招きねこの手も借りたい

主婦のち仕事、ところによって母、時々芝居。

信じられない訃報

2009年09月27日 | 日常
夫と私が、この仕事を始めた頃からのつきあいのある
隣県の制作会社の社長の訃報が届いた。

それも10日前に突然頭を強打したことが原因で亡くなり、
以前からの故人の意思で
ご家族だけで葬儀をとりおこなったそうだ。
そして、香典などの心遣いはご遠慮いたしますとあった。

どうしても信じられなくて、その会社のディレクターの携帯に電話した。
本当に突然のことで、
その彼もまだ事実をうけいれきれてないという。
仕事の処理や、会社の今後のことなどでばたばたしているという。

話しているうちに、涙がどんどんあふれてきた。

駆け出し時代の私たち夫婦に、
たくさん仕事をふってくれた社長。
ほめ上手で、現場で私たちをおだてては、
気持ちよく仕事をさせてくれた。
現場が大好きで、本来なら社長がしなくてもいいことまで、
うれしそうに生き生きと立ち働いていた。
社長室におさまりかえるのではなく、
いつも動き回っていた。
社員にもほんとうに愛されていた。
還暦をすぎ、さすがに体力が落ちてきたけどやれる間は
なんとか頑張ると、最後にお会いしたときに
笑顔で話していらした。

「pecoさん、元気そうで良かった。
 ご主人の分までいい仕事、していこうな。」
と、励ましてくださった。

昔、予算のたくさんある仕事の際には、
日帰りでいけるところをあえて宿泊にして、
夜は豪華な宴会を開いて社員と出演者を楽しませたこと。
予算がない仕事のときに、ねぎってくる
申し訳なさそうな電話の声。
電車でスタジオ入りする私を
社長自ら駅まで送迎してくれたこと。
いろんなことを思い出している。

社長の人柄が好きで、多少の無理はなんとかしていた夫。

あの世で、きっと夫と社長は
仕事の話をしながら飲んでいるような気がする。

それにしてもあまりにも早すぎる死だ。

大好きな人が亡くなるのは、ほんとうに辛い。



同じ言うにしても…

2009年09月24日 | 日常
1年以上ぶりに仕事でお会いしたとある人から

「痩せたね~」

と、言われた。

事実である。
謙遜するのもなんだかいやなので、

「はい。痩せました」

と、応えた。

すると。

「大丈夫?
 この業界、痩せだしたな~と思ったら
 あっという間に死ぬ人多いからさ。」

………て、おいっ。
たしかに、このところそういう人が続いたのは確かである。
うちの夫も含めて。

心配してくれたのかもしれないが、
ほかに言い様がないのだろうか?

「おかげさまで、痩せたおかげですこぶる健康ですよ。
 コレステロール値とか、血圧とか。」

と、にっこり笑って答えておいた。

ここ最近、ブティックや顔そりエステで

「スリムですね」

と、1年前には絶対ありえなかった言葉をきけて
ちょっと調子に乗っていたので、
今日の「痩せ出したら死ぬ」発言で
冷静には、なれたかとは思う。

ま、死なないけど。

私は生命力のオーラが強いと、よく言われる。

夫も多分、後ろからふわっと抱きしめて守っていてくれると思う。
だから、大丈夫。

それに、心配されるほど痩せたわけではない。

先日は、空手をやっている女友達とバーにいたら
初対面の女性に「空手のお仲間ですか?」と言われた。
病気で今にも倒れそうだったら、
空手の心得のある人だとは思われないだろう。

昼の1時から深夜2時まで、友人と喋り続ける体力もある。

心配してもらえるだけ良しとしておくとするか。

多分、そういう発言が
自分の好みのタイプの素敵な人からだと
あら、心配してくれてありがと!
と、思うのだろうな。

が、好みのタイプの素敵な人は
おそらくそういう発言はしない。

さて明日は、大好きな年下の友人のひとり
Tさんと串焼き屋さんである。
食べて、喋って、心と身体に栄養だ。









いろんな変化について

2009年09月17日 | 日常
昨日ついに買っちゃったよ。

シニアグラス。

てか、老眼鏡なんだけどね。
デパートでは『リーディンググラス』などと、書いてあったけど。

伊太利亜製の、ちょっとおしゃれなのを買ってみた。

ほんとは来年の誕生日に買おうと思ってたんだけど、
気に入ったのがあったときに買っておいたほうがいいと判断。

ちょいと用事があって帰省している娘に見立ててもらい決断。
いやはや、こんなにはっきりくっきり見えるんだったら
もっと早くに買っておけばよかった。
ま、こんだけおしゃれさんなのは、なかなか出会えなかったけど。


