後輩にくれてやった。
帰り道、目当ての景品をはずし不機嫌な私に夫は
「自分で買えば~」
と繰り返し囁き続けた。

だ、か、ら、自分で買うのはもったいないのよ。
あ~そのへんに新品が落ちてないだろうか?

最初の劇団時代 (紆余曲折編 その31)

2006年06月28日 | 芝居
もやもやした気持ちを抱えて、かかしさんやロボットさんたちと稽古をするのはいやだったので、
思い切ってロボットさんに新劇団旗揚げの件について聞いてみることにした。

「ここの劇団辞めちゃうんですか?」
「かかしさんはここの正劇団員だけど、ぼくは実は正劇団員じゃないから
 辞めるっていうかたちではないんだよ」

それは初耳だった。
しかし、今後新劇団のほうに比重がかかるようになるのは避けられないだろう。

「こっちの稽古や公演に参加できなくなるってことですか?」
「う~ん。両立できる部分があれば顔を出したいと思ってるよ。
 それにこんな狭い街で同じ芝居をやってるんだから、全く疎遠になるってことはないよ。」

ロボットさんはそう言ったが、なんだかそれはちょっと私たちへの言い訳に聞こえた。

「旗揚げ公演をロングランでやるからみんなで観に来てよ」

ロボットさんはチラシとチケットを見せてくれた。
これまで、新劇団のことは今の劇団ではなんとなく大々的に話すのを差し控えていたようだった。

演目はつかこうへいの「戦争で死ねなかったお父さんのために」だった。
12月の週末、数週間にわたって旗揚げ公演をするという。
なんと大晦日の晩が千秋楽だ。
終わったあと、みんなで年越しをしようという企画。
こんな面白くて刺激的な企画は、残念ながら今の劇団では実行できそうにない。
かかしさんやロボットさんが、新劇団を立ち上げたくなった理由がまた少し分かった気がした。

公演会場は、ホールではなく町の小さな事務所の2階を急遽劇場にするという。
今その稽古と準備に追われているようだ。
ちらしに書かれたキャストメンバーのほとんどは、よく知らない人ばかりだった。
おそらくかかしさんが指導に行っていた高校の演劇部の子たちだろう。
ちょっと見覚えのある名前を見つけた。
ふりふりさんと、ふりふりさんのお姉さんだった。
ロボットさんのことをとうに振ってしまったとはいえ、
旗揚げメンバーのなかにしっかり入っているのが少し気になった。

とにかく、この旗揚げ公演を見よう!
私は、同期のみんなを誘って公演を見に行くことにした。

つづく。

国本武春さんのこと

2006年06月28日 | 芝居
皆さんは、国本武春さんをご存じだろうか?

全く新しいタイプの浪曲師として、ライブにミュージカルにと大活躍されている。
NHK大河ドラマ「元禄繚乱」へ出演もしている。
子ども向けに「さるかに合戦」「花咲じいさん」などをオリジナル浪曲にしたり、
バンジョーやギターとのセッションをやったり、とにかくその活躍は多岐に渡る。
昨日のNHKBSで、偶然舞台を観ることができた。
忠臣蔵 松の廊下のところと、内匠頭の切腹のところを久々に堪能した。

残念ながら生のライブを観たことがない。
もっぱらテレビや、DVDでの鑑賞だ。
私が初めて国本さんを観たのは、劇団ラッパ屋の舞台「阿呆浪士」のビデオでだった。
三味線を、エレキギターのようにかき鳴らし、
うなる、語る、動きまわる。
てっきり劇団の役者さんだと思っていたら、当時からすでに知る人ぞ知るの浪曲師だという。
それから、ときおりテレビの演芸番組やラジオにゲスト出演する際は、
要チエックの人となった。
近年こちらの地元でライブがあったのだが、仕事と重なりどうしてもいけなかった。
本当に残念。

この人の語る忠臣蔵はすごい。
公式ホームぺージうなるカリスマ!!国本武春 で、
さわりの部分とロックアレンジやブルースアレンジのところが観られる。
ものすごく充実したホームページなので、くまなく観るのは時間がかかる。
興味のある人は、ぜひお時間のあるときに楽しんでみてほしい。
あ、あとここでも最近のライブ映像が見られる。

