招きねこの手も借りたい

主婦のち仕事、ところによって母、時々芝居。

台湾からのメール

2006年05月31日 | 夫ネタ
台湾ドラマで共演したシャオ・リーちゃん19才から一昨日、夫にメールが届いた。

台湾語で。

当然、夫も私も読めない。
多分、プレゼントした和小物とペコちゃんグッズのお礼だと思う。

大学で第2外国語に中国語を専攻していた知り合いに転送して翻訳してもらうことにした。
翻訳してもらってから返事をすればいいのに、
夫は19才のかわいい女優さんからきたメールに舞い上がり、

「謝々」

とだけ、書いて返信した。

ばかか、あんたは。

もしかして、何か質問してきているメールだったらどうするんだ。
「○○は、××のほうがいいのでしょうか?」
「ありがとう」みたいなことになっていたらどうするんだ。

それとも、何か罵倒してきているメールだったらどうするんだ。
「撮影中、あなたはひつこくて迷惑でした。日本の男性に失望しました。」
「ありがとう」みたいなことになっていたらどうするんだ。

昨日、夫の「謝々」というメールにまた返信がきた。

もちろんなんて書いてあるかは分からない。
翻訳したものが返ってくるのが、ちょっと恐い。



最初の劇団時代 (紆余曲折編 その⑧)

2006年05月31日 | 芝居
ロボットさんが初めて演出する芝居は、
井上ひさし作の「11ぴきのネコ」に決まった。
絵本でも有名なお話だが、井上ひさし流の解釈がついている。
11匹のはらぺこな野良猫たちが力を合わせて、
大きなお魚に挑んでお腹いっぱいになったその先には…
というなかなか深いお話だ。

そのころになると、劇団員もまた何人か増え、かなりの大所帯になっていた。
今回は、キャストのほとんどを新人で固めるつもりだとロボットさんが発表。
配役を決めるオーディションが行われた。
私は、主人公のにゃん太郎と大きくかかわる、どろぼうネコのにゃん十一がやりたかった。
準主役で、とても魅力的なキャラクターだし、ひとりでの見せ場もある。

オーディションで、にゃん太郎はライオンさんになった。
そして、私がものすごくやりたかったにゃん十一は乙女がやることになった。
「なんで私がやりたい役はいつも乙女になるんだ」
と、小さな不満を抱いた私に与えられた役は、みんなのまとめ役にゃん次だ。
にゃん次も悪い役ではない。
今思うと、どの役も自分が生き生きと演じ、工夫さえすればいい役にすることはできるのだ。

残念なことに、若い私にはそれが分かっていなかった。

ロボットさんに演出は厳しかったが、とても楽しい稽古だった。
劇中の歌を、オリジナル作曲にしたいというロボットさんの意向を受け、
私はアルバイト先で、作曲が趣味だという先輩に頼み込んで、曲を作ってもらった。
自分では積極的に芝居づくりに係わっているつもりだった。

Pちゃんも、乙女も、おかんも、こけしも、新しく入ってきた人たちも、
ロボットさんから
いろいろ細かくダメ出し(演劇用語で、悪いところを指摘してもらい、指導してもらうこと)をしてもらっていた。
ところが私にはほとんどダメ出しがない。
はじめは、ダメ出しがないくらい私の演技が完璧なんだ!と天狗になっていた。
台詞覚えも早いし、滑舌もいいので噛まないし、よく通る声も自慢だった。


しかし、私に全くダメ出しがなかったのには、違う理由があった。
それを知るのは、もう少し後のことである。

つづく。



わがもの顔

2006年05月31日 | わんこのこと
無事遠方での私用任務を果たし、帰宅。
戻ってすぐ寝られるように布団を敷いてから
近所の焼肉屋さんで夫とお疲れさん会。

帰ってきたら、これ。

私の布団のまんなかで、枕に頭をのっけて爆睡するわんこ。
おいおい。


せめてでも?

2006年05月30日 | 日常
某サービスエリアにてこんなポスターを発見。

『せめてでも ソフトクリーム食べて下さい』

はぁ?