で、勢いに乗って、来月関西旅行するときに着る服も購入。
娘にも服を買ってやる。
お互いの服を見立て合う。

店員さんに、「お友達同士ですか?」
と、分かりやすいお世辞を言われつつ。
こんな顔が似ている年の離れたお友達なんていね~だろっ。

1年前には、こんな風に仲良く連れ立って買い物できる日が来るとは
思ってもみなかった。
夜は、夜で一緒にギョーザを作り、
手作りラー油のレシピともども伝授する。
ホットプレートで焼きながら、
ガールズトーク炸裂で、
深夜1時まで大笑いしながら語りあった。

娘も変わり、私も変わったからだと思う。

娘はさっき、帰っていった。
また私ひとりになった。

娘とにぎやかにすごすのもそれはそれで良いし、
こうしてひとりで静かに過ごすのもまた良いのだと思う。

今日の昼ごろ、ある人から、
短いけれどうれしいメールの返信があった。
このメールだけで、多分数日はにこにこ過ごせそうだ。
辛いことや寂しいこともたくさんあるけれど、
だからこそ、楽しいことやうれしいことをありがたいと思える。

私は、ちょっとだけ変化しつつある。









ひとりファミレス

2009年09月12日 | 日常
そうだ、肉を食べよう。
でも、料理はしたくない。

てことで、昨晩ファミレス方式のステーキ屋さんに「ひとり」で行った。

カウンターのあるちょいと高級な焼肉屋さんでのおひとりさまは
先日経験済みだ。
今回は予算の都合で、ファミレス。

案の定、案内された席の周辺全部ファミリーだった。
そりゃそうだ。
金曜の夜のファミレスなんだからさ。

てか、なんかじろじろ見られてる感じがしたのはひがみか?

「わ~、ひとりでロースステーキ単品で頼んでる」
「あらら、ひとりで生中だ」

なんてことを思われてるような気がする。

通路を挟んで斜めのファミリーは、
子供の誕生日だったようで、
お店の人に写真撮ってもらったりしている。
隣のファミリーは、お子様ランチのハンバーグを
ママとパパが交互に「あ~ん」とかやっている。
後ろのファミリーは、やさしそうなパパが
ドリンクバーから家族の飲み物を運んでいる。

ふんっ。
子供の誕生日はママの手料理で祝えよっ。
あ~ん、てなんだ。
自分で食べろよっ、クソガキッ。
ドリンクバーくらい自分でとりに行かせろ。
そんなに尻に敷かれたいのか。

などと心の中でさんざん毒を吐く、吐く、吐く。

たしかに私も20数年前同じ風景の中にいた。
まぁ、ファミレスで娘の誕生会はしなかったけど。
とにかく幸せファミリーだった。
だから、今この瞬間幸せそうなファミリーも
もしかしたら数年後、10年後、20年後、
幸せではないかもしれない。
もしかしたら、ものすごく大変な経験を経たうえでの、
今の幸せそうな瞬間なのかもしれない。

そして、ひとりでファミレスで心の中で毒を吐いている私も、
もしかしたら何年後かに振り返ると
あれはあれで幸せだったのかもと思うのかもしれない。

先日、
「なんかこう、ぱ~っと面白いことないかなぁ」
と、言った私をたしなめた後輩がいる。
「pecoさん、それ昔旦那さんが元気で一緒に芝居したりしてるときにも言って
 旦那さんにたしなめられてましたよ」

……今の私からみたら、夫が元気で一緒に芝居している状況なんて
この上なくハッピーで面白い状況である。
そのときはそれに気がついていなかったのだ。

「足るを知れ」
いつも夫に言われていたことを思い出した。

「足るを知れ」といわれるたびに
「え?樽?知らん、知らん。私はざるだよ~ん」
と茶化していたことも思い出した。

そんな会話ができていたこと自体が奇跡なんだ。


ひとりで、ファミレスでステーキと生中で、
心の中で毒を吐くのもこれはこれで幸せなのだ。





呼び名

2009年09月10日 | 日常
亡夫あてに、同窓会の案内が届いた。
……「08年8月29日死去」と、記入して返信した。

改めて、「死去」と文字にするとまたしんみりする。


今日は出先で、腹のたつことショックなことがてんこ盛りで、
うんざり感いっぱいだったのだが、
クリニックの待ち時間に斜め読みした週刊誌に、
面白いエッセイが載っていた。


