招きねこの手も借りたい

主婦のち仕事、ところによって母、時々芝居。

きれいなったものと、汚いままのもの

2006年11月30日 | 日常
またまた、頑張ったプチ大掃除。

本日はブラインド4枚をはずして裏表、丁寧に水拭きした。
そのうち2枚は、幅が180センチ、長さが170センチほどもある。
しかも、ひじょうに高い位置に取り付けてあるため、
はずすのも大ごと。
脚立を出し、それでも届かず、足場の悪いところに足をかけてやっとやっと。
とは言っても、夫がはずすんだけどね。

家を設計してもらうとき、とにかくどこもかしこも明るくしたいということで、
できる限り窓は大きくしてもらったのだが、
そのためいろいろと問題点がある。
カーテンも特注したため、クリーニング代がバカ高い
(↑洗濯機で洗える生地にしなかったことをとても後悔している)
ブラインドの取り外しもこんなに面倒だったとは。
そのため、長い間ほったらかしだった。

玄関脇のブラインドなので通るたびに気になっていたが、
見て見ぬふりを続けてきた。
夫がようやく重い腰をあげ、はずしてくれた。

で、部屋に新聞紙を敷き詰めてその上にブラインドを広げ、
半分づつ担当して拭いていく。
恥ずかしながら、永年こびりついた埃でもとは鮮やかな水色だったブラインドは
グレーがかった渋い?色合いになっていた。
雑巾はたちまち真っ黒。
バケツの水を何度も替えて必死になって拭く、拭く、拭く。
途中飽きてきそうになると、くだらん冗談を言い合い気分転換。

みごとブラインドは、新品同様の鮮やかな水色に蘇った。

私も夫も、自分が拭いたところの雑さを棚に上げて、
お互いの仕事の雑さが気になって仕方がない。

「あ、ほら~、ここ。拭き残しある。どこ見てるのよ。老眼?」
「どこ?なんだ、ちょっとだろうが」
「そのちょっとが目立つのっ」
「お前だって、なんだ、はじっこに力いれすぎるから、ブラインド変形しただろうが。乱暴な奴め。」
「これくらいすぐ治ります!そのかわりぴかぴかでしょ?私が拭いたところ。」
「ここの重なりのところ、拭き残しあるぞっ。大雑把な奴。」

ブラインドはきれいになったが、お互いの口汚さは治らない。

これが、反対にお互いのした仕事を誉め合う夫婦だったとしたら、
もっと仕事がはかどり、和やかな空気が漂い、
ブラインドも夫婦関係も美しく保てるのだろうな。

とりあえずは、ブラインドだけでもきれいになったから、
ま、いいか。





第二の劇団時代 (波乱万丈編)その36

2006年11月29日 | 芝居
さて、いよいよ公演が始まる。
私はとにかくしょっぱなの衣装と歌で意表をつき、
テンションと勢いで押し切るというなんだか強引なやり方でごまかすしかなかった。

自分が出ていないシーン全てが面白いのに、自分のシーンだけは
なんだか無理やり頑張っているようだったが、
もうそんなことでくよくよしている時間はない。
幕は開くのだ。

前回の女ばかりの芝居で、離れてしまったお客さんの気持ちを
呼び戻さなければならないという気負いはみんなにあった。
私は、唯一の前回出演者として、今回の舞台に立っている。
いろんな責任や、負けてたまるか(それがなんに対してなのかは今でも分からない)
という複雑な入り交じった気持ちだった。

お客さんは、まずまずの入りだった。
幕開けは、ロボットさんの司会でなんちゃってファッションショーだ。
私はテニスウェアで、ラケットを振る。
実はテニスなんて高校の体育の授業で数回やったきり。
歌や芝居やダンスの稽古に気をとられて、テニスの動きを全く練習していないことが悔やまれた。
いくら、おふざけファッションショーでもお客さんの前に立つのなら、
どうしてちゃんとしておかなかったのかと後悔してももう遅い。
そういえばパタリロは、ローラースケートを披露するため随分練習をしていた。
私に足りないのは、そういう地道な努力だ。