浪曲なんて…と思っておられるかたも、騙されたと思って体験してほしい。
ホームページのお試し映像だけでは実感できないと思うが、とおしで聞くと、
まじ、面白くて、気分が高揚し、そして、泣ける!
忠臣蔵で泣いてる自分に、ああ日本人でよかった!としみじみする。
子どものころそういえば、三波春夫の浪曲を聞き意味は分からないなりに
やたら感動した記憶があるのだが、
それ以降浪曲に触れる機会はなかった。
国本さんの浪曲に出会ってぜひ若い人にも聞いてもらいたいと思った。
古典としての三味線をふまえた上で、洋楽の要素を取り込み、
役者を志していた演技力がその語りをより面白いものにしている。
せっかく日本人に生まれたのだから、日本独自の文化にもっと触れてほしい。

生の舞台を観たことのない私が熱く語る資格はないかもしれない。
なんとか時間を作って彼のライブや舞台に行きたい。
見た目は全然私のタイプではないが、私の中のアイドルである。
とりあえず、近日中にDVDを買う予定。


最初の劇団時代 (紆余曲折編 その30)

2006年06月27日 | 芝居
ロボットさんがかかしさんと一緒に、新しい劇団を旗揚げする…

この情報を最初にキャッチしたのは、情報通のPちゃんだった。
私は、よく事態を飲み込めていなかった。
かかしさんは、劇団の中堅として役者も演出もこなす中心的存在だったし、
ロボットさんも、男性俳優として大事なポジションにいる人だった。
なぜ、今の劇団から独立して新劇団を立ち上げるのか、理由がよく分からなかった。
そして、このことはPちゃんが先輩たちの会話を小耳に挟むまでは、
全く私たち新人は気づかなかったのだ。

かかしさんは、通常の基礎練習の指導をされていた。
気さくに私たちとも軽口をきいてくれる人で、当時みんなとても信頼していた。
そんな計画があるのならどうして私たちの耳にもいれてくれなかったんだろう。
なんだか悲しかった。
Pちゃん情報によれば、

「今高三の演劇部の子たち何人かと一緒に、つかこうへいの芝居を旗揚げ公演でやるらしいよ」
とのことだった。

当時、演劇界で一大ブームをおこしていたつかこうへいの存在を、
恥ずかしながら私たちはあまりよく知らなかった。
かかしさんやロボットさん、良い魔女さんたち、
それから当時かかしさんが指導にいっていた高校の演劇部員たちで、
時々東京に芝居を観に行っているらしいことは以前聞いたことがある。
高校の演劇部の脚本をかかしさんが書いて演出もしていた。
そういえば、以前その稽古を見学させてもらったことがあった。
つかこうへいの影響を色濃く受けた作品だったらしい。
とにかくエネルギッシュで楽しそうで、ちょっと危険なかんじのする芝居だった。
それまでの高校演劇の常識をくつがえすようなムードがあった。
私は高校演劇経験者ではなかったが、
それまでに見てきた高校演劇とは全く違っていたし、
そこにいた高校生達もよく身体は動くし、声も出ているし、
これはすごい子たちがいるぞ…と感じていた。
11匹のねこの公演のときも、そういえばその高校生たちが手伝いにきたり、
観に来たりしていたことを思い出した。
そのメンバーたちと一緒に、思い切りそういう芝居ができる劇団を作ろうということらしい。

Pちゃんの話しを聞きながら私は色々考えてみた。
今の劇団は、とても居心地がいい。

仕事や家庭とバランスがとれるように、稽古日程も余裕があったし、
大きい劇場での公演は年に1~2回。
楽しみながら芝居を続けたい人にとってはありがたいペースだったが、
やりたいことがはっきりしていて、情熱的に芝居にかかわっていきたい
かかしさんやロボットさんにとっては物足りないわけだ。

