招きねこの手も借りたい

主婦のち仕事、ところによって母、時々芝居。

惨劇の予感

2006年09月30日 | 日常
土曜の早朝は地元のJA主催の朝市と決めている。
いつもは夫も一緒に行くのだが、今日は別の予定が入り私ひとりで買い物だ。
今朝は家を出るのが少し遅くなってしまったため、急ぎ足で向かった。

歩道を歩く人は、ほとんどいない。
私の進行方向から、ひとりのお婆さんがこちらに向かって小走りに向かってくる。
なぜか顔は笑顔だ。
一瞬、私の知り合いだろうかと思ったが違う。
右手に何か持っていてそれを肩のあたりまで掲げている。
なんだ?
目をこらして見ると、それは草刈りガマだ。

草刈りガマを掲げて、半笑いで小走りに向かってくる老女というのはかなり怖い。
しかも、なんか言っている。
できればそばに寄りたくない。
横道に入りたかったが、残念ながら1本道が続く。
向かい側に渡ろうかとも思ったが、車の往来がかなり激しい。
引き返すということは、草刈りガマをもった半笑いの老女に背中を向けるということだ。
それは、危険だ。
出来れば避けたい。

そうこうするうちに、老女と私の距離はどんどん近づいてきた。

道路の車の往来は激しいのに、歩道を歩く人影はない。
大声をあげたとしても、とっさに駆けつけてくれる人はどれだけいるだろうか?
道沿いの民家に逃げ込もうかとも思った。
が、今私がいるのは開店前の店舗や整骨院などの前だ。
民家も土曜の早朝でひっそりしている。
朝刊がまだ取り込まれていない家が多い。
鍵が開いていなかったらアウトだ。

老女は、ぶつぶつ何か言いながら薄ら笑いを浮かべ
だんだん草刈りガマを持つ手を高くあげて近づいてくる。
最悪の事態が私の脳裏をかすめる。
夫よ、母よ。先立つ不幸を許して。
さようなら娘。

新聞記事やニュースのタイトルが点滅する。
早朝の路上での惨劇。
朝市に向かう途中の主婦、見ず知らずの老女にカマでめった刺しにされ死亡。

ウォーキングも兼ねての買い物なので、
私はジャージをはき首からタオルを下げている。
所持金はたった千円。
こんなことまで報道されたらかなり恥ずかしいだろうな。

私が死んだら、このブログのことも記事にされるのだろうか?
それは困るぞ。
最近事件の加害者だけではなく被害者のブログまで晒されるのはどうかと思う。

ああ、冷蔵庫に半分だけ食べてほったらかしになったイカの塩辛がいれっぱなしだ。
とっくに賞味期限がきれているので、多分腐っているだろう。
私が死んだら、母がそれを見つけて「ほんとにあの子はだらしない。」とため息をつくのだろうか。

ああ、今朝着替えたものを洗濯かごに入れてこなかった!
夫はそれを見つけて「あいつは最期までだらしない奴だった。」と言いながら洗濯機に入れるのだろうか。

ああ、パソコンを置いてある下の棚には、食べさしのお菓子がぎゅう詰めだった。
封をあけて、そのままにしていて、しけったせんべいとか、
試しに買ってみたが思ったような味ではなくて、ほったらかしにしてあるクッキーなんかが、
やはり賞味期限をすぎたまま熟成されている。

ああああああ。
今死んだらそれらが、白日の下に晒される。


なんてことを、ものすごい短時間にものすごいスピードで考えた。

そして。
私の目前まで迫った老婆は大声で叫んだ。

「あんた~!公園の草取り行くのにカマ忘れてどうするんよ~~!」

私のはるか後ろを歩いて行くおじいさんに向かって叫んでいた。

おばあちゃん。
忘れ物のカマを届けるときは、もっとひっそり静かにね。
頼むわ、ほんとに。





役者失格

2006年09月29日 | 仕事
いきなり、物々しいタイトルで申し訳ない。

実は、半分仕事で半分ボランティアで絵本を朗読することになった。
たまたま2件の依頼があり、1件は録音、1件は数十人の前で朗読する。
夫と2人で、ひとつの物語を分けて朗読する。
それはいい。
以前にも何度かやっている。

今回その題材となる絵本は「かわいそうなぞう」である。
ご存じだろうか?
戦時中上野動物園であった実話をもとにしたお話だ。
もし動物園に爆弾が落ちたら、大型動物が逃げ出すことがあると大変だからという理由で、
軍の命令で動物たちを薬殺することになったときの物語。
子どもの頃読んで、ショックで眠れなかった。
NHKか何かでの読み聞かせの番組を見たときも号泣した。

