招きねこの手も借りたい

主婦のち仕事、ところによって母、時々芝居。

悲しみのスイッチ

2008年09月27日 | 日常
夫が亡くなってから、「困った、どうしよう」「ピンチだ!」
という場面が何度も何度もあった。

しかし、そのたびに
「あ、○○ちゃんに聞いてみよう」とか
「☆☆くんなら、やってくれるかも」と、ふと思い浮かぶ。
そして、○○ちゃんや☆☆くんは、ふたつ返事で私を助けてくれる。
もしくは、困って呆然としていると、
ものすごいいいタイミングで、
「なんか手伝おうか?」とメールが入る。

ひとりで食事をとるのが苦手な私のために、
ご飯を食べて行ってくれる友人知人たちや、
寂しくて心細いときにとりあえず
「今、大丈夫?」とか「今、ひま?」とか「今、(芝居の)稽古中?」と、
短いメールをすると、
すぐに「どうした?」と電話をかけて来てくれる人たちもいる。

愚痴っぽいじめじめしたメールにも、
辛抱強くつきあって心に響く言葉を教えてくれる人もいる。

郊外へ行かなければならない買い物や、
重たいものの買いだしなんかも、
複数の友人たちが代わる代わる車を出してくれる。

パソコン初心者の私に、ものすごく分かりやすく
説明しに来てくれた友人も2名いる。

今後のわがやの保険関係を見直すのに、どうしようかと思っていたら
相談に乗ってくれるという
ファイナンシャルプランナーの勉強をした友人もいる。

先日は、ウォシュレットの水漏れをどこに相談したらいいか聞いただけなのに、
メールした1時間半後には駆けつけてくれた人もいる。

11月に有志で開いてくれるという夫を偲ぶ会で上映するために、
過去の夫の出演作品をこつこつ編集してくれる友人たちもいる。

夫の仕事を引き継いで指導している講座での私へのサポートや送迎を
快くかってでてくれている友人もいる。


私はとても恵まれていると思う。
これは全て、夫が残していってくれた人の輪という財産だ。
そう思ったとたんになぜか悲しみのスイッチが入る。
夫に感謝する気持ちと、
でもなんであなたはいないんだという
どうしようもないやりきれなさで、
涙が溢れてくる。

日中はなるべく悲しみのスイッチが入らないように気をつけている。
仕事や、家事や、しなければいけないことがたくさんある。

が、夫が元気だったころ帰ってきていたような夕方の時間帯になると、
悲しみのスイッチが入りやすくなる。
困ったものだ。







2008年09月21日 | 日常
夫の通夜の日の夕方、
大きなくっきりとした半円の二重の虹がかかった。

私は、打ち合わせだなんだでばたばたしていて、
残念ながら見ていない。
あとで、友人が写真に撮ったものを送ってくれた。

早めに会場に来ていた芝居仲間たちは、
夫が最後に粋な自己演出をしたのだと言った。
どんなに雨が降っても、いつか必ず晴れる、
空には虹がかかる、みんな泣くんじゃないと。

夫はそんな、ポエムなキャラではないはずだが、
通夜の日の夕方に虹をかけたなんて、
ちょっとステキじゃないか。
そんなふうに思うことにした。

葬儀が終わって数日後。
私はちょっとだけイヤな場に居合わせねばならなくなった。
詳細は書けないが、それはどうしても避けられない場だった。

その時、私の携帯にメールが来た。
仕事で出かけている娘からだった。
「お母さん、空見て!虹が出てる。お父さんだよ」
ほぼ同時に、通夜の夕方の虹の写真を送ってくれた友人からも
「虹、また出てますよ~。」とメール。

お茶を入れかえるふりをして、窓の外をのぞきにいったが、
もう虹は消えていた。

それは、もしかしてイヤな場に居合わせねばならない私に、
夫が「お~い、頑張れ~」
とかけた虹なのかもしれない。

あれから虹は出ていない。
私は、それなりにピンチやイヤなことも、
周囲の強力なサポートのおかげで
なんとか切り抜けている。
きっと、それでもどうしても乗り越えられそうにないときにだけ、
夫はとっておきの虹をかけてくれるのかもしれない。