とにかくテニスをしてるんだか、巨大はえたたきをふりまわしてるんだか、
よく分からないフォームをし、とりあえずキメのポーズだけはキメておく。

芝居が始まると、サスペンダーとジュリー、秀才さんのシーンは、
稽古場でも面白かったが、お客さんを前にしてその面白さは一層磨きがかかったようだ。
ひとつひとつのギャグが受けると、役者もどんどんのっていく。
舞台袖で聞いていてその熱気が伝わってくる。
私のシーンは大丈夫だろうか。
緊張で心臓が口から飛び出しそうだった。

袖にいる仲間たちが、そんな私の蝶タイや尻尾をなおしてくれたり、
ヘアスタイルをなおしてくれたりする。
そんなちょっとした心遣いがすごく嬉しい。

舞台が暗転になり、「愛の水中花」のイントロが流れた。
上手袖の私が登場する部分にピンスポットが入る。
さぁ、出番だ!
大きく息を吸う。
マイクを握る手に自然と力が入る。
網タイツに黒いハイヒールの足を幕からするりと出す。

客席からどよめきが聞こえたような気がしたがよく分からない。
あとは自分を信じるしかない。
私は一歩踏み出した。

つづく。

暴君との暮らし

2006年11月28日 | 夫ネタ
夫が、お皿にたった1個だけ残ったものを平気で
ことわりもなく当然のようにたいらげることや、
食事に行って、メニューをこちらに見せずに自分だけさっさとオーダーする話しは
以前に書いたかと思う。

今日はその、続編である。

例えば。
こちらは、かなり寒くなってきた。
仕事のため夫の運転で移動中、夫は唐突に車の窓を開ける。
しかも4つ全部。
「さ、さむ~い。」
と抗議してもおかまいなし。
「空気の入れ換えだ。」
は?
何を唐突に。
それならせめて、
「空気の入れ換えするから少しの間開けるぞ」の一言がなぜ言えぬ。
「まじで、ほんとに寒いから。」
と言って私が座る助手席の窓は自分で閉めるのだが、
他のところは夫が納得するまでは閉めてもらえない。
走行中窓が開いているのは、ほんっとに寒い。

例えば。
部屋でストーブをつけてくつろいでいると、何の断りも前触れもなく、
ストーブを消す。
「なんで?」と聞くと
「暑くなった」と平然と言う。
私は丁度いいか、もしくは気持ち寒いくらいなのだ。
体感温度が違うのは仕方ないのだから、
せめて聞いてほしい。
1枚多めに私が着込んでからストーブを消せばどうだ。
なんで問答無用なんだ。

例えば。
私が機嫌良くテレビを見ているとする。
なんの断りもなく、いきなり、そう、いきなりチャンネルを変える。
で、なんか見たい番組があってのことかと思えば、
そうではないのだ。
単に、あちこちチャンネルを変えるザッピングがしたいだけ。

そして、そのいきなりチャンネル変え攻撃があるときというのは、
たまたまかもしれないが、
いつも私にとってはものすご~~く気になる場面だったりするのだ。
「さぁ、この答えは!」(←クイズ番組)とか
「さて、気になるお値段は!」(←テレビショッピング)とか
「このお店の場所は…」(←情報番組)
「ダイエットの味方は…」(←健康番組)とか
「あなたに言いたいことが…」(←ドラマ)とか

とにかく、丁度続きが知りたいところで、ぱっとチャンネルを変えやがる夫。
なんだ、それは。
新種のいじめか?

べつに、たいして興味のないクイズの答えや、
買うつもりのないテレビショッピングの調理器具の値段など
どうでもいいといえば、どうでもいい。
が、気持ち悪いじゃん、途中でチャンネル変えたらさ。

例えば。
自分がもうお茶を飲まないとなると、
なんの迷いもなくさっさと黙って電気保温ポットのコンセントを抜く。
私が飲むかもしれないというのに。
いつからあんたはそんな、地球に優しい省エネ野郎になったんだ?
しかし、それは『エコな暮らし』ではなく、『エゴな暮らし』だよっ!


とにかく全ての行動を、自分の都合と自分の感覚と自分の価値基準のみで行う夫。
すぐ隣りにいる私に、
「確認する、了解を得る。」という選択肢はないのだろうか?