それを私に読めと。

おそるおそる黙読した。
胸が痛い。
でも、号泣はしない。
よし。
大丈夫。
タイム出しのための音読をはじめた。

トンキーとワンリーの薬殺に失敗し、えさをやらない毎日が続く記述あたりで
私の胸はばくばくしだした。
そしてえさをもらおうとしたトンキーとワンリーが
『お互いに、ぐったりとしたからだを、せなかでもたれあって、げいとうをはじめたのです。』
のところで、涙腺が完全に決壊した。
声が震え、かすれて読めない。
涙がぼたぼた落ちる。

タイムを計っていた夫が呆れる。

なんとかかんとか持ち直して読み進めるが、
『てつのおりにもたれ、はなをながくのばして、
 ばんざいのげいとうをしたまま、しんでしまいました。』
まで来ると、その後を続けられなくなってしまった。

結局タイム出しは、夫が読み直すことにした。


日常会話でもあてはまることだが、
いくら面白い話しでも話している本人がゲラゲラ笑ってしまうと、
聞いている人にその面白さは伝わらない。
お芝居もそうだ。

悲しい話しも同じこと。
語り手が自分の世界に入りこんで「さあ、この悲しい話しを聞いて」的な
うざったい読みをすると聞き手はどん引きする。
読み手が、自分でその世界に入り込みすぎて泣いてしまうなんて言語道断である。
できるだけ冷静に、書かれてある内容をしっかりと伝える事が大事だ。
日頃、自分の生徒たちに口を酸っぱくして言っているのに、
自分ができないとは。
いちばん自分が嫌いなタイプの朗読になってしまう。
役者失格である。

夫と分けて読むことになっているので、ひとりでとおして読むよりはましだが、
それでもこのままではだめだ。

泣かずに冷静に読めるようになるまで、特訓しないといけない。

以前何度か、戦争体験の手記の朗読をしているのだが、
それは泣かずに淡々と読むことができるのに、
この「かわいそうなぞう」はどうしてもだめなのだ。


困った。





第二の劇団時代 (波瀾万丈編) その⑬

2006年09月28日 | 芝居
実生活での自分自身を好きになれなくなった私は、
せめて舞台の上での自分自身を好きになれるようになりたかった。

生き生きと、楽しく舞台の上で違う人生を生きてみたいと思った。
Sさんとの出会いを大切にして、自分の中の別の可能性を見つけてみようと思った。


劇団創立当初、かかしさんはつか芝居の影響を強く受けていたため、
とにかく台詞に勢いとパッションを求めていたし、
やりとりのテンポをあげて、スピード感のある芝居づくりに徹していた。
これまでの子ども向けの舞台をやっていた頃とは違う、
そういうやり方が刺激的で面白いと思う反面、
もともとがきちんと台詞を伝えることに重点を置いて来た私にとっては、
かかしさんのやり方になかなか馴染めずにいた部分もあった。
他の人がかかしさんの演出で演じているのを観ている分には、
楽しめたが、いざ自分がそれをやろうとすると、
なかなか抵抗があり出来ない…という矛盾を抱えていた。

ところがSさんの演出は、私には合っているように思えた。
相手の台詞をよく聞き、それを自分の中に受け入れてその反応として返す
オーソドックスなやり方である。
勢いで台詞を出すのではなく、ちゃんと相手役や観客にきちんと伝わるように
しっかりと台詞を出すやり方。
かかしさんのやり方とSさんのやり方、どちらが正しいとかそう言う問題ではない。
なんとなく自分に合っているかどうかということだけのことだった。

前の劇団から移籍してきた乙女と私は比較的Sさんのやり方になじみやすかった。
豪傑姉さんとアラレちゃんはとまどいもあるようだったが、
納得のいかないところは、とことん聞いて稽古をすすめていった。
いろんなタイプの演出に触れて、自分の幅を広げるチャンスでもあった。

アラレちゃんは、感情と体調の浮き沈みが激しく、
時折ぷいといなくなったり、舞台袖にこもって出てこなくなることもあった。
そのたびにロボットさんが行ってあれこれと説得しているようだった。

気にしない、気にしない。
自分に言い聞かせて、稽古に集中するようにしていた。

公演日も近づき、衣装も着々と決まっていった。
市販のもので用意できないものは、ふりふりやパタリロやお嬢たちが縫ってくれていた。

私の衣装をどうするかが中々決まらなかったのだが、
とうとう決定したようだ。
Sさんに呼ばれた私は来上がってきた衣装を見て、呆然とした。

つづく。

髪型

2006年09月27日 | 思い出場話(懐かしの昭和編)
なんとなく美容院に行きそびれている。
中途半端な長さの髪がめんどうくさい。
週末あたりには予約をいれて行ってこないといかんな…
と、鏡に向かってつぶやいた。

