招きねこの手も借りたい

主婦のち仕事、ところによって母、時々芝居。

今朝届いたメール

2008年01月30日 | 日常
なるべく、このブログでは下ネタ系の単語は使わないようにしてきた。
その単語からヒットして、
おかしなところからトラックバックが来るのを避けるためである。

しかし、今朝夫のパソコンに届いたメールのことをどうしてもネタにしたい。
ということで、今日の記事はちょっとだけ下ネタ系の単語がでてくる。

夫のアドレスには、時折H系のお誘いメールが届く。
いつもなら淡々とそれらを削除していく夫なのだが、
今日は違った。

「これ、見てみ」

手招きする夫。

朝の忙しい時に、H系のお誘いメールを
仲良く夫と読んでいるヒマなどないのだが、
あまりにも夫がウケている様子なので、見に行った。

まず、いきなりメールの件名で吹き出した。

『Mさんに聞いたんだけど、ホントにまだ童貞なんですか?』

いきなり質問系の件名。
的はずれとはいえ、かなり単刀直入。
そして、誰なんだ、この「Mさん」とやらはっ!
ガセネタにもほどがある。
夫が童貞だとしたら、うちの娘は誰の子じゃいっ。
私は断じて潔白だぞ。


で、文面のほうだが要するに
『もし、ホントに童貞ならば最初の相手に立候補します。
 あたしは、28歳のOLです。
 ここにプロフィールと写真が載ってるから見てみてね 』
というまぁ、ありがちなH系サイトの宣伝メールである。

いやはや、手がこんでいるのかいないのか。

まぁ、たまたま、このメールが
若い男の子なんかのところに届いたとしたら、
もしかしたらひっかかるスケベなあんぽんたんの
ひとりやふたりはいるやもしれない。

残念ながら夫は若くもないし、
童貞でもないし、あんぽんたんでもスケベでもないので、
大笑いしながら削除していた。

手を変え品を変え、敵もなかなかやるものである。


「母べえ」鑑賞

2008年01月29日 | テレビドラマ・映画
思いがけず、夫も私も時間があいたので、
娘と3人で映画を観ることにした。

「陰日向に咲く」「シルク」「母べえ」「スウィーニー・トッド」
 のどれにしようか、悩んだ末、
 家族で安心して見られて絶対はずさないであろうということで
 「母べえ」にした。

吉永小百合さんの年齢で10歳前後の子のお母さん役ってどうよ、
「母べえ」じゃなくて「婆べえ」なんじゃないの?
と失礼発言をしていた娘も、
映画がはじまるとすっかりその世界にはまりこんでいた。
子ども達も可愛いし、吉永さんの美しさや優しさ、
浅野忠信さんのいつもとは全然違う朴訥とした演技、
脇を固める役者さん達の確かな演技力。
映画そのものは大満足だった。

はい、映画そのものはね。

平日のお昼、邦画ということで、
客席は年配のご婦人たちで埋め尽くされていた。
私達が席に着くと、すでに予告編なんかが始まっていたのだが、
皆さん、喋る、喋る。
そんなに喋りたいんなら、映画なんか見に来ないで、
喫茶店でもカラオケでも行ったどうよ!
と一瞬思ったが、まあ予告編なんだし、
そうそう目くじらたてなくてもいいかと思い直した。
きっと本編が始まれば静かになるだろう。

始まった。

が、静かにはならなかった。
ぼそぼそぼそぼそ、なんか囁きあう声が聞こえてくる。
近くならば、「お静かに」と言えるのだが、
少し離れたところからの声なので、注意もできない。
こうなったら、自分の集中力を高めるしかない。

随所に、涙ぽろりポイントがあり、
私達家族は、周囲のおばちゃん達の囁き声をものともせず、
見事な集中力で映画の世界に入りこんでいたのだが…

後半のクライマックス、
ここで嗚咽しないでいつするんだっという良いシーンでのこと。

「トルルルル~」

後ろのおばちゃん達の席から聞こえる携帯電話の呼び出し音。
まじかよっ。
でかかった涙がスルスルとUターンして行く。

こういう時というのはなぜか、周囲の人全員が気付いているにもかかわらず、
携帯の持ち主当人は気づかない。

は、早くバックから携帯を取り出して電源を切ってくれ。
たのむぜ。
携帯を鳴らしているおばちゃん以外の全員の心の声が聞こえてくるようだ。

「あら、あたし?」
ごそごそ。

ほっとする場内。

「あ、もしもし」

え?
出るのか、電話に。
正気か?