かかしさんやロボットさんの気持ちはなんとなく察することはできたが、
私はなんだか取り残されたような、裏切られたような、
なんともいえない寂しい気持ちになった。

つづく。

母の自慢 その弐

2006年06月27日 | 日常
母は東京の代官山に住んでいたそうな。
生まれは地方の田舎だったが、生後一年で父親の仕事の関係で東京に出てきたという。

21で結婚して、数年後にまた地方に戻ってくることになるので、
東京で暮らしたのは20年。
それでも、母は自分は東京の人間だと思っている。
いまだに、こちらの風習や慣習を(しっかり受け継いでいるくせに)

「このへんではこうするらしいけど、東京では違った」
というような内容のことをこてこてのこちらの方言で言う。おいっ。

「私って、育ちが東京だからそんなになまってないでしょ?」
というような内容のことを、べたべたな訛りで語る。こらっ。

母のアイデンティティは「東京育ち」らしいので、私はあまりつっこまない。

さて、その母の自慢その弐だが。

「忠犬ハチ公と遊んだ」である。

母は、結婚後父のおかげで波瀾万丈の人生を送ることになるのだが、
東京でのんびり暮らしていた頃は、ホントに幸せだったようだ。
ハチ公はいつも渋谷の駅にいたそうだ。
小さかった母はデパートの行き帰りに立ち寄っては、
しょっちゅう撫でたり話しかけたりして晩年のハチ公を可愛がっていたという。

駅員さんの詰め所でくつろいでいたり、
通りかかる人たちから美味しいものをもらったりして、
とても幸せそうだったという。
ご主人が帰ってくるのを待っていた…と考えたほうが美談にはなるが、
居心地がいいから駅に通っていたというのがハチ公の本音かもしれない。

銅像のハチ公ではなく、生ハチ公にさわったというのが、
母の自慢のひとつだ。

















ものもらい

2006年06月26日 | 日常
土曜日から、右目にものもらいができて腫れている。
日曜の朝、猛烈な違和感で目が覚め、洗面所の鏡に写った自分の姿を見て驚いた。

「誰、あんた?四谷怪談のお岩さん?」

そんな顔だった。
あわてて、日曜も診察している近所の眼科医院に行った。
ここの先生はなんだか地方の眼科医にしておくのが惜しいほどダンディな老紳士だ。
そして、呆れるほど無口。
私は、コンタクトレンズが目の中で行方不明になったときしか診てもらったことがないのだが、
ほとんど会話は一行で終了する。

今回も…

ダンディ医「どうしました?(私の顔を見る)あ、めもらいね」

私 「え~と、昨日からちょっと痛がゆかったんですけど、今朝起きたら…」
説明をしている私を遮るようにしてダンディ医は

ダンディ医「ちょっとみせて」

私 「あの、今痒いっていうよりすごく痛くてあの…」

ダンディ医「目薬出すからそれいれて」

私 「目薬いれると痛みは治まりますか」

ダンディ医「むり。腫れがひくまでは痛い。明日も痛い。多分明後日も。
      お風呂は短時間のみOK。」

あんたは片言の日本語を喋る外人かよっ!と言うくらい会話が短いダンディ医。
とにかく、治療をしてもらえれば気分的にもほっとするかと思っていたが、
椅子を倒して、さぁ治療だ!と思ったら目薬を1滴ぽたっとたらして

ダンディ医「はい。おわり。目は清潔に。規則正しい生活を。」

目の愛護デーの標語のようにダンディ医は語る。
え?え~?まじで?
目、洗ったりとか、あとなんかねちゃっとした塗り薬目に塗ったりとか、
遠赤外線かなんか目にあてるマシンとかそういうのは?

目もらいになったのは、じつに20年ぶりくらいである。
この20年の間に、目もらいの治療はこんなにシンプルになったのか?
このぽたっとたらした目薬はたった1滴でものすごい効き目がある新薬なのか?
私は様々な疑問を抱え腑に落ちなさ100%の顔をした。

この病院で私がしてもらったことは
検眼と(それも裸眼は当然としても普段コンタクトの私が、目もらいのためにめったにかけないメガネをかけていったら、そのメガネでの視力を測る看護士さん。
なんのためだ~)
「目もらいですね」という診断。(言われなくても分かっとるちゅうんじゃ)
「明日も痛い。明後日も痛い。」という予測もしくは予言?
たった1滴の目薬治療。
目の愛護デーの標語のような注意。