もしかして、彼の目には私が映っていないのかもしれない。
もしかして、ひとり暮らしをしているつもりなのかもしれない。

そんなことを思う、北風が冷たい昼下がりである。

スパルタ婆さん

2006年11月27日 | 思い出場話(懐かしの昭和編)
つかぬことを皆さんにおたずねするが、
初めて数の数え方を習った時のことを覚えているだろうか?

私は、母方の祖母に習った。
当時いろんな意味で余裕がなく
いっぱいいっぱいだった母を心配して、
母方の祖母はしょっちゅう様子を見に来ては、何日か連泊していった。
おみやげをいっぱい抱えてやってきては、
いろんな歌を教えてくれたり、遊んでくれるし、
帰りがけに「お母さんには内緒だよ」といって
まだ幼稚園に行く前のちびすけの私にちり紙にくるんだ百円札を握らせてくれる
『おばばちゃん』のことを、私は大好きだった。


あれは何歳の頃だったのだろうか?
ある時、おばばちゃんはまじめな顔をして
「pecoや。ここにお座り」
と言った。
また遊んで貰えるのか、それとも美味しいお菓子でも食べさせてくれるのかと、
わくわくしていると、
「今日は数を数えることを教えるよ」
と言う。
それまで、私は結構ほったらかしで好き勝手に遊んでいた。
今と違って知育玩具もあんまりないし、
父も母も自分のコトで精一杯だった。
同居している伯父夫婦は私を甘やかすのが趣味のような人たちだったので、
数を教えたりとかそういう方面はスルーされていた。

心配したおばばちゃんが人肌脱ぐことになったのだと思う。

で。
おばばちゃんはおもむろにお経のように唱えだした。

「ひと~っつ、ふた~っつ、みっ~つ、よぉ~っつ、いつ~つ、むぅ~っつ、
 なな~っつ、や~っつ、ここの~つ、とおっ。はいっ!」

はいっ!と言われても。

そして、独特のおばばちゃんの節回しがなぜか恐い幼い私。
着物を着た小柄なおばばちゃんがうす暗い座敷にちょこんと座り、
なぜか低い声でお経のように数を数える様子は、
今の私なら横溝映画のようだと例えるのだが、
当時の私にその怖さの理由を具体的に表現できない。
オウム返しで言わせようとするおばばちゃんには悪いが、
どうしても言えない。

「ほれ、なんで言えない。いいか?」
また、おばばちゃんの数字お経がはじまる。
こわい。
こわいんだよ、おばばちゃん。
今思うと、節をつけることで歌を覚えるように覚えさそうという作戦だったのかもしれない。
しかし、それは完全に逆効果だった。

淡々と機械的に言ってくれたほうがよほど頭に入る。
いったん拒絶反応を起こした私の頭脳は休止していた。
そして。
あまりの覚えの悪さにいらついたおばばちゃんは、和裁用の物差しを右手に、
私が途中でつまるとピシッと容赦なくそれで私の手を叩いた。
今ならさしずめ、児童虐待か?

そんなことで記憶力がアップするはずもなく…。
おばばちゃんは、「pecoは、あんぽんたんだったんだ」と悲しそうにしていた。

それにしても。
なぜ、「イチ、二、サン、シ…」と算用数字で教えてくれなかったのだろうか?
後日、伯父が見かねておはじきを使い「イチ、二、サン、シ…」で教えてくれたら、
ほぼ一発で覚えられた。
しかも、私がただのあんぽんたんではないことを照明するために、
伯父は積み木を買ってきて、ひらがなを教えてくれた。
これも、一日で全部読めるようになった。
汚名挽回である。

これのせいかどうだかは定かではないが、
それ以降私は算数が大嫌いになった。
国語は大好きになった。

自分のこどもにはまず「イチ、二、サン」を教えてから
「ひとつ、ふたつ」を教えようと心に誓った学生時代であった。

第二の劇団時代 (波瀾万丈編) その35

2006年11月26日 | 芝居
ロボットさんは、私の耳元でこう囁いた。

「胸、小さいから、衣装とのバランス悪いな。
 なんか詰めたほうがいいぞ。」

なんですと?