大人になって、自由に美容院で髪型を変えられるようになって
すっかり忘れていた子どもの頃の思い出を書いてみようと思う。



よちよち歩きの頃から、多少色気付き始める小2くらいまで
私の年代の人ならほとんどそうであったように、
襟足を刈り上げ前髪をおでこと眉の真ん中あたりでぶっつり切った
いわゆるワカメちゃんカットだった。
もちろん、美容院ではなく近所の床屋のおじさんに切ってもらっていた。

当時、子どもがそれ以外のこじゃれた髪型をしていたのかどうか記憶にない。
とりあえず私のまわりはワカメちゃんだらけだった。
しかし、小学校にあがるとぼちぼちと伸ばし始める子が出てきて、
三つ編みにしたり、分けて結んでかわいい髪飾りをつけてくる子も出てきた。
バレエを習っている大きな酒屋の娘は、
学校にもシニヨンを結ってきていた。
うらやましかった。
で、私は母に髪の毛を伸ばしたいと訴えた。
散髪代が浮くと判断した母は反対はしなかった。

ワカメちゃんから、市松人形くらいの長さになった。

が、母には娘の伸び始めた髪をおしゃれな髪型にしてやろうとか、
かわいい髪飾りを買ってやろうという気はさらさらないようだった。
それは市松人形の髪が、姫ダルマくらいの長さになっても同じだった。


髪さえ伸ばせば可愛くなれると信じて疑わなかった私はこのとき気がついた。
ただ伸ばしてさえいればいいってもんじゃないということを。

とりあえず、自分で三つ編みを編むことをマスターし、
三つ編みにしてみた。
母から渡されたゴムは、黒ではなく白い板ゴムだった。
クラスの悪ガキどもに
「おまえ、パンツのゴムで髪結んどるやろ~」とバカにされた。
母にそのことを告げると、
じゃあこれで…と渡してくれたのはピンクの板ゴムだった。
そういうことじゃないんだ…。
母と自分の感覚の違いを埋めることをあきらめた小5の春。

お小遣いで、さくらんぼやいちごがついたヘアゴムを買った。


しかし、どんなにかわいい髪飾りをつけようとも
鏡の中の自分はどう見ても「可愛い髪飾りをつけた」田舎の子でしかなかった。

おかしい。
こんなはずではない。
ワカメちゃんカットを卒業し、ロングヘアになればかわいくなるはずだったのに。
なぜだ?
何が悪いんだ?
『もともとの顔の造作だよっ』
現在の私が当時の私にアドバイスしてやりたい。

小6の卒業写真の撮影日前夜。
研究に研究を重ねた結果、麻丘めぐみをお手本にすることにした。
お姫さまカット?というのだろうか。
顔のサイドのところの一部をぶつっと切ったかたち。

母の和裁用の裁ちばさみをこっそり持ち出し、
母の鏡台の前で、ぶちっと自分でカットした。
左右の長さがなかなか揃わず、思っていた長さよりずっと短い。

鏡のむこうにいるのは、麻丘めぐみではなく……お多福さんだった。

小学校の卒業写真の私は、麻丘めぐみになりそこねた不機嫌なお多福顔である。




声と人格

2006年09月26日 | 日常
ジェットストリームという番組をご存じだろうか?

城達也が、それはそれはいい声でナレーションをして
心地よい音楽を流していたラジオ番組である。
それをまとめてCDにしたものを発売するらしい(もうしたのか?)
で、最近やたらそのテレビCMが流れてくる。

城達也の声が流れるたびに、「う~む。いい声だ。」としみじみする私。
いい声であると同時に、間のとりかたや息づかいなど
ナレーションに必要な要素全てが完璧だ。
いくらいい声であっても、そういう技術がないと宝の持ち腐れになってしまう。

で、ここからは私の個人的な見解である。

私個人が認定する男性としていい声だと感じる9割までが低い声である。
甲高い声、例えば出川哲朗とか
古いところだと白木みのるの声をいい声とは思えない。
そして低い声の人は寡黙な人が多い。
めったに口を開かないが、とてもいいタイミングですごくいいことを言う印象がある。
高い声の人はお喋りな人が多い。
わかった、わかった、あんたはもう黙っていてくれと感じる。
言っていることもたいしたことを言っていない気がする。