それを言うなら
『せめて ソフトクリームでも 食べて下さい』
じゃないのか?

それとも
『攻めてでも』か?
隣の国を攻めてほろぼしてでも食べる価値のあるソフトクリームなのか?
それほど美味しいと言いたいのか?

もしかして
『責めてでも』か?
「なんでソフトクリーム買ってくれないのよっ!バカバカバカッ!」
と誰かを責めてでも食べる事を勧めてるのか?

正解をぜひ知りたい。


本日 日帰り長距離ドライブ

2006年05月30日 | 日常
あまり気乗りのしない、というかむしろ私にとっては気の重い私用で
夫とともに日帰り長距離ドライブに出発した。
天気も雨。
テンションは否が応でも下がりまくる私。
いつでもどこでもどんな時でも前向きな
「Mr.ポジティブシンキング」の夫は、
そんな私に
『ラブラブ熟年ドライブ旅行だと思えばいいだろ』
と明るく声をかける。
カーステレオのハードディスクには夫と私が好きだった懐かしいニューミュージックや
ジャズをたくさんいれてきた。

朝一番で豆をひいてきた美味しい珈琲もポットにいれてきた。
片道5時間弱の道のりはひとりで運転する夫。
(私は光輝くペーパードライバーだ。
私が運転するということは、私自身も助手席に座る夫も、
そして歩行者も命懸けの覚悟が必要)

そんなわけで助手席で、私がどよどよしているのは申し訳ない。
さあ、元気に出発進行!

これを片付ければ、いろんな意味でひと区切りだ。

行ってきまーす♪
途中で面白いものを発見したら、
携帯からリアルタイム更新しま~す。

最初の劇団時代 (紆余曲折編 その⑦)

2006年05月29日 | 芝居
公演が無事終了すると、面白いものでなんだか急にみんなの距離が近づいて、仲良くなる。
しかし、私とロボットさんとの距離感は相変わらずだった。

よく観察していると、ロボットさんは冗談を言いやすい、軽口をたたきやすい子か、
お芝居がすごく上手な子が好きなようだ。
Pちゃんのざっくばらんな性格を気に入って、よくからかっている。
私たちの先輩のなかでも、目立ってお芝居の上手い人ともよく話をしている。

私は、ロボットさんの前ではいいところを見せようという気持ちが先走って、
のびのびと面白いことを言ったりしていなかったし、
お芝居もさほど頑張っていないという中途半端な奴であった。
これではいかん。
そう思って、とにかくまじめに基礎練習に取り組み、
気取らずはきはきと自分らしく過ごすことにした。

次第に、ロボットさんも私に声をかけてくれるようになった。

ちょうどその頃、父が何度目かの事業に失敗し経済的に厳しい状況になっていた。
入ったばかりの短大は、頑張れば続けられるけど、
頑張るモチベーションをなくしていた私は中退を考えていた。
ちなみに私は保育園も中退している。

はじめと終わりが中退ってどうなんだ!
という自問自答をしつつも、学びたいことがあったわけでも
やりたいことがあったわけでもなく、
ただなんとなく選らんでしまった短大に3ヶ月にして失望していた。
親に迷惑をかけたくないから…という大義名分をかかげ
実は自分のふがいなさからほぼ中退を決意していた時、
ロボットさんはかなり親身になって相談に乗ってくれた。

もうこの時点では、あわよくばロボットさんの彼女になろうという気持ちは消えかかっていたが、
親身になって相談に乗ってくれる姿はかなり私の心を打った。

次の公演は、ロボットさんが演出するという。
「こんないい人が初めて演出する舞台は、なんとしても成功させないといけない」

私は、キラキラと目を輝かせお芝居に燃える少女になっていったのである。

つづく。


いやしのわんこ

2006年05月29日 | 日常
腕のむだ毛を、専用の紙ヤスリ(スポンジの裏表に目の細かい紙ヤスリがついてる)で脱毛した。
そのあとぼんやりテレビを見ていると、
うちのわんこが私の右腕をぺろぺろぺろぺろといつまでも舐め続けている。
よく見ると、紙ヤスリでこする力の加減が強すぎたのか、
私の右腕はちょっと赤く腫れていた。
わんこは、まるでその赤く腫れたところをいたわるかのように
優しくずっと舐めてくれていた。
私自身も気づかなかったような傷を、心配して舐めるわんこ。
かわいい。