「ボツイチ」
これ、なんだかお分かりだろうか?
漢字で書くと「没一」となる。

離婚経験1回をバツイチと呼ぶのに対抗?して
一部の間で、最近「連れ合いに死別した人」を没イチと呼ぶらしい。
これ、いいじゃん。
呼び方をいくら変えたところで、その実態は全く同じなのだが、
自分で自分のことを言うときに、
「未亡人」とか「後家」というのは
なんだかじめっとして、鬱陶しい。
ま、実際じめっと鬱陶しい日をすごすことも多々あるのだが、
この未亡人とか後家とかいう言葉が一人歩きして、
へんな妄想をもつ人もいたりするのも
こちらとしてはいやだ。

ボツイチなんですよ~。

響きが軽やかじゃないか。
言っている自分も、なんだか軽やかな気分になる。


で、そのエッセイには
死別から3年くらいたったボツイチたちが
いかに自由に軽やかに友人たちと人生を楽しんでいるかが書かれていた。
(主に、熟年女性のボツイチたち)
まだ、さすがに私はその域には達していないが、
読んでいるとうなずけることがたくさんあった。

曰く、ボツイチたちは夫の顔色をうかがったり、
家族の食事の支度や家事に追われることがないので
時間を自分のために自由に使える。

で、一緒に遊ぶのは同じく時間を自分のために自由に使える
同じ「ボツイチ」もしくは「バツイチ」またはシングル。

私も、ここ最近ランチや飲みに行ったり、
どこかに遊びに行くときの連れは
全員バツイチかシングルだった。
残念ながら?同じボツイチの友人はいない。

亭主もちは、「あ、旦那に聞いてみるね」とか
「その日は子供のお弁当がある日だから…」とか
「○時までに帰らないと、旦那が機嫌悪いから」などというので、
なかなか予定を合わせられないし、
私もひがみ根性で「そうやって家族に縛られるのも幸せのうちだね」
と、本音ともいやみともつかないことばが浮かんでしまい、
精神衛生上よろしくない。

シングルの友達もそれはそれでいいのだが、
結婚経験や出産経験がないと、
はじめからひとりだったわけで、
めったやたらと孤独に強かったりして、
いきなりあったものがなくなった孤独について
イマイチ理解できなかったり、
逆に今度は私がシングルの友人に
「1回は結婚出産ができたんだから幸せじゃん」
と、思わせてしまったりして気まずいこともたまにあったりする。

てなわけで、一番私が気楽なのは
バツイチの友人かもしれない。
あ、バツニももちろ気楽。
バツニの友人は、人生経験豊富なので私は心の中で
「師匠」と呼んでいる。


ボツイチとして、軽やかに生きていけたらと心から思っている。

というわけで、もう私を「未亡人」と呼ばないでほしい。



耳タコ

2009年09月09日 | 日常
エエ格好しい。

体裁を気にする。

世間体を気にする。

弱みを見せたがらない。


ありとあらゆる人たちに、言い回しは違えども
結局同じようなことを指摘され続けている。
みんな、愛ある忠告だというのは痛感しているが、
こうも続くと耳タコだったりするわけで。

かなり心を開いている人にですら以前、
「僕の前でいい格好しようとムリしなくていいから」
と、指摘されてへこんだ。

けどさ。
人はみな、自分のいいところを見せたいと思うんじゃないの?
ださいところ、みっともないところ、カッコ悪いところなんて
見せられるのは伴侶くらいじゃないだろうか?

巨人の星が好きだった。
飛馬より、花形が好きだった。
彼が、「白鳥は水上の姿は美しいが、水面下では必死で足を動かしている」
みたいなことを言ったのが子供心にツボだった。