低い声で「おれに任せろ」と言われると、
「はい。よろしくお願いいたします」という気持ちになるが、

高い声で「おれにまかせろ」と言われると、
「またまた~、ムリしちゃって」と任せたくない気持ちでいっぱいになる。


低い声の人にせこい台詞は似合わない。

「あ、冷蔵庫の最後の1個のプリン、お前食っただろ」とか

「なんで、K1録画し忘れるんだよっ」とか

「くそっ!あっちの電気屋のほうが300円安かった」

なんてことを、
例えば細川俊之とか森本レオの声で言っているところを想像してみてほしい。
似合わないことはなはだしい。
(ここまで書いてきて、せこい台詞は無尽蔵に思いつく自分に驚いた。
 いちばんせこいのはもしかして私なのかもしれない)


低くていい声の人は自然にだんだん似合わないせこいことを言わない
人格者になっていくのではないだろうか?
今日の内閣新閣僚会見を聴いていても、
低い声の人だと信頼感をもってしまうのだ。
私だけ?

いや、甲高い声の人にも人格者はいるとか、
私は甲高い声の男の人が大好きよとか、
低い声でせこい台詞を言う人を知っているという方がいたらぜひ教えてほしい。



第二の劇団時代 (波瀾万丈編) その⑫

2006年09月26日 | 芝居
こうして考えてみると、ロボットさんが付き合う女の子というのは、
私と全くキャラクターの違う子ばかりだった。

私はふりふりのように女の子っぽい服装も言動もしないし(できないし)。
手先が器用で、細やかな心遣いができるふりふりはすごいと思う。
そして、誰からも愛される天然キャラ。
私が同じことを言っても、わざとウケねらいでボケているのだろうと思われ、
イヤミな感じになってしまう。

かといってアラレちゃんのように、男性たちに混じって装置づくりをしたり、
高い脚立に登って作業をこなしたりという男前なこともできない。
喜怒哀楽がはっきりしていて、表情もくるくる変わる。
好きなものは好き、嫌いなものは嫌いと遠慮なく主張する。
周囲の顔色をうかがいつつ行動し、それで勝手にストレスをためる私とは大違いだった。

私は、どう考えても脇役キャラだった。
さだまさしの歌で「自分の人生のなかでは、誰でも自分が主人公~」みたいな歌詞があったが、
どうにも自分にはあてはまらない気がして、当時の私は好きではなかった。

こんなふうにいじいじしている奴は、ロボットさんの好きなタイプではない
と言うことだけははっきり分かった。


とにかく稽古を頑張ろう。
稽古に集中しよう。
演出のSさんからできるだけたくさんのことを吸収しよう。
せめて、舞台の上だけでも魅力的な女優になろう。

そう決意した。
翌日も、早めに稽古場に行くと賑やかな話し声が聞こえてきた。
いつもはSさんがひとりで黙々と作業しているのに、
今日は誰かが先に来たのかと思って耳をすますと、
それはアラレちゃんだった。
「あ、元気になったんだ…良かった」と思いつつも、
Sさんと2人で楽しそうに話す様子がドア越しに分かると
なんだか私は面白くない気持ちでいっぱいになった。

せっかく私がSさんからいろいろアドバイスを貰おうと早く来ているのに
それを邪魔されたような気分になった。
誰がいつ来ようと勝手だし、役者が演出から指導をうけるのも各自自由だ。
仕事が早く片付いた人から順に来て、勉強すればいい。
理屈では分かっていても、
「アラレちゃんは、ロボットさんと付き合ってるんだから、
 この上、演出家まで独占しなくてもいいじゃないか。」
というなんだかどろどろした思いがどうしても沸いてくるのだった。

そんなことを感じてしまう自分のことが、どんどん嫌いになっていった。
そして、アラレちゃんにはなんの罪もないというのに、
私を自己嫌悪の固まりにしてしまう彼女を見ているのが辛くなっていた。


つづく。


気になるあいつ

2006年09月25日 | 日常
つい最近知り合ったあいつのことが気になって仕方がない。

出会っていきなり私のことを「おい、peco」と呼び捨てにした。
以前にも書いたと思うが、今まで私を呼び捨てにする人はいなかった。
出会っていきなりの呼び捨てにとまどいつつも、なぜか嬉しい自分に驚く。

あいつは、言葉は乱暴だがその根底に流れる気持ちはとても優しい。
ぶっきらぼうな態度で周囲から誤解されやすいが、私にはふと心を開いてくれる。
やせがまんのpeco…と、私の本質をついてくる。
思いがけないプレゼントももらってしまった。
そして、俺はおまえの相棒だとまで言う。
俺の夢は珍しい化石を掘り当てることだと、語る表情がなかなかいい。