帰り際に受け付けのお姉さんが目薬の説明をする際
「この目薬はコンタクトの上からさしてもかまいません」
といいおった。
おい、この目を見てものを言ってくれ。
こんなお岩さんみたいな目にコンタクトが入るか?はいらんわいっ。

そして、今ダンディ医の予言どおりまだ右目は腫れて痛い。


最初の劇団時代 (紆余曲折編 その29)

2006年06月26日 | 芝居
やりたかった役にはありつけなかったラジオドラマだったが、
それでも放送局のスタジオでの収録は生まれて初めてだし、
尊敬している劇団の上手な先輩方の台詞を間近で見聞きできる良い機会だ。

バスガイド役は、冒頭部分なので収録が終われば帰ってもいいと言われていた。
せっかくなので、全ての収録を見学させてもらうことにした。
バスガイド役はひとりで観光地の説明をしているだけである。
誰ともからまない。
寂しい。
でも、贅沢は言わないことにした。
マイクの前で声を出せるいい経験だし、この際自分の何処が悪かったのか
何が足りなかったのかを先輩方の台詞を聞いて勉強しようと思ったのだ。

いちばん足りないのは、私は相手の台詞を全然聞いていなかったことだ。
相手が台詞を言っている時間は次に言う自分の台詞をどういうふうに言おうかと、
準備する時間になっていた。
ちゃんと相手の台詞に反応して、台詞を言えばそれはとてもリアルな会話に聞こえる。
私はどう言えば、自分が上手に見えるかということばかり考えていた。
『本当に巧い役者は、相手役をステキに見せることができる役者』だったのだ。

ということにこの収録見学時点で気づいていたかと言うと…否である。
大事なことに気がつくのは、このもっともっと後のことだ。
とにかくこのときは、自分のやり方は何かが間違っているということだけしか分からなかった。
それでも、「自分は意外にイイ線行ってるんじゃないか?」という鼻っ柱は折れた。

大人しいこけしは、苦手なTさんとの共演もそつなくこなしていた。
Tさんは相変わらずの鼻息と、自分のことを棚に上げたダメ出しの嵐だったが、
話しておられる内容は正しい。
こけしも私も、これまでTさんを毛嫌いしすぎていたことを反省した。

ラジオドラマの経験は私にとっていろんなことを見直すきっかけになった。


さて、そんなこんなで劇団に入団した年の冬も深まり、私は来春の公演の演目発表を待っていた。
そんなとき、ロボットさんがかかしさんたちと一緒に
新しい劇団を旗揚げするという噂を耳にした。

つづく。





本日の遅い朝食

2006年06月25日 | 料理
日曜日の朝から、ボリュームたっぷり。

昨晩のカレーの残りの再利用。
グラタン皿にバターを薄く塗り、ご飯を盛りカレーをかける。
その上から溶けるチーズを乗せて、オーブントースターでチーズが溶けるまで焼く。
と、こんな感じ。



チーズとカレーの取り合わせって最高!だと思う。

写真ではわかりにくいけど、サラダを盛りつけた小鉢は先日街で見つけて衝動買いしたもの。
多分、型でつくって柄はシールを貼った大量生産ものだと思うけど、
形と柄が気に入った。
普段使いには充分だ。
和食器は、和のおかずだけではなく洋のおかずもなんとか格好にしてくれるので、
ついつい買うのは和食器が多くなる。

最初の劇団時代 (紆余曲折編 その28)

2006年06月25日 | 芝居
オーディションの結果発表を待つ間、私は密かにいろいろ考えていた。

劇団でいつも重要な役柄を演じる女優は数人。
そのうち1名は今回参加していない。
前々回の「オズの魔法使い」で良い魔女を演じた方と、
ドロシーを演じた方がいつも比較的重要な役どころに入られるだろう。

今回ロボットさんの主演は決まっていた。
その相手役となると良い魔女さんはロボットさんより少し年上でバランスが悪いように思えた。
多分、事故に遭う作業員の妻役をされるのではないか?
ドロシーさんは、明るいキャラクターなのでしっとりした今回の役柄のイメージではないように思える。
冒頭のバスガイドは多分ドロシーさんに当てて書かれているのではないか?