もがいていたり、必死なところは人に見せないという
花形満スタンスがカッコイイと思って育った。

花形満は結果を出せたが、
私は結果を出せないことが多い。

それならば、エエ格好をしようとせず、
だめなところや、もがいているところを周囲に見せて
ラクになればいいといろんな人に言われる。

変わりたいと思うが、なかなか変われない。




泣き面に蜂

2009年09月08日 | 日常
ちょっと心身のバランスを崩し気味である。
ま、微妙なお年頃アラフィフだから
当然といえば当然なんだけど。

で、仕事や色々でそれぞれに
ちっちゃなストレスをいくつか抱えつつ深夜帰宅。
トイレに入ろうとしたら、
トイレの電球がきれていた。
まっ暗闇で用を足す。

トイレの電球の買い置きはない。

こんななんでもないことも、
調子が悪いと、かなりへこむ。

半泣きで脚立を持ってきて、
トイレの電球をはずした。

今から仕事に行くから、そのついでに電球を買ってくる。
電球かえたら、気分も変わるかなんて、
甘い期待をしつつ。




「地上5センチの恋心」観ました

2009年09月04日 | テレビドラマ・映画
レンタルで「地上5センチの恋心」を観た。

公式サイト→ 「地上5センチの恋心」

タイトルと、パッケージでなんかピンと来てレンタル。

いや~、はまったはまった。
2回観てしまった。
DVD、買っちゃおうかというほど気に入った。
やっぱ、フランス映画はいいわ~。

主演のオデット役のカトリーヌ・フロが、
もうめちゃくちゃ、チャーミングなのだ。
撮影当時わたしより、何歳か上くらいの同世代なんだけど、
ほんとに可愛らしく、魅力的。

このオデットは、10年前に夫に病死されてから、
女手ひとつで息子と娘を育ててきている。
息子はいい子なんだけど、ゲイの美容師で、
ころころ恋人が変わる。
娘はニートで、不機嫌で、その上どうしようもない男とつきあっている。
オデットは、デパートのコスメコーナーで働き、
それでも収入が足りずレビューの衣装の羽飾りを作る内職をしている。

でも、自分の人生を受け入れいつも笑顔で楽しく生きている。

それは、憧れの作家バルザン(アルベール・デュポンテル)の小説があるから。
彼の小説を読んでいると、どんなみじめなことも、
辛いことも忘れて幸せになれるオデット。

サイン会に行って、初めて生のバルザンを前にして、
自分の名前さえ正しく伝えられず涙するオデットのかわいいこと。

分かる~。
私も、とある人にサインしてもらったとき、
舞い上がって自分の思いをきちんと伝えられなかった。

で、その思いのたけを手紙にしたためて、
再度サイン会へ。

バルザンは、新作を批評家に散々くさされ、
なおかつ自分の奥さんはその批評家と浮気していることが分かり、
自殺未遂を図るが失敗。

今まで自分もさんざん浮気三昧だったくせに
「誰かに愛されたい」と強く思うバルザン。
失意のバルザンは、胸ポケットにあった
オデットからのファンレターを読み大きく心を動かされる。

このファンレターがまたいい。
ていうか、私もこれに似たようなファンレターを書いたことがある。
残念ながらオデットとバルザンのような展開にはなっていないが、
お返事はいただいた。

…ある意味私も物書きの心をつかむ才能はあるのか?

ま、ここから後は、
実は「んなわけね~だろ~」と突っ込みどころ満載の
大人のおとぎ話し的展開なのだが、
突っ込み好きなこの私が、いっさい突っ込まず、
物語の世界に入りこんでしまったのだ。

随所に流れるジョセフィン・ベーカーの名曲。
それにあわせて踊るオデットのダンス。
オデットがときめくたびに、
ふわふわと宙に舞い上がっていく演出。
キリストと、オデットの内面をリンクさせた男の登場のさせ方。
オデットが、バルザンを励ますために語るせりふの数々。

みんなツボだった。

憧れの大好きなバルザンに口説かれても、
「あなたは通りすがりの人。
 私のもとに立ち寄っただけ。きっとまた別のところに去っていく。
 私は、運命の人としか寝ない。」
と、拒絶するオデット。

そしてなんと、バルザンと奥さんの仲をとりもってしまうのだ。
もちろん、バルザンのことは愛しているオデット。

あえてこの後の展開は書かない。
とにかく観てほしい。
ラストシーンも、良かったなぁ~。

ラストのもっていきかたとか、
その展開はちょっと陳腐じゃないのかなぁとは思うけど、
許すっ。

幸せな気分になれたから。

私も、オデットのような可愛い、そして凛とした
おばちゃん未亡人になるぞと思った作品だった。

とりあえず、ジョセフィン・ベーカーのCD買って来ようっと。



買っちゃった

2009年09月03日 | 日常
テンションが低いのをなんとかしようとすると、
やはり大きな買い物でもしないとだめだ。

ということで、かねてより懸案中だった
ブルーレイが我が家にやってきた。

うれしい。

高校時代の同級生が、電気店をやっている。
事細かに、説明をしていってくれた。
とりあえず最低限の操作は理解した。

夫がいたら、きっともっと早くに買っていたと思う。
遺影の前に取り扱い説明書を供えてみた。