今まであくせく働いて日々の生活に追われるだけだった私。
みんなから好かれたくて、全員に気を遣っていた私だったが、
あいつと出会ってからはあいつの姿ばかりを探している。
昨夜は、突然会いたくなって深夜にあいつの家を訪ねてしまった。
これは、恋かもしれない。

ここ数年、知的でセンスが良くて紳士的な人に惹かれていたというのに、
いったいどうしたことだろうか。





あいつの名前は…チョモラン。

ゲーム「おいでよ どうぶつの森」の登場人物、
ホワイトタイガーのチョモランに恋をしてしまった中年女。
それは私である。

韓流スターや氷川きよしに熱をあげるのと、どっちがいいか今考えているところである。

わがやの中の秋

2006年09月24日 | 日常
本当は、今日はnaataさんがみてきた「UDON」を見に行く予定だったが、
夫が風邪気味になり、人混みに出るのもどうよということで急遽予定変更。
ラーメンズの片桐くんが出演しているらしく、すごく気になるんんだけど、
仕方がない。

大人しく何の予定もない休日を自宅ですごすことにした。

今朝私が朝市で買ってきたお花を母が生けたのを撮ってみた。


ミィさんが玄関先を秋らしくしたという記事を読んで、
私もあわてて出しっぱなしの金魚のちりめん細工を片付けて、これを出した。


手ぬぐい額も変えたかったが、これはひとりでするのがちょっと面倒なので、
今日はパス。



で、ふと、和室を見ると…




窓から差しているお日様の部分で身体をあぶる老犬みやび。

ちょっと目を離して再び見ると、

移動してるし(笑)

「あったかい?」と声をかけると

「うん♪」と言いたげな顔で振り返った。

日向が嬉しい季節になった。
庭先の金木犀の香りも一昨日あたりから香ってきている。

というわけで、今日は寄せ鍋に決定。






不審な2人

2006年09月23日 | 夫ネタ
先日夫が演劇ワークショップに行った小学校から、
黒幕や角材やスクリーンなど、舞台装置用具を貸して貰えないかと頼まれ、
お貸しした。

今朝、お貸ししたそれらをひきとりに学校に行った。

約束の時間、校門に車を停めた。
祭日の校門前はひっそりしている。
夫は、私に車内で待つように言うと、校舎の入り口に行った。

約束の時間よりほんの少しだけ早かったのだが、
当然校門は開いていると思ったら鍵がかかっているようだ。
夫は、ドアを押したり引いたりしている。
「鍵がかかっているんなら、そんなことしてもだめだろうに」
と私は冷めた目で車の中から見ていた。

夫は、ドアの隙間から中を覗こうとしたり、
他に入り口がないかあたりをうろうろしだした。

夫は、おっちょこちょいな柄のTシャツの上に派手な花柄のシャツを羽織っている。
で、下半身は汚いジャージというアンバランスな格好をしている。
しかも足元はサンダルばきだ。
その上、頭髪は6ミリの坊主頭。
顔の下半分は濃い髭に覆われている。
とても、まっとうな中年男性の姿とはいえない。

休日の小学校には絶対ふさわしくない。
ていうか、いてほしくないタイプの人相である。
いかん。
このままでは完全に不審者である。

校庭で早朝野球の練習をしていた人たちが、駐輪場に戻ってきた。
不審な動きをする夫のことを見ている。

私は、車から降りつつ大きな声で夫に声をかけた。

「あれ~っ、先生まだいらしてないの?お貸しした荷物とりにきたのにね。
 先生の携帯に電話してみたら?」

と、通常の日常会話ではありえないような説明的台詞だ。

早朝野球の人たちも、さすがに中年カップルの不審者というのはいないだろうとふんだのか、
そのまま帰っていかれた。

ふ~、危ない、危ない。

私たちは過去に こんなことやこんな目にあっている。

くれぐれも、TPOをわきまえた年齢と立場にふさわしい服装と態度をしないと。

第二の劇団時代 (波瀾万丈編) その⑪

2006年09月23日 | 芝居
血の気のひいた顔をしたまま、舞台袖に入り
なかなか出てこないアラレちゃんの様子を見に行った私は、
その場で固まった。

そこには、床につっぷすアラレちゃんの背中を
ゆっくりさすりながら声をかけるロボットさんがいた。
なんでだ?
なんでロボットさんがいるんだ?