実は、夫が最初に大病をした際もうちのわんこは、
しつこいぐらいに腫瘍ができた場所をいつまでもいつまでも舐めた。
当時なんの自覚症状もなかったのだが、あまりにわんこが舐めるので、
その部位を慎重に指で触るとしこりがみつかった。
それで、病院へ行って検査してもらい病気がみつかったのだ。

その後、夫が帯状疱疹を患った際も、夫が気づく前に最初にできた患部を
何度も長い間なめた。

偶然かもしれないがこんなことが続いたので、
普段はぐだぐだ食っちゃ寝を繰り返す駄犬とはいえ、
我が家的には心のなかで
「不思議な力を持つ癒しのわんこ」と呼んでいる。


が。
昨夜、おやつの犬ガムへの不満を主張し、
頑張って買った高級布団の上におしっこをしやがった!


おまえなんか、おまえなんか癒しのわんこじゃなくて
 卑しいわんこじゃっ!!

初舞台のころ (紆余曲折編その⑥)

2006年05月28日 | 芝居
オーディションの審査をするのは、劇団の諸先輩方だった。
この公演の演出を担当していた、かかしさん役が中心となり、
ロボットさんや、ドロシー役の先輩、良い魔女役の先輩、
劇団の幹部の皆さんがずらりと居並ぶなか始まった。

ペンギン歩きのマンチキンの人々に飽き飽きしていた私たちは、
なんとか役をもらおうと張り切った。
さすが高校演劇経験者のおかんとこけしは難なく台詞をこなした。
もちろん魔女役には子どものころから定評のある私もである。
ていうか、心のなかで
「私で決まりだろ」
というおごりたかぶりもあった。

Pちゃんは、台詞ではみんなにかなわないと判断し派手な動きをいれた。
「おお、その手があったか。さすがPちゃん」
と私は感動した。
そして乙女は、こちらがちょっと動揺するくらいの体当たり演技をぶちかました。
「乙女、すごい」
みんなはざわざわした。
上手いというのではないが、なんていうか鬼気迫るかんじは誰よりもすごかった。
乙女は、私なんかよりずっと真剣に悪い魔女役をやりたかったのだろう。
私は、当然自分だという根拠のない自信があったため(今思うとなんてイヤな奴だ)
まぁこんなかんじだろうという面白みのない演技をしていたのだ。

当然、乙女が選ばれた。
「pecoちゃんはうまいけど、また次のチャンスもあるだろうし」
という講評を聞いても嬉しくなかった。
Pちゃんは、身の軽さを認められ悪い魔女の手下役で
後ろでがんがん踊ることになった。

選ばれた乙女とPちゃんの特訓が始まった。
ロボットさんたち先輩キャストの皆さんが指導する。
人なつっこいPちゃんは、どんどんロボットさんとも軽口をたたけるようになった。
乙女は器用なほうではなかったので、
その分ロボットさんも長時間つきあっていた。

「いいなぁ~」

役をもらえたことも、ロボットさんに構ってもらえることも両方とも羨ましかった。
次こそは…と、静かに闘志を燃やす私であった。

つづく。


撮影終了!

2006年05月27日 | 夫ネタ
昨夜、出演部分の撮影が無事終了し、今朝早くに夫が帰宅した。

あとは上海ロケがあるそうだが、残念ながら夫は県内ロケのみだ。
「あ~~あ、いきたかったなぁ上海」
と口をとがらしているが、ストーリー的にあんたが上海にいるのはおかしいだろとつっこむと、
「いや、ちょっと脚本いじればなんとかならんかなぁ」
とムリなことを言う。
なんでこのおっさんを上海ロケに連れて行ってやるために、
脚本を変更しなければいかんのだ。