「はあ、少しなら」

何が少しならなんだ。
切れ、電話を、即刻!

おばちゃんは、本人はひそひそ声のつもりだろうが、
妙によく通るはっきりした滑舌のいい声で電話で喋り続けている。

スクリーンの上では、吉永小百合が泣き崩れているが、
私も泣き崩れたい気分だった。
せっかくのシーンなのに~。

その後ようやく電話を切ったおばちゃん。
今度は、一緒に来ている友達に
携帯の電源を切り忘れていたことの言い訳をしはじめた。

もういいから、黙って見てくれ、映画を。
頼むよ、ほんと。

という感じで、さんざんな客席だった。

あ、あとうちの夫が、やっぱり超いいシーンで
「おいっ」
と私の肘をつつく。
「ん?」
「画面のすみっこの絵の具箱、動いてる」
「は?」
「動いてるだろ、ほら、絵の具箱」

て、そんなわけがない。
ホラー映画じゃないんだから。
見間違いに決まっている。
もし、そんなことがあったら山田洋次監督ともあろうもの、
NGを出すはずだ。
「こら、集中して見なさいよ。
あんたの大好きな吉永小百合さんの長台詞だよ。
なんで画面のすみっこの絵の具箱なんて気にするんだよ。」
という思いを込めて、夫をにらむ私。

夫は、テレビドラマを見ていても、
ものすごい細かいところに気がついていちゃもんをつける。
気がつかないほうが絶対楽しめると思う。
ドラマづくりのスタッフとしてなら随分有能なスタッフになれるだろうが、
そんな能力はこの際ムダだと思う。

娘とは、鼻すすり上げポイントも、涙ぽろぽろポイントも、
お笑いポイントもほぼ同じなので、
一緒に映画やドラマを見ていても気持ちがいい。

夫は、次回は留守番だな。
で、おばちゃんが見に来てないような映画を選ぼう。
いや、ほんと、今日はマイッタ。


きんかんなまなま

2008年01月28日 | 日常
昨日までの雪がウソのように、今日はいいお天気である。

さて、タイトルの「きんかんなまなま」、
こちらの地元の方以外の皆さんには「???」だと思う。
地元でも、若い人は使わない方言。
かろうじてお年寄りと同居のうちの子は意味が分かる程度だ。


答えは、雪道がかちんかちんに凍って
つるつる滑るような(いわゆるアイスバーン)状態のこと。

語源は不明である。
使っている人に聞いても誰も知らない。
果物のきんかんが関係しているのかいないのかも分からない。
で、なんで「なまなま」と言葉を重ねるのかも分からない。
アクセントは、きんかんの「き」と「か」に来て、
なまなまは平板アクセントである。
初めて聞いた人は一様に、なんのこっちゃ?という顔をする。

それでも、子供時代からさんざん周囲の大人たちから
「今朝はきんかんなまなまだから、き~つけていくまっしや」
などと言われ続けてきた私にとっては、
きんかんなまなまと口にするだけで、
脳裏にはつるっつるに凍った道の映像が浮かぶのである。
言葉って不思議だ。

以前に方言指導の仕事で竹中直人さんとお話した際に、
この「きんかんなまなま」という単語にウケまくり、
何度も何度も「きんかんなまなま」と口ずさんでは
「なんかちょっと卑猥な響きじゃないか?」
などとおっしゃっていたのを思い出した。
私は全然そうは思わないのだが、
人の感性とは、いろいろなものである。

あとは、たっぷり積もった雪に足をとられたり、
長靴の中に雪が入り込む状況を「ごぼる」と言う。
こっちのほうは、雪に足をつっこんだときの
ごぼっという音や感触を想像しやすいので、
比較的通じやすい方言だと思う。
最近は融雪装置のおかげで、
街中でごぼるような目にあうことはめったにないけど。