なんてことを勝手に予想し、
これはもしかして我々下っ端にもかなりチャンスがまわってきそうだ…
などと虫のいいことを考えていた。
もし、自分がロボットさんの相手役に選ばれたら…

「劇団の稽古とは別に2人で台詞を合わせる時間を作ろう」
とかなんとかロボットさんに個人レッスンに誘われるかもしれないぞ!

「誘っていただいて光栄です」では固すぎるし
「え?そんな~いいんですか?ありがとうございますっ」ではぶりぶりしすぎだ。
かと言って
「よろしくお願いします」では普通すぎる。

相手役に選ばれてもいないし、ましてやロボットさんから2人きりの個人レッスンに誘われているわけでもないのに、
ひとり私は夢見心地な乙女のような気分で、
そのときの会話をシミュレーションしていた。
そんなことをしている間に、少しは腹筋とか発声練習とか基礎練習でもしたらどうだと、
現在の私はつくづく思う。

「ねぇ、ねぇって。pecoちゃん!配役発表されるって」

Pちゃんに後ろから頭をこづかれ我に帰った。
こんな事をしている場合ではない。
私たちは配役発表が行われる別室に急いだ。



ロボットさんの恋人役は…良い魔女さんだった。
当然と言えば当然のことだった。
良い魔女さんとロボットさんの芝居の会話のテンポは完璧だった。
年齢差も、よく考えればラジオだからわからない。

そして、鼻息の荒いTさんの妻役は…こけしだった。
こけしは、微妙で複雑な笑顔を私に向けた。
顔は笑っていたが、小さな声で「たすけて」とつぶやいていた。
ごめん。助けられない。Tさんの鼻息は自力でよけてくれ。
私は、冒頭に1ページ分のバスガイドの台詞をもらった。

ロボットさんとのからみは一切ない。
「ああ、2人だけの個人レッスンが…」
私は力なくその場に座り込んだ。

つづく。



森永 フルーツ牛乳プリン

2006年06月24日 | 美味しいもの
あたらし物好きで、なおかつ昔懐かしもの好きの私のニーズに応えるかのようにして、
満を持して(かどうかは知らないが)発売された

「森永 フルーツ牛乳プリン」を買ってみた。
 ホモちゃんマークがいろいろ種類があったので、2つ買ってみた。

ホモちゃんマークがやたらかわいいので、森永のプリンはたまに買ってしまう。
しかし、このシリーズの森永のプリンはものすごく大きい。

「だけど、大きいからプリンを半分しか食べられないの。かわいそうね、pecoちゃん。」

などと、「さっちゃん」のお馬鹿な替え歌を歌いつつも、
フルーツ牛乳プリンとくれば買わないわけにはいかない。
銭湯で湯上がりに飲むのは、コーヒー牛乳とフルーツ牛乳のどちらにするかを考えながら
湯船につかった昭和のあの時代。

食べてみた。

もっと人工的な味なのかと思ったら、意外にあっさり系。
でもちゃんとお風呂上がりに飲んだフルーツ牛乳の味がする。
しみじみ懐かしさが口いっぱいに広がる。
「ちゃんと身体きれいに拭きなさい」という母の声が聞こえてきそうだ。

これって、やっぱり私みたいな昔懐かし味を求める中年向けも視野にいれてると思うんだけど、
それなら、ミニサイズも発売してほしいかも。
子どもの頃は、大きいプリンをいっきに食べたいと思ってたけど、今はムリ。
結局夫とはんぶんこして食べることになる。
最近では大好物のモロゾフのプリンも大きいのではなく、小さいのを買うようになった。

小学生のときはハウスのプリンを、どんぶりで作って食べたり、
ハウスのシャービックを、製氷皿1個分一気食いしてお腹痛くなったりしていた。
さすがに今はそんな無茶はできない。

というわけで、森永のフルーツ牛乳プリンは小さいのを発売してほしいものだ。




最初の劇団時代 (紆余曲折編 その27)