とにかく、病気もケガもせずなんとか長期ロケを乗り切ることができてほっとしている。

さて、ジュディさんと2人のかなり重要なシーンの撮影があったときのこと。
以前、「あなたの芝居は大きいのよ」と、ジュディさんに叱られたこともあり、
なるべく動きを小さくして大人しくしていた夫。
ジュデイさんの名演を見るうちに、ふつふつと役者魂が沸いてきたという。

自分の台詞のないところで、黙ってジュデイさんの様子を見守る演技をすればいいのだが、
大きくため息をついたり、眉間にしわを寄せてみたり、口元を動かしたりという
細かい顔芝居をしてしまった。
ジュデイさんは

「小芝居をしないの。映像ではUPになるんだから、ちょっと視線を落としたりする程度で充分伝わるのよ。」

ときっぱりおっしゃったそうな。

芝居が大きく、なおかつ小芝居をする夫。
結局夫の芝居は大きいのか小さいのか、それは誰にもわからない。

初舞台のころ (紆余曲折編その⑤)

2006年05月26日 | 芝居
ミニスカートの効果が皆無だった私は、それから心を入れ替え稽古に励んだ。
どうせロボットさんはふりふりとつきあっているんだし。
いずれ舞台上で共演できればいいや…といったん割り切った。
私たちが演じたマンチキンの町の人々が大好評だったから…
か、どうかは分からないが「オズの魔法使い」を、
別の場所で上演することになった。
「でもどうせまた、ペンギン歩きだよね」
と、くさる私たち新人たちに朗報が届く。

「悪い魔女役のMさんが当日NGなので、急遽代役をたてます。
 オーディションをするので台本をよく読んでおくように。」

やった~!
私たち新人にも等しくチャンスを与えてくれるなんて
なんて太っ腹なんだ。
しかも、悪い魔女。
私は、子どもの頃の着せ替え人形遊びで悪い魔女役はさんざん経験済みだ。

大人の芝居をやりたくて入ったくせに、
悪い魔女役にやる気満々を見せる私。
いいのか、それでと当時の私に問いたいものだ。

私は同期のなかでいちばん親しいPちゃんを自宅に招き、
悪い魔女の台詞を練習した。
Pちゃんとは、初対面の劇団入団面接のときから意気投合していた。
彼女は高校時代運動部で、芝居経験はゼロだった。
しかもかなりの訛りがあった。
でも、性格が根っからのエンターティナーなので面白い役作りをする。
お互いないものを補いあい、あれこれとお互いの演技を研究して
オーディションにのぞんだのである。

私とPちゃんと同い年で、ぱっちり目のこけしによく似た子も、
19才なのにすでに関西のおかんのようなたくましさのある子も、
中学高校と演劇部で、良い意味でライバルだったが、
2人とも芝居に関してはかなりのんびりした穏やかな性格だった。

もうひとり私たちよりかなり年上の彼女がいた。
彼女は私たちより年上にもかかわらず、
良い意味でも悪い意味でも乙女のような人だった。
そして、いちばんやる気満々だった。
劇団の入団面接の際、渡された原稿を各自緊張の面持ちで下読みしていると、
控え室でいきなり
「さあ、みんなで一緒に読み合わせをしましょう」
と立ち上がりちょっと私をどん引きさせた人だ。
純朴でやる気満々の万年乙女…という印象があった。
彼女も演劇経験者だ。

こうして、私、Pちゃん、こけし、おかん、乙女の5人は
悪い魔女の座をねらいオーディションを受けることとなった。

つづく。




   文中に出てくる登場人物のニックネームは、私が今勝手につけたもので、
   当時のニックネームとは異なります。また、多少の誇張や省略も入ってます。
   彼女らが誰か分かった方は、ご本人にpecoがこんなこと言ってるぞ…
   などと告げ口をしないように、くれぐれもよろしくお願いいたします。
   


給食の牛乳

2006年05月26日 | 思い出場話(懐かしの昭和編)
紆余曲折編が続いて、飽きてきた方もいらっしゃるかもしれない。
というか、私自身違うことも書きたくなったので、
今回は小学生時代の思い出より。
(紆余曲折編のほうをお楽しみにされている方は、本日また後ほど記事をUPいたします。)


