招きねこの手も借りたい

主婦のち仕事、ところによって母、時々芝居。

ロケ終了

2007年08月31日 | 仕事
夫の定期検診は、何の問題もなかった。
あとは、大腸検査の結果待ちだけである。
やれやれ。

そして、長期にわたってかかわった映画のロケが終わった。
本当は今夜もやっているのだが、
私たちは別の仕事が入っていて行けないので、
昨日で最後だった。

スタッフTシャツをいただいた。


夫と私で色違いにした。
ロゴがほどよい大きさで入ってて可愛い。

袖口のところにもこんなかんじでロゴ。

映画の題名のほうが小さい。
「小上海飯店」というのは、
映画の舞台になる小さな中華料理店の店名である。

まるで架空のお店小上海飯店の制服みたいでなかなかいいかんじ。

今回私は、母の入院や手術と重なり、
早朝から深夜にわたる連日のロケを夫と交替しつつ
参加したので大変だった分思い入れも深い。

ロケでのいろいろなエピソードは、
また後日少しずつ記事にしていくつもりだ。


今回のスタッフTシャツは、センスがよくて、
ロケが終わっても普段何気なく着られそうだ。

ちなみに、昨年いただいたスタッフTシャツがこれ。


映画の題名が題名なだけに、仕方がないとはいえ、
こんな言葉がでかでかと書かれたTシャツを
外に着ていく勇気はない。
風呂上がりに着ている。


とにかく大きな仕事を終えてひとつ分肩の荷がおりた。
そして明日は、私が講師をしている朗読講座の年に一度の発表会。
今回は私も長い文章を朗読する。
それが終われば、ちょっとのんびりできそうだ。

さ、これから最後の稽古に行ってきま~す!















順調!

2007年08月30日 | 日常
昨日は仕事のため母のところに行けなかった。
今日行くと、点滴が全てはずされていた。
鼻にとおされていた、酸素の補助もとれている。
明日からは、いやがっていたおむつをはずし、
導尿の管もはずして、
ベッド横のポータブルトイレで用便できるという。

横になりつつ母が言う。

「梨と桃を今度剥いて持ってきてね。
 それからちょっと書き物をしたいから、鉛筆と紙も。
 あと、鏡がないからそれもお願い。
 美容院にはまだ行っちゃだめなのかねぇ。
 髪をきれいにしたいもんだわ。
 ああ、お寿司が食べたい」

健康な人間がごろ寝しつつ言うと、図に乗ってるんじゃねぇぜっ
というところだが、
大変な手術を乗り越えてきた母が言うと、
「ああ、そこまで回復したのか」
としんから嬉しいものだ。

ものすごい早さでの回復に、
先生も看護士さんも驚いていた。
もちろん、本人も、私たちも。

そして、不思議発言は全くしなくなった。

無信心な私が、
「神様ありがとう。仏様ありがとう。」
という気持ちになった。
みなさんからの励ましや、お祈りが通じたのだと思う。
本当にありがとうございました。

あとは筋力をつけて、普通に生活できるようにするだけ。

夫は、明日大病後のいつもの定期検診。
何も変わりがないことを祈っている。
この勢いにのって、家族全員が健康でいてほしいものだと
つくづく思う。





内視鏡検査

2007年08月29日 | 夫ネタ
夫は、本日一日がかりで大腸の内視鏡検査だった。
1時間内に、下剤1.2リットルを飲まされ、
大変だったそうだ。

で。

ポリープが見つかった。
2個。

良性か悪性かを調べるため、組織をとって検査に出した。
結果が分かるのは、来月6日。

正直、私はへこんだ。
夫は淡々としている。

悪いところがあるなら、切っちゃえばいいだろ?
治療すりゃ、治るんだし。

と、いたって普通だ。
たしかに、私たちの周囲の夫の同世代には
大腸ポリープや大腸ガンを患った人が多い。
そして、皆さんちゃっちゃっと切って、
結構けろっと元気に生活している。