「え~っと、大丈夫でしょうか?あの、稽古そろそろ再開するんだけど」

動揺してアラレちゃんに言っているのか、ロボットさんに言っているのか分からなくなり、
敬語とため口をまぜこぜにしてやっとのことで聞いた。
アラレちゃんは何も答えない。
かわりにロボットさんが
「もう少し待ってもらって。」と答えた。

「アラレちゃん、今日は帰ったほうがいいんじゃないでしょうか?」
と私が言うと

「もう少ししてから判断するから。
 ここはもういいから、行って。」と強い口調でロボットさんは言った。
それでも私が、おろおろしていると、今度は手で向こうに行けと合図した。

その時の私には、それは野良犬を追い払うような手つきに見えた。

ショックだった。

心配していたみんなには、
「ロボットさんが付いてるから大丈夫なんじゃないかな。」と伝えた。
演出のSさんは、アラレちゃんが出ていない場面の稽古をすることにした。
結局稽古の途中で、アラレちゃんはロボットさんに送られて帰ったようだった。
稽古中は稽古に集中していたものの、稽古が終わると同時に私は
さっき見た2人の姿がフラッシュバックした。

ぼんやりしている私に、豪傑姉さんとふりふりが言いにくそうにこう言った。

「pecoちゃん、気づいてなかったかもしれないけど、
 アラレちゃんとロボットさん付き合ってるんだよ」

なんとなく察しはついていた。
はっきりそれを目で見て、豪傑姉さんとふりふりから聞いて、

「やっぱりそうなんだ。そうだと思った。そうだよね~。」と言うしかなかった。

とりあえずへらへら笑うことしか出来ない私。
へらへら笑いつつ、帰り支度をする私に対して、
周りの子たちのほうが気まずそうにしている。

pecoちゃん、大丈夫?

と聞かれ、もし『大丈夫じゃない』と本音で答えたとしてもどうなるもんでもないことを私は知っていた。

「大丈夫に決まってるやん。」

やたら明るく元気に声を出してみたが、その表情は全然大丈夫ではなかった。

つづく。



たかがゲーム されどゲーム

2006年09月22日 | 日常
というわけで、一昨日からすっかり任天堂DSライトで
「おいでよ どうぶつの森」にはまりまくっている私。

同じ時間を費やすならば、読んだものが知識として蓄積する読書とか、
作ったものを利用できるパッチワークとか、
家族も道行く人も楽しめるガーデニングとか、
生産性の高いことをすればいいのに…
という意見も聞こえなくはない。

しかもこのゲーム、シューティングゲームとかパズルゲームのように
達成感や爽快感が感じられるわけでもないし、
ロールプレイングゲームのように、謎を解きつつ冒険の旅に出るというような
壮大なロマンがあるわけでもない。

まったりと、田舎の森でかわいい動物たちとともに暮らすだけのゲームである。
お金は魚を釣ったり、果物を収穫したり、貝殻を拾って売ればいい。
動物たちと仲良くなって文通したりプレゼント交換したり、
季節ごとにイベントがあってそれに参加したりする。
正しいエンディングとか、勝ち負けがあるわけでもない。
もちろん、お金があれば大きな家に住み、豪華な家具を買うこともできるが、
べつに望まなければそれまでである。

自分の価値観で、生活していけばいいのである。
人それぞれ。
ここがいい。

そういうところに惹かれて買ったのだが、
気がつけば私はせっせと小銭を稼いでローンの返済をしている。
ゲームの最初に家を購入するのだが、これがローンなのである。
しかし返済期限があるわけでも、高い利子がつくわけでもなく、
払わないからといって督促されるわけでもない。
のんびり自分のペースで返していけばいいというのに、
私はあくせくあくせく働き続け、ゲーム3日目にして完済した。
で、増築をすすめられ、すすめられるまままたローンを組んでしまった。
増築すればしたで、その大きさに見合った家具調度品を買い換えねばならない。
またまた、そのためにあくせくすることになるのだ。

しかも、遠くにある貧しい村の人々に募金してくれと役場で言われると、
せずにはいられず、定期的にしている。
そして、何かあったときのためにと貯金もはじめた。

化石を掘り当てると売ればかなりの金額になるのだが、
博物館にも寄付しなければと思い、ものすごく迷う。


森の動物たちから手紙が届くと、
お返事をすぐ書かないと嫌われるのではないかとびくびくし、
即返信している。
コレも毎日かなりの分量になり負担だ。
しかも、新しく引っ越して来た動物たちにまで、お愛想に手紙を出し、
もっともっと負担を増やしている。
人から嫌われたくないのだ。

実生活と変わらないじゃん!