ゴキブリ

2008年09月19日 | 日常
恥ずかしながら、私はゴキブリを退治したことがない。
それは夫の仕事だった。
夫がいないときにゴキブリに遭遇すると、
私は見て見ぬふりをして、別室に移動する。
で、ゴキブリがどこかに行った頃を見計らって戻った。

夫がいるときは当然のように夫を呼ぶ。
「お前、ゴキブリぐらい退治しろよ」とぶつぶつ言いながらも、
叩きつぶして処理してくれた。

先日、リビングにかなり大きく黒光りしたゴキブリが飛び込んできた。
「ぎゃあっ」
思わず大声が出た。
叩きつぶしてくれる人はもういないので、
自分で頑張ってみることにした。

高いところにとまったので、新聞では届かない。
愛用の座敷箒を武器にする。

それにしてもこのゴキブリ、あまり動かない。
私が座敷箒をとりに行っている間も、
同じ位置であたかも私を待っているかのように泰然自若としていた。

「さぁ、やれるものならやってみなさい」
とでも言っているかのようだ。

基本的に私は、ゴキブリだけでなく他の虫も殺せない。
全てに命を感じてしまい、どんな迷惑な虫にも怖じ気づいてしまう。
ほとんど、箒とちりとりに挟んで外に逃がすか、
ティッシュにくるんで外に出す。
しかし、このゴキブリに関してはそれはムリだろう。

かなりの時間葛藤する私。

その間も、微動だにしないゴキブリ。
なぜだ?
なぜ飛ばない?
なぜ逃げない?

「さぁ、どうしました?」
それは挑発しているかにも見える。

ごめん!
心のなかで手をあわせ、ゴキブリめがけて、
思い切り箒をふりおろした。

ぽとっ。

いともあっけなく、奴は落下した。

ん?こんな弱っちかったか?

床に落ちたゴキブリは、まだ少し動いている。
とどめを刺さないといけない。
普通、こういう状況だと弱ったふりをしておいて、
またすごい勢いで動き出して逃げていったりすることが多いと思う。

が、奴は逃げない。

まるで、ゴキブリ退治初心者のためにプログラミングされた
ゴキブリロボットみたいである。

悪いね、すまんね!
と言いつつ新聞でとどめを刺した。

できたじゃん、自分。
自分で自分を誉める。
最近の私は、今までできなかったことやしなかったことをすると、
自分で自分を思いきり誉めるようにしている。

それにしても。
なんだったんだ、あのゴキブリは。


ふと、思う。
もしかしたらあれは、ゴキブリ退治ができない私を案じて、
夫がゴキブリに生まれ変わって練習台になってくれたのかもしれないと。

だとしたらそれは美談なのか?
笑い話なのか?


よく、亡くなった人が蝶々や、蛍になって戻ってきたとか、
迷い犬となってやってきたとか、
ちょっといい話し的なことを聞く。
美しいと思う。

夫の場合は、ゴキブリか?
身を挺して私のための練習台になったのか?
それならそれで、ある意味、夫らしい。

さて、次はなんに形を変えて現れてくれるのだろうか?
楽しみである。

夫がいないということ

2008年09月18日 | 日常
夫は、細くて長いきれいな指をしていた。
その長い指の大きな手で、
よく私の頭をくしゃくしゃと撫でていた。
私が疲れているとき、
頑張ったとき、
悩んでいるとき、
夫はその大きな手で頭を撫でてくれた。

もう、私の頭を撫でる人はいない。

数字を見ただけで頭が痛くなる私に代わって
見積書を作ったり、請求書をだしたり、
払いが遅れている取引先に催促の電話をするのも夫だった。
税金のことも、資金繰りも、全て夫がしてくれていた。
私は好きな仕事そのものを、機嫌良くしてさえいれば良かった。