だとしても、もし私が夫の立場だったら、
どよ~んと暗くなると思う。
あれこれ悪いこと考え、取り越し苦労をし、
おろおろすると思う。

夫は、とにかく検査結果を見ないと分からないことに、
むだにおろおろしない。
仮にあまりいい結果でなかったとしても、
へこまずに、淡々と治療をする人である。
このへんは、彼のすごいところだと思う。

そして、淡々としているわりには、
「今の検査の機械、すごいぞ~。
 腸の中がものすごくはっきり見えたぞ。
 ぼくの腸、それはそれはきれいなイイ色だったわ」
と、うれしそうに腸の色自慢をしている。

はぁ。
すごいね。

と、一応力なく相づちを打つ。
腸の色自慢をされてもなぁ。

明日も私は朝7時半から18時までロケにつきあい、
夜は朗読教室の発表会の稽古がある。
かなり忙しい。
忙しいほうが、私もいらぬことを考えて
暗い気持ちにならないですむので助かる。
よしっ、頑張ろう!

ということで、皆さんのブログをおたずねするのは、
また後日。







いろいろ

2007年08月27日 | 日常
昨日は、朝6時半にロケ現場に集合して、
私の仕事が終わったのは21時をとっくに過ぎていた。

実働時間はさほどでもないのだが、
ひたすら待ち、待ち、待ちだった。
こういう仕事では待つのも仕事のうちとたたき込まれてきたが、
これまで関わった全ての仕事の中で一番待ち時間が多かったように思う。
むしろ実働時間がびっちりあるほうが、疲れない。

とはいえ、待ち時間にはいろんな人と話しをして、
交流を深めたつもりなので、
それはそれで貴重な時間をすごした。

しかし、さすがに今日はへとへとのぼろぼろ。
使い物にならない私だった。
日中は家事をすませてから、
電話とメールですませられる仕事のみをした。
ロケには、今日は夫が出た。
交替できるところが、夫婦でやっている強みである。

へとへとぼろぼろしつつも、
母のところに行く。
看護士さんを通じて医師の了解を得た上で、
今日は母の大好物の巨峰を持参。
皮を剥いて、梨とともに冷たく冷やして、
昼ご飯に間に合うように持って行った。
全部は食べられないかと思えば、
にこにこ顔でかなりの量を平らげた。
病院の食事も、塩分控えめ食から普通食になり、
随分食べやすくなったそうで、
ほぼ残さず食べているとのこと。

新聞を広げ、週刊誌の広告や、記事を拾い読みし、
「松田聖子はいつまでも若いわね」とか
「朝青龍は、どうするつもりなのかしらね」
「中村獅童は跡取りをとられて困ったわね」
など、ワイドショーネタのみコメントする母。

かあさん。
人の心配より、自分の心配をしようと言いかけたが、
それもこれも元気になった証拠。

母の元気な様子に、私の疲れも吹き飛んだ。

夫は明日、大腸の内視鏡検査である。
痛みはもうないが、やはり微妙なお腹の張りがある。
この際、きっちり調べてもらう。
明日の検査にそなえて、病院からもらった検査前日食しか口に出来ない夫。
レトルトのお粥とスープ。
栄養補助飲料。
ゼリー、ちっこいビスケット。

お粥はそれなりの味らしいが、
やはり自家製のお粥のほうが美味しいらしい。

検査が終わったら何か美味しいものを食べさせてやりたい。

今からまた仕事。
いろいろあるけど、なんとかかんとか乗り越えていくぞ~!

朝市の戦利品

2007年08月25日 | 日常


お花、月桂樹の葉2袋、大きな桃2個、すだち4個、オクラたくさん、
大葉、茄子3個。

これで、1280円。お得である。

大混雑の中、ひとごみをかき分け品物を選び、
レジの長蛇の列に並ぶのは得意じゃないけど、
何より地元の新鮮なものが手に入るのが嬉しい。
で、たまに親切な先輩主婦から
あれこれレシピを伝授してもらえるのもありがたい。
スーパーじゃなかなかそんなことはないからね。