あっけにとられる私を残し、ロボットさんは何事もなかったようにその場を去って行った。
私は頭のなかですごいスピードで事態を整理した。

胸が小さい←まぎれもない事実である。
背中から、お腹から脂肪をかき集めて「これは胸よ」と言い張ろうにも、
幸か不幸か、当時はかき集める脂肪はいっさいなかった。
良く言えばシンプルですっきりした胸、悪く言えば色気も何もない胸。
たしかにバニーちゃんの衣装とはアンバランスだった。

しかし、それを指摘する者は劇団には誰もいなかった。
みんな、それは見なかったこととして、もしくはあるものとして
さりげなくスルーしてくれていた。
それが優しさというものではないのか?

普段は、ほとんど自分から私に話しかけないロボットさんが
わざわざそれを言いに来るということはどういうことだ?
当時はセクハラという言葉を知らなかったし、そういう認識もなかったが、
とにかく失敬な!という気持ちがふつふつと沸いてくる。

……沸いてくるが、ロボットさんは
バランスの悪さを指摘するだけではなく、何か詰め物をしたらどうか?
と打開策までアドバイスして行った。
これは、ある意味優しさでもあるのか?
私が舞台で恥をかかないように、少しでも良く見えるようにという
優しい配慮からなのか?

私はなんとか自分に都合がいいように、
ロボットさんの失敬発言を善意の方向で解釈しようと必死だった。
全く、恋する乙女というのは、コレだから困る。

考えてみると、ロボットさんはいつも舞台全体のことを把握して、
かかしさんが手の回らない部分や目の行き届かないところを
それぞれの担当者や役者たちに伝えていた。
衣装とスタイルのバランスが悪い。
だから、詰め物をしてそれらしくしろ。
そこには、なんの他意もなく、
それ以上でもそれ以下でもないのだ。

客観的なもうひとりの自分は、理解していた。
しかし、恋するほうの愚かな自分はムリムリに、
ロボットさんは私のことを気にしてくれて言ってくれたのだと思おうとしていた。

翌日、なんだかよく分からない複雑な思いを胸に、
私は生まれて初めてバストパットを買いに下着屋に走ったのであった。

初日はもうそこまで来ていた。

つづく。

残す奴

2006年11月25日 | 夫ネタ
何がキライかって、出された食べ物をあとちょっとのところで一口を残す奴。

例えば。
小皿にちょこっと盛られた煮豆を3粒残す。
小鉢に盛りつけた小さい里芋を1個と干し椎茸半分を残す。
焼き魚をあと、ほんの一口のところで残す。
イカの塩辛をあと2切れのところで残す。
サラダで、ブロッコリーひとかけとプチトマト1個だけ残す。

ゆ、許せん!

その食べ物が嫌いだとか、食物アレルギーがあるとか、
そいうんじゃない。
だって、それまでは美味しそうにもりもり食べてたんだから。
どこかの国では、
料理を全部食べるのはマナー違反で、ほんの少し残すのが礼儀だとか。
それなら仕方ない。
でも、奴は生粋の日本人。
日本生まれの日本育ち。
食べ物を残すのは、マナー違反と教えられて育ってきているはずだ。

そのひとくちがなぜ食えん!
その3粒の煮豆を食べると、あんたのお腹は爆発するのか。
えっ?そうなのか?
その1個の里芋を食べると、あんたは胸焼けで焼け死ぬのか。
えっ?どうなんだそのへんは。

と、何度も気持ちをぶつけてきた。
しかし、返って来る答えはいつも
「だって、もういらないから。
 美味しいと思っているうちに箸を置きたいから。」

はぁ~っ?
あんたは平安貴族か。
何を贅沢言っているんだ。
それなら、最初に盛りつけるとき、
自分の食べられる分量を自己申告すればいいではないか。

「そんなの食べてみないとわからん。」

分かれよ。
いい年して。
これまでの人生、何回食事をしてきたんだ。
だいたいの自分の限度ぐらい、大人なら予想つくし、
どうしても分からないなら、少なめによそってあとでおかわりしたらどうだ。
ぶつぶつぶつぶつ。

「明日、また食べるからそのまま置いておけばいいだろ。」

なんだとぉ~。
煮豆3粒にラップをかけろというか、あんたは。
塩辛2切れをタッパにいれろというか、あんたは。

「じゃあ、他のと一緒に入れればいいだろ?」

おいっ。
箸がついたものを、箸がついていないものと一緒にすると、
雑菌がついて痛みやすいんだぞ。

許せん。

話し合いは平行線のままである。
結局、私が折れて夫の食べ残しをたいらげ、
その結果私の脂肪が着実に増加していく。

皆さんのお宅では、どうかしら?