言葉はどんどん変化していく。
私の大好きな方言も、死語が増えてきた。
お年寄りたちが使っていた懐かしい響きの方言の数々が
少しづつ消えていくのは寂しいものだ。

時々、バスの中や人混みのなかで、
伯父や叔母達が使っていた古い方言を耳にするとなんだかほっとする。
かといって、自分から古い方言を使う機会は
なかなか作れないのが残念である。



私の中の天使と悪魔

2008年01月25日 | 日常
今日は夫の定期検診だった。
副作用で低い数値になっていた白血球の値などが、
ほぼ以前の状態にまで回復していてほっとした。
6月に2回目の抗ガン剤治療をするまでは、
しっかり体力をつけて、ストレスをためないように、
普通に生活をしていく。
次回の検査は4月。

私としたら、「え?それまでほったらかし?」
という気分なのだが、夫曰く、
「それくらい進行が遅くて、急に何か影響が出るような深刻な状況ではない
 ということだ」
そう言われればそうかもしれない。

待合室には、夫よりもずっと具合の悪そうな人や、
深刻そうな人がたくさんいた。

夫や娘や母の病院通いに付き合って病院に行くたびに、
待合室や病室にあふれる体調の悪い人やその家族を見て、
私はしみじみ思う。
「ここにいる全ての人が、苦しみから早く解放されますように。
 この世の中から病がなくなる日が来ますように。」
そんなことは不可能と分かっていても、
そんなふうに祈らずにはいられない。
そんな時の私はおそらく天使のような顔をしていると思う。


で。
自分の家族の調子が悪いときに、
脳天気な様子で幸せいっぱいという感じで遊び回る人々を見たりすると、
「くそ~っ、こいつらに同じ苦しみや辛さを味合わせてやりたいっ。」
などと思ってしまう。
そんな時の私はおそらく悪魔のような顔をしているはずだ。

どちらも私の本心である。

夫は、
「脳天気な様子に見える人だって、
 それは今お前が見た瞬間だけそうなのかもしれない。
 お前の知らないところで、
 お前の分からない苦しみを抱えているかもしれないし、
 いたかもしれないし、これから抱えることになるかもしれない。
 僕らだって、家族全員が健康でなんの悩みも苦労もなくて、
 脳天気に過ごしていた時期だってある。
 これからそうなる日も来るかもしれない。
 お前が見た、ほんの一瞬の風景を見ただけで、
 あの人は幸せだ、この人は不幸せだと決めることはできないんだよ。」

と言う。
夫の中には天使も悪魔もいない。
いつも、夫自身がいるだけだ。
恨まない、悩まない、妬まない、傲らない、人と自分を比べない。

私も早くそんなふうになりたいものだと思う。




残念!

2008年01月23日 | 夫ネタ
昨日記事にした、オペラ公演エキストラ出演の件だが、
とても残念な報告をすることになった。

出っ腹マタドールの出番はなくなった。

エキストラ出演者10人中8人までは、
マタドールでの出番があるのだが、
夫は残り2人の中に入ってしまった。
どうやら、エスカミリオ役の方とのバランスで、
その他大勢のマタドールたちの身長を揃えることになり、
180㎝ある夫ははずれることになった。

「で、あなたはなんの役をやるの?」
「警官と…」
「ああ、警官は始めから予定してたもんね。それと?」
「……物売り」
「………。」

物売りねぇ。
まぁ、物乞いでないだけいいか。
て、カルメンに物乞いは出ないんだっけ?