茗荷をバターで炒めると美味しいらしい。
今日小耳にはさんだ。
どうなんだろう?
試してみようかな。


☆追記

買ってきた茗荷と大葉を薬味にしてお昼ごはんは
冷やしうどん。



夕飯は、買ってきた茄子とオクラ、月桂樹の葉、
冷蔵庫にあった南瓜とトマト、鶏肉ミンチで夏野菜カレー。
バターににんにくと生姜のみじん切りをいれてよく炒め、
ミンチを炒め、南瓜もいれる。
水をいつもより少なめにいれて、トマトもいれて、
南瓜が煮くずれない程度に煮込んで、
カレールーを入れる。
茄子は、あく抜きしてからオリーブオイルで炒め、
オクラも板ずりしてさっと湯がいたものを、
最後のほうに入れた。



見た目はいまいちだけど、味は最高!
大好きな酒悦の福神漬けも添えた。

今日のひとりご飯は、結構満足。



一人暮らし未経験

2007年08月24日 | 日常
結婚するまで実家で暮らし、
結婚して子供が生まれ、母と同居して家族4人暮らしになった。

今は娘が家を出て、母は入院中。
夫とふたりきりである。

「新婚時代の再来だ」
などと夫はおどけるのだが、
あの頃のどきどきウキウキ感など蘇るはずもない。
そこへ持ってきて夫が忙しいため、
朝食のみ一緒に食べて、
昼食も夕食も別々な日が多い。

仕事から帰り、自分一人分の夕食を作る気が起きない。
それでも食べないわけにもいかない。

一人暮らしをした経験がないため、
自分のためだけに何かするという感覚が希薄だ。
かといってインスタントものでは胃もたれする悲しいお年頃。
ほか弁など食べると、2~3日しんどい。
ひとりで夕飯を食べに、近所に外食するのも気が引ける。

冷蔵庫にあるものをかき集めて、
しぶしぶ用意して食べる。
ひとりで食べるごはんは味がしないような気もする。

みなさん、ひとりでご飯食べるときってどうしてます?
朝食、昼食くらいならなんとかなるが、
夕食を一人分作って、美味しく食べるということができない。

私の母は、数年間の一人暮らし期間の時でも、
天ぷらも揚げたし(そのかわり、私に取りに来いと電話がかかったが)
五目ちらしも作っていた。
絶対私には真似できない。

誰かのためでないと、料理をする気がしないのだ。
今日はついにデパ地下で、おこわ弁当を買ってしまった。
主婦失格。

口癖

2007年08月23日 | 日常
○○をしんなん。(しなければ…のこちらの方言)
もしくは、○○をせんなん。(同じくしないといけない…のこちらの方言)

私はすぐ、このねばならないという言い方をしていると
夫に指摘される。

「お茶いれんなん」
「掃除しんなん」
「市役所いかんなん」
「メールしんなん」

早くそれを行動に移さねばならないという焦りが感じられる。
なんでそうやって言葉で自分を追い込むのだとたしなめられる。

「お茶いれよっと」
「掃除しようっと」
「市役所行こうっと」
「メールしようっと」

こう言い換えるだけで随分前向きな感じがする。
自発的な感じ。
特に、小さい「っ」が気持ちを奮い起こすように思える。
私の言い方だと、させられてる感に満ちあふれている。
やりたくないことなんかは、
たしかにさせられているわけではあるが、
それをあえて自分から進んで、やりたいと思ってやっている
と考えて言葉にすることで、
ポジティブな気分になると夫は言う。

ほんとだ。

これからは、そういう言葉遣いにしんなん。

あ、またやってしまった。

これからは、そういう言葉遣いにしようっと。

母の経過

2007年08月22日 | 日常
母の術後の回復は、執刀された医師も驚くほどのものだった。

本日、集中治療室から一般病棟に移った。
こんなに早く、集中治療室から出られるとは思ってもいなかった。
手術前の説明の際、
母の年齢を考えると、手術が成功しても
回復にかなり時間がかかることを覚悟しておいたほうがいいと言われていた。
下手すると、いつまでも挿管が抜けず、
口から食事がなかなかとれないこともあるとも言われていた。