クリスマスの飾り付け

2006年11月24日 | 日常
ひ~たさんとこでは、家の外回りのイルミネーションの飾り付けを、
ミィさんとこ
ではクリスマスの飾り付けをしていた。

というわけで、私も今日はちょっと頑張ってみた。
ひとり黙々と作業をするのは、ちょっとしんどかったけど、
ここに写真を載せて、皆さんからコメントをいただくことを心の支え(笑)に頑張ってみた。

まず、玄関の壁。
 

ワイヤーでできた壁掛けツリーは今年買った。
中央の絵は、ユニセフのクリスマスカードを額にいれただけ。

で、玄関の寄せ植えがこんなかんじ。

ガーデンシクラメンとかで、外でも育つらしいけど、
どうなんだろう?
もう少し寒くなったら室内に入れないといけないのかな?

勢いに乗り、階段の踊り場にも。


          おっとかんじんのツリーも出さなきゃ。
                   

この子たちも出番だ。                               
左の写真のサンタは去年買った。お香たてだっりする優れもの。
トナカイは、娘が何年か前に買ったもの。
右の写真のサンタは、亡くなった伯父の形見。
なかなか味のあるお顔をしている。
      
             

     この子もとてもかわいい。白いフェルトのツリーも今年の。
              


で、私らしさの和のテイストも忘れるわけにはいかないので、
お約束のこれ。

てぬぐい、クリスマスバージョン。

ちょっと頑張りすぎて、身体も冷えたので
今晩のおかずは鮭の粕汁だ。


例の鉄鍋で作ったら、鉄分のせいかちょっと黒っぽく仕上がってしまいがっかり。
せっかくの粕汁の白さと鮭のピンクがきれいにでなかった。
次回は別の鍋で作ろうっと。




第二の劇団時代 (波瀾万丈編) その34

2006年11月24日 | 芝居
ふりふりは、上気した顔で私に指を見せた。

「これ、ジュリーにもらったの。」

ふりふりの指には可愛らしいファッションリングが
大事そうにはめられていた。

「お。ということは…」
と私が訊ねるとふりふりは
「うん。ということなの。pecoちゃんが、背中押してくれたおかげ。
 ほんとにありがとうね。」
と、これ以上嬉しい顔はできないというほどの嬉しい顔をして答えた。
「いゃった~!良かったねぇ。そうか、そうか。」
私は自分のことのようにうれしかった。
「pecoちゃんも、頑張ってね。私たちも応援するから。」
そうか、もうふりふりとジュリーは「私たち」なのか。
いやぁ~、ほんとに良かった。
でも、私が口だしせずともほおっておいても
2人はいつか気持ちを確かめ合っていたかもしれない。

その2人から応援すると言われても、今の私とロボットさんでは
応援のしようがないだろう。
気持ちだけありがたくいただいておくことにした。

しかし、この数ヶ月後本当にこの2人にお世話になることになる。

こうしてジュリーとふりふりは劇団第一号のカップルとなった。
はじめは、付き合っていることをなんとか隠そうとしているかのように見えたが、
そのうちその仲良し具合はバレバレとなり、
劇団員全員からの公認カップルとなった。

いいなぁ~。
うらやましいなぁ~。
私はゆびを加えて見ていた。
スーちゃさんは、スーちゃんさんで、時々とばしやと一緒に帰ったり、
ドライブに行ったりしているようだった。
すーちゃんさんは大人なので、あまり詳しいことを話さない。
私もあまりあれこれ聞かないようにしていた。

そうこうするうちに、私のバニーガールの衣装も出来てきた。
ふりふりが中心となり、パタリロやお嬢たちが総力を結集して
カフスやら付け衿やら蝶タイやら尻尾やらを手作りしてくれた。