小学校5年のクラスメートK君は、なぜか私が給食の牛乳を飲んでいると、
必ず横にやってきて耳元で何か面白いことを言った。

箸が転げても面白い年頃だったので、
今思うとたいしたことではないのだが、当時は噴き出すほど面白かった。
そう。
彼の目的は私が牛乳を噴き出すことだったのだ。
それは「○○先生のネクタイ」とか
「××くんの返事」とかいうように、一言だけで当時の私を大笑いさせた。
牛乳を飲もうとするといつのまにか私の隣りに忍び寄り、
そういう愚にも付かないことを囁くK君。
教科書の偉人の写真に落書きをして見せにくるというベタなこともしてきた。
とにかくあの手この手を使って笑わせにきた。
K君が休みの日や、K君がうっかりした日は安心して牛乳を飲めるのだが、
なんだか寂しい気がした。

私も負けずにK君が牛乳を飲むときにそばに行き、
なんとか彼を大笑いさせようと試みたが、私が彼を笑わせることは難しかった。

K君も毎日毎日そうそう面白いことが思い浮かぶわけでもなかったのか、
時には

「ぷにゅ。ぱにょ。ぽにょ。」

なんていう意味のない擬音を囁く日もあった。
隠れ藤山寛美ファンでお笑いにうるさい私とはいえ、なぜか彼が
「ぷにゅ。ぱにょ。ぽにょ。」というと猛烈に可笑しかった。

なんで彼がそこまでして私を笑わせたかったのかは分からない。
クラスに好きな男の子S君はいたのだが、
Kくんとアホなやりとりをしている時は本当に楽しかった。
K君は、私とS君のことをなんとか取り持とうともしてくれた。
良い奴だK君。
今の私なら迷うことなくK君を好きになっていたと思う。

で、後日談がある。

数年前、私はあるイベント会場の一角で夫と2人でコントをやっていた。
コントをしている最中に、最前列にK君を見つけた。
立派なスーツを着たK君はこのイベントに出展している一流企業のネームプレートをつけていた。

K君は笑っていた。
あんなに私を笑わしていたK君を、大人になって私が笑わせていた。
K君が私に気がついていたかどうかは微妙だ。


初舞台のころ (紆余曲折編その④)

2006年05月24日 | 芝居
初めて舞台にたつ公演を間近にひかえて、
稽古も佳境に入ってきたものの、自分たちの出番も少ないし、
裏方の仕事もたいして割ふられていなかった私は、
どうしたら、ロボットさん(現在の夫)と親しくなれるかを画策していた。

まじめに稽古をしなさ~い!と当時の私にぜひ喝をいれたいものだ。

そして、歩いて5分のところに住んでいるくせに
稽古後送ってもらえないかと頼んだのであった。
しかも、いつもの小汚い稽古着ジャージを脱ぎ捨て、超ミニをはいてだ。
魂胆みえみえ。

ロボットさんはふたつ返事でOKしてくれた。
「お、さすがミニスカートの効き目絶大だぜ」
とほくそ笑みつつロボットさんの後について駐車場に向かおうとすると、
なんと私の後ろからぞろぞろと3人の女の子がついてくるではないか!
うち2人は同期、ひとりは1期上の先輩だ。

私は極楽へ続く蜘蛛の糸を登るカンダタが、
下から登ってくる奴らを蹴散らすような形相で同期に言った。
「ちょっとぉ、なんでついてくるのよ」
「え?だって私らいつも送ってもらってるもん」

いつも稽古後、歩いてとっとと帰っていたので知らなかった。
当時、稽古場に車で来る若い子はあまりいなかった。
遠くから通っている子たちは、車で来ている先輩方に分乗して送ってもらっていたのだ。
落胆する私。

「狭いけど、みんながまんして。pecoちゃんはすぐ降りるから」
そう言ってロボットさんが指さした車は中古の軽自動車だった。
せまっ。
まじにせまっ。
身長180センチのロボットさんは運転席に身を縮めるようにして乗り込んだ。
勝手に、これだけ身体の大きい人だから大きい車に乗っているのだろうと思っていた。

そして今まで中古の軽自動車の後部座席に3人で、ぎゅうぎゅうになって座ったこともなかった。

歩いて5分の私の家は、当然のことながら車で「あっ」という間に着いてしまった。
こんなに早く着いてしまうものなのかぁ~!