それが、今日のお昼などは
普通にお粥と、オムレツと、青菜の辛しあえと、豚汁を、
「まずいわ~(笑)」などと文句を言いつつ食べている母。
点滴の管の数も1本だけになっている。

老眼鏡をかけて、自分で爪を切ったり、
新聞を読んだりもする。

ほんとに、すごい。
現代の医学の力も、母の生命力も。

実は、術後2日目のあたりで、母は集中治療室症候群になった。
集中治療室は、特別な空間である。
24時間態勢で、看護士さんが付き添い、
定期的に聞こえてくる医療機械の電子音と、
生死の境をさまよう患者さんが並ぶ数床のベッド。
点滴や、医療機械につながれて身動きもとれない。
多くの人が、ここにいると集中治療室症候群になるという。

母も、たくさんの幻覚と幻聴に悩まされ、
しまいには点滴を自分で抜いて「家に帰る」と暴れたという。
病院から電話がかかり、
母が暴れているので、顔を見せてやってくれと言われ、
次兄と駆けつけた時、
母の顔は別人のようだった。
もの凄いハイテンションで、
「泥棒が入ってきたのに、誰も助けてくれない!」
「天井に虫がはい回っている」
などと矢継ぎ早に訴える。
暴れるのでやむなく、両手をベッドの端にゆるくしばられている。
これに関しては、事前に何かあった場合本人の安全のために、
しばることもあるという同意書にサインしてあった。

しばられていることが納得できない母は、
「つかまってしまった。助けて。」
と繰り返す。
そのほかにも、普段の母なら絶対口にしないような、
やんちゃな言葉遣いもする。

次兄はそんな母が信じられず、
なんとか正気に戻ってほしくて、
あれこれ現実的な話しをするのだが、
会話が成立しなかった。

私は、全てのことについて
「それは恐かったね。でももう大丈夫だよ。」
「ここにいる人たちに、やっつけてもらうから、平気だよ。」
と、肯定したうえで
看護士さんや先生が、母の味方であることを強調した。

意外と繊細な神経の次兄は、おろおろしていたが、
私はむしろ母の不思議発言を面白がって付き合うようにした。
そんな数日間を過ごしていたら、
母は全く暴れなくなり、
おかしなことを言う回数も激減した。

それでも、「あんまり苦しいからさっき太平洋に飛び込んで自殺しようとした」
などと時々言うので、
「え?太平洋?そりやまた遠いね」とつっこむと、
「あ、日本海かもしれん」
という母に
「どっちじゃいっ」とつっこんだりもしていた。

毎日、新聞も持参して、
見出しを読み上げたり、明日の運勢を読んでやったりした。

少しづつ少しづつ、危うい向こうの世界から、
こちらの世界に戻って来た母。

24時間、そんな母につきあってくれた看護士さんの苦労を思うと頭が下がる。

当時の母の話したものすごい悪夢に登場するのは
実在の人物ばかりだった。
母といろいろもめごとがあった親戚や、知人は
ちゃんと悪者として登場していたところがすごいと思う。
母の心の奥にしまってあったどろどろした部分も、
可愛らしい部分も皆、
集中治療室にいる間に出てきた。

一般病棟に戻った母は、今穏やかな顔をしている。

もしかして、ある意味母は生まれ変わったのかもしれないと思う。
新たな人生を、ご機嫌で歩んでいってほしいと
心から思っている。


最近の女子中学生

2007年08月21日 | 仕事
お仕事とボランティア半々くらいのかんじで、
夫とふたりで地元の中学生に朗読劇の指導に行ってきた。

夫のほうはしょっちゅう、小中高生にお芝居の指導をしている。
地元の若者とも芝居を作るし、
今年からは50歳以上のシニアの人たちの指導もしている。
夫の指導は、はたで見ていても上手いなと思う。

私のほうは、個人的に朗読やナレーションの稽古をみてあげることが時々あるのと、
あとは平均年齢50代後半くらいのグループの朗読指導をしている。
年に何回かは、夫と組んで子供をもつお母さんのための読み聞かせ指導みたいなこともする。