もう、そんなことをしてくれる人はいない。

パンフレットや、説明書を理解するのが苦手な私に
新しい電化製品を選んだり、とりつけたり、
使いこなせるように簡潔に説明してくれたのも夫だった。

高いところのものを楽々ととってくれたり、
あけにくい瓶のふたを簡単にあけてくれたのも夫だった。

作った料理をうまい!と言ってたいらげてくれるのも夫だった。

寒い夜には、私の足を自分の足に挟んで温めてくれるのも夫だった。

怖い夢を見たときは、手を握ってくれた。

ネガティブになりがちな私に、
「大丈夫、大丈夫」と言ってくれた。
夫に大丈夫と言われると、本当に大丈夫な気がした。

仕事でアクセントが不安になって確認すると、
必ず確実に答えてくれた。

テレビや新聞を見ていて、分からないことがあって聞くと、
ほとんど知らないことがなくて、
私に分かりやすく解説してくた。

どんなにつまらないギャグを言っても
ちゃんとつっこんでくれるのも夫だった。
どんなにくだらない無駄口にも、辛抱強く付き合ってくれるのも夫だった。

稽古が終わったあと、リビングで夜景を見ながら
一緒にお酒を飲みながら
一杯飲み屋の女将と常連客ごっこをして遊んでくれた。

書いた文章を必ず一番に私に見せて、
「チェックしてくれ」と私をたててくれるのも夫だった。

本気で私を叱ってくれるのも夫しかいないかった。

そんな夫はもういない。
夫はいない。

当たり前だと思っていたこれまでの26年間。
自分の幸せに気がついていなかった愚かな26年間。
ごめんなさい。
後悔してもしきれない。

夫が元気だったとき、
「あなたがもし、私より先に逝くようなことがあったら、
 その1分後に私も逝きたい」
いつもそう言っていた私。

「お前は、僕の葬式を出さなきゃいかんから1分後には来るな」
夫はそう言った。

だから、通夜と葬式は頑張った。
四十九日と納骨もある。
夫を慕ってくれる仲間達が
夫の誕生日に向けて開いてくれる偲ぶ会もある。
夫の遺作となってしまった短編戯曲を上演しようと言ってくれる人もいる。
だから、それまでは頑張らないといけない。
それからのことは、そのとき考えよう。

今は夫がいないということに慣れないといけないのだ。

支えてくれている、たくさんの友人たちがいる。
私はひとりではない。
大丈夫、大丈夫。
夫の声が聞こえるような気がする。



温かいメッセージ、ありがとうございます

2008年09月11日 | 日常
みなさま、温かいメッセージありがとうございます。
初めてコメントを書き込んで下さった方もいらして、
なんだか胸が熱くなりました。
おひとりおひとりに、お返事を書くべきなのですが、
ごめんなさい。

初七日がすぎれば、
もう少し気持ちが落ち着くかと思っていましたが、
雑事の処理と、仕事に追われて、
きちんと自分の気持ちと向き合えないまま過ごしています。

夫の苦しむ姿を目の当たりにし、
臨終に立ち会い、
通夜、葬儀をし、お骨も拾ったというのに、
まだ夫が病院に入院していて、
「果物もってきて」とか「ポタージュスープ作って」
というメールがきそうな気がしています。
夜になれば、
「ただいまぁ」と、ふらりと帰って来そうな気がしています。
きちんと、夫の死を受け入れきれていない、
受け入れたくない自分の弱さが情けなくなります。

来週あたりからは、時間に余裕が出来そうなので、
また少しづついろんなことを書いて行きたいと思っています。

私自身の身体は大丈夫です。
食事もとれていますし、夜もお薬を飲めば朝まで寝られます。
週末には、担当している朗読講座の発表会も控えていますし、
夫の後を引き継いで指導に入る講座も抱えています。
立ち止まっている場合ではないようです。

多分、私は大丈夫です。

また記事、ゆっくり書いていきますので、
みなさん、また覗きに来てくださいね。