うさぎの尻尾は、取り外しができるようにスナップがついている。
衣装としての使用がすめば、レッスン用にレオタードをまた使えるようにと配慮してくれたのだ。

衣装ができあがったことで、ますます気合が入る私。
不思議なもので、良い衣装は役者のテンションを何割か上げてくれる。
みんなの気持ちが入った衣装を着て、私はとても嬉しかった。

鏡の前で、歌の練習とポーズの研究をしていた私のところに
ロボットさんがやってきて、
耳元でこう囁いた。

つづく。

寒くなったので

2006年11月23日 | わんこのこと
じつは、みやびの体調はあまりよくない。

朝方の痙攣の発作は激減したものの、油断していると突然起きる。
心臓の鼓動がやたら早くなり、足がもつれて倒れることもある。
夜中に起き出して、部屋のなかをうろうろ徘徊することもある。

でも、元気な時はおやつをねだったり、
ひらりとソファに飛び乗ったり、
近所を嬉しそうに散歩したり、
次兄のとこのわんこレオンとじゃれて遊んだりもしている。

あまり悲観的にならずに、
一日一日をできるだけ快適に過ごせるようにしてやろうと思っている。

今まで、わんこに洋服を着せる習慣がなかったのだが、
寒さが心臓によくないと聞いて、先日から洋服を着せている。



こんなかんじ。
あまり嬉しそうではない(笑)
これ、わんこ用の服ではない。
わんこ用の服は、びっくりするほど高い。
人間の子ども服のほうが、材質も良く肌触りのいいものが安価で手に入るので、
無印良品の子供服110センチサイズのを何着か買った。
寝る時用に、薄手のガーゼのブラウスも買った。

正面から見るとこんなかんじ。

「頼むから、脱がしてくださいよ~。」
と、言っているようにも見える。
もしくは、
「けちけちしないで、わんこ用の服を買ってくださいよ~。」
というところだろうか?

「あんたの身体のためなんだし、
 洗い替えで枚数もいるんだから、安いのでがまんしなさい」
と言ったら、こんな顔をしていた。


分かったのだろうか?



あわてんぼうのサンタクロース

2006年11月22日 | 日常
『あわてんぼうのサンタクロース』のメロディーが、
頭のなかでぐるぐるぐるぐるリフレインしている。

というのも、夫がクリスマス時期に上演する子ども向けの出し物のなかで、
リコーダーを演奏することになったため、
来る日も来る日も練習しているからだ。

彼は、ギターはそこそこ弾ける。
オカリナも少しかじった。
フルートの練習をしていたこともある。
もともと楽器をいじるのが好きだ。
そこそこ演奏できるものならいいが、
リコーダーは久々ということもあって下手くそだ。

背中を丸めひとり、何度も何度も何度も何度も、
繰り返し熱心に練習する夫の後ろ姿。

「うふっ。なんてステキなの。」



とは思わん。絶対に。

『絶対音感』とは全く無縁の私だが、
夫の演奏で一カ所どうしても聞いていて気持ち悪い音がある。
半音下がってるのか上がってるのかは分からないが、とにかく気持ち悪いのだ。
それを、繰り返し聞かされる身になってもらいたい。

「ね、その音気持ち悪いよ」
と指摘しても、自分のほうが圧倒的に音楽的センスがある
と思っている(事実そうだが)夫は聞き入れない。

きっと一生懸命やりすぎて、客観的になれないのだろう。
それにしても、譜面見てやってるはずなのにどうしてだろう?

先日、夫がさらっと言った。
「お前が気持ち悪いって言ってたあの音な、指の押さえ方が違ってたわ。 
 わはははは。」

…………わはははは、じゃないだろうがっ。

あわてんぼうのサンタクロースは、うちに来てほしくない。
すでにうちには、あわてんぼうのおっさんがいる。

第二の劇団時代 (波瀾万丈編) その33

2006年11月21日 | 芝居
安請け合いしたものの、さてどうしたものかと思いつつも、
私はジュリーもふりふりを好きなはずだという根拠のない自信があった。

いや、うっすらとした根拠はあった。
やたらふりふりをからかうジュリー。
衣装や小道具のここいちばんの大事な仕事は、必ずふりふりに頼むジュリー。
私たち他のメンバーには言わないようなきついことも、
ふりふりには言うジュリー。
こんなことは、愛と信頼がなければしないなのではないだろうか?