とにかくどんな衣装なんだろう!
とわくわくする楽しみはこれでなくなった。

あとは、自暴自棄になった夫が、
ムダに大きい芝居をすみっこでやって
ワル目立ちしないことを祈るだけとなった。

夫曰く、
「ど~してもお前が、僕のマタドール姿を見たいと言うんなら、
 舞台監督とは旧知の仲だからごり押しすることもできるが、
 それはかっこわるいだろ?」

はい。かっこわるいです。
50面下げて、そんなことで駄々をこねてごり押しをするもんじゃないです。

「だろ?『正直の頭に神宿る』だ」

うむ、なんか例えが適切ではない気がするが、
まぁそういうことにしとくか。

しかし仮に、夫が正直だとしたら、
頭に宿っている神はきっと、
神は神でも『貧乏神』だろうという憎まれ口はたたいておいた。

夫とオペラ

2008年01月22日 | 日常
春に、地元でオペラの公演がある。
かなり本格的なかたちでの公演である。

メインの役や、主要な役はもちろん東京からプロのオペラ歌手がやって来て演じるのだが、
後ろでエキストラ的に出てくる兵士や、警官や、マタドールなんかは、
地元の演劇人がやるという。

その地元の演劇人を集めてくれないかという依頼が先月あり、
仕事というよりも趣味の延長というかたちで、
夫が知人に声をかけてきた。
しかし、なかなか数回の稽古につき合えて、
しかも平日の日中のゲネプロに出られる条件の人がいなくて苦労していた。
結局自分も出演することで、
なんとか先方からの希望の10人を集めることができた。

今夜は、その衣装合わせに出かけていった。

夫は、よくバレエの公演や発表会などで、
動く背景的存在として王様とか貴族役で出演してきた。
しかし、オペラは初めてである。


兵士とか警官って、夫のような年寄りが所属する部隊は
ちょっと頼りなさすぎると思う。
で、一番心配なのはマタドールである。
どう考えても、闘牛場に現れた瞬間に、秒殺で牛にやられてしまいそうである。
頑張れ!病み上がりマタドール。

コスプレ好きな夫は、
格好いいマタドールの衣装が着られるとわくわくしている。
治療の影響で頭髪のほうは寂しいままなのだが、
帽子をかぶるから大丈夫!
と自信満々だ。
しかし、その出っ腹はどうするんじゃいっ。

いろいろ心配はつきないが、
ちょっと本番の舞台は楽しみではある。

体調のほうが少し心配だが、
こうして何か少しやっているほうが張り合いになって元気になると
夫は言っている。





リハビリ

2008年01月21日 | 日常
母の骨折は順調に回復している。
先日レントゲンで確認したところ、きれいにくっつき始めていたという。
院内にリハビリテーション科があり、
母の体力にあわせて計画的なリハビリが行われている。

トイレには念のため、歩行器を使って行っているが、
今日、様子を見に行くと病室内では何にもつかまらずにすたすたと歩いていた。
階段昇降の練習も順調だという。

で、今週の日曜日外泊許可をもらって一時帰宅することになった。
たった1泊とはいえ、母は大喜びしている。

それにしても母のような高齢者が、
こんなに早く回復するというのはすごい。
整形外科の先生も、理学療法士の先生も驚いている。

入院した時は
「骨折が原因で寝たきりになったり、痴呆になったりする高齢者が多いので、
 注意してください」
と、言われた。
そんなことを言われても何をどう注意したらいいのかと
動揺したのだが、
 
 ①とりあえず必ず私か次兄が毎日顔を出して話しをする。
 ②母に手帳とペンを渡して、日記をつけるようにすすめる。
 ③新聞と雑誌を毎日読むようにする。
 ④個室ではなく2人部屋にして、隣りの方としょっちゅう会話してもらう。
 
ということで、呆け防止を図ることにした。

あとは、クリスマスにはミニクリスマスツリー、
お正月には小さなお鏡餅、
鏡開きにはぜんざいを保温弁当箱で差し入れしたりして、
季節感を感じてもらった。

母も、早く帰りたい一心でかなりリハビリを頑張ったようだ。

おかげで家にいるときよりもよっぽど頭は冴え冴えとし、
教えていただいた体操のおかげで筋力もアップしたという。

介護認定も、とりなおしをしなければならないかと思ったが、
怪我をする前と同じ状態に戻れるだろうという先生の見解である。

「退院して落ち着いたら、デイサービスとやらにも行ってみようかしらね」

なんて、これまでの母からしたら考えられないような発言。
身体だけでなく、気持ちのほうも入院でリハビリが効いたのだろうか。

なんにしても、残りの人生を快適に楽しく過ごしてほしいものである。

「遠くを見ない 明日のことだけ考える」

2008年01月17日 | 日常
タイトルの「遠くを見ない 明日のことだけ考える」は、
先日NHKでオンエアされた坂東玉三郎のドキュメンタリーの中で、
玉三郎が言っていた言葉。