しかし基本的に子供と接するのは苦手だ。
とくに、難しいお年頃、中途半場なお年頃の中学生ともなると
お手上げだったりする。


今日接した子供たちは、けっして不良とか、
困った子とか、そういうわけではない。
挨拶もちゃんとできるし、見た目はごくふつうの中学生。

しかし。
反応がないのだ。
表情もほとんど変わらない。
手応えがない。
「わかった?」
と聞いても、抜け殻みたいな顔で黙っている。

自分たちで選んだ作品だと先生から聞いていたので、
「なんでこの作品を選んだの?」と聞いても
どよ~んとした空気が流れるだけ。
「じゃあ、自分のやりたい役があったら立候補してね。
 やりたい役をやったほうがやる気が出るでしょ?」と言っても、

し~~~ん。

おっっい!

元気ないね?朝ご飯食べてきたのかな?

と、まるで安いイベントの司会のお姉さんのようなことを聞いてしまった。
それでも、うつむいているだけ。

やる気あるのか~。
起きてるか~。

しまいには、あくびをする子。
人の話を目を見ないで聞く子。

うむむむ。

そんなにこの私の説明や話しはつまんないのだろうか?

そのうちの何人かは、きちんと話しを聞いて、
いろいろメモしたり質問したりする子もいたので
私もぶち切れずにはすんだけど、
いったいどうなっているんだい。
この集まりは、たしか朗読劇をやりたいと言った子ばかりの集まりと聞いていたのに。

良くないこととは知りながら、
ついついやる気がある学級委員タイプのしっかりして、
はきはきした子中心に話しを進めてしまった。
これで、他の子はますますどん引きしていることだろう。

もじもじしていたり、あくびしていたりする
そういう子をうまく引き入れてこその指導なんだけど。

私に中学生の指導はムリっす。

学校の先生は、こんなやる気の感じられない子達を相手に、
いつもどうやっているんだろうか。
てか、ほんと、なんでこんな覇気がないわけ?

日本はどうなっちゃうんだ!
そんなことをまで考えてしまった。

身の程を知ったうえでの夢

2007年08月20日 | 日常
朝、偶然つけたテレビで、白州次郎さんの特集をやっていた。
ご存じの方も多いと思うが、
日本で一番かっこいい男として知られている。
戦後GHQの支配下で、吉田茂の側近として、
大活躍し「従順ならざる唯一の日本人」と言わせしめた.

ちょっと検索をかければ、たくさんの情報が得られるので、
もしも彼をご存じない方がいたら、
ぜひ調べてみてほしい。

私が彼を知ったのは、数年前。
書店でみかけた本の表紙でだった。

ひと目ぼれした。
時空を超えたひと目ぼれ。
夢中で彼について書かれた本を読みあさり、
ますます憧れの気持ちを強くした。

で、今日その番組を見てまた
「ああ、すてき~」と熱をあげたのである。

きゃ~きゃ~言いながらテレビに釘付けの私に
夫は冷ややかだった。
ああ、この人と同時代に生まれて
じかにこの人にきゃ~きゃ~言いたかった!
と言う私に、
「お前と白州さんでは、住む世界が違いすぎて接点なんかないぞ」
と、水を差す。

いいの。
この人の家にお手伝いさん「菊江」として奉公に行くの。
なんで「菊江」なのかは知らないけど、
なんとなく「菊江」。

そんで、思う存分柱の陰から胸ときめかせるの。
靴とかいつも、ぴっかぴかに磨き、
イギリス製のスーツやシャツに丁寧にアイロンをかける。
「菊江、いつもありがとう」とか言われて天にも昇る気持ちになるの。
書斎の掃除とかを任されて、
「これがいつもご主人が使っておられる万年筆…」
などと、ほぼストーカーに近いけど、
思う存分片思いをするのだ。
とにかくお側にいられるだけで満足。