「ありがとうございました」
「おお、じゃあな~」

私が降りたことで、幾分ゆったりした軽自動車は
超ミニスカートの私を残して爽やかに音をたてて去っていった。
春先の夜風がミニスカートから伸びた足に冷たくしみるのであった。

つづく。

初舞台のころ (紆余曲折編その③)

2006年05月24日 | 芝居
さて、高校時代に運命的な出会いをした夫のいる劇団に入ったものの、
劇団の舞台デビューはペンギン歩き。
トラボルタ似の先輩とのWデートもうまくいかず、
失意の私ではあったが、一応当時遠距離片思いもしていた。
ん?遠距離恋愛ではないのかって?
そのへんが微妙だ。
一応、相手が地元にいるときは映画を見に行ったり、
ドライブをしたり、電話で2時間以上喋ったりもしていたのだが、
まあ、簡単に言うと中島みゆき作詞・作曲の桜田淳子の「幸せ芝居」みたいな、
同じく中島みゆき作詞・作曲の研ナオコの「かもめはかもめ」みたいな関係だった。
お~い、みんなついてきてるかいっ。
うたが分からない人はまわりの諸先輩に聞いてみてちょうだい。

そんななか、相変わらずブリキのロボットさんを演じる夫はかっこよかった。
衣装合わせの日、銀色の着ぐるみを着て
(今にして思えば当時からすでに夫の着ぐるみ人生は始まっていたのだ)
顔に銀粉を塗り込み、
あたまにへんてこな銀色の帽子をかぶっていてさえも、
かっこよく見えた。
…多分、かっこよくはなかったと思うのだが、そのときはかっこよく見えたのだ。

でも、ふりふりさんと付き合ってるからな~
ま、すてきだなと心で思うのは自由さっ。

と割り切りつつもなんとかブリキのロボットさんと親しくなるチャンスをうかがっていた。


劇団の稽古場は私の実家から歩いて5分ほどのところにあった。
実家から直接稽古に行くときは、稽古場で着替えるのが面倒なので、
小汚い稽古着ジャージで通っていた。
これではいかんと思い直し、当時細い足とウエスト、くっきりした鎖骨、
ほっそりした二の腕だけが武器だった私は、
超ミニスカートに胸元の大きくあいたノースリーブなんかを着ていくことにした。
今となってはあり得ない姿だ。
ああ、あの日に帰りたい…と郷愁にふけるのが目的ではない。
話しを進めよう。

稽古場の都合で稽古終了は遅くとも10時。
しかも歩いて5分のところに住む私は、稽古が終わればひとりでとっとと歩いて帰ればよかった。
しかし、劇団の先輩方は
「そんな露出の多い格好で夜道を歩いていて何かあったら大変だ」
と心配してくれた。
それなら、ジャージのままで帰ればいいだけの話しだが、
私はロボットさんに
「では、送っていただけますか?」と頼んだのであった。

つづく。

初舞台のころ (紆余曲折編その②)

2006年05月23日 | 芝居
さて、ふりふりちゃんに完敗した、稽古着ジャージの私たちだったが、
とりあえず公演の稽古はまじめに取り組んだ。
そのおかげで自分たちの出番のペンギン歩きをマスターするのは早かった。

余裕をかましていたそんなある日、
「オズの魔法使い」でライオンさんを演じている先輩から
同期のPちゃんがデートに誘われた。
ライオンさんは、ジョン・トラボルタにそっくりだった。
もしくはベイシティローラーズのデレク
ぶっちゃけ、私は羨ましくはなかった。
Pちゃんも、トラボルタは趣味ではなかったようで、
1対1でデートをするのはイヤだと言った。
で、トラボルタは友達を連れてくることになり、
Pちゃんは無理矢理私を
「ダブルデートしたいだろっ」と言って引っ張って行った。

