

沖つ鳥 鴨とふ船は也良の埼
たみて漕ぎ来と聞えこぬかも
歌意は、神亀 ( じんぎ ) 【 724~729 】 のころ
太宰府から対馬に糧 ( かて )をおくるよう命じられた
宗像郡津麿に代わった志賀の荒雄は、
肥前の国の美祢良久 ( みねらく ) [ 福江島三井楽 ] から
対馬に向かって船出したが、暴風雨にあって海没した。
それから八年、荒雄の妻子はなおその生還を念じてこれらの歌を作ったという。
また、一説では筑前の国守山上憶良 ( やまのうえのおくら ) の作であるとも
伝えられている。
歌詞の鴨というのは荒雄の船の名、也良の崎は能古の島の北端で、
そのあたりを漕いで来る荒雄生還の吉報を期待する家人 ( いえびと ) の
せつない心を詠んだ歌である。