「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県竹富島  「 西新里村遺跡 」

2017-03-07 17:17:17 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



新里村遺跡の路標近くにある説明板
















住居跡なのか?まとまった岩が見える








草の覆われ所々に岩が見える






東新里村遺跡でも説明したが、
花城井戸 ( ハナックンガー ) を挟んで西側にある集落遺跡で、
村の発祥は東よりも遅い14世紀ごろのものと思われる。
スク内の仕組みで東側がわずかに一棟だったのに対し、
西側の遺跡では石垣囲いの屋敷跡が ( 12~13戸 ) と、
中国製陶磁器(青磁器・白磁器)・八重山式土器、鉄鍋、小刀などが出土している。


古記録や伝承によると、
竹富島の初期の歴史には6つの同族集団 ( 血縁集団 ) の集落名と
その首長として6人の英雄の名が登場する。
その人物を紹介すると以下のようになる。

玻座間村の根原 ( ネーレ ) カンドゥ、
花城 ( ハナック )村の他金殿 ( タガニドゥン ) 、
久間原 ( クマーラ ) 村の久間原 ( クマーラ ) ハツカネ、
波利若 ( バイヤ ) 村のスーカードゥン、
仲筋村の新志花 ( アラシハナ ) カサナリ、
幸本村の幸本 ( コートン ) フシンガーラの6人である。

彼らは、いずれも薩南諸島や沖縄諸島などの北方の島々から
守護神を招いて各集落の御嶽に祀ったといわれている。
いわゆる「六山 ( ムーヤマ ) の神」であるが、
後には彼ら自身が 「 六山の神 」 と一体化して祀られる対象となった。

伝承によれば、6人の中で最も早くこの竹富島に渡ってきたのは、他金殿である。
その他金殿は島の井戸 ( ハナックンガー・花城井戸 ) を発見し、
まもなく同族を率いてハナックンガーの東側に新里村を築いて定住したので、
いつしかこの島を 「 タキドゥン 」 と言われるようになった。
この転訛から 「 竹富 」 と呼ばれるようになったのではないかと思われる。

続いて渡来して来た根原カンドゥの率いる同族集団が
ハナックンガーの西側に集落を形成し、
もっとも有力な集団に発展した。
そのことにより、他金殿一族は根原カンドゥの圧力に屈して、
この地を離れて花城村へ移動せざるをえなかったものと思われる。


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