なんてことだ。
せめて、ゲームのなかだけでも、
あくせくしないのんびりした人生を送ろうと思っていたのに。
人からどう思われようともマイペースで、
自分の好きな人とだけ仲良くする暮らしをするはずだったのに。
お金にころぶか、のんびりマイペースで暮らすかを決めかねて
どっちつかずのゲームのなかの自分。
ああ、情けなや。

と言いつつも、すっごく楽しんでいるんだけどね。



第二の劇団時代 (波瀾万丈編) その⑩

2006年09月21日 | 芝居
とにかく連日稽古、稽古の毎日だった。
キャストはもちろん、スタッフも毎日稽古場で作業をしていた。
1ヶ月に1本公演を打つためには、同時進行で次の公演の準備も進めなくてはならない。
もちろん今回の公演の舞台装置づくりや、衣装、小道具の製作、
情報宣伝活動などなど、やることは山積みだった。

今では、フリーターというのは社会的に一応認知されているが、
当時定職につかずにいるとか、正社員ではないアルバイトという立場での働き方をしていると、
地方都市では肩身の狭い思いをしなければならなかった。
劇団で芝居を続けていくためには、9~5時の会社に所属するよりも、
本当は時間に融通の利くアルバイトをその時期その時期の状況に応じて探すのが、
やりやすかったのだが、
当時の私たちが置かれていた状況では、
ただでさえ夜遅くまで若い男女が集まって得体の知れない稽古をやっている集団に所属し、
なおかつ、定職についていないとなると、かなり厳しい状況を覚悟せねばならなかった。

劇団に所属していることを、親から反対されている者もいた。
そのため仕事だけはちゃんと日中の普通の会社員や営業マンをして、
その部分で親になんとか納得してもらうという形をとっている者もいた。

というわけでほぼ全員が、昼間はごく普通の会社員または学生として、
当たり前に生活していた。

仕事が終わってから、直接稽古場に来て深夜遅くまで稽古。
翌朝は普通に朝から仕事。
土日ももちろん朝から夜まで稽古場。
それが毎日。

18歳から20代後半までの若者ばかりの集団だったからこそ
こんなハードスケジュールが成立していた。
それでも時折、疲労がたまり稽古場でダウンする者もなかにはいた。
私は、職場の歯科医院で昼休みにきっちり昼寝ができたおかげで、
体調を崩すことはなかった。

あるとき稽古場に来たアラレちゃんの顔色がとても悪く、
私たち共演者も演出のSさんもひどく心配した。
それでも、彼女は大丈夫だと言い張り、稽古に参加した。

稽古の休憩中、舞台袖に入ったきり出てこないアラレちゃんを心配して、
私は様子を見に行くことにした。

そして、私は舞台袖の薄暗がりの中で
「見なければよかった」と後悔する場面を目撃した。

つづく。


大人になってよかった

2006年09月20日 | 日常
買っちゃいました。
ついに。

任天堂DSライトと、「おいでよ どうぶつの森」のソフト。


夫が台湾ドラマの撮影のときに、メイクさんからもらった真っ赤なシルクのポーチにマッチするよう、
白いDSライトにしてみた。

子どもの頃って、例え自分で貯めたお年玉で買おうとしたところが、
欲しい物を買うのに親の承諾は必要不可欠だった。
誕生日やクリスマスプレゼントに、本来の欲しい物とはピントのはずれたものをもらうはめになり、
心では泣いても大人に気を遣い嬉しいふりをしなければならないことも多々あった。

欲しい物をねだる際には、
「お手伝いするから」とか「喧嘩しないから」とか
「宿題、忘れずにするから」などとできもしない交換条件を持ち出すか、
「クラスで持っていないのは私と○○ちゃんだけ」とか、
「これがないと、仲間外れにされる」などというような脅しをかけるなど、
あらゆる手段に訴えないかぎり、そうやすやすと買ってもらえなかった。

大人になった今は違う。
欲しいと思えば、財政が許しさえすれば自分の判断で買える。
とはいうものの、恥ずかしながら3000円以上の品を夫の承諾なしに買うことができない。
が、ありがたいことに夫は私が必要であると主張するもののほとんど9割近くは
OKを出す。
ふだんあまり私が高級品や贅沢品を欲しがらないからだと思う。

ゲーム機を欲しいと思ったのは久々である。
ふふふ。大人になってよかったと思う瞬間だ。
あと、お酒飲んでだらだらしてるときも、ああ大人になってよかったと思う。

これ、昨日買ってきて昨夜遅くまで遊んでいたのだが、
子どもだったらおそらく大人から「いい加減にしなさい!」とか
「もう寝なさい」とか叱れるところだろう。
私は大人なので、誰からも叱られない。ふふふ。
あ、夫が横でちょっといやな顔していたような気がしたが、そんなのは無視した。

ああ、大人になってよかった。
あとね、スーパーで新製品のチョコレートとかを試しに買う時も大人になってよかったと思う。
それと、夕飯のメニューを自分の好きなおかずのオンパレードにできる時とか。

皆さんは、大人になってよかった!と思う瞬間はどんなとき?