そして「菊江、たまにはこれでおしゃれしなさい」
と、気まぐれで買ってきてくれた髪飾りを
一生の宝物にして死んでいくの。

などと、私の夢を夫に熱く語ったら、
「夢なんだから、どーんと、白州次郎の妻になりたい!ぐらい言ってみたらどうだ」
と笑われた。

私は身の程を知っている。
彼のような人の妻はとてもじゃないが私には務まらない。

お側で黙々とお世話をし、
陰からどきどきと胸ときめかすお手伝いの「菊江」で充分だ。

私は基本的に片思い体質かもしれない。
それはモテないので、自然に片思いが多くなるからというだけではない。
陰でどきどきするのが好きなのである。
ごくたまに、何かの拍子で憧れの君から声をかけてもらったり、
優しくされたことをその後ずっと心の中で反芻して、
その想い出だけで生きていける…
そんな奥ゆかしい女なのだ。
(ここ、軽くつっこむところです。よろしく。)

そんなこんなでタイムマシンがあったら、
ぜひ会ってみたい人ナンバーワン。
それが白州次郎さんである。

よしっ。
今夜は、なんとしても白州次郎とお手伝いの菊江の物語を夢で見ちゃうぞ!

日焼け

2007年08月18日 | 日常
ロケで日焼けしてしまった。
気をつけてはいたのだが、汗で日焼け止めクリームが流れたのに気がつかず、
塗り直さずにいたからだ。

日焼けした顔を気にする私に夫が言った。

「健康的なかんじだぞ」

ふだんはめったに私の容姿関係についてコメントしない夫。
たまにしたとしても、ぼろくそにしか言わない夫が、
私を傷つけまいと、気を遣っている。

ということは、それほどに黒くなったということか。

私は、色白である。
白雪姫と、色白比べをしたら互角に張り合えるくらい色白と言われている。

集合写真を見ると、私がどこにいるかすぐ分かると言われている。
ひとり、ふぁ~っと顔が白く浮き出ているからだ。
嬉しくはない。
白は膨張色。
ただでさえ、でかい顔が1.5倍増しである。

昔から、両親や伯父夫婦に
「色白は七難隠す。良かった、良かった。」
と言われ続けてきた。

鼻ぺちゃ。
眉毛が太い。
左右の目がかたちんぱ。
下ぶくれ。
ほお骨が高くでっぱっている。
顔がでかい。
えらが張っている。

これらが、色白で隠されているとは到底思えない。
むしろ、白浮きしてみえるので欠点が目立っているように思う。

小麦色の肌の人のほうが、すっきりして見えるような気がしていた。
ただ、私は残念ながら泳げないため、
海やプールで日焼けしたりすることのない学生時代を過ごした。
日焼けサロンとも縁のないまま今日まで来た。
うっすらと日焼けしても、それは赤くなってすぐにもとに戻った。

今回は、赤くならずに黒くなりそうである。

で、七難の方はどうかと鏡をのぞく。

おんなじだ。
色が白かろうが、黒かろうが、
欠点そのまま。

ふんっ。

明日は、欠点そのままの日焼け顔で映画のとあるシーンに出演する。
台詞はないので、自慢の美しい声でカバーすることもできない。
どうするんだ、自分!



ロケだより

2007年08月17日 | 仕事
今日は朝7時集合で、ロケ参加。
ここ最近は、ずっと夫ひとりで行っていた方言指導。
今日は、途中ではずせない用事があるとかで、
交代要員として朝から一緒に行った。

相変わらず、渋くてステキな藤竜也さん。
細くて抜けるように白い肌で笑顔がすてきな中谷美紀さん。

そして、今日からロケに参加の、田中圭くん。
田中くんは、現在オンエア中の牛に願いをで、
心優しき北海道の青年役を演じている好青年。
最近めったに連続ドラマを見ていなかった私が、
とびとびとはいえ、珍しく見ているドラマだ。

田中くんは、礼儀正しくて爽やかな子だった。
方言のほうも、耳がよくて、音感がいいのか、
すぐに覚えてしまう。
事前に渡してあった方言を録音したテープもしっかり聴いて、
予習してきてあった。
さすがである。