今の私にとって、これ以上ぴったりくる言葉はない!
という感じで、胸にすこ~んとはまった。

こう言ったのが、あの玉三郎だからこそ重みのある言葉に聞こえるというのも
確かにあると思う。
そこらで、へらへらしてる若造が言ったとしたら、
「こらっ、ちょっとは将来のことを考えろっ」
と、頭のひとつもはたいてやりたくなると思う。

が、しかし。
年間500ステージをこなすという玉三郎。
終演後は、翌日の舞台のために何処にも寄らずにまっすぐに帰宅し、
トレーナーに筋肉をほぐしてもらい、
友人との長電話すら、声のコンディションに響くという理由でしないという玉三郎。
その玉三郎が言う
「遠くを見ない 明日のことだけ考える」
という言葉の意味はとても深く、そして重い。

30年以上、女形の第一線として活躍し続けてきて、
これまでを振り返ってみてどうでしたとの質問に、
「ただ、目の前のことに一生懸命に取り組み、
 明日だけのために頑張ってきました。
 その積み重ねで今日と言う日があります」(←内容は正確ではないけど、大意はこんなかんじ)

「はっきりした具体的な目標や、名前のついた目標を持ってしまうと、
 それが達成されてしまったら、それでおしまいじゃないですか?
 だからあえてそういうものは持たない」

20代の頃、何年も休まず舞台に立ち続け、
ある時ぽきっと心が折れたようになり、
鬱病を患ったという。

だからこそ悟った真理なのかもしれない。

一日一日をきちんと、大事に過ごす人だからこそのことば。

私はこれまで、いつも先のことばかり心配して、
先回りして取り越し苦労をし、
そのせいで目の前にある幸せに気がつかなかったり、
今この瞬間に大切にしなければならないことを
とてもおろそかにしてしまったりしてきた。

ようやくそれに気がつき、さてどうしたものかと思っていた時に、
諸先輩方から
「目の前にあることに粛々と取り組んでいれば、
 きっとその積み重ねで見えてくることがある」
とアドバイスされた。
それに通じることだと思う。

いい番組を見ることができた。

座右の銘のひとつに加える言葉が増えた。
皆さんの座右の銘って、何かありますか?



自分の限界

2008年01月14日 | 日常
親しい友人が風邪をこじらせて肺炎をおこし週末に入院した。

今日、様子を見にお見舞いに行ってきた。
点滴につながれ、微熱で顔が紅潮している。
会話の途中で何度も咳き込むので、
お見舞いを置いたらすぐに帰ろうと思ったのだが、
少し話しをしたそうな様子だったのでしばらく話しをしてきた。

風邪は、自分の子供の風邪をもらったのがきっかけだったという。
当の子供は幸い風邪をこじらすこともなかったが、
うつった彼のほうはどんどん症状が悪化していったという。

ていうか、そんなにひどくなる前にどうして病院へ行かなかったの?

と、当たり前すぎる疑問をぶつけてみた。
もともと、彼は西洋医学より東洋医学系が好きで、
ちょっとした風邪ぐらいでは病院へはめったに行かない。
鍼治療とか、漢方とか、そっち系で自己治癒力を高めて治すぞ!的な人である。
でも、今回はどう考えても自分の限界を超えていたのではないだろうか。

入院する前日、39度の熱をおして仕事をしていたという。

で、残った仕事を、連休明けに病院から外出許可をもらってこなす気でいた。

おいっ。
こらっ。

入院する前に、「このままほおっておいたら命に関わっていた」と、
医師から言われたというのに。

命より大事な仕事なんて、この世に存在するはずがない。

多少の迷惑をかけたところで、
元気になったらその分恩返しすればいいだけのことである。
だいたい、肺炎の人間がふらふらしながら来られても、
来られた方もかなり迷惑だと思う。