ま、私の場合我ながら、なんてスケールの小さい人間なんだと思う。

スケールが小さいといえば、この「おいでよ どうぶつの森」で
自分の小市民っぷりを痛感した。
その話しは、また次回。




第二の劇団時代 (波瀾万丈編) その⑨

2006年09月19日 | 芝居
稽古が始まった。

演出家のSさんは外見の印象とは違い、稽古が始まるととたんに饒舌になった。
脚本の細部まで、詳しく説明してくださる。
豪傑姉さんは、しばらく東京での演劇経験があるので
私や乙女、アラレちゃんよりはいろんなことを知っている。
それでも、Sさんから聞くことはとても新鮮だった。
ましてや、芝居をはじめたばかりでなおかつ社会人としての経験もない
世間知らずの私にとっては、興味深い話しばかりだった。

ひとりひとりの登場人物が、どういう人間でどういう性格で、
その場面でどういう心の動きをしているのかということを
自分でいろいろ考えることの大事さを教わった。
それまで、子ども向けの芝居では勢いでやってきた部分が多かったので、
私は脚本を深く読み込むという作業をまじめにしてこなかったことを反省した。

豪傑姉さんは、豪快で天真爛漫な性格から4人のなかでムードメーカ的存在だった。
他の3人も豪傑姉さんを本当の姉のように頼りにしていた。
乙女は、ひたむきでとことんまじめだった。
そのくせ、どうリアクションをとっていいか分からないような駄洒落を言う。
それはそれで、場をなごませていた。
アラレちゃんは、独特の感性と感覚と持って生まれた自身の華を生かして、
話題の中心になることが多かった。

それぞれ個性的で、Sさんもそれなりに大変だったと思うが、
みんなの個性を生かす方法を一生懸命考えてくださっていた。

平日の稽古開始は、みんなが仕事を終えて集まってこれる7時~7時半の間くらいだった。
Sさんは、早めに入って演出プランを練ったり、舞台装置を作ったりされていた。
私も早めに入って、Sさんの手伝いをしたり、
あれこれ芝居についてのお話を聞いたりしようと思い、
仕事が終わってお弁当を持って稽古場に直行することにした。

みんなが集まってくるまでのSさんと話しをするその時間は、
私にとって貴重な勉強の時間だった。

稽古も連日深夜まで続くことが多くなったある日、
私たちは、Sさんに稽古の合間をぬって
稽古場の向かいにある銭湯に行かせてもらえないか頼むことにした。
当時私の家にはお風呂がなかった。
自宅にお風呂があっても深夜に帰ってから家族に遠慮しながら入りにくいという人もいた。
稽古中、うまく時間をやりくりして交替でお風呂へ行きたいという
ちょっとわがままな申し出をSさんは快く聞いてくれた。

稽古は順調だった。
しかし、私の心を乱すできごとが起きる日はすぐそこまで来ていた。

つづく。


水墨美術館に行ってきた

2006年09月18日 | 日常
夫とともに高速を走らせて、隣県の水墨美術館に日本画展を見に行った。
     
    
    


建物全体が落ち着いたたたづまいを見せている。

    

広々とした庭をぼんやり見ているだけでも心が落ち着く。
な~んにもないところが、またいい。


池にはまるで日本画のような鯉。

       

心洗われるような、美しい色彩の日本画の数々。



美術館内のレストランの昼定食(本日は 炊き込みごはん 鯛のカルパッチョ風 煮物 あさりの味噌汁)を楽しみにしていたのだが、
私たちのひと組前で定数終了。
残念!

で、留守番している母におみやげと敬老の日のプレゼントを兼ねて
色紙飾りを買ってかえった。


織物の真ん中に糸を渡して、色紙を飾れるようになっている。
一見掛け軸風。
色紙も、美術館で買ったのだがそれは横に使ってあってサイズにあわなかったので、
自宅にあった知人にいただいた絵を入れてみた。

活動的な、夫の母への敬老の日のプレゼントは
ピンク色のフード付きパーカーと、それに合わすグレーのカットソー。
白髪にピンクはきっと映えるはず。

なかなか充実した祭日を過ごした。
よしっ、明日からまた頑張るぞ。