「牛に願いを」の話しなんかもしてくれて、
私もとても楽しく仕事ができた。
夫は、ロケの現場ではとてもシャイである。
役者さんとは、必要最低限の会話しかできない。

役者さん達も、ひげ面のでっかいおっさん(うちの夫のこと)よりも、
にこにこした小太りのおばちゃんのほうが、
気軽に話しができるのか、
コミュニケーション担当は私の仕事である。

藤さんがせっかく、待ち時間に夫に話しかけているのに、
「はい」「いいえ」でしか答えられない夫。
頑張れ~、夫。

明日はまた早朝から、ロケ参加である。
夫が以前、「すぐに殺されてしまうイヤミな骨董商役」
で出演した2時間ドラマで、
ほんの少し台詞のやりとりをした渡辺いっけいさんのシーンの
方言指導だ。
明日は夫ひとりで行く。
待ち時間に、ちゃんとコミュニケーションをとれるのか心配である。
大丈夫かぁ~。



親戚付き合い

2007年08月15日 | 日常
夫の母が隣りに住んでいるとはいえ、
義母はとても進歩的な人なので、
これまで一度も姑的言動もないし、
私たちの生活に干渉することもない人なので、
嫁姑の闘いとか、
台所の隅で、エプロンのすそで涙をぬぐったこともない。

以前にも書いたと思うが、義母は歯に衣着せぬ人で、
思ったことをそのまま口に出すので、
始めの頃は驚いたりとまどったりした。
しかしその分腹にいちもつあったり、
陰でこそこそ悪口を言ったり、
陰湿なイヤミを言ったりということがいっさいないということが、
よく分かった。
だから、義母とは気兼ねなくあけすけに会話できる。
うちの母とは違う義母のキャラクターは、
それはそれでチャーミングだとも思う。

義母には兄弟が多い。
年に一度、お盆の時期に全員がお里に集合し、
1泊して全員でお墓参りをするのが恒例である。
夫と私は義母をお里まで送り、
親戚の集まりにほんのちょっとだけ顔を出し、
お墓参りをし、泊まらずに帰ってくる。
今日はその日だった。

義母の兄弟たちは、とてもキャラが濃い。
歯に衣着せぬ義母の兄弟たちも、義母に輪をかけてそうである。
オブラートに包んで何か言うということはない。
奥歯にものの挟まったような言い方とは無縁。

こんなことを、今この場で言うと
言われたほうはどう思うだろうかとか、
言った自分はどう思われるかとか、
周囲の空気はどうなるだろうかとか、
そんなことを気にして、
いったんフィルターを通してから口に出したりはしない。
その時頭に浮かんだことを、その場ですぐ口に出す。

義母との間にはすでに信頼関係ができているので、
何を言われても平気だし、言い返したりもできるが、
年に一度、もしくは冠婚葬祭にしか会わない夫の親戚たちとは、
まだ残念ながら義母との間のようにはできない。

そこまで言うか!とか、
大きなお世話じゃ!とか、
ほっといてくれ!とか言えたらラクだろうなぁと思う。
さすがに言えない。

曖昧で微妙なアルカイックスマイルを浮かべて、
夫と義母の間で固まる嫁。
それは私。

義母は義母で、
「そういうあんたんとこの娘はまだ嫁にいかんのか?行き遅れか?」とか
「あんたんとこの孫は、まだ仕事もしないでぶらぶらしとるのか?」とか
「あんた、去年より随分禿げたね~」
「その腹、なんとかしないと糖尿で死ぬよ」
など、私からすると「ひょえ~~っ」的発言で
応酬している。

義母と義母の兄弟たちの間で、こんなやりとりは当たり前らしく、
険悪なムードにはならない。
言われたら言い返す。
あとには残らない。
思ったことを言う。
そして言ったことはすぐ忘れる。
言われたほうも忘れる。
ある意味とても健全だと思う。

そして、ほぼ毎年同じやりとりをしている。

夫は夫で、何を言われても
「あはは。ひどいな~」
「まぁ、それはそうなんですけどね~」
と、受け流している。

どうしても、私はそれにまだ馴染めないでいる。
来年あたりは私もなんとか参加できるようになりたいが、
多分ムリである。
私は、かなり腹黒いし、執念深い。
きっと言葉にケンのある言い方をしてしまいそうだ。
人間修養の道は険しい。








手術、成功しました!