スケジュール手帳をはさんで、しばし説教する私。

いったん仕事を断ったり、延期したりすると、
次から仕事が来なくなるのではないかと心配する彼。
私も自由業者なので、その気持ちはよく分かるが、
それでもやはり自分の限界を知り、自己管理することが先決だ。
今ムリをしたら、治りが遅くなり結果的に、
より迷惑をかけてしまうだろう。

とにかく、ど~してもはずせない1件をのぞいて、
仕事を断る方向で説得してきた。

風邪を甘くみてはいけない。
早め早めに対処して、絶対ムリをしない。
そんな当たり前のことを痛感した。

斉藤さん

2008年01月10日 | テレビドラマ・映画
昨晩からはじまった、日本テレビ系のドラマ「斉藤さん」 ぽちっと

これはなかなか面白い。

どうもこの頃、恋愛もののドラマを見ても
「ふ~ん」とか「へ~」ぐらいにしか感じなくなってしまい、
かといって難病もののお涙ちょうだい系もしんどいし、
中途半端なおふざけ系も見たくない。
最近の若い俳優たちの名前と顔がなかなか一致しないし、
知っている俳優がたくさん出ているのは
2時間サスペンスぐらいになってしまったが、
残念ながら趣味ではない。


そんなこんなでドラマを楽しみにする習慣がなくなりつつあったのだが、
「斉藤さん」は、私が苦手とするジャンルとは別だし、
脇を固める出演者が、古田新太とか佐々木蔵之介、李麗仙のように、
舞台出身の人たちなので安心して見ていられる。

そして、脚本担当の土田英生さんも舞台の方である。
土田さんは、これまで
「天才柳沢教授の生活」とか「東京タワー(フジテレビのほう)」とか「HAPPY」とか
「約三十の嘘」などテレビや映画の台本も数多く手がけている。

数年前から私は土田さんの舞台の脚本に惚れ込み、
テレビの演劇番組のインタビューでの
当意即妙な受け答えにも惚れ込んでいた。

以前に、「とある講座を受講をしている」と
ブログにも書いたことがあるが、
実は地元で土田さんをお招きしての「戯曲講座」のことである。

大ファンである土田さんご本人からじきじきに、
自分の書いた戯曲を添削指導していただいている。
俳優ワークショップにも参加したし、
北九州まで土田さんの舞台も見に行った。
来月大阪で上演される新作の舞台も、
病人やけが人を留守番させてまで、
友人たち(北九州へ一緒に行った大きい姉ちゃんと小さい姉ちゃん)と
観に行くことにしてしまった。

それほど大好きで、信頼している土田さんが書いたドラマ、
見ないでどうする!
というわけで、昨晩はソファの上に正座して(ウソ)見た。


幼稚園児のママたちの派閥争いとか、
「ナースのお仕事」ではダメダメナースだった観月ありさの
きっぱりしっかりした格好いい正義の味方っぷりとか、
高島礼子のいかにもな派閥のボス的存在とか、
みどころはたくさんある。

ご覧になってないかたは、ぜひ次週からでもご覧下さい。


このドラマ見てて、自分が子育てしていた頃のことをいろいろ思い出した。
つくづく私は、ママ友には恵まれていた思う。
あ、この話しはまた今度書いてみようかな。

というわけで、今日はひたすらドラマ「斉藤さん」の宣伝でした。

指しゃぶり

2008年01月06日 | 日常
花見さんのところの「ビロード」という記事 を読んでいて、思い出した。

こどもの頃、寝入りばなにお気に入りのタオルや毛布やぬいぐるみがないと
寝付けられないということはよくあると思う。

私の場合、自分の左手の親指だった。
親指の根元のほうまで、くちに含んですごい吸引力で
ちゅぱちゅぱ吸いながらでないと、寝られなかった。
私の左手の親指はいつもふやけていて、
指の中央には吸いだこができていた。