ロボットさんから相手にされていない私は、
全くこんなことはないのだ。
もっとからかってほしいのに。
大事な仕事を割り振ってほしいのに。
きついことだってがんがん言ってほしいのに。

あ、自分のことで落ち込んでいる場合ではないぞ。

2人を取り持つことの他にも、『愛の水中花』を歌う際の振り付けも考えないといけないし、
カーテンコールのダンスの振り付けもそろそろ完璧にしないと、
カーテンコールに出してもらえない可能性もあるかもしれない。
などと考えつつ、稽古場に行くとうまい具合にジュリーがひとりで作業しているではないか。

思い切って、切り出してみることにした。

「ふりふり、衣装とか頑張ってるよね~」
「そうだね。助かってる。」
「でしょ~?健気だわ。ふりふりいい子だよねぇ。」
作業をしつつ美しいジュリーの横顔がちょっと怪訝な顔になった。

いかん、いかん。
やり手婆じゃないんだから。
もってまわったわざとらしいことを言うのはよそう。
一生懸命作業をしているのに、邪魔をするのも悪い。
単刀直入にいこう。

「ね、ジュリーはさ、ふりふりのこと好きでしょ。」
直球勝負だ。
一瞬にして、頬が赤くなるジュリーを私は見逃さなかった。

「見てたら分かるから。」
私の言葉に、ちょっと困ったような照れたような微妙な表情になるジュリー。
「ふりふりも、ジュリーのこと好きなんだよ。
 女の子のほうから言わせるのは、どうかと思うよ。
 男のジュリーのほうから好きだって言ってあげないと。」
「そう言われても…」
「なんか、2人を見てるとこっちが歯がゆくなるんだもん。
 早く、打ち明けてしまいなさいよねっ。」

ちょっとした博打だった。
「好きでしょ?」と聞いてもしも「いや、べつに。」と言われたら
そのあとどうするかなんて考えていなかったし。

そして、その数日後ふりふりが
「pecoちゃ~ん、聞いて、聞いて!」と走ってきたのだった。

つづく。


謎のボルト

2006年11月20日 | 日常
リビングのソファの前に、こんなボルトが落ちていた。



大きさが分かるようにマッチ棒を置いてみた。

え?
何?
どこの?

ご覧になって分かるようにそれなりに存在感のある大きさだ。
これがとれたとしたら、かなりその本体に影響が出ているのではなかろうか?

しかし、夫も私も全く心当たりがない。
ソファの跳ね上げ式のフットレストの部品かと思ったが、
ソファの部品は黒だった。

じゃあなんなんだ、これは。
1本のボルトを前にして、固まる中年夫婦。

おもむろに夫が言った。
「お前の金銭感覚をしめるねじなんじゃないのか?
 ほれ、ちゃんとしめとけ。」
私は言い返した。
「あなたのデリカシーを司る脳のねじなんじゃないの?」

もしかしたら、わんこの食欲中枢を司る脳のねじかもしれない。

さぁ、どれだ?

プチ・大掃除

2006年11月19日 | 日常
タイトルに『プチ・大掃除』と書いてから、その矛盾にしばし笑う。

本日は、お風呂場のかびとり、玄関のたたきをデッキブラシで磨く、
台所の窓磨き、シンク周りを磨くの豪華4本立て。

几帳面な人なら、ふだんからこまめにやっていそうなところを
几帳面ではない夫と私が、大汗かいてやっただけのことである。
だから、プチ。

だがもうへとへとである。

最初にぼろ布と古タオルで使い捨ての雑巾を作り、
古歯ブラシ、古新聞、洗剤などを用意して昼頃からとりかかったのだが、
夕方までかかってしまった。

食事の支度をするエネルギーはなくなると予想し、
午前中のうちにおでんを作っておいたのは正解だった。

で、今そのおでんとホタルイカの沖漬けで熱燗をきゅっとやったところだ。


掃除、キライ。
ほこりで人は死なない。
見えないふり、気づかないふりをしてやり過ごすことが多いのだが、
さすがに年末に向けてそれはできない。
でも、掃除キライ。
掃除か料理かどちらか一方しかする時間がないとしたら、
断然料理をしたいほうだ。

とはいえ、汚い場所ではくつろげないというやっかいな性格。
ふだんは、目に付く場所だけはとりあえずこざっぱりさせ、
あとは、「見えん、見えん」「知らん、知らん」「分からん、分からん」ととぼける方針である。

でも毎年思うのは、ふだんからこまめにやっている人のほうが、
結局少ない労力ですむんじゃないかということ。

掃除好きなひと、もしくは掃除が得意なひといます?