2007年08月13日 | 日常
朝8時半に手術室に入り、
午後5時半に出てくるという、長時間にわたる手術でしたが、
無事、母は乗り越えてくれました。

ご心配下さった皆様、本当にありがとうございました。

術後2週間は、まだまだ安心できない状況ではありますが、
とりあえずは、ひとつ山を越えたというところ。


それにしても、11時間も病院にいたというのは生まれて初めて。
そしてそれは、兄妹3人で11時間一緒に過ごしたということでもあり、
それも本当に久しぶりのことだった。

病棟の談話室で待つように言われ、
見るともなしに3人で見ていたテレビには、
クレージーキャッツの映画をやっていた。
懐かしい映像。
子供の頃3人で、大晦日にクレージーキャッツの映画を見に行ったことなどを思い出す。
荒唐無稽で、脳天気なお話の展開。
3人とも、心配でしかたがないのを、
なんとか平静を保っていた。
脳天気な映画で良かったよねと話し合う。
植木等の突き抜けた明るさは、祈るように待っている私たちにとって、
救いだった。

交替で食事や、休憩をとり、
あってほしくはないのだが、もしもに備え、
必ず誰かが談話室に残るようにした。

3人が揃っているときは、
誰かがマイナス思考になると、誰かが励まし、
誰かが話を変えて面白い話しをした。
一人で待っていたら、おそらく気持ちが持たなかったと思う。
ふたりで待っていても、同じところをぐるぐる廻って暗い気持ちになったと思う。
三人いて良かったとしみじみ三人で確認した。

手術が終わり、担当の先生に呼ばれた。
「大変な手術でした。」
開口一番、先生がそう言った。
成功率70%と聞いていたが、
手術を開始した時点で、成功率は60%まで下がっていたらしい。
それほど、状態が悪かったようだ。

手術そのものは、完璧だったそうだ。

術後の経過は、まだまだ油断できない状況だが、
とにかくひとやま乗り越えてくれた母。

まだ意識は朦朧としているようだったので、
声をかけないように言われた。
必死に生きようと頑張っている母の姿に、
私たち兄妹は胸が熱くなった。

命の重さ、大切さを実感した一日だった。


オロナイン軟膏信仰

2007年08月12日 | 日常
夫はオロナイン軟膏のファンである。
うちの薬箱には、いつもオロナイン軟膏がきれることなくある。

先日からの映画の外ロケで、
私がどんなにすすめても日焼け止めクリームを塗らなかった夫の腕は、
日焼けがひどく、やけどに近いかんじでただれていた。
意外に色白で、肌の弱い夫。
皮膚科に行ったほうがいいよと私が言うのに、
「オロナイン軟膏を塗るから大丈夫」
と、自信満々。

にきび、吹き出物、はたけ、やけど、しもやけ、あかぎれ、きず
虫さされ、みずむし、たむし、いんきん、しらくも。

適応症のところに列記された様々な皮膚の病気。
すごい。
すごすぎである。
これだけ何にでも効くというのは、
私のような疑い深い性格の人間からすると逆に、
どれにもさほどは効かないのではないかと思ってしまう。

ほら、コーヒーも焼きそばもお寿司も出すレストランは、
どれもこれも全然美味しくないじゃない。
あんなかんじ。

でも、夫はオロナイン軟膏が大好きなのだ。

で、今回はすごく良く効いた。
ただれていた部分は塗って1日でひりひり感がなくった。

へ~。
すごいね。
ほんとになんでも効くんだね。
じゃあさ、私の心の傷にも効かないかなぁ。

そう言うと夫は、
「効くんじゃないか?」
と、言う。

「ほ~。それはすごい。では治してもらおうかね。」

「では、このオロナイン軟膏を心の傷に塗ってやるから、
 ここにその心の傷を出してみなさい。ほれほれ。」

あんたは一休さんかよっ。