2006年06月23日 | 芝居
中学では演劇部だったが、高校は放送部だった。
みんなで作った番組が賞をもらったり、
自分もアナウンス部門で県代表で全国大会にも参加している。
マイクの前で喋ることには、なんのとまどいもなかった。
むしろ、目の前にマイクがあったほうが落ち着いた。

舞台での演技は、客席からどう見えているのかとか、
共演者とのバランスはどうかとかを計算したり、
演出から指定された動きをこなしながら台詞を言う難しさがある。
何気ない日常の動作をしながら台詞を言うとか、
この台詞を言い終わるまでに、あちらに自然に移動しなければならない…
などなど慣れていないと大変な面がある。

そこへ行くと、ラジオドラマは台詞だけに集中できる。
これは私にぴったりではないか!内心うきうきである。
俊敏な動きが得意のPちゃんは、それが生かせないラジオドラマを
あたまからもうあきらめているし、
おかんも「どの役もあたしのキャラではないからね」と割り切っている。
ロボットさんとの恋人役での共演をねらっているのは、
乙女とこけしと私ぐらいだ。
もちろん諸先輩方も、当然ねらっていらしたとは思うが、
過去にも何度かラジオドラマの経験はあるとかで、私たちほどがつがつしていないように見えた。

実際にスタジオに入り、マイクの前でロボットさん相手に台詞を言う。
ロボットさんは相変わらず、とてもうまい。
情景が見えるような気がする。
そんなロボットさんを相手に自分なりに精一杯やった。
他の役の台詞も、もちろんどれも手を抜かずきちんとやった。
これまでのオーディションで、「まあこんなもんだろう」というなめた態度がよくなかったのは身にしみていた。

過去の場面の「事故に遭う作業員役」は、
劇団の先輩で笑い声に特徴のある恰幅のいいTさんだった。

Tさんは熱心でとてもいい人なのだが、残念ながらさほどお上手ではないのに、
ものすごく知識が豊富なため、若手を集めてダメ出しすることが多く、
当時の私たち若手女性劇団員から敬遠されがちだった。
特徴のある引きつった笑い方と、鼻息がすごく荒いため
そばにいると鼻息をもろに浴びてしまうというのも、敬遠される理由になった。
それでもとてもまめに東京に舞台を観に行かれて、よく勉強されているので、
芝居の話しを聞かせてもらうのだけはイヤではなかった。

が、今回のラジオドラマでは、夫婦が作業前夜寝室で寝物語にいろいろ語るというシーン。
妻役はいい役とはいえ、できればTさんとの共演は避けたいな…という空気があった。

様々の思いを胸にオーディションを終えた私たちは、
控え室で待つことになった。


つづく。

テイクアウトの餃子

2006年06月22日 | 美味しいもの
岡花見さんのところの餃子の記事と、
ZEROさんの中国旅行での餃子の記事が美味しそうだったので、
ずっと餃子が食べたかった。

今日は夕飯の支度時に、仕事が入ったため手作り餃子ではなく
テイクアウトの餃子を久々に買ってきた。
     

ここの餃子は、ちょっとばかり違う。
地元では有名な専門店だ。
興味がある方はここをクリック

とにかく安くて、美味しい。
家庭では出せない味だ。
手作り餃子には手作り餃子の良さがあるし、
ここの餃子もしばらく食べていないと食べたくなる。

グリーンピースご飯を母が作っておいてくれた。
こういうものは、断然母が得意だ。
お米を炊くときにだし昆布と、塩と酒をいれておいて、
炊きあがってから茹でたグリンピースをざっくり混ぜ込む。

大根の尻尾が残っていたので、お味噌汁に。
サラダを作る時間はなかったから、塩昆布とミョウガとキュウリを揉み込んで即席漬け。
作り置きしてある、干し椎茸の含め煮を添えて、こんなかんじ。
    

う~ん。食欲を刺激する赤い色が紅ショウガだけってのが気になる。
トマトでも切れば良かった!
野菜不足がちょっと気になるけど、とりあえず一週間単位で考えてバランスがとれていればよしとしょう。