宅内から丸尾漁港方面を望む
「 旧居宅跡を示す路標 」
左右の角度が違う煉瓦の門塀
家の前にある神社
丸尾漁港からの遠望
県道32号線を浦桑郷から新魚目郷に向かって走ると、
丸尾教会の手前から右に新魚目総合体育館へと降りて行く道がある。
その道を200mばかり行くと左手に神社があり、
その裏手には、30棟もの教会を手がけた、
教会づくりの名工 「 鉄川与助の旧居宅跡 」 がある。
九州に今も残る明治から昭和初期にかけての多くの天主堂を建築したのは、
カトリックでもなく、そのための特別な知識もなかった大工の 『 鉄川与助 』 であった。
仏教徒でありながら、天主堂建築に生涯をかけた鉄川与助。
彼を天主堂建築にかりたてたものは何だったのだろうか。
そのルーツを探って五島をめぐった。
信者の迫害、差別、貧困、祈り、希望を感じる五島の旅であったが、
最終的には、 ただひたすら奉仕と、 ” 神を信じる気持ち ” だと思った。
それに受ける気持ちというか、
与助自身が信徒の気持ちと予算に向き合いながら、
知恵と技術と想いをカタチにしたのが、
それぞれの教会だったのではないのだろうか。