もしかして、トラボルタの友達はアラン・ドロンやロバート・レッドフォードの可能性もある…
憧れのブリキのロボットさんがふりふりと付き合っているのが分かった今、
とりあえず目の前の現実にトライしようと決意して待ち合わせ場所に行くと、

そこで私たち2人を待っていたのは、
おめかししたトラボルタと、………地蔵さんだった。
地蔵さんは演劇関係者ではなかった。
おだやかで小柄な地蔵さんは、今の私だったらそれなりに仲良く出来ると思うが、
当時の私は「がっかりだよっ」という気分でいっぱいだった。

ちゃっかり者のPちゃんは、地蔵さんよりもトラボルタのほうがマシと即座に判断。
こうしてめかしこんだトラボルタとちゃっかり者のPちゃん、
穏やかな地蔵さんと不機嫌な私というカップルでデートすることになった。
トラボルタは、おそらく自分の引き立て役として地蔵さんを選んだのだろう。
地蔵さんは温厚なので、そんなことは気にしない。
私がめちゃめちゃ不機嫌なことも全く意にも介さなかった。

トラボルタも地蔵さんも、カントリー育ちなため
当時の若者が行くような場所の知識がないようで、
片田舎の体育館に連れていかれた。
なぜか、ダブルスで卓球をする健康的な4人の若者。
なんじゃいっ。
せめてここはボーリングだろうがっ。
と心のなかで罵詈雑言を吐きつつも、一応トラボルタは劇団の先輩なので、
表面的には友好関係を保ちつついい汗をかいた。

食事もおごってもらい、その日は別れた。

後日Pちゃんは、穏便に遠回しにトラボルタと地蔵さんに
「今はお芝居と学校生活でいっぱいいっぱいなので」
と、今後の個人的お付き合いをお断りした。

私は、ブリキのロボットさんから
「ライオンさんたちとWデートしたんだって?あいついい奴だろ?よかったなぁ。」
と明るく声をかけられすっかり脱力していた。

つづく。

あなたは何色? カラーバトン

2006年05月23日 | バトン
いつも前向きでポジティブにアメリカ生活をエンジョイする様子を、
軽妙な関西弁の語り口で紹介してくれている
浪花女の国際結婚 ジェニさんからカラーバトンなるものをいただいた。

Q あなたを色例えると?

  ジェニさんは、私のことを実は燃える情熱の赤なんて
  ものごっつうステキな例えかたしてくれた。ありがとうっ。
  自分では、そうだな~、見る角度によってくるくる色の変わる玉虫色。
  結婚前にトレンチコート買うのに、定番の色に見向きもせず、
  玉虫色のトレンチコート買ったっけ…。

Q 自分を動物に例えると?
  
  ソファでテレビを見ている姿は、子どものパンダみたいなことになってる。  

Q 自分を好きなキャラに例えると?
  
  見た目で例えるなら不二家のぺこちゃん。と言いたいところだが、
  近年の自分のふけっぷりを考えるとなぁ。
  アンパンマン?ああ、例えていてなんだか悲しいぞ。
  内面を例えると、気持ち的には「巨人の星」の明子姉ちゃんだが、
  実際はあたしンちのおかあさん。

Q 自分を植物に例えると?

  可憐な都忘れ…と言いたいところだが、全然違うし。
  う~ん、植えられた土によって色を変える紫陽花ってとこかな?
  雨に打たれて美しくなるってとこが、逆境を乗り越えて花咲くかんじで好き。

Q 次に回す人を色で例えると?


  お若い710さんは、爽やかなレモンイエロー!
    
  思慮深いkyonさんは、深い藍色

  ほかにもやってもらいたい人がたくさんいますが、
  とりあえずここに置いておきますので、持って行ってくださる方がいれば嬉しいです。


意外に自分を客観的に見るのは難しいもんだ。
こうでありたいという願望と、現実の差が大きいという事実もつきつけられた。
ふふっ。
今の自分を受け入れていくことが、まず第一歩なのさっ。