ヤーコンサラダとカレー

2006年11月18日 | 料理
ミィさんとこや、ナータさんとこで、紹介されていたヤーコン。

ついに、本日朝市にてゲット。

ここや、ここにたくさんレシピがのっていた。

が、今日は夕方遅くまで外出していたため、
手の込んだことをする気がなく(てへへ)、
あく抜きしてからわさび醤油マヨネーズであえただけ。
これね。


歯触りがとってもいい。
夫も母も気に入っていた。
他のドレッシングにも合いそうだ。
明日はごま油できんぴらにしようかな。


あとは、午前中に作っておいたカレーライス。
今日は珍しくポークカレー。
カレーライスは忙しい主婦の味方。
早くに作っておいたほうが圧倒的に美味しい。
仕上げにガラムマサラをいれ、
ミニアスパラとゆで卵、福神漬けを添えて手抜き感を薄めようとする姑息な私。

しかし、やはり手抜き感は薄まらなかった。
しかも、焦って暗いところで写したので写真もイマイチ。

でも、味は美味しかったはず。

夫も母も、食事時は無口だ。
「おいしい!」
とはっきり分かりやすいリアクションをしてくれる人と食べたいものである。



第二の劇団時代 (波瀾万丈編) その32

2006年11月17日 | 芝居
いっぽう、ふりふりもジュリーへの好意をとても分かりやすいかたちで、表していた。
衣装を担当していたふりふりは、もちろん誰の衣装もきちんとやっていた。

しかしジュリーの分の衣装制作へかける熱意はなみなみならぬものがあった。

ジュリーは、きれいな顔立ちがぱっと目をひく美青年だった。
演技力そのものは、まだサスペンダーに及ばないところがあったし、
動きやダンスにもくせがある。
とばしやほどの演技の熱さもない。
しかし、舞台に立つとなぜか目が離せなくなる魅力があった。
ずっと見ていたくなる不思議なオーラがふわっと沸いているようなそんなかんじだ。
本人もそれをおそらく意識しているのだと思うし、
もともと美意識も高くセンスもいいので、衣装や持ち道具に対するこだわりも強い。
劇団のデザイン方面を一手に引き受け、小道具なんかもきれいに仕上げる。
頭の回転も速く、次々にいろいろなアイディアを提案する。
そのジュリーの衣装に対する細かい指示や要望を、
全く面倒くさがることもなく聞き入れ仕上げていくふりふり。

「え~っ、そこまでしなくてもいいんじゃない?」とか、
「せっかくそれだけ仕上げたのにやり直しなの?」と周りがあきれても、
健気に一途に、ジュリーに従うふりふり。
もちろん、公演を成功させるためというのが一番だとは思うが、
どう見てもジュリーへの思いがなければやれない仕事だった。

稽古の合間にふりふりに思い切って聞いてみた。
「ジュリーのこと好きなんでしょ?」

「え?分かる?すご~い、pecoちゃん!」
……て、おい、あの態度で分からないと思ってたのかよっ。
ジュリーがたまに言うさほど面白くもないギャグを
ひとりで「きゃ~!おもしろ~い。さすがジュリーさん!」と、
まるで林家ぺーのギャグにひとり大うけする林家パー子状態で笑い転げていたふりふり。
それで充分、分かるから。

自分の芝居やダンスをなんとかすることが先決だと思いつつも、
そんなふりふりの力になんとかなってやりたいと、
自分自身もロボットさんに完全無欠な片思い中にもかかわらず生意気にも思う私。

ちょっと、私に任せてくれない?

つい口を滑らせて安請け合いをしてしまった。
どうする、自分。

つづく。