5歳の頃、保育園入園の際、
お昼寝タイムにこの指しゃぶりはみっともないだろうという理由で、
当時高校生だった次兄がなんとかやめさせようと、
寝ている最中に指をひっぱったら
「すっぽ~ん」というものすごい音がして驚いたらしい。
指をしゃぶって寝るのは赤ちゃんのすることだからやめろとか、
このままではお嫁さんにいけないとか、
母も必死の説得を試みたようだが、
何を言われようとも、
とにかくしゃぶらないと不安で眠れないのだから、どうしようもない。
今日はしないでおこうと心に決めて布団に入ってがまんしていても、
先っちょだけなら、ほんの少しなら…と、
自分を甘やかすうちに、結局いつもどおりすっぽり口に含んで
思い切り吸ってしまう。
それは、まるで酒好きの親父や、
薬漬けのヤクザみたいもんである。

次兄の発案で、包帯をぐるぐる巻きにまかれたこともあったが、
執念で包帯をとってしまったし、
辛子を塗られたときも、掛布団の衿布の端っこで丹念に拭き取り、
目的を達成した。

小学校にあがる頃にもまだこの習慣は治らなかった。
さすがに、自分でもこれはまずい、
このままでは格好が悪いとうすうす感じていたが、
やめられなかった。

小3の時、仲良くなったMちゃんとあやとりをしていて、
Mちゃんの右手の親指に自分と同じ吸いだこを発見した時、
おそるおそる訊ねてみた。
すると、やはりMちゃんも指しゃぶりをしないと眠れないと言う。
「えっ。Mちゃんも?」
「なんだ、pecoちゃんも!」
私達は、手をとりあって感動した。

こんな幼稚な癖で悩んでいるのは自分だけだと思っていたので、
同士を発見してほっとしたのである。

ひとしきり2人で、いかに指をしゃぶって眠ると気持ちいいかとか、
指しゃぶりを家族にとがめられることの辛さなどを語りあった。

そして、なんとかこの習慣をやめるように努力しようという結論に達した。

その日から、布団に入って指しゃぶりをしたくなると、
「きっとMちゃんも今ごろ頑張って我慢してる」
と思うことにした。
なるべく眠くてしかたなくなるぎりぎりまで我慢するようにした。
Mちゃんも同じだった。

「昨日、どうだった?」
「ぎりぎりまで我慢した」
「偉いな~。私はだめだった」
「今夜は頑張ろうね。」
「うん。」

そんな秘密の会話が繰り返され、
そして小4にあがる前、私もMちゃんも指しゃぶりはしなくなり、
いつのまにか親指の吸いだこも消えていた。

幼いながらに、かなり悩んでいた指しゃぶりのくせ。
だいたい、大人になってからも
指しゃぶりをしないと寝られない人なんて見たことはない。
でも、その当時は大人になった自分が
後ろめたさ全開で指をしゃぶりつつ眠る映像がまぶたの裏に浮かび、
罪悪感でいっぱいだったのだ。
ああ、克服できて本当に良かった。

ていうか、最近年のせいか眠りが浅い時なんかは、
子供の頃のように、
指しゃぶりやぬいぐるみやタオルや毛布で安心できるものなら、
そういうものがぜひ欲しいと思う。

ということでみなさん、
子供のころの困った(もしくはへんな)癖ってあります?



あけましておめでとうございます

2008年01月03日 | 日常


今年もどうか、この「招き猫の手も借りたい」を
どうぞごひいきにお願い申し上げます。

写真は、初売りで娘にプレゼントした干支の置物。
バランス感覚を大切にして、楽しく生きていこうという願いをこめて。

私は父から毎年干支の置物をプレゼントしてもらっていた。
全部の干支が揃う前に父は亡くなった。
代わりに今年から
私が娘に毎年干支の置物をプレゼントすることにした。

娘が言った。
「全部揃う前に天国に行かないでね」

行かんわいっ。
これから干支を3巡、4巡してプレゼントし続けるぞ。
娘のクローゼットを干支の置物だらけにしてやる勢いだ。

そんな勢いで、今年も行ってみたいと思います。

いろいろあって、ブログ更新や、
皆さんのところへの訪問、コメント書きが難しい日も多々ありますが、
ブログ上でのみなさんとの繋がりが私にとって支えになっています。
どうか、お見捨てなきよう、
よろしくお願いいたします!